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2007年01月22日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
このブログで知り合った歌友の方々も歌われている「第九」。



私にとって「第九」は歓喜の歌であると同時に、ある女性のためだけに歌う歌でもあります。


その人との出会いは今から13年前。
私の初めての「第九」本番の日でした。


---

入社して最初に配属された部署に、学生オケでホルンやってた先輩がいました。
私が合唱団に入ってたというと「ちょーどよかった!」と、日本フィルの定期演奏会に誘われました。
サントリーホールの定演を友人とシート買って毎月通っていたのだけど、その友人が会社やめて田舎に帰るので、よかったら代わりに買わない?とのこと。サントリーホールのコンサートを決まった座席で聴くなんてかっこいいー!と飛びつきました。



定演に通いだして2年ぐらいたった頃、そのチラシの中に、日本フィルハーモニー協会合唱団の団員募集を見つけました。
私の敬愛するマエストロ・小林研一郎氏の指揮で、プロのオーケストラと一緒にサントリーホールや芸術劇場で第九を歌う!

マエストロは、演奏中はどんな顔でふってるんだろう?

サントリーホールのP席で歌うのってどんな感じだろう?

オーディションもないそうなので、非常に安易な気持ちで(^-^;)入団希望を出しました。
誰も知る人のいない、100人以上の合唱団なんて初めてだったけれど、大学合唱団の密な人間関係に疲れきったこともあるので(^-^;)知り合いが誰もいないというのは逆に心地よかった。それに団員はかなり年齢層が高く在団年数も長いようで、私のような新参者は隅っこにいれば全然目立たないのですごく気楽。


協会合唱団の練習は確かあの頃週に二回ぐらいあり、会社帰りの7時から9時までみっちり歌わされました。私はそれまでずっとアルトだったのに、私の声を聴いた合唱指導の先生が「キミの声はトップだよ」と断定。人生で初めてソプラノトップを歌う羽目に。

そしていよいよ最初の本番の日。(日本フィルの第九コンサートのうち、協会合唱団の出番は3~4回ありました)。

初めてのサントリーホールの楽屋(として使ってた練習室)、オバサマ方でごった返す中一人で小さくなってた私に声をかけてくれたのが、彼女ひとみさんでした。(名前は変えてあります)


「(第九にでるの)初めてですか?私もなんです」


聞けば、コバケンのファンで、定演にずっと通ってて団員募集のチラシを見て入団した、とおっしゃる…私とまったく同じじゃないですか。

その当時、恋人もいないわ仕事もぱっとせんわ、の私はものすごーく彼女に憧れました。
長女な私にとっては「お姉さん」のようでした。

それからは、練習の帰りに食事に行ったり、練習がない日もたまに飲みに行ったり…。
知り合いが誰もいないのが気楽、とはいえ、やはり友達はいたほうがいい。
彼女に会えるから、練習もより楽しみになりました。



私にとっては、祖父を亡くした直後でした。
協会合唱団最後の本番の日にマエストロ小林を交えた打ち上げがあったのですが、実はその日に、その頃まだ「ちょっと仲がいい同僚」だったダンナをコンサートに招待してました(その日しか席空いてなくて)。



マエストロ(に会える打ち上げ)を取るか、恋人未満の男友達を取るか(笑)



ゲネプロも済んだ本番前、軽く食事をとりながらひとみさんにそのことを話したら


「そんなの彼に決まってんでしょー!」


と呆れられてしまいました(^-^;)
いや実は、私が打ち上げに出ないとひとみさん一人になっちゃうじゃん、というのも気がかりだったのだけど、なんと、彼女は彼女でその日は「フィアンセとそのご両親」を招待してあるんだとか!


「それアタシより重大じゃん!」


じゃあお互い打ち上げどころじゃないね(笑)と安心?して、その日は二人ともいつもより気合いれて歌いました。


その後、彼女は結婚のため、私はもう一度インテリアの勉強をし直そうと夜間の専門学校に通うため、合唱団を退団しました。

それから数ヵ月後。

彼女から、新婚旅行のお土産を渡したいからとお誘いを受けたので待ち合わせの場所に出かけてみると、そこにはなんとお腹の大きいひとみさんが!どうりで、定演のときにも会わないはずだ!

