2-40 見えない壁



朝子が、目の前で泣いている。それに気付いた有芯の胸が詰まる。

朝子、泣くな・・・お前の悲しむ顔なんて俺は見たくない。

彼がその泣き顔に手を伸ばすと、なぜか彼女はもう泣いていない。

むしろ不敵に笑っている。

そして、有芯がどんなに手を伸ばしても、見えない壁のようなものが二人を隔て、決してその手は朝子に辿り着かない。

有芯は呆然とした。どうして?! こんなに・・・こんなに側にいるのに・・・?!

朝子が言う。「あんたが消えてくれて、せいせいしたわ」

有芯は両の拳で壁を叩き叫んだ。「朝子!俺はお前が好きだ!愛して・・・」

途端に朝子は怒り出す。「軽々しく愛なんて言葉使わないで!あなたは自分勝手に私を求めてるだけじゃない!!そんなのは愛じゃないわ!!二度と会いたくない!」

「違う!俺は本当に・・・!」

朝子・・・・・朝子・・・・・・・・・・・・・。

有芯の目が開いた。そこが自分の部屋で、自分のベッドだと気が付くのに時間はかからなかった。

また夢か・・・。

あいつに会ってから、こんな夢ばかりだ・・・。

有芯は朝子が資材置き場で言ったことを思い出した。

“アンタじゃ頼りになんてならないわよ! 私、それがよくわかったの。・・・アンタはただちょっと強引なだけのガキ。付き合うにはいい相手だけど、結婚となると話は別”

朝子の言う通りなのかもしれない。

俺じゃあ、あいつと息子を幸せになんてしてやれないのかもしれない。

あいつは俺のせいでいつも泣いていた。

泣くか、そうでないときは強がってばかり。

そしてあいつはやはり、いつだって俺を頼ったりしない。何でも一人で解決しようと、抱え込んでばかりいる。

それは・・・やっぱり俺が頼りないせいなのか?!

「・・・情けねぇ」

有芯は心底そう思った。

俺がいるから、あいつは苦しむ。

俺のせいで、あいつはいつも泣いている。

だったら・・・俺なんていない方がいいんだ。

俺の愛情が朝子を悲しませるだけのものなら・・・あいつを泣かせることしかできないのなら、俺は身を引かざるをえないだろう。

有芯は、財布の中から銀のピアスを取り出した。朝子が忘れていった、片方だけの三日月形ピアスだ。

北陸は、だんだんと気温が高くなっていた。ちょうど、有芯と朝子が二人で過ごした九州での日々のように、暑い日が続いている。日差しの強い日は、どうしてもあの3日間の出来事を思い出してしまう。

あいつの笑顔、観覧車のキス、あいつの怒った顔、宏信の家でしてくれた優しいキス、俺を初めて受け入れてくれた身体、繋いでくれた暖かい手、あいつの・・・強がりなあいつの、本気の涙。

「有芯―! 朝ご飯だよー!」

「おう」

有芯は一緒に暮らしている母親の呼ぶ声に答えた。

俺が空港で撃たれて入院した時、お袋は血相を変えて、九州へ飛んでこようとした。まぁ俺が止めたけど。

あの事件も、宏信が気を利かせて朝子のところに警察が行かないようにしてくれた。俺への事情聴取がなかったのもきっと宏信のおかげだろう。

そのせいか・・・全部、無かったことのようにすら思う。

全てが夢物語のように思えるのに・・・このピアスだけが、あの日々が事実だったことを俺に告げている。

たった3日間。でも・・・俺にとっては何より愛しい3日間だった。

有芯はベッドに寝転がると、ピアスを見つめ呟いた。

「朝子・・・・・俺はこれからお前なしで生きていけるかな?」

彼の問いに、当然のことながらピアスは答えてくれない。有芯は苦笑した。

「現実って、厳しいなぁ」

呟くと有芯はベッドサイドにピアスを置き、朝食の匂いがする居間へ歩いていった。




41へ


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: