シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月08日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 はっきりいっておくと、自殺は、宇宙の三位一体の創造原理を裏切る最たる行為であるといえる。

 自殺が、なぜに宇宙の犯罪行為なのかは、スウェーデンボルグの霊界の記述の書物を読めば、恐らく理解できるだろう。

 現世の死は、ただ肉体を失うだけでしかない。しかし、この肉体に外界に対する感覚器があるので、肉体を失った途端に、外界に対する認識力を失うのである。

 我々(正確にいえば魂の自我だが)は、日常の覚醒意識を、肉体から外界の感覚器を通して得ているので、肉体を失うことは、日常の覚醒意識を同時に失うことでもある。日常の覚醒意識は、ホログラフィック宇宙論(或いは超弦理論でもいいが)により、光、つまり太陽と、その肉体を通した反射光、つまり霊光のいわゆる干渉縞なので、肉体を失うと、同時にこの肉体の陰でもある干渉縞がなくなるのである。しかし、人生の日々で刻印してきた干渉縞の蓄積を記憶としてエーテル体に保管しているので、全てがなくなるわけではなく、ぼんやりと失っていく感じであるだろう。

 この模範実験は以下のページにあるCDにおける虹のスペクトル形成実験が好例である。
 http://www2.hamajima.co.jp/~tenjin/labo/cdbow.htm

 この光円錐は人体を表す、いわば特殊相対論の観測系と同じ光円錐である。この光円錐実験のように自我と太陽は光速度一定の関係、つまり虹の形成で結ばれるのだろう。このことは、聖書の記述にもあり、それは、ノアが大洪水の後にみたのが、虹であるという記載のことにあたる。つまり、人類が肉体をもったとき、はじめて、虹をみることができたのである。なぜなら、虹を7色の境界を明瞭に宿した色としてみるためには、上記の覚醒意識が必要だからである。

 つまり、人類は、ノアの大洪水以前には、このような覚醒意識をもたなかったのである。ノアは、人類にはじめて物質的肉体を与え、この肉体が真のノアの箱舟なのである。

 だから、肉体を失うと、人類は、覚醒意識を失うのである。ただし、例外がある、人生において、肉体に依らない霊的な感覚器官を獲得した、いわゆる秘儀参入者は、肉体を失っても、肉体による感覚器を使わないので、霊的感覚器官から、既に覚醒しているので、死んでも意識がぼやけることはないのである。神秘学では、これをエーテル体の感覚器と称し、そのような感覚器を霊我と呼んでいる。仏教では、蓮華(チャクラ)で、これを獲得することを開悟という。



 「俺は確かに自分で死んだはずのに、なぜ、俺を考えるこの存在はあるのだ。この俺は一体自分なのか?どうやって調べればいいのか?」という自問自答を自ら永遠に続け、自分自身を何度も殺そうとするのである。

 スウェーデンボルグにいわせると、自殺を引き起こす素の誘引は、悪霊なので、そのような自殺者の周囲には、悪霊がいて、悪霊の全て皆が皆、自殺を自ら試み続けているのである。いわば分子生物学でいうなら、モノクローナルな自殺志願者が増幅されるのである。永遠と、自分の殻に閉じこもり、自ら自分の首を絞める行為を続ける集団と化すのである。だから、そこは必然的に地獄となるのである。

 更に、そこに他に対する怨念があると、他者を認識できるような覚醒意識はもはや無いので、自分にそのまま返ってくるので、怨念が自らの刃となってくる。

 悪霊たちは、独りで悪を起こすことができないので、奪うための仲間やカモを探すのである。悪霊たちは、何かを奪わずにはおられず、それが果てしない欲望の糧となっている。善を悪に転じないと気がすまない性質の持ち主で、悪霊たちがこの世を生きていたときの現世における道徳に反するいかなる行為も、悪の素因となるだろう。悪霊たちはお互い奪いあって自ら墓穴を掘って地獄深くに転落しあっていくだろう。

 現世において悪を自ら行ったものは、その魂のなかに、地獄への種が植え付けられたと覚悟するべきである。犯罪者は刑務所に入らずとも、既に魂のなかに悪の種を植え付けた罰を、死んだ後、知るだろう。

 だから、罪深き者は、悔い改め、他者に寛容でなければならないのである。最大犯罪である自殺をしてはならない。勿論、いかなる殺人も自殺に同じである。まずは、自らを赦すこと。自殺者は、表面上は他者に原因を言及しているが、実は、自らのなかにその元凶があるのである。自らを赦さない厳格な自己があるのである。そこを悪霊に憑かれてしまうのである。

