2-21 言葉にならない悲鳴



ツバメが巣をつくり、雛を育て、やがて巣立つ季節になった。

朝子は心の中に空洞を感じたまま、それでもささやかで幸せな家庭生活を送っていた。・・・夜以外は。

その日は一月ぶりに篤の仕事が休みの日だった。いちひとははしゃいで散々篤を振り回し、篤は「ファイブカジレンキーック!」と全力で戦いを挑んでくる息子に応戦した。

彼は風呂上りに心地よい疲れをビールで癒しながら、朝子の作った肉豆腐を口に運んだ。料理が得意な朝子の作るものはうまかったが、ここ1,2ヶ月、彼は得体の知れない物足りなさと胸騒ぎをずっと感じていた。

夕食後、朝子といちひとは、来週末に行われる祭りで打ち上げる花火の話で盛り上がっている。

「ゆーほーの花火は上がるかな?!」

「ユーフォーでしょ? どうだろうね~あがるかな?!」

「じゃあカジレンジャーのは?!」

「カジレンジャーきっと難しいよ~?! ねぇパパ、私、浴衣買ってもいい?」

にっこり笑って朝子が聞いたが、篤はそっぽを向いてニュースに興味を移した。

「俺、別に浴衣姿に興味はないな」

「お祭りのときくらいしか浴衣は着れないのよ? 今年こそは着たいなぁー」

「お祭りのときくらいしか着られないような衣服を、わざわざ買う必要があるのか?」

「・・・」

朝子は俯くと、ため息を一つつき、「・・・じゃあ、いちひとの甚平なら買っていいでしょ?」と言い、いちひとが散らかした絵本を一個所にまとめ始めた。

「いいけど?」

「いちひと! 他の遊びを始める前に片付けなさい!」

「はぁ~~~い」

やがて、寝る時間になると朝子は息子の歯磨きを済ませ、「おしっこ忘れないでね」と言い、テレビを消した。

いちひとが「パパ、ママ、おやすみ~」と言って自室に入っていくと、消えたテレビ画面をまだ凝視しながら、篤は言った。「ママ・・・」

「ん? 何?」

篤は口篭もった。「・・・何言うか忘れたよ」

「なぁに? 気になるから思い出してよ」

「仕方ないよ、忘れたんだから」

朝子は少し首を傾げ、篤の疲れた顔を見た。「あなた、最近なんだか変よ? 仕事を頑張るのもいいけど、ちゃんと休んだら?」

「・・・ありがとう」

朝子はにっこりと微笑んだ。「私こそ、今日はありがとう。いちひと、とっても喜んでたわ。私が相手じゃ、戦隊ごっこも思い切りできないみたいだし。あなたがいてくれたおかげで家事もはかどったの。助かったわ」

そう言い、朝子はいちひとの寝ている部屋へ歩いていった。

なんだろう・・・。確かに感謝されている。朝子の言葉は、嬉しい。なのになんだ、この空しさは・・・?

朝子は良い母親であり、良い妻だ。それは間違いない。結婚前までやんちゃだったし、俺に出会った当初はどうしようもない不良だったが、今は改心し本当によくやってくれている。

しかし朝子・・・君は最近、俺が夜中に帰るとベッドでうなされ泣き叫んでいることがある。それもしょっちゅうだ。

言葉にならない悲鳴と嗚咽にぎょっとし、揺り起こすと、何事もなかったかのような顔をして「私うなされてたの? ごめんね、うるさかった?」と言い、いちひとの部屋に行ってしまう。そして、そのまま夫婦の寝室には戻ってこない。

本来なら、何か心配事があるのか、とか、どこか身体の調子がおかしいのか、とか聞いてやるのが夫の努めだと思う。・・・しかし、俺はどうしても君に聞くことができない。

旅行から帰った日、それを見つけた瞬間に、ちゃんと聞いておくべきだったんだ・・・。

君の胸元にあるキスマークは一体何なんだ? ・・・と。




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