once 69 泣き虫



「朝子を知ってるのか?! あいつは今どこにいる?!」

有芯の大変な剣幕に、女の子は驚いて後ずさった。彼ははっとして、一つ深呼吸すると、ゆっくり質問した。「ごめん。えーっと・・・どうして、朝子のことを知ってるの?」

「はぁ、朝子さんとおっしゃるんですね、あの方・・・。何日か前から宿泊していたんですが、私みたいな清掃員にもきちんと挨拶をしてくださって。今朝もとても優しくしてくださったんです。それで覚えてて。」

「今朝・・・?! 今朝、朝子に会ったのか?!」

「ええ。私が2階の床掃除用に持っていったバケツをひっくり返して、朝子さんの足を濡らしちゃって。でも、『こんな失敗、誰にだってあることよ』って言ってくださって。その時片耳にしてたピアスが変わったデザインだったから、覚えてたんです。・・・今持ってたのって、そのピアスですよね?」

有芯は軽く頷いた。

「いくら許してくださってても、そのままじゃあんまりなので、私、ハンカチで朝子さんの足を拭いてあげたんですが、その時も朝子さん、とっても明るい顔をされてて、『ありがとう。私、今日帰るの。素敵な思い出はもう充分だわ』って言ってたんです」

「帰るって・・・言ったのか?! 今日?!」

「はい。それで、もうここのお部屋は出ちゃったみたいです」

「そんな・・・」

有芯は頭を抱えた。

素敵な思い出・・・。ウソだろう・・・?!

あんなに・・・愛して、愛してたまらなくなるくらい愛を確認し合ったのに。

俺とのことは、所詮思い出になってゆくだけなのか・・・。

有芯の様子を見て、女の子はためらいがちに口を開いた。「ただ・・・朝子さん・・・」

「ん・・・? ただ、何? 何でもいいから話してくれないか?」

女の子は少し迷った後、言った。「泣いていたんです・・・ずっと。顔はとても嬉しそうに笑ってたんですけど、涙が・・・流れ続けてて。『悲しいんですか?』って私が聞くと、びっくりされて、それから・・・ちょっと悲しそうに『きっと・・・好きな人がいるからじゃないかな』と言って、お部屋に帰っていかれました」

「・・・朝子・・・あの泣き虫・・・」

有芯は、抱えていた頭を上げた。「朝子がどこへ向かったか知らない?」

「さぁ・・・でも、出て行くとき、すごく急いでいましたよ」

空港―――?!

「・・・それは何時ごろ?」

「ついさっきですよ。2、30分ほど前です」

「ありがとう!! マジで恩に着る!!」

有芯は飲み物のことなど忘れて走り出した。

「あの! ・・・朝子さんの言ってた『好きな人』って、あなたのことですか?!」

「そうだと思うから探すんだ!」

有芯は振り返りそう叫ぶと、一目散に外へ駆け出した。受付嬢の方など見もしなかった。

泣くな・・・朝子、泣くなよ・・・本当にお前はひどい女だ・・・。今すぐ側に行って抱き締めたくなるようなことして、去っていくんじゃねぇよ・・・! そんなことされて、俺がお前を忘れられるわけねぇだろうが・・・!!

有芯はタクシーを拾うと、心当たりの空港へ向かった。この時間で、直通を考えるとあの空港しかない・・・間に合うか・・・?!

有芯は青い空に浮かぶ白い雲を見た。

勇気を出そう。俺たちはバスの中で、偶然出会えたじゃないか。この空は、朝子に続いている―――。俺たちは、きっとまた会える・・・。




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