3-20 溜め息



いなくなってしまった朝子、朝子の腹にいる赤ん坊、朝子を苦しめるクソ野郎。

会ってくれない朝子の親、怒ってしまった宏信、俺を狙ってるらしいヤクザ。

………俺は一体今、いくつ問題を抱えているんだ?!

有芯は深い深い溜め息をついた。溜め息ばかりつくなんてよくないと彼は思っていたが、思ったところでどうやら無駄のようだった。

有芯は諦めると、また溜め息をつきながらキッチンに向かった。彼が無意識のうちにウイスキーの瓶を取り出したところに、彼の母親が入ってきた。彼女は驚きと呆れが混ざったような声で息子をたしなめた。

「有芯、今、朝だよ。何やってるの?!」

「え!? ……ああこれか。ついつい手に取っちまった。……朝一番に飲むような液体じゃねぇな」

有芯は力なく笑うと、戸棚に瓶をしまった。母親が何か言いかけたが、有芯は何も言われないうちに、さっさと洗面所に引き上げ、顔を洗った。濡れた顔のまま小さな置き時計を見つめる。時間は早朝、5時49分。彼は顔についた水気を、眠気と情けなさによる涙と一緒にタオルで拭った。

結局、一睡も出来なかった。

俺は……一体どこからどう手をつければいいんだろう。………無茶苦茶だ。元々無茶苦茶な状況なのに、ヤクザまで出てきやがって。

だいたい、そんなことを告げられても、飛び道具持ってる本物のヤクザ相手にして、俺に一体何ができる?! 覚悟して殺されるのを待ってろってことなのか?!

一体俺はどうすればいいんだよ……………宏信。

気付くと洗面所の床にへたり込んでいて、有芯ははっとした。こんな現場をお袋に見つかったら、また心配をかけてしまう。

彼は伸びっぱなしの髪を何とか整えると、携帯とキーだけ持って部屋を出た。何も考えず飛び出してしまってから、行き先が決まっていないことに気付き有芯は立ち止まった。

「…………………」

彼はとりあえず、煙草を探しているふりをしながら考えた。考えても仕方のないことは、考えない方が得策だ。とにかく今できることをやるんだ。今できることを……。

方針が決まったことろで、有芯は煙草をくわえ、火をつけた。そのまま胸深く息を吸い込み、彼はまっすぐ歩きバス亭に向かった。

………そういえば、九州で朝子と再会したのはバスの中だったよな。

つい何ヶ月か前の出来事なのに、彼にはそれが遠い昔の出来事に思えた。切なさに締め付けられ、彼の胸は悲鳴のようにぴりぴりと痛んだ。

やがて、彼は朝子の実家である川島家の前に立っていた。川島家は決して大きくはないし多少古びていたが、手入れの行き届いた庭や門構えから、主人の几帳面さが伺える。

有芯は緊張を和らげるため何度も深呼吸をすると、意を決しインターホンを押した。押してしまってから、逃げ出したくなる心を必死に抑えつつ、彼は拳を握り締め足で地面を踏みしめた。

『どちら様でしょうか』

いつものように優しそうな声で、朝子の母が聞く。

「雨宮です。朝子さんのお父さんに会いに来ました」

いつものように有芯が答えると、いつもと同じ返事が返ってきた。

『主人はあなたに会わないと言っています。お引取り下さい』

有芯はいつもよりもっと必死に食い下がった。「お願いします! 俺は、半端な気持ちで来ている訳じゃありません! 朝子を大切にしたいんです、だから―――」

有芯がそこまで言うと、穏やかだった母の声色が変わった。

『大切にしたいのなら、どうして出て行かせたりしたんです?! ………』

インターホンはブツッと切れ、ショックを受けた有芯だけが玄関に取り残された。




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