シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月09日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 マッサージに関する療法についてもまとめたいのだが、とりあえずは、前回の話の流れをこのまま続ける。前回は歯形成プロセスから、人体内のエーテル体の活動の目安を得る方法を端的に示した。三位一体を表す関文字表記では、以下のように書ける。ちなみに、聖霊(父、子)という感じの関文字で表記する。

 エーテル体プロセス〔フッ素形成(成長)プロセス、歯形成(分解硬化)プロセス〕

これが、以下の錬金術に対応し、更にその特徴的な病気に対応する。

 錬金術プロセス〔燐(硫黄)プロセス、塩プロセス〕
 =病プロセス〔炎症プロセス、腫瘍形成プロセス及び硬化プロセス〕

 では神秘学からの具体的な主にエーテル的プロセスの考察を続ける。

 歯の治療が可能な範囲で、歯形成プロセスにおける分解プロセスを克服するために、エスクリンとクロロフィルを用いる等行って、精妙な成長プロセスであるエーテル体の、鉱物化に向かう成長プロセスを洞察することは、人体組織の成長力全般が、いかに人間の精神へと向かう高次の進化に負っているか、そして、それを歯形成プロセス一般によって購っていることがわかる。

         人体の成長(高次の進化、歯形成プロセス)



 思考を行った分は、歯形成プロセス、及び頭蓋骨形成プロセスの退化として贖われる。だから、人間と比べ、動物の骨格は重力に従って進化しているのである。人間はサルから進化したのではなくて、サルはサル、人間は人間なのである。現代科学の遺伝子解析では、人間のゲノムは、サルやハエとほとんど変わらないというが、それなら、統計的にサルやハエと人間は殆ど、行動学的に変わらない動物になってしまうだろう。他の動物との相違を探る目的の結末がほとんど同類であっては、本末転倒で、僅かに異なるその遺伝子領域に、その相違を求めるとしたなら、人間とサルの思考の相違を物証的にも僅かな部分に求めることになり、物量的に土台酷な話であるし、例えば、湖と海や川の相違を、それを構成しているほんの数滴の水分子の相違に求めるようなものであろう。

 そうではなく、ホログラフィ、つまりエーテルで考えれば、太陽光を源として、外界のエーテルから、肉体を刻印し、その刻印の反作用としての、自我のなかにある霊光により、次の瞬間の肉体である干渉縞を形成し、その手続き、いわゆるエーテルプロセスにおいて人間が存在していると考えるとその意味がわかる。例えば、遺伝子をそのような干渉縞と考えれば、少しは辻褄があうだろう。動物だろうが人間だろうがその映像の記録媒体、例えばDVDは、容量の違いだけでほとんど変わりはないからである。つまり、遺伝子はフイルムにすぎないわけである。記録媒体を変えたからといって被写体が変わるはずがないからである。ますます、アーチファクトとして光源から隠されるだけである。つまり、ある意味、動物と同じで、物質的部分だけが進んでいくのみなのである。

 とどのつまり、遺伝子治療や臓器移植等の再生医療は、人間を益々動物化していくだけであろう。動物として生きながらえることを選ぶか、それとも、人間として死を迎えるか、それは個人(自我)の自由に委ねられるところであろうが。

 人間は重力に沿い硬いものを判別し、そこから光により柔らかいものをエーテル体として抽出して、成長を遂げている。人体は重力から鉱物化(分解)プロセスを担い、光から生命化(成長)プロセスを担っている。動物は、主に重力のみに負うので、歯及び骨(分解)形成プロセスが進化していく。それが人骨と動物骨の形態の相違に現れるのである。

 以上、一見して歯形成プロセスとは、関係のないようにみえる食養生に関しても実は、上述の事柄は深く関連しているという。この食養生の問題は、医学上の意味に限らず、社会的な意味ももつが故に重要で、食養生の様式における意味あいの議論は可能だが、その様式で推奨される条件が、当人を非社会的な存在に招き、社会的な意味と医学的な意味が当人になかで衝突してしまうという。栄養摂取に関して、特別なものを摂取するように指示されるほど、世間の影響全般に関して、それだけ一層非社会的な存在になるという。

 「最後の晩餐」の意味は、キリストが弟子たち皆に特別なものを与えたことにあるのではなく、皆に同じものを与えたことにあるという。飲食においては人間として共にできるということに、大きな社会的意味があり、人間の健全な社会性を妨げる結果に関しては、慎重に扱う必要がある。

 人間は放置しておくと、可能な限りの食欲と(その反動の)食欲不振を生じさせて、節制がなくなり無秩序になってしまう。だから、人間は本来耐えられないことを耐えるように学ぶように、食欲不振を克服するなら、当人の食欲不振の元凶(食べたくないもの)を、当人から引き離しておくことにより、当人の生体機構が獲得する(霊的)能力は多くなるという。

 破壊された器官の、エーテル体を見れば、新鮮な器官の回復は、耐えられないものを正しく克服することのなかにあり、つまり、器官形成力は他ならぬ食欲不振を克服することのなかにあるという。(逆に)ある時点から食欲の虜になることによって、今度は器官の役には立たずに、器官を肥大させ、器官を退化させてしまい、つまり、生体組織を害したため、自ら引き離したもの(食物)に対して屈服しすぎると、(今度は)生体機構を害することになる。けれども、当人に相応しくないと思われることに、当人を徐々に慣らしていくことを行うと、このことによって常に生体機構は強くされるという。

