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ブログを最初から再編集しました。img192夕暮れにて posted by (C)コンピブッタはじめまして、コンピブッタです。この名前は日刊コンピ指数で予想を極める?という意味です。ちなみに去年は散々でした。GI(JPN1)は宝塚記念とJCしか的中しなかったです。予想スタイルは100円均等買いが基本。3単2頭軸流しマルチです。 また過去、プロの写真家を目指し、自分の才能のなさを自覚し挫折した者です。その時、写真に対して勉強をしたのは当然ですが、非常にカメラにもこだわりました。今から思えばカメラに拘る労力を撮影に向ければ良かったと思ってます。それでは写真を始めたころから話を進めます。当時、大家といえば、秋山庄太郎、篠山紀信、立木義浩、などが君臨してました。でも、綺麗な写真だなと思いながら刺激がなかったです。ところがアサヒカメラで連載されてる森山大道さんの犬の記憶という写真を見た当初は僕的にはこれが写真だ!と感動しました。もちろん意識して真似して撮影しましたが、当時、小林のりおのニューランドスケープみたいな写真になりがっかりしたものです。森山大道と同じペンタックスSVとタクマー35mmf3.5を買ってまで真似したのに。今から思えば、生まれて初めてカメラを持ったレベルの僕がいくら真似しても同じ写真ができるわけはありません。その後、写真の勉強をしました。海外の写真家まで研究すると、おや!これ森山大道かなと思いきや、ウィリアムクラインでした。あれ!篠山紀信かなと思いきや、ビルブラント、デビットハミルトン、ベルナールフォーコンなど。でも流石に篠山紀信だなと思ったことは、一人でよくもこない作風を変える凄さと単なる真似で終わってないことです。森山大道も単なる物真似ではないですね。写真が似ていても自我まで消滅してません。ところが最近の写真は非常に権威ある賞でも物真似写真が評価されてますね。篠山紀信が審査員の例の去年の賞は2ちゃんねるでも大きな話題になりました。実は類似写真について悩むのは僕自身なんです。しかも無意識に似てしまうから性質が悪いですね。よくたいした写真じゃないけど大家と呼ばれる人たちがたくさんおられますが、写真家の才能は自己営業の才能も必要なものです。ただし、自己営業は努力次第でなんとかなるものですが、肝心の商品に当る写真自体が満足できるものでないと駄目だと僕は自己規制したため写真家の道は断念しました。ただ最近、露骨な物真似が権威ある賞がもらえる事実と、ネット時代のおかげで、見聞を広めるためにこうゆうプログで写真を公開している次第です。自分の写真の欠点はとにかくインパクトに欠けることです。ただ、僕は人によく覚えられるぐらい個性が強い人間だとまわりの人たちに言われてます。そうゆう人たちに写真を見せたら、意外に繊細で平凡だなと言われました。すなわち、僕自身の個性がでてないわけです。言わば、記憶に浸透した過去の名作に自分が負けているわけです。これはどうしょうもない壁、あるいは才能かもしれません。かと言って、意識的に過去の名作を排除した写真を撮ったという知人の作品を見せてもらいましたが、これも類似写真ですね。いや、類似写真というより、B級映画のワンシーンみたいなものです。これはこれで魅力を感じるわけですが、当然、印象的ではあってもインパクトはありません。誰でも撮れる写真なんですね。やはり写真家たるものは熱狂されるぐらいのインパクトのある写真を撮らなければならないと思ってます。また写真の表現力は稚拙でも、本人が信念を持って没頭する被写体を撮られている写真家も評価されるべきだと思ってます。言い換えれば被写体に対し自我を殺し被写体そのもので勝負するということです。これは自我を追求した写真と対極のもので凄いインパクトがあります。これはシャーカフスキーの鏡と窓という本の影響を受けた結論です。そのシャーカフスキーの論法を僕なりに解釈すれば森山大道さんの写真は典型的な鏡ですね。窓は報道写真がわかり易い例です。ただし、この論法は鏡と窓の線引きが曖昧な写真で悩むのが欠点ですが、僕的には写真の核心をついたものだと思ってます。さて、僕の場合は鏡派に属するものだと思ってます。言わば被写体に自己投影しているわけですが、これはオ○ニーみたいなものだとも言えます。そう自分さえ気持ち良ければいいというものですね。この気持ちよさが多くの他人に伝わるか伝わらないかが写真家への分かれ道です。一方、報道写真に代表される窓派の特徴は被写体そのものの存在感ですべてが決まります。そういう被写体を見つけられるか見つけられないかが分岐点ですね。かくゆう僕はそうゆう被写体を見つけられないし、自己投影する表現力も類似写真になり写真家への夢を断念した次第です。しかし、その後類似写真ということを気にすることなく撮るようになったことと、デジカメの登場で自分が好き嫌いのレベルで写真を楽しめるようになりました。類似写真は自然の摂理だと思い気にせず、楽しんでます。ただし、プロの写真評論家や、写真家は露骨な物真似は評価してはいけません。
2007.12.23