once 20 知られた秘密



いつの間にか、ベースがいなくなっていた。代わりにアルトサックスとドラムが入り、サックスは見事な指使いで、ゆったりとした曲を鳴らした。ドラムの引きずるような音が少々気にはなったが、決して悪くない演奏だ。

有芯は、ピアノの上に置かれた水のグラスと、ショックを受けている朝子の姿を交互に見つめていた。

やがて朝子は顔を上げ、真剣な表情で有芯を見た。

「ごめんなさい・・・そんなことになってるなんて知らなくて・・・」

「・・・先輩は何も知らなくていいんだよ」有芯は、話してしまったことを少し後悔した。彼女にはずっと話さないと決めていたのに・・・。

しかし次の瞬間、少しの後悔が大きな後悔へと変わった。

「ね、明日、その東高の子のところに、一緒に行こう」

「・・・・・はい?」

「今日散々付き合ってもらったお礼も兼ねて」

有芯は青ざめた。「断固拒否!」

「なんで? 大丈夫よ、私が一緒なら」

「お前が一緒だと・・・」有芯はどう言ったら彼女が納得するのかを必死で考えた。「・・・・・まずい」

「どうして?」やはり、朝子は納得しなかった。

「それは・・・方向音痴だから」

「方向音痴だとまずいの?! 有芯と一緒なのに?」

「しゅ、集合場所に遅れるだろ?!」

「遅れるって・・・今まで散々ブラブラしてたくせに、時間を気にするの?! じゃあ迎えに来て」

「・・・・・・・とにかくお前と一緒には行きたくない」

「私と一緒でなくても行けないんでしょう?」

「・・・うるせぇな、おせっかいなんだよ」

「それからさぁ、有芯、よく考えて。おかしいよ? 恨んでる人間に、毎年航空券送ってくるなんて」

「だから、それは怨念がこもってるんだろ。何せ殺されかけたんだから」

「本当にそうなら、とっくに法に訴えたりしてると思うよ? そういう話が今まであったの? 恨み言を言われたことは?」

「・・・ない。航空券入りの短い手紙以外、連絡は全くなかった」

そう言われてみれば、そうかもしれない・・・有芯はそう思った。そう思いたいだけなのかもしれないが。

有芯が考え込んでいると、朝子がその暖かな手を、彼の手に重ねた。

「とにかく、明日行こう。・・・私も・・・責任感じるし」

有芯は驚いて朝子を見た。彼女は悲しそうな目で、重ねた彼の手を見つめている。

「知ってるよ。原因は私なんでしょう?」

「何で知って・・・」

「キミから聞いた」

「キミカ先輩・・・あの野郎・・・!」

「知ったのは、・・・つい最近なんだけどね・・・それまで黙ってたんだし、私が無理に聞きだしたんだから、キミを責めないであげて」

「・・・・・」

「私って、鈍感だね。何にも知らなくてさ・・・。私ね、付き合ってる間も、別れてからも、ずっとあんたに嫌われてるんじゃないかって思ってた・・・。遊び人のくせして、私のことは抱いてくれなかったし。だから、有芯から本当のことを聞きたかった。いろいろと納得がいかなかったのよ。だから・・・こうして、会いに来たの」

朝子のまっすぐな瞳を見て、有芯は身動きが取れなかった。サックスのリードが、まるで彼の心のように震えている。彼は心だけでなく、自分の体までガクガクするような錯覚に陥っていた。

「でも・・・」

朝子はため息をつくと、にっこり笑った。

「もうそれはいいや。あんたはあんたで、いろいろあったんだと思うし。さて、まだまだ飲もうっか!」

本当のこと・・・。

それは、彼の人生最低の記憶でもあった。



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