シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2006年11月10日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 前回は、歯形成プロセスから、物質体と主にエーテル体の霊的なものとの三位一体の相互作用から、重力と光の関係、そして、精神的な自主性が、何より根本的に重要なことを端的に書いた。

 神秘学よりマッサージについても書きたいのだが、とりあえず、前回の話を続けたい。

 神秘学を考察していくと、病理学的現象の真の根源への探求の為には、現代の唯物的な表面論を、改善する必要がある。近代から始まった唯物論は、真の根源から目を逸らし、表面で生じる事柄のみに注視する傾向をもち、それが益々盛んになってきた。例えば今日の、感染学、病理学の大部分において、病気の類型に関して、細菌、ウイルス等の種類から病気が問われ、その病態が教えられている。

 このような下等生物の寄生に関しては、寄生される人体の状態や条件等の要因を追及することはほとんどなく、この特殊な形態が指摘されて、病気の形式とこの特殊なバクテリア形態との関係が明示されれば、それで病因を追及できたものとしているのである。勿論、免疫学があるというだろうが、それも感染された後、いかなる条件の下に、抗原が発生するかの言及はほとんどなく、異物認識の類を出るものではないといってよいだろう。それも非常に唯物論のみに終始しているのである。せいぜい、回路としてのネットワーク理論に至るだけで、この傾向は、唯物的脳理論においても、心が脳にあるというような、大きな間違いを犯しているのである。

 脳科学者は一体全体、高性能なコンピュータができたなら、心が生まれるとでもいうのだろうか? クローン技術だって、わずが数%の成功であり、その背後に多くの生命が犠牲にされ、そのわずか数%の成功率も、生存率に関しては、ほとんどゼロに近い現状なのである。元々、牛の家畜数を増やす技術だったのが、効率のあまりの悪さから、頓挫したものを金儲けの道具にしたにすぎないのである。

 生命体と単なる物質体の間には、超えられない境界線が存在しているのである。

 さて、よく考えてみれば、病気のプロセスにおいて、身体のある部分に多数の細菌が出現したなら、たとえいかなる異物でも人体組織に病状を引き起こすように、この細菌が病状を引き起こし、ありとあらゆる炎症が生じてくるのは至極当たり前で、全てをこの細菌の働きに帰すのなら、結局この細菌にしか注意を払わなくなり、病気の真の原因からは注意が逸れていくだろう。

 生体組織において、下等生物がその生育に適した土壌を発見するのには、常に、それに適した土壌が、本来の第一義的な原因によって既に作り出されているからなのであり、この第一義的な原因にこそ注意を向ける必要がある。これは農作物が育つ土壌環境と同じであろう。生物体の基本である植物をみればわかる。

 地面から宇宙に向かって成長している地球の植物全体は、単に地面から宇宙空間に向かって成長するだけでなく、対極的な2つの力により引っ張られ、成長の至る処で、地球から植物内部へと作用する力と全く同様に、植物の成長の一部となる宇宙からの力が作用しているという。地球から植物のなかに作用する力と、地球外の宇宙から植物へと作用を及ぼす力との間には、絶え間ない相互作用が成立しているという。



  植物(地球から作用する鉱物化傾向、宇宙から作用する動物化傾向)

 さて、神秘学では人体に不可欠な重要なことがわかっているという、それは人体内で、最終的に心臓の働きに集約されるもの全ては、肺の内的な新陳代謝に最終的に集約され組織化されるものからは、隔てられていなければならないというものである。これら心臓と肺の二つの集約的活動は、両者の間にいわばエーテル的な横隔膜、或いはアストラル的な横隔膜がある状態以外では、互いに作用してはならず、この二つの活動は互いに隔てられている必要がある。

  エーテル的或いはアストラル的横隔膜(肺、心臓)

 このような横隔膜は、外からの呼吸のリズムの要因でもあり、これが、上部人間と下部人間を相互に調律する存在で、人間における律動的活動であり、呼吸のリズムのなかに外的、物理的に現われているリズミカルな震動、この物理的な震動が、エーテル活動、アストラル活動にまで継続され、肺のなかへと集約される上部人間の地の力と、心臓のなかに現われ、宇宙において周辺から地球の中心へと作用するように下から上へと作用する下部人間の天の力とを、お互いに引き離しておくものであるという。

