PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
昨夜、寝ているときに、
腰痛から再度考える”座る”ことの弊害 が浮かんできて、
一体、いすとはいつ入ってきたのか、
江戸時代までは、なかったんじゃないか、と思い、
今朝、チェックしてみると(Wiki:椅子)
日本では平安時代に身分によって、椅子、床子などが用いられることがあったが、広く継続・普及しなかった。
屋外では、戦場などで折りたたみ椅子(「床几(しょうぎ)」)や、露天の茶店などでベンチに相当する椅子(「縁台(えんだい)」)は用いられた。ただしこれらは一時的に腰を掛けるものであり、普段は畳に直接座る生活習慣を持っていた。
ロシアの使節プチャーチンの秘書ゴンチャロフは、1853年(嘉永6年)12月8日、長崎を訪れた際に見た日本人がいかに椅子に不慣れであるかを彼の著書『日本渡航記』(1857年)に書き記している。
これによると、ロシアの使節団と幕府の要人との間でまず両代表による会見時の座り方をどのようにするかが話し合われたが、ロシア人が畳の上に5分も座っていられなかったのと同様、日本人も椅子の上に座ることができなかったという。
日本人は椅子に座ることに「慣れないために足が痺れるのである」と書かれている。
このように、江戸時代までは椅子は一般には普及しておらず、そのため椅子に座るという生活習慣もなかった。
明治時代に入って文明開化を経ると、学校や役場などでは椅子が用いられるようになったが、一般家庭に普及するにはまだ時間がかかった。和室・畳文化の生活習慣の中では座布団などが椅子の役目を担っており、椅子を用いる必然性が低かったためである。
その後、西洋文化の影響で洋間が取り入れられるようになると、一般家庭でも椅子が用いられるようになった。現代では学校や一般家庭を始め、多くの場所で用いられている。
案の定、椅子が使われるようになったのは、
明治以降の話し、それも、一般家庭へは、
かなりあとになってから、
当時、政府が代わってから、
一気に国のシステムが変わったのだけど、
廃藩置県は言うに及ばず、
鉄道・電信・郵便・新聞の開始、
全国一律の義務教育、
天保暦(太陰太陽暦)からグレゴリオ暦(太陽暦)へ、そして、
生活スタイルの変化もめまぐるしかった、
食生活 の変化 (牛肉、牛乳、パンなどの導入)、
西洋靴の普及やら、
歩行スタイルの変更(ナンバ歩き->西洋スタイル)、
とイロイロあった中で、
この座りスタイルも、椅子の普及で、急速に変化、それ以前は、立っているとき以外は、
寝そべっているか、正座だったと思うが、
では、何ゆえに、
椅子が入ってきたかと言えば、
人様を一箇所に、長時間固定させ、
単純作業をさせる ことが可能になる 、(機械化)
ーー> 富岡製糸場あるいは、
大量人員の教育を、一箇所で、
長時間するに効率がよい、(洗脳)
ーー>義務教育、
かように、グローバリストの思惑に向いていたのが、
椅子の普及だったと思われ、
最近では、PC(TVもソーかな)の普及で、
椅子はもはや、生活必需品の領域に入っている、
で、今朝から、
急速に、椅子離れが自分に起こっており、
(コー言うのだけは反応が早い!?)椅子に代わる座り方で、
正座 などを復活させてみようかと思っている、
参考) 日本正座協会
毒になるか薬になるかは量次第、Sエルム 2024年11月02日 コメント(3)
ウォークは若さと強い心をもたらす 2024年10月14日
神様からの贈り物キャスターオイル 2024年10月05日 コメント(1)