ETの未来主義ブログ

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2008.05.24
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カテゴリ: 地平線日記




  私はもともと金銭というものはそれほど執着をもっていなかった。古老などに話しを聞くと農家の生活というものは、本来、それほど現金を必要とするものではなかったらしい。自分で作ったものの一部を少しずつ食べ、足りないものは隣近所と物々交感をした。山に行けば季節季節で自然の恵みをあった。集落のどの家でも同じような暮らしぶりをしていたから他人と比較するという発想も乏しかったらしい。農家の生活というのは贅沢をしなければ本来、自給自足ができるのだ。昨日の次に今日が来て、暗くなってまた明るくなれば明日が来る暮らしだったのだ。日本人の生活というものは本来、こういうものではないだろうか? ときどき矛盾がたまって爆発することはあるにせよ自然に恵まれたこの国は天然の恵みによって育てられてきたのではないだろうか。そのなかで酒が熟成するように独特の日本文化が形成されてきたのだろう。過酷な自然に翻弄されざるを得ないような外国とこの国が異なるところだろう。

  もっとも、テレビもあれば自動車も当たり前という物質文明のなかで私は育った。当然、のこと両親たち生きてきた時代と比べて現金が必要になってきた。私の代となってからは兼業農家となった。それでも農家の長男として成長した私は、性格もあるのか、何がなんでもカネを稼ぐという意欲にはこれまでどちらかというと縁遠かったように思える。私の子どものときにプラモデルが流行ったことがある。友人たちが親にせがんで買ってもらい、学校の宿題そっちのけで組み立て、皆で見せ合っては自慢していた。不思議とその中で私は自分の親にねだったことはない。私はむしろ自分で木を削り、雑誌の飛行機の写真をモデルに模型を作ったのである。誰かの意図どおり働かせられるのが私は嫌だった。削り出すこととで木の塊は、私によって形を与えられ、命を与えられるのだ。宇宙で一つしかない固有の命を。まあそう大げさに語ることでもないが。


  私は10反ほどの農地を相続している。自家用程度のわずかな野菜を作っているが、コメづくりが主力だ。先祖代々作り続けてきたということもあるが、最大の理由は手間がかからないからだ。機械が入り、腰を曲げてのきつい作業とは今では無縁だ。農薬を使えば草取りなどの重労働からも開放されている。多少、手間が必要なのは、田植えと収穫だが、勤め先の役場から休暇を取ることができる(「田植え休暇」というものがある)し、日程を少しずつずらすことで隣近所の手を借りることもできる。昔からの農家同士の助け合いの気風がまだ生き残っているのだ。もっとも農業そのものにはそれほど愛着をもっていない。農業を自分の天職だなどと思ったことは一度もない。生まれた時から農家であったから改めて農業をやろうなどと考える必要がなかったためだ。

  私の農地は市街地のなかにある。私が望んでそうしたのではなく、街の方が勝手に侵食してきたのだ。私が農作業をしていると、散歩の人々が、「毎日、自然と接することができて楽しいでしょう?」などと声をかけてくる。冗談ではない、たまにやれば楽しいかもしれないが、週末になると毎日のように田んぼや畑のなかで泥まみれになってみたらよい。単なる惰性だ。昨日もしたから今日もしているだけだ。始終、作物と接していると感動を覚えることもない。単なる物体でしかない。それでも多少は高く売れて経済的なメリットでもあれば張り合いも出てこようが、日本人はコメを食べなくなっていて米価も落ち込んだままだ。こんな状況で農業への愛情など生まれようはずがない。

 こういうなか2~3年前から回りの田んぼや畑ばかりの風景には不釣合いなスーツ姿の男たちが頻繁に出入りするようになってきた。建て売り住宅にするから農地を売ってくれ、というらしい。話しをもちこまれた農家でもまんざらでもないらしい。私と同じようにどこも農業などには、うんざりしている。それにどこでも他に仕事をもっている。機会があれば面倒でやぼったい農業などは止めてしまいたいのだ。ウィークエンドには他のサラリーマンのように行楽地へ出かけたいのだ。農地を住宅地にするためには農業委員会で許可してもらわなければならないが、あんなものは出来レースのようなものだ。私のところにもスーツが来た。心のどこかで、渡りに船という感覚があった。どうせタダみたいな土地だ、それに引き換え、ベッドタウン化しているこの辺りでは住宅用地は高い値がついている、莫大な儲けになる。所得税だって知恵を働かせば節税できるはずだ。借金をしてアパート建設をしてはどうだろうか? こういうワル知恵付きで住宅業者が商談を持ち込んでくるのだ。こうしてさしたる躊躇いもなく私は先祖伝来の農地を売り払った。

  先もいったように自分は、金銭面では淡白だと思い込んできたが、これまで見たことのないような大金を手に入れると自分の気持ちが変わっていることに気がついた。預金残高がいつも気になるのである。毎日のように残高をチェックして1円でも増えていると、1人でニンマリとしてしまう。事情を知らない他人が、私が預金残高のネット画面を見ながら相好を崩している姿を見たなら、気味が悪くなるだろう。一方で、僅かでも残高が減っていると気が気ではない。どこか自分がきょう食べるコメにも困るような、そんな気分になるのだ。今日は昼飯を抜こう、楽しみにしている晩酌も今日は止めだ、などと思ってしまうのである。やれ物質の豊かさより精神の豊かさだ、お金をいくらもっていても幸せにはなれません、などとキレイごとをいう評論家がいるが、所詮、あれは貧乏人の言い訳に過ぎないなどと思ってしまうのである。所詮は日本は資本主義国だ。カネで買えないものは存在しないのだ。アメリカの大統領選挙がそうではないか。財界人からの大口寄付でもインターネットを使った庶民からの小口の寄付でも手段は何でもよい。たくさんの資金を集めてテレビ宣伝や集会などハデにできる候補が勝つのだ、勝てば権力も名誉も手に入れることができるのだ。それが世界の現実だ。

  そのようなときにムラカミさんが現れたのである。きっかけはネットのブログであった。税金を払うのはイヤだから、節税、節約、カネ儲け・・・などをキーワードで検索するなかで『株式会社生活者防衛市民会議』というサイトに行き会ったのである。開設者はムラカミ・アキラさんという人だった。ムラカミさんはそのサイトのなかでこう言っていた。「日本は今、人口減少・財政悪化・リーダーの堕落という三重苦を抱えています。今後、税金は30度の角度で騰がらざるを得ません。一方でいくら税金を払っても有効に使われることはありません。ここで有効に使われるというのは、困っていたり、苦しんでいる人のために使われるということです。集めた税金は砂漠に水を撒くように利権やムダのために使われてしまうのです。これは自然の法則です。だから私たちは合法的な形で払う税金を減らす努力をしなければなりません。正直者が損をする仕組みなのですから、これは生活防衛の思想だといえます。だから私は『生活者防衛市民会議』を立ち上げました」

  以上のような呼びかけで、近く説明会を開くという。全国の主要都市で行われるらしい。新手の詐欺かな、と妖しげな雰囲気もあったが、警戒心をもちながら、とりあえず聞いてみようというところから出かけた。元々私は騙されるような性格ではない。よく詐欺事件が報道されるが、なぜあんなにコロッと騙されるのか、いつも私は疑問に思う。うまい話には必ずウラがあるのだ。世の中にはウマイ話などはそんなにあるものではない。「儲かりますよ」、「リスクはありません」などという話には、まず疑ってかかるべきなんだ(続く)。





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最終更新日  2008.05.24 10:10:39 コメントを書く
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