  横隔膜による呼吸のリズム(肺の上部人間の地の力、心臓の下部人間の天の力)

 このリズムがきちんと作用しないと、この物質的には存在しないリズム同士の衝突によって成立するこの横隔膜も乱れ、植物における強すぎる地の作用に類似したものが出現する可能性があり、塩化する地の作用が植物にとって強くなりすぎると、植物が鉱物的になるように、物質的な植物が地から成長するように、肺に組み込まれ、肺から成長するいわばエーテル植物ともいうべきものが、肺の硬化の誘因となるという。

  植物プロセス(鉱物的硬化プロセス、動物的軟化プロセス)

 逆に動物化の傾向が強くなりすぎると、生体組織の上部に、本来、そこにあるべきではない領域が作り出され、この領域においてのエーテル領域に諸器官が埋め込まれ、生体組織において促進されてはならないもの、つまり小さな植物性動物(細菌)の生存にとって好都合になる領域が形成される。

 このような生体領域は本来、生体組織全体に広がるように作用すべきもので、特別に封鎖された領域として生じてはならず、小さな封鎖領域として機能すれば、小さな植物性動物、上部人間を病気にするものが、後から検出でき、この小さな植物性動物の生存条件のための環境となるという。



 人体内の限局領域(地球内部から来る上部器官への力、宇宙から来る下部器官への力)

 上記の二つの活動の間に、隔壁が作り出される必要があり、この正常な分離の制御は人間の脾臓の働きによってなされ、ここに、人体のリズム機能を見る。このリズムは、呼吸のリズムとはまた別で、呼吸のリズムは小さく振動して人間の全生涯を通じて継続し、上部の病気、或いは人間上部にのみ関わる病気が生じないように、秩序正しくなければならないという。

 実際、消化は上下に広がっていくので、下部に起因する病気が人間の上部にも生じてしまうので、これは本来区別される必要があり、地球からの上から下への作用と、天の空間からの下から上への作用との間に、隔壁がなければならないという。実際、上部人間からくる力を、下部人間の力に対抗して、送り出し、両者の間に、どの個人にとっても調整されたリズム、目覚めと眠りとの正しい関係に現われる調整されたリズムが生じる必要があるという。

 脾臓の働きによる隔壁(地球からの上から下への作用、天からの下から上への作用)
 =個人の調整されたリズム(目覚め、眠り) 



 これは目覚めと眠りの波動のフラクタル構造を形成しているという感じだろう。

  フラクタル構造(目覚め(目覚め、眠り)、眠り(目覚め、眠り))

  これが繰り返し続いていくのである。つまり、覚醒時にも、意識と無意識があり、睡眠時にも、夢を見る状態と、夢を見ない状態のレム睡眠とノンレム睡眠があることでわかるだろう。 

 さて、この種のリズムのなかで上部人間と下部人間との間にあるこの境界が破られる事態になると、大抵の場合、上部から下腹部に向かって人間の上部の活動が侵入し、エーテル的な突破が起こるという。人間の上体でのみエーテル的に活動すべきものが、下腹部に侵入するという。このエーテル的活動が下腹部に起こることにより、そこに存在すべきではない、本来は人間全体に広がるべき領域が、下腹部に作り出されてしまうという。

 このような突破の帰結として、下腹部に一種の中毒、重い下痢が起こり、下腹部の活動は秩序正しく行なわれなくなるという。更に、ここに新たな領域として作り出されたものは、多くの場合、動物性植物の性質を持つ下等生物にとってのよい環境になるという。だから、上からの突破を通じて、人間のなかには、腸チフスが引き起こされるという。

 このように神秘学から考えると、第一義的なものと、二次的なものとを明確に区別することができ、そのような疾病の根源的な原因と、多数の腸内動物相、或いは腸内細菌叢が、とりわけ小腸のなかに出現することによる炎症とを区別する必要があることがわかる。