そして、春に無事出産の知らせが。可愛い男の子です。
その頃私も結婚話が本決まりになって、準備にバタバタしていました。


ようやく再会できたのは私が結婚式を挙げる1ヶ月前。退職して昼間時間ができたので、8ヶ月になる赤ちゃんの写真をたくさん撮ろう♪と、仕事で使う一眼レフを持って彼女の新居に遊びに行きました。駅まで車で迎えに来てくれたひとみさん。あかちゃんをチャイルドシートに乗せるとか、ミルクを飲ませるとか、身近に赤ちゃんがいない私には彼女の一挙手一投足全部が新鮮だった。
赤ちゃんはぷっくぷくで可愛くて、その日、幸せな赤ちゃんとママの写真をたくさん撮って帰りました。


早速現像して、明石に行っちゃう前にひとみさんに送らなきゃ…と思いながら写真を見たら、何か変でした。


赤ちゃんを膝に抱っこしてポーズをとっているひとみさんの顔だけが、すごくブレて写っているんです。顔だけが。
ちょっと動いちゃったとかそういうブレではありません。
赤ちゃんはちゃんときれいに撮れているのに…。
そのカメラはもう何年も愛用しているもので、それまで、そんなことは一度もなかったし、すごく明るい室内で他のものは全部ちゃんと撮れてるのに。結局、ひとみさんがちゃんとうつっている写真は一枚もなくて、これはちょっと見せたら気を悪くするよなぁ……と、赤ちゃん一人で可愛く撮れてる写真だけを選んで、彼女に送りました。



結婚して仕事もしてない時期はやまほど時間があったけど、赤ちゃんのいるお宅に用事もないのに電話をするのも気が引けて、そして初めてだらけの生活に慣れるため、自分のことに精一杯で彼女にはずっと連絡してませんでした。赤ちゃんのお誕生日や、書中見舞や、年賀状…ほんとに季節のご挨拶だけになってしまったのだけど、それでも私の関西生活はそう長くはないと思っていたので、関東に戻ればまたいつでも会えると思っていました。

そして、ダンナに東京転勤の辞令が下りて、慌しく帰京。
その頃の私はいっちょまえにSOHOでWeb制作の仕事をしていて、ずっと家にいるけど土曜も日曜もなく仕事している生活。引っ越して室内もロクに片付かないままハードな仕事をしていて、ひとみさんに「帰ってきたよー!」と電話もできずにいました。
おまけにある日突然卵巣出血で緊急手術、入院…。
退院してもしばらく静養する日々が続きました。


ようやく日常生活をする余裕ができて、ひとみさんに書中見舞を出すことにしました。
実は関東に帰ってきてて、ちょっと体調崩しちゃったけど秋には元気になってると思うので、そしたらまたサントリーホールに日本フィル聴きに行こうね!…なんて事を書いたように思います。
投函して、その翌日か翌々日か…。
夜電話が鳴りました。
男性の声で、ひとみさんのご主人でした。




ひとみは、4月に亡くなりました。


と、おっしゃいました。



なぜ亡くなったのか、ご主人は多分病名を言ったはずですが混乱した私にはうまく聞き取れませんでした。血液の、と言ったように思えます。もしかしたら、本田美奈子さんたちと同じ病気だったのかもしれません。去年の一月に入院したということは、じゃあ私がお宅に伺ったときはもう具合が悪かったんですか、とご主人に聞くと、そうかもしれません…と。

あの電話での話は本当に断片的にしか記憶がなくて、しどろもどろで電話を切ってその後は何も手につかずずっと泣いていました。


すぐに電話すればよかった。
私が仕事にかまけていた3月4月、ひとみさんは嫌がったかもしれないけど最後に一目会えたのに。私が能天気に「いつでも会える」と勝手に思い込んでいた頃、ひとみさんはまだ2歳にもならないわが子と離れて病気と闘ってたのです。

あの写真を思い出してザーッと鳥肌がたちました。
やっぱりあの写真は変だった。ひとみさんの異変が写ってた。



泣きながら、合唱団にいた頃どんなにひとみさんによくしてもらったか、どんなに感謝してどんなに今悔やんでいるか手紙を書きました。本当は飛んでいって謝りたかったけど、術後の体ではどうしようもなかった。ご主人と私は面識がなく、ご主人にとってはこんな風に妻を亡くしたことを再確認するような出来事を繰り返すのは辛すぎるだろうと思い、お墓参りをさせてほしいとか、そういうことは言えませんでした。手紙と一緒に、彼女にお花をあげてほしいと気持ちを包み、ご主人に送りました。







秋が来て、市政だよりか何を見たのだと思うけど、横浜のオーケストラと一緒に第九を歌う会があるのを知りました。
体力的にはまだ充分ではないし本格的に声を出すのは数年ぶりけど、ひとみさんのために歌いたいと思いました。


そして、その年の12月、久しぶりに第九の舞台に立ちました。

歌詞の一句一句がものすごく重かった。友よ。歌いながら泣きました。




これから先も、何度か第九を歌う機会があるかもしれないけれど、第九だけは、ずっとひとみさんだけのために歌っていこうと思っています。歌が好きで、コバケンが好きで、一緒に「千人」の暗譜に格闘し、たくさんの舞台に一緒に立った人。



私は絶対に、彼女を忘れない。















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最終更新日  2007年01月22日 21時17分20秒
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