3-10 幸せになどできない



その時、部屋に声が響いた。

「愛してるわ、有芯」

有芯は驚いて泣き濡らした仏頂面を上げ、後ろ頭をぐしゃぐしゃにしながら呆れた様子で文句を言った。

「あのな、いるならいるって言えばいいだろ。それに、似てねぇ上に気色悪い物真似やめろよ」

部屋の入り口で、智紀がにかっと笑った。「今のがいるって意思表示のつもりだったんだけど。どうだ、嬉しかっただろ?!」

有芯は両手で腕を擦りながら身震いした。「まさか! 鳥肌立ったじゃねえか!!」

智紀はニヤニヤしながら、持っていたコンビニの袋を小さな背の低いテーブルに置いた。「快感でか?」

「悪寒だ、馬鹿野郎!」

怒鳴った有芯に、智紀は静かな口調で言った。

「……弱気になってどうする? 先輩の親がまた会ってくれなかったからって、へこんでる暇なんてねぇぞ」

智紀は、言葉を失い俯いた有芯の向かいにドカリと腰を下ろすとコンビニ袋からパンとお茶を出し、ため息をつき言った。

「先輩はどうやら、タクシーは使っていないようだな。バスにも、おそらくは乗ってない。でも分かったのはそれだけ。近所の人が家を出て行く先輩を目撃してたけど、軽く買い物に行くような軽装で、とても家出するようには見えなかったってさ。それから電車にでも乗ったのか、そのまま歩いてどこかに行ったのか、誰かを頼ったのか、それとも……」

そこまで言うと智紀は言葉を切り、苦い顔をしてチラリと有芯を見た。そうして有芯の表情から、彼の方にも目立った成果がなかったことを伺い、智紀は意を決し言った。

「これ以上探すとしても、俺たちだけじゃあまりに非力だ。いっそプロの探偵に依頼した方がいいんじゃないか?」

有芯は後ろ頭をバリバリと掻いた。「いや。金がねぇ」

「そう言うけどな……」

自分を諭そうとした智紀の言葉を有芯は遮った。

「お前、分かってるか?! 本当に、本当に俺、今金がねぇんだよ。ちょっとでも余分に使っちまったら、あいつらとお袋を養えなくなるくらい貧乏なんだよ!! ……………畜生っ!」

有芯は拳を思い切りテーブルに打ち付けた。すると天板が真ん中から割れ、テーブルとささやかな夕食が有芯の振り下ろされた拳に向かって崩れ落ちてしまった。

智紀はその一部始終を見届けると、軽いため息をついた。

「あーあ。やめてくれよ、古いテーブル本気で殴るのはさぁ。……って、お前まだお袋さんに何も言ってねぇのか? いくら心配かけたくないと言ったってな、ずっと黙っとくわけにもいかねぇだろ?! まぁ早めに打ち明けるんだな」

智紀がそう言いながら片付け初めても、有芯はテーブルを壊したそのままの体勢でブルブル震えている。智紀は動かない有芯に気付き手を止めた。

「……どうした? 気分でも悪いか?」

有芯は震えも収まらぬまま言葉を振り絞った。「……悪りぃ」

「そうか、なら奥で寝てろ。毛布、どっかそのへんにあっただろ」

「そうじゃねぇんだ。……テーブル、壊して悪かった」

智紀はまた淡々とテーブルやペットボトルを片付けだした。「ああこれか、気にすんな。お前と10何年も一緒にいりゃあ、物が目の前で壊れる光景なんか見飽きるほどだよ」

「……智紀」

「あ?」

有芯はがくりと床に腰を下ろし、呆然と言った。「……俺、朝子のことも壊しちまうのかな」

「え? 何言ってんだ?」

「あいつ……あの篤って野郎、探偵に朝子の行方を探させてるんだ」

智紀は血相を変えて立ち上がった。「じゃあ尚のことヤバイじゃねぇか! いくらキ~ミカ先輩をスパイにつけてるからって、先に先輩を見つけられたら……!!」

「分かってるよ!!」有芯は叫んだ。「俺だって嫌になるほど分かってんだよ!!」

有芯は、あの日キミカが帰ってから篤と交わした会話を思い出し、また拳を握り締めた。



“探偵に朝子の捜索を依頼したよ。人探しのエキスパートらしいからこっちはおそらくすぐに見つけられるだろう。もちろん分かっているとは思うが、見つかっても君には一切知らせない”

“てめぇ……汚い真似を……!”

“汚い? 汚いのは君の方だ。昔別れた今は人妻の女に、未練たらしく手を出したんだからな!! 朝子はもう高校生じゃないんだぞ! 俺の妻で、いちひとの母親なんだ!!”

“確かにそれは俺が悪かった!! だがな、朝子と赤ん坊には関係のないことだろうが!! あいつと子供は何も悪くねぇんだ! 俺が守ってやろうとして何が悪いんだよ?!”



「……でも言われたんだ、あのクソ野郎に」



“君は、さっき朝子は強い女だと言ったが……知らないだろう? 朝子が貴様と別れてどれだけ絶望していたか! 彼女は放っておけば自然に死んでしまいそうなくらい壊れていたんだぞ!! ……10年前、君たちは一度終わったんだ。それがもう一度一緒になったところでうまく行くはずがない。わかるか?! 君では朝子と子供を幸せになど到底できないんだよ! その様子だと職すらないんだろう? そんな様でよくもぬけぬけと子供をおろさせないとか朝子を守るとか言えたものだ、可笑しくてたまらんよ! 俺はもう二度と、朝子があんなふうに貴様に壊されるのを見たくない……! 朝子が本気で好きなら、本当に彼女の幸せを願うなら、潔く手を引くんだな!”




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