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郵便局で喪中ハガキ用の切手を100枚ほど買ってきた、
でその郵便局には、 喪中ハガキカタログ が置いてあり、
New Style Designとかで、こんなのがあった、
おいおい、ナンダこれは?
喪中の喪の字もないじゃん??これ見て、疑問噴出!!
そもそも喪中とは何ぞや??
家に帰ってきて、早速チェックしてみる、
ーー>あるお医者さんの解説が分かりやすかった、
日本人は、身内や近親者が亡くなった時、「喪中ハガキ」を出し、神社への参拝を控え、新年会への参加を控えます。
それはなぜですか?と聞けば、おおかたの人は“一般常識”だからです、と答えるでしょう。
でも、その常識がどこから来ているのか、なぜそうなのかということについては、ほとんどの人はまるで気にしません。
今回は、僕たちの常識の奥底に、大昔からどっかりと住み着いている「喪中」をテーマに考えてみたいと思います。
多くの人は、「喪中」とか、「忌中」とかいう言葉は、仏教と関連があると思っているのではないかと思います。
しかしそうではないようです。
「喪中」という言葉の本当の意味は、「死者が出たことによって、死者の国=黄泉への扉が開き、ケガレが親族に乗り移ったので、それをまわりの者に移さないようにするために、一般社会との関係を絶つ」ということです。
(中略)
なぜ「喪中ハガキ」を送るのか、ということを考えると、おおむね3つの答えが予想されます。
すなわち、
・仏教徒だから
・日本神道の教徒だから
・一般常識だから
という答えです。
一番目の仏教徒だから、という答えは、バカバカしいほどに間違っています。「喪」はそもそも仏教の概念ではありません。
仏教として、ケガレを移す云々と本気で言っているのなら、あきれるほどにナンセンスです。
仏教の儀式の中で、葬式に「忌中」と書いたりするのは、日本の中で仏教が広まっていく中で、日本土着の信仰を取り込みながら広まっていった結果です。葬式で「忌中」と書くのは、本来間違いです。喪中が49日となっているのも、仏教が土着の信仰と入り混じってしまっている結果です。
一方、2番目の、神道に則って喪中を行っているという答えは、一番納得できます。
「喪」は、日本土着の信仰によるものであり、神道はその直系のもとにある宗教であるからです。
3番目の、“一般常識”という答えが実は一番やっかいです。
これは、誰もがそうしているから、というのが理由であって、それ以外の確固たる理由などは必要ではないからです。(中略)
最後に、僕個人の悩みを書いて締めさせていただきます。
僕の家は、浄土真宗(あまり個人的には敬虔ではないですが)です。
浄土真宗では、門徒は、死んで直後に浄土に行くとされます。つまり、死後の裁判も、49日もありません。
浄土系仏教では、死は悲しいものではなく、阿弥陀の元に行ける、どちらかと言えば“めでたい”ことです。
悲しむ必要もなく、言うまでもなく汚らわしいものでもありません。
(中略)
現時点では、例え何が起ころうとも、「喪中ハガキ」は出すつもりはありません。家が浄土真宗だからというのが、一番の理由ですが、それにしてもその大本にある常識は、バカバカしくて、間違っていて、それでいて有害な考え方を基礎にしているものです。
ご意見のある方は、あなたのお考えを教えてください。
上の院長さんは浄土真宗で、死はめでたいことなので、
喪中ハガキは一切出さないというところが面白い、死は忌むものと信じるなら弔事で服喪となり、
死は天国への凱旋の扉と考えるなら慶事(?)となる、
で、これを早速取り入れ、ハガキの文章を変えた、
あっ、しまったな、
弔事用の切手を買ってしまったんだが、
花柄に変えてもらおうかな、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日