 この点に関しても現代科学は、無関心にも、無知なまま、全て覆い隠してしまい、生存をめぐる闘い及び淘汰といった外的な原理、ダーウィンの進化説で満足し、実際、競争の原理は全く表面的なもので、間違いであるという。ルクスはこれを更に人体の器官の闘いに転用したが、それは非常に表面的なことで外面しかみていないという。

 現代ではこの構図は、発現遺伝子対抑制遺伝子の闘いに移されているが、根本において、表面的で無意味である。



 どの器官もそれ自身の共感と反感を有し、ある器官は、その器官を構築したある種の状態に対して反感を持つ。つまり、その器官は、完成されたときの反感により、構築される。これは、外界がまず作用し、人体の内面がそれに抵抗し、反感の枠のなかで自らを発散することより、生体機構の完成が更に進められると系統発生学的に考えられる。

 生体組織の領域で外面的な生存競争に最も良く耐える人は、内的な反感を克服して、その代わりに器官形成能力を最も多く持つことになる。つまり、無理解から反感は生まれ、反感は無知の領域として、自己を形成するが、その自己は、自らの無知さ故の反感を、忍耐により克服することで、徐々に理解を得て、共感へと転じることで、自ら成長し、進化する。

 ここにも、三位一体の創造の原理が見出せる。外界の作用に対する反感が父の原理、その父への理解からの共感が子の原理、そして、反感を共感に転じ、子が父に成長する進化が、聖霊の原理であるだろう。三位一体の創造原理で進化するのである。

 以上を元に考察すると、薬剤配量の上でも拠り所が得られ、器官形成プロセス自体のなかに、共感と反感の間を絶え間なく揺れ動くものを見て取れ、器官発生は本質的に、共感と反感の形成と同時に共感-反感間の相互活動に関わっていることがわかるという。

       器官発生(共感、反感)=共感-反感間の相互作用



  組織力全体(高いポテンシャル希釈度、低いポテンシャル希釈度)

 最初の生命周期(幼少期)での生体組織におけるある作用は、後の生命周期(老年期)では逆の作用となり、そのとき、生体組織において、作用がずれる場合が生じ、これが基になって、一方で、精神分裂病を、他方で、魂のある範囲が(他の部分から)絶縁されるということが生じ、この魂の絶縁は後の年齢になって、生体機構を捉える必要のないときに誤って捉えてしまうもの(器官の破壊)を生じるという。

 いわゆる精神病と呼ばれるものを霊的-魂的な方法で治療せずに、器官の不調をみつけることからはじめて適切に処理することができる。逆に、いわゆる肉体の病気の場合の方が、精神病と呼ばれる病よりも遥かに、心魂的なものに注目することでより多くの手掛かりが得られるという。

 観察を通じて、生体組織のどこに欠陥があるのかを探り出すために、心魂上の所見を研究する必要がある。古代人たちはこの点に関して、術語上において既に配慮し、ヒポコンデリー病像を、純粋に唯物論的にも聞こえる呼び名の、「下腹部の骨張り」とか「下腹部の軟骨状態」といった意味の言葉である、「ヒポコンデリー」(心気症、憂鬱症)という文字に結びつけたのは、意味があり、古代人は、このような表面的な病的徴候の要因を内面的に下腹部の器官の疾患に探求したという。

 再び食養生の話に戻ると例えば、自分にとって、ある食品を避け、別の食品をもっと摂取する必要を考え、ある食餌療法が自分には必要だと考えられるのだが、自主的に自分で試し、自分で探し辿り着くことにより、ある食餌療法に至るのか、単に医師に指示されてのものなのかでは、いささかの違いがあり、医師の指示に従った食餌療法は、最初のうちこそ効果を示すが、有害な部分もあり、その食餌療法をしなかった場合よりは、高齢になってから痴呆化しやすく、老人性痴呆になりやすいものとなるという、他方、食餌療法に積極的に自主的に協力することは、老齢に至るまで、勿論他要因も加わってくるが、精神的に活発性を維持し続けるようになるという。このようなことは、唯物論的な思考の前では、皆、同じようにみえるだろう。

 つまり、このような能動性と非能動性の働きは、あらゆる暗示療法の際に、障害として現れ、特に自らの判断を放棄して、他者が指図することに依存するのみならず、自らの意志の導きを他者の判断に委ねることさえしてしまうので、催眠と暗示に立脚する治療法は、本人の自由な意志を妨げないような場合以外は、できるだけ使用しないようにすべきであるという。

 老人性痴呆症は、若いときに自ら行動せずに、指図され、判断を他者に委ねた意志薄弱さの元凶が、老年になって表れた結果ともいえる。

 現代において老人性痴呆症が多発している背景には、支配的な見解に汚染されて、今日ありとあらゆる催眠的傾向、暗示的傾向が教育学にも取り入れられ、サブミナル効果というような広告宣伝媒体まで、表出する現代社会のなか、そのものにあるともいえる。こういう傾向が教育学のなかに取り入れられるというのは全く恐るべきことであるだろう。





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Last updated  2006年11月10日 19時26分00秒
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