 細菌を含めて物質的に小腸のなかに出現するもの、これらの植物的な-動物、或いは動物的な-植物の下等生物の活動として出現するもの全ては、人間の生体組織の上部の活動が下部の活動へと突破して侵入するという出来事に対する反応であるという。寄生等の下等生物は、結果として生じている現象であるという。

 以上に注目すれば、腸チフスの病像も容易に形成でき、この病気がカタル性の肺の症状、更には意識障害とも結びつくことが非常に多いことがわかるという。肺におけるカタル性の症状というのは、下部人間に生じていることが、上部人間から奪われてしまうということに起因し、上から下への突破が起こると、下部人間に生じることは、もはや上部には含まれなくなるという。同様に、上部人間において意識を伝達する器官も、下部人間へと、その活動を伝達する器官の突破が生じてしまうと、もはや正常に作用することができないという。

 話は変わるが、ウイルス進化説というのも、二次的な後追い仮説で、結果論であり、人類の覚醒と睡眠、つまり、意識と無意識のリズムを後から検証したものでしかないだろう。ある意味、結果論的に上記の三位一体の創造原則を物的に検証しているともいえよう。

 長年に渡り言い伝えられてきたことこそ黄金伝説というべき金言なのであろう。人類の進化のプロセスは、ヨハネの黙示録に既に記述されているのである。ただ、それを理解できるかどうかなのである。つまりは、意識の問題なのである。理解するにつれ意識が高まり、それが進化につながる。DNAよりも、ヨハネの黙示録こそ進化の記録書といえるだろう。





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Last updated  2006年11月10日 21時34分56秒
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陰陽は巡る。  
武侯仁従  さん
 >脳科学者は一体全体、高性能なコンピュータができたなら、心が生まれるとでもいうのだろうか? クローン技術だって、わずが数%の成功であり、その背後に多くの生命が犠牲にされ、そのわずか数%の成功率も、生存率に関しては、ほとんどゼロに近い現状なのである。元々、牛の家畜数を増やす技術だったのが、効率のあまりの悪さから、頓挫したものを金儲けの道具にしたにすぎないのである

前段で臓器移植や人工臓器のことを書いてましたが、それも含めて。なにか命を愛惜するのが発端の動機だが、それが命を軽視する風なものも助長するものでは?と不安ですね。
重要な臓器だから「取替え」というのは究極の手段ですが、それゆえに「臓器」や日々の養生を軽視される・・。そう感じますがね。 (2006年11月11日 14時08分23秒)

Re:陰陽は巡る。(11/10)  
5dolphin  さん
武侯仁従さまはやはり戦略家ですね。
 なるほど、何事にも物事には、陽と陰のように、表と裏があります。生に執着すると、その分、死に対する恐怖心が湧き上がってきます。臓器移植や遺伝子治療の全てが悪いのではなく、そのような手段に対してのあくまで、心の準備の問題だと思います。
 早い話、愛情です。モノ的なものが生命を動かすのではなく、精神、魂が、生命を動かすのです。科学技術は悪霊のものなので、それを上回る秩序と調和の制御法が問われるのです。つまり、そこに善意と愛があるか、当事者の愛情教育になるのか?という点です。愛情を優先として、愛情の証として与えるのならば、生死に関係なく真実でしょう。だから、移植等は、当事者の人間関係の問題に帰します。
 ただ生かそうというのだけでは、死に対しての恐怖心や単なる逃げにすぎません。やがて、死は誰にも訪れます。愛を失いたくない恐れです。悪霊はそこに付け入って人間を支配するのです。科学技術を与えて、その喜び、快楽を煽り、死の恐怖で、統治するのです。
 科学技術で生き残ろうとしても、既に寿命は天界であらかじめ決まっています。他者に愛情を込めて生きたかどうかの質の問題で、悪の手に陥るかいなかが問題なのです。
 それは一人一人の選択の自由の問題ですが、一度、悪の手に染まると、自ら抜け出すのは非常に困難になるでしょう。 (2006年11月11日 15時01分05秒)