 悪霊になったら最後である、なぜなら、悪霊は自らを悪霊だとは思っていないからである。悪霊は自らをそれに相応しいものかどうか吟味するような思想や覚醒意識を有しておらず、道徳観念など、思いもつかないのである。悪霊は、皆自分は正しく、神のような存在だと思っているのある。だから、他者から何かを奪い、欲求を満たすことしか頭にない。

 悪霊というと、汚らわしいイメージがあるが、もし悪霊=金持ちとすれば、悪霊がいかに性質に負えない存在かがわかるだろう。金持ちは、現世において、最も他者から奪い、自らの欲求を満たす点で、実は悪霊と同質の魂をもっているからである。これは、なんらかの権威者にも同じである。権威者が、自らの権勢や力を誇示し、他者から自由を奪い、奴隷の如く服従させるのは、悪霊の仕業と実は同じである。また教会主義者や唯物論者、更には新興宗教の教祖もこれに同じである。宗教者はとくに最も地獄に近いところにいることを自覚すべきである。教条において他者を強制し、思想を強奪するからである。

 まずは、他者を赦しなさい。そして、自らを赦しなさい。まずは他に奉仕してみなさい。肉体をもつ、有り難さや、感謝を、神に祈ってみなさい。そして、心を楽に平穏にしなさい。

 何かを攻めることをやめ、ただ、神にひたすら祈り愚になりなさい。そして、理性のなかに神性を取り戻しなさい。神性とは理解である。他者を理解し赦すことです。何者も何事も要求しないことです。あるがままの自分をみつめる。ただ是有るのみ!





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Last updated  2006年11月09日 00時48分11秒
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自殺は以外と、呆然と。  
武侯仁従  さん
以前、映画監督の伊丹監督が自殺したが、彼の友人の浅野慎一さんだったけ、「死んで、彼にあって「なぜあの時自殺したの?」と聞いても彼も「判らん」しか答えれないでしょうね。」と言ったのを聞いた事があります。

私自身は自殺はその自殺の「要因に殺される」事と考えている。いじめならその事案やいじめっ子に殺される。復讐の意図をもっていてもそれが実効のあるものか如何か?確認しようもない。借金でもその事後処理を失敗したら、その死は虚しいモノになる。病気もそれをまた「緩和医療」とかあるのにむざむざ医者や医療の無能に殺される。でそれで死んでも遺族は当然悲しみ、自身と同じ立場の人の「緩和医療」が推進するかも不明である。なにせ放置されることも多い。

高橋紹運の死闘と玉砕は戦国史の有名な一ページだが、その仕込みに全知全能を巡らせ、その意図の実現に心身がぼろぼろになるまで戦い、その意図の達成の確度が最大限に上がるの見て「死を敵に渡さなかった」
自殺を目論む多くの人が紹運のような「姦計」を巡らせることなく「意図」を実現するのに労苦をすることなく甘い考えでその命をすて自己満足・その場の逃避に満足する。だが、生きているものは「重要情報の喪失」「愛するものを失う」とう深刻な悲劇を受ける、それも死者が愛するものに悲惨を与える。

結局自殺は敗北・間接的に殺害されることであり、その罪過を「死罪に値する犯罪者」に着せる事も出来ない愚かな行為である。

自殺するくらいなら復讐するまで生き延びろ!死罪相応のクソ野郎を殺して身を汚すくらいくらいなら、そいつを許して己が手足として使えるくらいに器量を持ち許して全知全能を己と世界のためにこき使える!それが最高の復讐で最大の徳義なのかもしれない。 (2006年11月09日 08時52分05秒)

Re:自殺は以外と、呆然と。(11/08)  
5dolphin  さん
 武侯仁従さまは、流石戦略思考のお方ですね。
 確かに人生を戦略的に生きるなら、自殺は知略的な敗北を意味するでしょうね。

