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3-22 災厄の果てに差す光
煙草の煙を吸い込んで、震える息と共にそれを吐き出した時、後ろから呼び止められ有芯は振り返ろうかどうか迷った。白スーツ男を殴った現場から、まだそれほど離れていなかったからだ。
しかし有芯はゆっくりと振り返ってしまった。そして、自分を呼んだ人物を見て心底、振り返らなければよかったと思ったが、遅すぎた。
「雨宮お前、東京行ったんじゃなかったのか?! 今日はどうしてこんなとこにいるんだよ?」
ビジネススーツ姿でニヤニヤしながらそう言ったのは、昔からの悪友で同級生の雄二だった。知りたくもなかったエミに二股をかけられていた事実を旅行中の有芯にわざわざメールで伝えてきたのが、この雄二だ。
有芯はイライラしながら眉間に皺を寄せ、ビラを背中に隠すと何とか苦笑した。「よぉ。ま、俺にもいろいろと事情があってな」
やっとのことでゆっくりといい終えた有芯に対し、雄二は軽く言い放った。
「駅で見たよ。人探してるんだろ」
有芯の顔から表情が消えた。
雄二は、有芯の後ろに回りこみビラを覗き込んだ。「この人知ってる。お前とか智紀の先輩だよな。……あれ? そういえばこの朝子って人、お前の元カノじゃなかったか?! 何、もしかして……彼女が結婚してからも、ひそかにお前と続いてた、とか?!」
雄二が目を輝かせているのを見て、有芯は今日ここで雄二と出会ってしまった運命を呪った。雄二はこういった他人のプライバシー情報が大好きで、彼がひとたび知った情報はたちまち周囲に触れ回られてしまう。そしてそういう話には、往々にして尾ひれがついてまわる。
有芯はどんよりと暗い気持ちで、何を言っても無駄だと知りつつも声を絞り出した。「違うよ。朝子の―――先輩の名誉のために言うけど、俺らはそんなんじゃねぇ」
しかし言ってから、有芯は激しい自己嫌悪に襲われた。
そんなんじゃねぇって何だ?! 俺はすでに結婚し子供もいる朝子を抱いて―――俺のわがままのせいで朝子は俺の子を身ごもっている。
俺や朝子が何と言おうと………周囲はきっと俺たちをそういう目で見るに違いない。
有芯のショックなど知るよしもなく、雄二は嬉しさを一生懸命押し隠しながら、真面目な顔で有芯に向き合った。
「大変そうだねぇ。話なら俺、どんだけでも聞くぜ?! 話せばきっとスッキリするし」
「お前、仕事中じゃないのかよ?」
「仕事? いや、今外回り中だし大丈夫。それより友達のことの方が大事だろ? 男はそうじゃなくっちゃ、な」
有芯は雄二と向き合ってコーヒーでもすすりながら、朝子の話をすることを想像してみた。有り得ない、絶対にそんな状況だけは避けなければ……!
有芯は無表情で言った。「帰るよ、忙しいし」
「ま、ま、そう言わず。息抜きだって絶対必要だって」
「いらねぇ。だいたい疲れれば俺は一人で寝る方がいい」
「強がっちゃって~。あのチャラチャラした兄ちゃん殴ってるときの顔なんかお前、精神どっか行っちゃってるのかと思ったぜ?!」
有芯は更に無表情になった。「見たのかよ。じゃあ話が早いな。お前も殴られたくなかったら、失せろ。今すぐだ」
「またまた~、ご冗談を」
「冗談じゃねぇって、言ってんだろ!!」
そう言うと有芯はいきなり雄二の左頬を拳で殴りつけた。後ろに倒れこみ地面に手をついた雄二を見ると、今までに積み重ねた恨みがつのりもっと殴りたくなってきたので、有芯はそれ以上無駄に殴るまいとその場を足早に離れた。
何度も路地の角を曲がり、もう雄二に追いつかれることはないと思える場所まで来ると、先ほど感じたショックが再び有芯を襲った。怒った宏信に言われた言葉が蘇ってきて、彼は表情を歪め震えた。
“君は朝子さんを傷つけたんだぞ! そんなことをするヤツに、彼女を追いかける資格なんて無い!!”
違う、違う……!! 朝子は……俺が守るんだ……!!
しかし有芯の心にぽっかり空いた穴が軋み、彼は苦しさに立ち止まった。
“大切にしたいのなら、どうして出て行かせたりしたんです?”
分かっている。………自分が悪いことなど、分かっている。
朝子がいなくなったのは、俺のせいだ。
分かっている。………白スーツ野郎や雄二を殴ったのは奴らのせいじゃねぇ。こんな気分じゃなかったら、俺はあいつらを殴ったりなんかしなかっただろう……。
“10年前、君たちは一度終わったんだ。それがもう一度一緒になったところでうまく行くはずがない。わかるか?! 君では朝子と子供を幸せになど到底できないんだよ!”
もしかすると俺のせいで今ごろ、朝子や腹の子が…………………。
有芯は狭い路地で立ち止まったまま苦笑したが、やがてその顔から一切の笑いが消えていき後には、苦しみの表情だけが残った。
「…………………朝子」
心の空洞が、目から涙を後から後から落とさせた。
俺はお前を2度も捨てたんだよな。
今ごろ、お前は苦しんでいるのかな。
俺が苦しんでいることなんか知ったら、お前は尚のこと苦しむのかな。
いや………もう俺のことなんか、見限って忘れているかもな……………。
二度とお前に会えないくらいなら……いっそこのまま死んでしまいてぇ―――。
有芯は眩暈を感じ、慌ててお茶を一口飲んだ。そして顔を上げると、目の前に黒いスーツの男が3人立っているのを見て有芯は真っ青になった。
…………………ヤクザ……まさかこんなに早く殺されるなんて。
有芯が全く動けずに硬直していると、一人が話し掛けてきた。
「雨宮さんですね」
有芯は答えることすらできなかった。よく見ると、その男はさっき駅の売店で話し掛けてきた人物だ。
なんなんだこいつら一体……有芯がそう疑問に思ったのと同時に、聞き覚えのある声が男たちをたしなめた。
「こらこら、いきなりこんな声の掛け方をしたら誰だって驚くよ」
有芯は、3人の男たちの後ろから車椅子で現れた人物を見て目を丸くし、驚きのあまりよろけて壁に手をついた。
「宏、信……………何でここに?!」
やっとのことで有芯がそう言うと、宏信は苦笑し「やあ」と言って照れくさそうに右手で頭を掻いた。
「僕もあれからいろいろ考えてみたんだ。……君たちは僕の恩人だからね。朝子さんにも有芯にも幸せでいてほしい」
「宏信……それじゃあ」
宏信は有芯を見上げ、にっこりと笑った。「ああ。君の頼みを聞くことにした。それで、今日は結果報告に来たんだ」
「結、果……?!」
有芯が宏信の目線にあわせるようにかがむと、宏信はいつもの優しい目で有芯を見、言った。
「朝子さんの居場所がわかったよ」
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