ETの未来主義ブログ

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2008.10.19
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カテゴリ: 創作昔話





一.私たちは、お地蔵さま

  お釈迦さまがこの世さ、いらっしゃらね間、人々のこごろば救うため、つかわされた弟子がわんど 地蔵 ですじゃ。たくさんいらっしゃるお釈迦さまの弟子のなが、庶民にどって一番、身近のどごさいるのが、わんど地蔵だはんです。その意味でわんど地蔵はふつうの 人々の一番の味方 だはんです。

  漢字は、たげ便利で、字読めねでも意味ば分りますじゃ。地蔵の「地」さ世界ば、「蔵」は、“うち包む”ば意味します。づまりは、大地さ全ての命ば育む力ば内さもっでいるように、苦しんでいる人々ば無限の優しさで包みごみ、救う役目さもっているはんです。

  人のこごろどいうものは、実に頼りねもので、近ごろ人気のクラゲのように、フワフワど人の精神のながでいづも漂っでいますじゃ。ちょっどしだ出来事や、そのどきの気分で、苦しみのね、穏やかな世界ど、苦しく辛い世界ば行っだり来だりしているはんです。その、ふきゃふきゃ揺れる、人間のこごろの移ろいのながで、人々ば見守って、常さ正しい方へ導ぐ役目ばもっでいるのがわんど、地蔵の仕事だはんです

  さきほど言った、わんど地蔵が、一番、庶民さ近いどいう意味は、こごろの面だげでなぐ、人々が経験する出産、学業、仕事、病気、怪我、貧困、交際、老い、死・・・、現実の生活のながで味わう、あらゆる苦しみがら、人々ば助け出すごどさあるのす。だはんで、わんどは、お寺の境内はもちろん、道端など、人々の近ぐさいづもいるのです。庶民の仏さま神さまですはんで。

  まだ、いろいろの名前でも呼ばれます。「延命地蔵」、「商い地蔵」、「刺抜き地蔵」、「雨乞い地蔵」「縁結び地蔵」・・挙げればキリがありません。変わったどごだば、博打打ちのための地蔵菩薩なんでものもあらんじゃし。ご利益(ごりやぐ)はいろいろ、はっきりいえば、何したばってありじゃです。生きていぐうえで人が望むごどは、みなわんど地蔵の受けもづ領域さなるんです。

  わんど、地蔵への信仰が盛んさなったのが江戸時代ですじゃ。もちろん、当時の庶民にしても、大昔みたいに大真面に、地獄や餓鬼や修羅の世界があるなど信じていたはんではありません。むしろ生きていぐための方便どして、すべてのごどば神や仏頼みさしたうえで、現実の人生ば楽しんだはんですきゃ。つまりは、嫌なごど、心配なごどばこごろのながでリセットしてすまう、いわば生活の知恵だはんでした。

  でも今は、あまり盛んだばありません。今の人々ももっど上手こさ立ち回ればよいのにな、どつぐづぐ思でゃ。んだすればもっど楽さ生ぎるごどができて、いろいろの嫌の事件も減るはんでは、ど思でゃ。わんど、地蔵さにどっては、ちょっと寂しい気分ですじゃ。



  ああついでに、大坂でお上のご用で保育園の土地ば無理やり、召し上げたどいうニュースがありますたぁーきゃ。わらしだちが大切さ育てていたイモ畑ば踏みにじって跡形もなぐしてまっだいうごどじゃ。そのどき、代官はわんどの仲間の地蔵も捨て去ったどいうごどじゃ。どぐに、わんど地蔵の大好ぎなわらしだぢの気持ちば踏みにじったごどは許せません。思い上がった人間サ祟りばしねばなりませんなア。


二.笠地蔵のお話し

村の峠地蔵

  私たち六体の地蔵は村で峠地蔵と呼ばれています。お山の峠に立って、山の向こうから悪魔がやって来ないように防ぎます、またこちらの村の幸せが逃げないように見張って、いつも守っているのです。私たちは村の守護菩薩ですから。

  村の護り菩薩ですから、私たち六体の地蔵は、いつも人々の語ることば耳を傾け、庶民の思いを理解しようとしています。誰か、病気の人はいないか、病気で苦しんでいる人はいないか、といつも気にかけているのです。なかでも大人に比べ弱い小さな子どもや、真面目に働く人、苦しんでいるお年寄りたち見守っているのです。

  さて、村に、伊之助爺さまとウメ婆さまの二人が暮らしていました。二人には子どもがいません、男の子と女の子がいたのですが、幼い頃に二人とも亡くしたのす。ところでこの地方は冷害に苦しめられ、村も作物が全滅となって、大飢饉が、何年も何年も続きました。年貢が納められないどころか、村人自身も食べるものも無くなってしまいました。さすがに、このようないきなり起きる天変地異にはお手上げです。私たち地蔵でも、為すすべはありません。

  そんな状況なので、節季節季に、村の人々がしてくれる私たちのお祭りもすっかり絶えてしまいました。もっと寂しいのは、始終、泥を擦り付けたり、水を掛けたり、紐で縛ったり、いたずらをしに来る村の子どもたちが、ぱったりと姿を見せなくなったことでした。可愛い子どもたちと遊べなくなってしまったことが一番つらいのでした。子どもたちにも、もう遊びどころではないのでしょう。そしてこの冬、年の瀬を迎え、大雪が降るなかでも私たち六体の峠地蔵たちは寒さに震えていたのです。


伊之助爺さま、行商に出る

  さて、伊之助・ウメの爺婆夫婦のお話しをしましょう。年の暮れになり、正月が近づいても、爺さま婆さまの家では、餅をつくことができません。年越し魚に、いつも供えるサケが手に入らないばかりか、マスさえにもこと欠く状況でした。ひどい冷害で田んぼや畑が全滅となり、作物が穫れず、収入がまったくないのです。

  マスの一切れでもいいから、神さま仏さまに供えようと、婆さまは夜なべをして、これだけは何とか収穫できた麻で麻糸(からむし)玉(へっちょ)を織りました。夜が明けると、爺さまは婆さまが織った麻糸玉を担いで、山を越えて町の漁師のところへ売りに行きました。途中、峠に立っているお地蔵さまに手を合わしてお願いしたのですが、不景気なのはどこも同じ、一人も買ってくれる人はいません。

  困った爺さまは、町一番の木綿問屋であれば、買ってくれるかもしれないと思い立ち、大店の暖簾をくぐりました。木綿問屋の主は治兵衛さんといい、心のやさしい商人でしたので、「これは、伊之助爺さま、この大吹雪のなか、ああご苦労さま、山を越えて大変だったね。よくわかりました。お金五分と木綿一反でその麻糸玉を引き取らせていただきましょう」。こう、治兵衛さんが、言ってくれました。爺さまは、喜んで交換して、木綿一反を風呂敷に入れて担い、鮭は買えないので、鱒を一匹買って、婆さまのもとへ勇んで帰っていきました。(続く) 





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最終更新日  2008.10.19 06:17:32
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