シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年05月23日
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カテゴリ: 神秘体験空間

 ギルガメッシュ叙事詩に関連する、ギルガメッシュとエンキドゥ(エアバニ)の前世の関係の、次の転生の話を、随分と、先延ばししているが、今回もまだ、書かないでおこうと思う。あまりに、先延ばししているのも、気がひけるので、前触れのようなことを書こう。

 ギルガメッシュとエンキドゥ(エアバニ)は、紀元前3000年頃に、カルディアのウルクに住んでいたが、次の転生は、エペソスであったという。エンキドゥの魂は、ヘラクレイトスの弟子であり、プラトンの師であったとするアテネ人クラテュロスとして転生し、ギルガメッシュの魂は、クラテュロスの女弟子ミューザーとして転生し、エペソスの密議神殿で活躍したという。

 ギルガメッシュのときの、ノアに学んだ秘儀参入法が、転生し、ミューザーとして、エペソスの密議神殿で活躍するための才能として開花したわけである。そしてギルガメッシュのエンキドゥへの愛情は、ミューザーの師クラテュロスへの師弟愛へと転化するわけでもある。

 エンキドゥは、ギルガメッシュに神的霊性(霊能力)を教えたが、プラトンの師として、ミューザーにも、再び神的霊性を教えるのである。エンキドゥは常に霊性(神々の叡智)の魂(担い手)だったといえよう。 

 これを見れば、魂は転生するにつれ神的な才能を、昇華し、開花させるといえるだろう。

  更に次の転生をみると、より深い神的配慮に気がつかされるだろう。

 ギルガメッシュとエンキドゥの、次の次の輪廻転生は、ギリシアに現れるのである。

 それは、アレキサンダーとアリストテレスなのである。

 アリストテレスの師は、プラトンであるが、プラトンの師は、クラテュロスであったわけである。クラテュロスの次の転生がアリストテレスなので、クラテュロスは、プラトンを通して、自らの教えが、時代のなかで、いかに開花し発展していったかをみたことになる。つまり、クラテュロスは、地上のなかで、霊的(神々の叡智)な教えがいかに伝播されたかを、魂を通して体験したことにもなるだろう。 

 ちなみに、プラトンの魂は、ゼウスとセメレとの間に生まれたデュオニュソスの霊を担っていたという。このプラトンの魂のなかで、師クラテュロスから受け継いだ地上的霊性体験と、魂そのものの霊性である、天上からの神的霊性体験が、融合し、イデア思想となったことがよくわかるだろう。

 そして、そのプラトンの霊性は、再び、アリストテレスとして転生したクラテュロスの魂に、蘇り新生されるのである。神々の配慮がいかに深遠で優れているかがわかるだろう。 

 一方、クラテュロスに学んだミューザーが、霊性の源泉である神殿を、地上に発展させたように、アリストテレスに学んだアレキサンダーが、地上にアレキサンドリアという大学都市を発展させたことが、魂の転生とその秘密を知れば、容易に理解できるであろう。

 これらの転生の秘密は、次回に譲りたい。

 このように神話を研究すると、神話に隠された古代の叡智が蘇るのがわかるだろう。

 神話ではないが、古代インドの話に以下のようなものがある。

 生に執着して、感覚の快楽を求め、どうしても死にたくない男が、4匹のヘビに追いかけられている。ある声が聞こえてきて、「4匹のヘビに時々エサをやり、水浴びをさせればよいではないか」と命じる。

 男は悪いヘビが怖くて、逃げる。再び声が聞こえる。「お前の背後からやってくる5人の刺客に注意しろ」と。今度も男は逃げる。

 今度も声がして、「剣を抜いて首を切り落とそうとする6人目の刺客がいるぞ」と注意する。男はまた逃げる。

 すると、男は無人の村にたどり着く。まもなく、泥棒が村を荒らしにくるという声が聞こえる。男は更に逃げる。

 更に逃げると、大洪水に出くわす。男は此岸は安全でないと感じて、麦わらと木材と葉でかごをつくり、それに乗って、彼岸に至る。そして、男は安全になった。

 男は婆羅門となった。

 この話の意味は以下である。これを秘密ともいう。

 4匹のヘビは、4大元素の地水火風を表す。5人の刺客は、五感のことである。無人の村は、感覚から逃れながらも、自分独りでは確かではない心魂のことである。自分のなかに低次の本性しか把握しないと、その心魂は破滅してしまうだろう。これが洪水である。人間は、心魂のなかに、艀をつくり、感覚的本性の岸から、永遠の神的な岸へと、無常の洪水を渡らねばならない。

 人間は、自らの魂のなかに永遠の命をつくらなければならない。

 無常のなかで、永遠の自分(自我)を構築しなくてはならない。

 「転がる石にはコケがつかない」という西洋の諺があるが、それはこのような意であろう。

 永遠の強固な意志を持つものは決して揺らいだりはしない。無常に囚われない心魂は、永遠に生きることができるという意味であろう。だから仏教では執着心を嫌い。無常を説くのである。無常を説くのは、無常のなかに永遠という自分(自我)をみつけろという意味であろう。

 無我というのは、自分(自我)のなかの永遠の命のことである。

 だから、魂は、何度も転生し、無常ななかに、少しずつ永遠の命(自我)をみつけていくのである。

 運命とは、その永遠の命を表す。

 無常な人生のなかに、永遠の命(運命)をみつけろ!

 無常な人生に囚われてはいけない。無常な宿命を、変えられない宿命と捉えてはいけない。それでは、無常のなかに埋没し、大洪水に流されてしまうだけなのである。

 洪水とは、無常な価値観、多様な遺伝性のもの、物質主義に他ならない。

 洪水のなかに、自らの船をつくれ。

 かって、地球の大洪水のなかで、ノアが箱舟をつくったように、落下する物質的重力のなかに、自ら浮上する霊的な船をつくれ!

 ノアは現代人に肉体(物質的身体)を残した。重力を担う肉体のその制御を通して、魂を浮上させろ!

 浮上させる魂こそ、水星の魂なのである。

 自らのなかに、永遠の命を見い出すのだ!

 科学は無常のなかに埋没する悪魔のエサにすぎない。科学は無常である。だから、(唯物論的)科学は、やればやるほど、埋没し、わかればわかるほど、わからなくなるのだ。これこそ、無常の迷宮なり。

 科学はパンドラの箱だという。科学には、分離、分解、分析力が働いている。これはかって、1であった神を引き裂き、八つ裂きに切り裂くものである。破壊よりも、愛情が求められている。戦いよりも和解が求められる。全ては1から出て、1に帰す。

 大洪水の時期は近いという。我々は原点に帰る為に、再び包括的、1にかえるべきときにきているといえるだろう。

 八つ裂きにされた神の子デュオニュソスを集めて、神アポロンを復活させるときがきている。

 無常の人生のなかから、永遠の命である真実をみつけ、魂の浮上の糧とし、死すべき錯誤を拭い落とし、落下する重力を振り払え。

 人生の目的は、無常の錯誤のなかから、永遠なる真実を取り出し、魂をその真実から、神(霊)につくりあげることなのである。 

 錯誤がなくなったとき、人の魂は、重力に抗して浮上し、神の霊をみるだろう。 






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Last updated  2006年05月24日 09時05分04秒コメント(0) | コメントを書く
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