1.助産院を選んだわけ



1.助産院を選んだわけ


(1)一人目の出産

一人目を産んだのは総合病院でした。当時、私は産院なんてどこも同じだと思っていたし、選ぶ基準は「地理的都合」だけでした。
ようするに、実家から近ければよかったのですf(^^;

病院にて、陣痛室
さて、ついにその時が来ました。家で破水し、私は旦那に連れられ病院に向かいました。
最初はなかった陣痛も、到着したとたんに始まり( ゚Д゚)ウギャー!、陣痛室で待たされ・・・・
「出そうになったら、これ(呼び出しボタン)押してくださいね!」
看護師さんは去っていき・・・・・。
家族に見守られながらも、痛みと不安でいっぱい・・・・・・・苦しくて苦しくて、この時ばかりは子供を授かったことをチラッと後悔してみたり( T_T)/(T_T )

←←おなかが重くて、転がりたくてもなかなか転がれない!


そして、「出るぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!!!!!!!!!!」
となって、いざ、分娩台へ。
旦那と看護師さんに励まされ、(この時、「もうすぐ赤ちゃんの顔が見れますよ」という、看護師さんの言葉が一番の支えだった)無事出産!

産声をあげてくれたときには感激したけど、それよりも疲労と「やっと休める」という安堵、そして喪失感、みたいなものでいっぱいだったのをよく覚えている。

出産自体に、私は(その時は)不満はなかった。
ただ、産んだあと、すぐに離れ離れになって、一度も抱っこさせてもらえなくてさみしかった。
今までずっと、おなかの中で一緒にいたのに、あっという間に切り離されて、隣りに寝かされ(ガラスの壁で隔てられてるし)、まる一日顔も見れずにいた。
さみしかった。どうしても、せめて顔を見たくて、産後の体を引きずって新生児室に行った。
ガラス越しに、「あれが私の子だぁ・・・」と思った・・・。
病院にて、息子に会いに


(2) 「産院はどこも同じ」が間違いだったと気付いた時

一人目の子を産んで、7ヶ月くらい経ったとき、あるテレビ番組を見ました。
お産の特集をやっていたのです。
私も経験者なので、興味があり、テレビを見ていました。
すると、番組のなかで、愛知県の 吉村医院 という産院が紹介されました。

カンガルーケア
吉村医院では、できる限り医療処置を施しません。女性が本来持っている「子供を産む」という能力を、最大限発揮させるための工夫をしています。
例えば、お産間近の妊婦さんたちが集まって、みんなで水を汲み、まきを割って自炊したり、ピクニックに行ったり。
体力がついてくるのを感じると、彼女たちは自然に「自分で産むんだ」、と言う自覚が芽生えるんだそうです。
それだけでなく、このようなイベントを通して、妊婦さん同士が打ち解けて、何でも話せる友達ができたり。
誰かに陣痛が始まると、他の妊婦さんたちが一生懸命励ましている姿も印象的でした。
しかし、私が一番ショックを受けたのは、自分の力で赤ちゃんを産み、その産んだばかりの赤ちゃんを、そのまま胸に抱かせてもらっていることでした。
「カンガルーケア」と呼ばれているらしいです。幸せそうなお母さん。満足そうな赤ちゃん・・・。
その後、すぐにおっぱいを吸わせてもらい、その刺激で母乳はばっちり出るようになるとか!
産後ずっと、赤ちゃんとお母さんは一緒。赤ちゃんは、好きなときに好きなだけお母さんに甘えて・・・


「私のお産って、・・・・・何だったの・・・・・!!」

その時、初めて私はそう思いました。
ガラス越しに、こうすけを見たことを思い出しました。
母子手帳の「初めてあげた栄養は  母乳 人工乳  産後 時間」の欄に、わからなくて記入できなかったことを思い出しました。

そして強く誓いました。「次の子を産む時には、絶対カンガルーケアをしてもらえる産院にするんだ! 二度とさみしい思いをしないように!」と。

でも・・・うちの近くにそんなとこあんの・・・?

決意、早くも危うしか!?

しかし、私はふと思い出して、産後に訪問して、おっぱいのアドバイスをしてくれた助産師さんが持ってきてくれた小さな紙を引っ張り出してみた。

「○○○○、助産院・・・?」

近くに助産院があるなんて知らなかったー(当時助産院が何かもよく知りませんでしたが)。自然なお産、へー! 自宅出産とかもするんだ! お兄ちゃんも立ち会って!? いいなぁー!

でもこのときは、まだはっきりとこの助産院に決めたわけではありませんでした。
まあ、妊娠もしてないわけですから、当然といえば、当然かな?



続きを読む →→  2.初めての助産院



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