 自殺を要因から捉えるならば、少なくとも、なぜ、自殺したいのかを、自らの要因に求めるべきでしょうね。実は、この世の何者の存在も、自らの意志なしには殺されることはないのです。こんなことをいうと、阿呆に思われますが、真実です。勝海舟もいってます。では、事故や災害の悲劇はどうなんだ?といわれそうですが、そのような災害の場に巡り合わせた必然性こそ、意味があるのです。
 ただ、その認識が不完全なのです。古代人は、未来をある程度予測しながら、いわば戦略的に行動していました。その名残が出かける前の吉兆占いです。それだけ、行動の責任を前もって準備していたのです。
 だから、自殺は、全くの自己管理の無責任さからくるものです。だから、表面的に他に責任があるようでも、実は、その要因に同調する自分が隠れているのです。ただ、隠れた自分を知らずに、他者に責任を帰して死んでしまうので、結局、なぜ死んだかわからないことになってしまうのでしょう。そして後悔しか残りません。
 災害や事故で亡くなる悲劇は、周囲の人への愛の学びの面が大きいようです。この理由は、1つの人生だけでなく、その災害や事故に関わる全ての人生を長い眼にみないと、理解できない高度な叡智を必要とするようです。
 神がいなければ、とうに人類は滅んでいたでしょうし、人類は宇宙に比べればちっぽけな存在で、地球が少し揺れたり竜巻を起こしたりで、人命を奪われるわけですから、日々無事に生きているのが、不思議な位です。確率的には非常に少ない現象が続いているのです。それでも人類は存在している。これが神の愛でなくて何なのでしょう?科学者に最も問いたい質問です。 (2006年11月09日 09時47分57秒)

Re[1]:自殺は以外と、呆然と。(11/08)  
武侯仁従  さん
5dolphinさん

自殺はする側にも責任があるというのは同意です。劉邦死後、戚夫人は悲惨な状態にされましたが、薄姫のように呂后の性格と政治状況を知って回避してれば、よりマシな結果だったでしょう。

>実は、この世の何者の存在も、自らの意志なしには殺されることはないのです。こんなことをいうと、阿呆に思われますが、真実です。勝海舟もいってます。

これは読んだ事があります、佐久間象山が河上彦斎に斬られた時、易で「どうもおかしい」というのがわかっていたとか。沢天カイの上六が出ていたのに身辺を気にせずに斬られたと。
死を覚悟していたとは言え海舟の言うのに近いな。

自殺に至るにはその過程で気がつけば回避できるのですが、漫然としたり惰性でいたりして気がつかば「人豚」のように身動きできなくなる。

>それでも人類は存在している。これが神の愛でなくて何なのでしょう?科学者に最も問いたい質問です。

「天行健やかなり」と易経に。老子にも「道は聖人の規範、小人の守られる所」みたいなことが。世界・天地はそれに背かない限りに万物を守ってくれるものでしょうね。

再見! (2006年11月09日 10時11分23秒)

私の信念というか。  
武侯仁従  さん
私自身は自殺に基本的に反対です。そのベースが孫子の「君主は怒りで戦争を起こしていけない。将軍は憤りで戦闘してはいけない。怒りや憤りは時が立てば収まるだろう。だが死者は生き返ることなく、国家は滅びたら帰ってこない。」{火攻第12編}

人殺し・策謀の兵法家それ最古で最高の兵法家ですら人の命を大事にする。なので宗教家や道徳家が「命を捨てて戦え」「国家宗教のために死ね」などほざくのはいかに胡散臭いか!馬鹿げているか!丸わかり!

再見! (2006年11月09日 17時14分49秒)

Re[2]:自殺は以外と、呆然と。(11/08)  
5dolphin  さん
 武侯仁従さまは、流石に孔明のように御察しが俊敏ですね。
 「死せる孔明仲達を動かす」というとこでしょうか?
 人物というものは、死んでもなお現世を動かすものなのでしょう。海舟もいってますが、物事にはリズム、呼吸があり、そのコツを掴むのが、最も肝要であるようです。
 天の好むうる人物になればよいのです。言い方があまりよくないですが。キリスト教的にいえば、主に仕えよということなんでしょう。禅では無我、仏教では、無や空ですね。
 身を虚しくすれば、天は必ず助けてくれるでしょう。 (2006年11月09日 17時20分36秒)

Re:私の信念というか。(11/08)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまに全く同感です。
 そもそも、怒りを生じさせてしまった点で、修行不足というべきでしょう。予測できることに対して、怒りを感じことはないのでしょうから。
 つまりは、怒りとは、無理解から生じるのです。先を読んで、手を打っていれば、よいことなのです。つまりは、先見力の問題です。
 他に命を求め、奪うことは、それだけで、地獄の切符を手にいれるでしょう。スウェーデンボルグにいわせると、宗教家で有名なルターやパウロは地獄にいるそうです。 (2006年11月10日 12時29分35秒)

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