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今日は、ヨメさんの実家(田無市)への往復でくたくたーー、
で、その実家の居間にある37インチの大画面TVで、
NHKが予告放送してたのが、これ、
ポイントとなる役どころをザッと見てみる、
黒田官兵衛/岡田准一
1546(天文15)年、生~1604(慶長9)年、没播磨国(兵庫県)姫路城主の長男として生まれる。先祖は近江国(滋賀県)の武士出身で流浪の末に、祖父の代に姫路に辿り着いた。父・職隆(もとたか)は地元の豪族・小寺(こでら)氏に仕官し家老として重用されていた。
22歳にして、結婚と同時に家督を継ぎ小寺家家老の座に着く。織田信長の将来性をいち早く見抜き、羽柴秀吉には弟同然と呼ばれるほどに信頼される。
主君・小寺政職(まさもと)が織田家を裏切った際には、説得しようとして罠に落ち、1年以上、牢に幽閉される。出獄後は小寺家と縁を切り、秀吉の軍師となる。
本能寺の変を真っ先に知り、「中国大返し」を実現、秀吉の天下取りを演出する。天下統一が近づく中、秀吉から「次の天下を狙う男」として警戒されていることを知るや44歳の若さで家督を息子・長政に譲り、あっさり隠居する。
その後は、剃髪し如水(じょすい)と名乗るようになる。関ヶ原の戦いの際には、領地である豊前国(大分県)中津にあって、牢人兵を率い九州を席巻、最後の大勝負に出るが、長政の活躍で関ヶ原が半日で大勢が決し、天下取りは夢に終わる。戦の後は全ての恩賞を断り、長政に与えられた筑前国(福岡県)福岡で静かな余生を送り、59歳の生涯を閉じる。
織田信長(おだのぶなが)/江口洋介
1534(天文3)年生~1582(天正10)年没日本社会を中世から近世へと大転換させた革命児。
当時まだ誰も見たことのない地平を切り開きながら、最後には非業の死を遂げた孤高のカリスマ――。それが織田信長である。
その人物像は複雑で、大胆さと細心さ、残酷さと慈悲、大人(たいじん)の貫録と子供のような好奇心を併せ持つ。苛烈な破壊者として恐怖の対象になる一方、革新的な治世者として崇敬の的にもなった。
尾張国(愛知県)に戦国大名の嫡男として生まれ、若き日は「大うつけ」と呼ばれるが、明晰な頭脳と身内の謀殺も辞さぬ冷徹さで昇りつめる。広い視野と天才的な発想で大胆な改革を続々と実行。
室町幕府を廃し、朝廷の権威にも臆せず、やがて己を神と同一視するまでになっていく。その理念は、次第に常人の理解の及ばぬものとなり、信長の革新性に憧れと期待を抱いていた官兵衛もまた、危うさを感じるようになる。
豊臣(羽柴)秀吉(とよとみ/はしば ひでよし)/竹中直人
1537(天文6)年生 ~ 1598(慶長3)年没「草履取り上がりの猿」から「人たらしの天下人」へ。
貧しい農民に生まれながら、己の才覚と類稀なる人心操縦術でのし上がった男。天下統一を成し遂げ、日本史上最高の出世物語を実現した男――それが豊臣秀吉である。
官兵衛と秀吉の出会いは1575(天正3)年。官兵衛30歳、秀吉39歳の時であった。織田家中で出自の低さもあって味方の少なかった秀吉は、官兵衛と出会うや否や意気投合。義兄弟の契りを交わし、二人三脚で中国地方攻略に邁進するうち、いつしか官兵衛は秀吉にとってなくてはならない「軍師」となっていく。
敵をなるべく殺さず勝ちを手にする、それこそが二人の真骨頂だった。やがて信長が本能寺に倒れ、秀吉は官兵衛の支えで天下取りを目指す。
中国大返し、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い…。秀吉の世になれば、乱世は終わる――それは、いつの頃からか官兵衛が温めてきた大きな夢であった。だが二人の蜜月は、いつしか愛憎半ばする葛藤の季節へと移ろっていく…。
歴史研究家にとって、
織田信長、豊臣秀吉、明智光秀や黒田官兵衛らの挙動と言うのは、
意外性があって面白いのだが、本当の所の背景が今一、不明瞭、が、黒田官兵衛のWiki見ると、
霊名: ドン・シメオン
彼はキリシタンだった、
残念ながら、大河ドラマの中では、これには触れない、
と言うか触れられない!?
ここで、立花京子氏の 「信長と十字架」 を思い起こす、
何しろ,織田信長が全国平定を考えたのも,本能寺の変も、その後の羽柴秀吉の登場も、すべてイエズス会,スペイン・ポルトガルが仕組んだものだ、と説いているのだ。
Amazonの書評欄では、 星5つ が8名もいるのに、
何故か、欄に載っているのは、酷評ばかりと言う不自然さも相まって、
ますます、本の内容の真実味が増す、
その星5つの中から抜粋で、いくつか掲げ、
NHK大河ドラマを見る前に、上記本の一読を勧めて、
新年初めの日記としよう、端的にいうと、
この本は16世紀以降の日本の歴史は、全て海外勢力との絡めて、検証すべきである、という事を教えてくれた 唯一の本 である。
グローバリゼーションという言葉が普及して久しいが、海外勢力が国内勢力に影響を持ったのは、いつ頃なのか。それは正に信長の時代である。
面白いのは、未だに、信長暗殺の背後に、外国勢力がいることが、歴史学上の主流になっていないことだ。
よって、その考え方も学校では教わらない。坂本龍馬暗殺しかり、田中角栄の失脚しかり、今でも日本の政治は海外の影響を受けない事になっている。
「信長の覇業を後押しした黒幕は、当時イエズス会を先兵にアジアへの侵攻を目論んでいた南欧勢力。独自の地盤を築いた信長がパトロンであるイエズス会の意向から逸脱する動きを見せたため、本能寺の変が演出され、排除された」という仮説を、さまざまな論拠をあげて説明した本です。
すでに大航海時代に突入していた当時の「世界情勢」の中で、西洋の諸勢力が日本国内の勢力争いに介入している可能性がまったく論じられていなかったとすれば、そっちのほうが非現実的なモデルというか、「不自然に閉じた歴史観」かと思いますけど……。
本能寺の変の黒幕説が10年くらい前から盛んになってきているが、なぜ光秀だけが「生贄」にされたか、説得力ある説明は見られなかった。しかし本書ではそれが説明されている。
また「大航海時代」というグローバリゼーションの中で織田政権を位置づけている点はきわめて重要。
「織田信長という存在が、大航海時代と時を同じくするイエズス会と南欧諸国に経済的に精神的に支えられた南欧グローバリゼーションの一つとして考えられる」という驚嘆する推論を、きわめてオーソドックスな学問的論証を踏まえた上で、展開していく。
キリスト教及び南欧勢力を基盤とした隠れキリシタンという外部の政治的ネットワークを背景にした信長だけが、室町幕府将軍権を飛び越えて、現状の秩序を飛び出す発想をすることができたというのも、極めておもしろい。
しかし、歴史も、グローバルな見方が必要ではないか。全体と部分なのだ。日本の歴史も、日本だけで語れる時代ではなく、世界史の一部と捉える視点が必要。
戦国時代は、大航海時代。信長こそが、西洋の洗礼をいちばん受けていたわけだ。
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