西洋医学の陰陽・・・。  
武侯仁従  さん
私の妹は幼少時、扁桃腺肥大をほぼ医者に放置されある大学病院で扁桃腺削除の手術をしてもらい辛うじて生き延びました。だがあまりにながく放置されていてために腎臓にダメージを受け紫斑性腎炎に。
その後漢方医学を学び出すと、扁桃腺を治す方剤や幼少時での治療の方剤もあります。また扁桃腺除去も指摘があります。私の妹の時代は都市では除去は当然でしたが、地方は保存絶対でそれが悲惨でした。
まあ医療の進歩で妹は最近透析になりましたが、それほど大過なく行ってます。ありがたいですが、複雑です。西洋医学で妹は腎臓をうしない、命を助けられてます・・・。

正直、西洋医学にはこれにも疑念もあります。感染病と重篤な病には強くなったですが、それに至る前に治療するのは弱いです。科学に偏重したしたために医学はその「個々人の違い」によわくなった。ある進化心理学者と「東洋医学は科学的でない」ということで議論しました。科学的ではない、西洋医学のように「還元」は出来ない。だが、医学・医術は科学的に正しくとも治療出来なくば、無意味です。論理的合理的現実的であり、有効である。というのがひとつの結論でした。現実に治癒出来てこそ医学・医術であると。

ちょうど兵学・兵法と同じですね。理屈の正しさよりも、現実に効果有るのを適切に続け得るというが大事。また前記の議論の中で真に科学的な人は現実に敬虔であると言うこと。いかにエセ科学者が多いか!
西洋兵法と西洋医学の共通性と中国兵法と中国医学の共通性は同じくしてます。それも面白いことですね。だから癌を皆殺しにしたがり、未病・病気以前はいい加減というのはその反映でしょうかね。

再見! (2006年11月12日 10時00分04秒)

Re:西洋医学の陰陽・・・。(11/10)  
5dolphin  さん
武侯仁従さま
 問題は、人生の自主的な選択にあります。苦痛を和らげるために、原因の器官除去を望むのは、当然の選択といえるでしょう。その後、その器官除去による副作用をも甘んじてうける心構えができるからです。
 東洋医学は、根本的に西洋医学を否定するものではありません。東洋思想は、日々の生活の態度こそに重点を置く傾向にあり、西洋思想は、病になってから考えるという後追い傾向にあるのです。
 なので、東洋医学では、病を発す前の生活全般、問題が表面化しないうちに、是正することに重きをおきます。これに対して、西洋医学は、問題が生じてから、問題以前に戻すために、唯物的に除去することで、治療と称しています。それでは、表面的なものでしかなく、確かに一時苦痛は取り除けるでしょうが、その後、人生の後期に、別の苦痛が現れるでしょう。ただ苦痛の種類を変えているだけなのです。西洋医学では問題はどんどん複雑化していきます。MRSA等の耐性問題も、西洋医学の汚点です。だから医学が経済問題になってしまうのです。
 科学的にも例えば、遺伝子配列が種間で同じとしても、それは一面的な部分(塩基配列)で、同じだけなのであり、他面では、また別の面が出てくるわけで、病が発生する原因の根底、肉体のみではない部分が、なおざりにされているわけです。これは治療に重点をおかずに、診断が独立し、名誉欲等に流されている科学者のせいです。病名をつけても、治療できなければ意味がありません。
 早い話、健康を、肉体の正常な物質的な現象に求めているわけですが、これでは、機械と同じです。機械だってオペレーターやプログラマーがいなければ動きませんし、誤作動かどうかは、目的によるわけです。 (2006年11月13日 12時20分47秒)

Re[1]:西洋医学の陰陽・・・。(11/10)  
5dolphin  さん
 扁桃腺については、私の勘違いでしたので、コメント削除します。 (2006年11月13日 21時54分43秒)

Re[2]:西洋医学の陰陽・・・。(11/10)  
5dolphin  さん
 文献を調べなおしたところ、エーテル体の作用が過剰な場合、とくに小児期には、過剰成長になると、液体性向が過剰になり、扁桃腺炎が顕れるとあります。このようなときは、カルシウムの筋肉収縮作用を用いるとよいと書いてありました。
 いずれにしろ、お大事に、妹さんの命を御大切に! (2006年11月13日 22時48分58秒)

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