once 48 素直な唇



朝子が感覚のない手足を何とか動かし一歩を踏み出そうとした瞬間、有芯が口を開いた。

「・・・あ」

涙目になってしまっている朝子が振り返った。「・・・な、に?」

「先輩、ピアス片方、いつからない?」

「・・・え? あ、ホントだ・・・」

「俺の部屋に落としてきたんじゃないか?」

「・・・・・」

朝子は潤む目を凝らして有芯の顔を注意深く観察した。視界はぼやけていたが、彼は相変わらず無表情に見える。ため息をつくと、有芯は言った。

「しょうがない。俺の部屋、見てこよう」

有芯は淡々と歩き出した。朝子は少し迷ったが、有芯のそっけない態度に苦笑しつつ、従った。


二人が有芯の部屋に入ると、背後でガシャッと鍵の閉まる音がして、朝子はびくりと体を強張らせた。あ・・・ここオートロックじゃない。鍵が閉まって当たり前ね。

「あったぞ、ほら」

有芯が手に持ったピアスを掲げている。朝子はほっとした。

「よかった・・・けっこう気に入ってたの。ありがとう」

朝子は手を伸ばしたが、有芯の手は彼女をするりとかわし、彼のもう片方の手が、彼女の手首を掴む。

朝子は混乱した。「有芯・・・? どうしたの? 返して?」

「嫌だ」

途端に有芯は朝子を引き寄せ抱き締めた。「やっと言える」有芯はもう無表情ではなかった。彼の顔は愛しさと欲情で歪んでいる。

「・・・愛してる、朝子・・・」

有芯はやっと素直になったその唇で、気持ちを込めるようにゆっくりと深いキスをした。

朝子は自分の意志とは無関係に、彼のキスを受け入れている自分に戸惑い慌てた。「嘘・・・なんで? わけがわからない」

有芯は抱き締めながら朝子の髪を撫でた。「あの場で愛してるとか帰るなとか言えば、お前はここにはこなかっただろう?」

朝子ははめられたことに気付き愕然とした。「・・・ずるい、卑怯!」

有芯は苦笑し「泣いてたくせに」と言うと、もがく朝子をいっそう強く抱き締め、彼女の耳にそっと囁いた。

「俺、もう我慢なんかできない。抱いていい? 朝子・・・」




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