once 38 大木宏信



繋いだ手をしっかりと握り締めながら、二人は廊下を歩いた。突き当りを右に曲がり、少し行くと、やっと目的の扉の前に立った。

(ノック、したほうがいいよね?)

(ああ、そうだけど、ちょっと待って・・・)

朝子はゆっくりと2回ドアをノックした。有芯は朝子を睨んだ。待てって言ったのに、また無視しやがって・・・!

有芯が文句を言う間もなく、すぐに扉の中から「どうぞ」と言う男の声が聞こえた。途端に、有芯の体が凍りついた。

「何してるの、入って」

朝子が扉を開けた。有芯は真っ青になりながらも、ヤケクソで扉の中に入った。今度こそ、好きな女の前で無様な姿をさらす訳にはいかない。

入った瞬間、先に挨拶をしたのは向こうの方だった。

「こんにちは。雨宮君、だよね。お久しぶり」

短めの茶色い髪に、Tシャツ姿のその男―――大木宏信は、リクライニングベッドの背にもたれて起き上がり、満面の笑顔で有芯を迎えてくれていた。

中の壁にはバスケットボール選手やロックスターのポスターが何枚か貼られており、ベッドサイドには大きな機械とパソコンが置いてある。パソコンの画面にはバスケットボールの試合模様が、スピーカーからはロックが流れており、ごく普通の若者の部屋といった感じだ。リクライニングのベッドと機械、その横に掛けてある千羽鶴がなければ、障害者の部屋とはとても思えなかった。

有芯は彼が体を起こし、健康的に笑っているのが信じられなかった。切れ長の目は優しさをたたえ、笑うとくしゃくしゃになる顔は、有芯に好印象しか与えなかった。寝たきりで起きられないんじゃなかったのか・・・?! 彼は驚きのあまり、大マヌケに「こん、・・・にちは」と言うのが精一杯だ。

そして、後から入ってきた朝子を見て、宏信は目を丸くした。

「あなたは・・・!! 川島朝子さん、ですよね?」

名前を言い当てられ、朝子は戸惑っていた。「そうです・・・こんにちは。・・・あ!」

彼女は驚いて目を見開いた。

「あなたもしかして・・・」

「覚えてます? 僕、あなたに何か渡したことがあるんですが」

「傘よね、覚えてる! まさか、あのときの傘の人がタイボク君だったなんて」

「えっ、タイボク?」

そう言うと、二人は笑った。有芯はわけがわからず、ただぽかんとするしかない。

「あ、ちゃんと説明しないとね。川島さん、彼氏がやきもち焼いてるよ」

有芯と朝子は固まった。

「あ・・・あのね、有芯は彼氏じゃないの。私も・・・今はもう川島じゃないし」

「じゃあ、もしかして二人は結婚したの?! そうか、あれからずっと続いてたんだ・・・」

有芯と朝子は、ずっと手を繋いだままだったことに気付き、再び固まった。普通に考えれば、他人と結婚している朝子と、有芯が手を繋いでいるのは不自然だ。

朝子はすっかり慌てて有芯の手を振り解いた。「あ・・・えーっとこれはね・・・」

「いいよ、照れなくても。お二人のアツアツぶりは、さっきも見させてもらったからね」

「えっ」朝子と有芯は同時に、部屋の窓から外を見た。さっきまで熱いキスを交わしていた廊下が丸見えだ。

無言で顔を赤くし下を向く二人を、にこにこしながら宏信は見つめている。

「ごめんね。見えちゃったものだから」

「・・・いいえ。私たちこそ・・・」

しばらくの沈黙の後、宏信が口を開いた。

「・・・それじゃあ、早速だけど話そうか。僕が、こんな体になった日のこと。・・・雨宮君、そんな顔しないでよ。見ての通り僕は楽しくやってるし、君を恨んでもいない。ただ、言いたいことがあったんだ、どうしても。それで父に無理を言って、飛行機のチケットを送ってもらってた。僕の方から会いに行ければ、本当は一番よかったんだけどね」

宏信はまるで朝子のような優しい表情で有芯を見ると、再び笑顔になった。「よく来てくれた。本当に嬉しいよ。」

有芯は現実感のない感覚に戸惑っていた。俺を恨んでいない・・・? なぜだ? 普通は、恨んで当然のはずが・・・。

有芯の当惑をよそに、宏信は穏やかに話をはじめた。



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