シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年06月18日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 人間は実際、魂のなかに、人間愛と熱情、つまり他の人間を理解しようとする道徳熱への萌芽を有している。ところが、生体組織の固体の構成部には、非道徳な冷酷さ(卑劣さ)を持っている。

 この冷酷さ(卑劣さ)が、いわば、霊界から、人間の物質的な生体構成をひきつけて固める(造形)力となる。そして、人間のなかには、つまり自らのなかには、憎悪への衝動を担っている。これは、霊界から血液の循環を引き起こす力である。

 (非道徳な冷酷さ、卑劣さが、所有欲となり、物質的な肉体を形作るのかもしれない。また嫉妬や憎悪などが、血の循環を高める力となるかもしれない。)

 そして、人類は、もしかすると非常に愛に満ちた魂や人間理解を切望する魂をもって世界を進んでいくかもしれないが、他方で、魂は、潜在意識の底で、人間がもともと肉体を担えるように、身体のなかに流れ込み、衝動を与える冷酷さ(卑劣さ)が潜んでいるのである。

 (肉体を担えるように人間の魂の根底に流れる力が、ルシファーの悪魔の衝動といわれる。聖書では、蛇に唆され知恵の実を食べたと記述されている。この悪魔の作用は、エゴイズムとして現れる。)

 いま始終、冷酷さに関して語っているが、これは非道徳(精神的)な冷酷さのことで、ただし、これは熱エーテルという迂回路を経て物質的な冷酷さに移行できる。

 人間の底深い潜在意識には、非道徳な冷酷さと憎悪が潜み、人間の魂のなかに、肉体の冷酷さと憎悪を持ち込むのは容易で、その結果、人間の魂がいわば人間無理解を感染させられたようになる。

 人間無理解は、非道徳な冷酷さや人間憎悪の帰結である。このような訳で、人間は道徳に対する熱情、すなわち人間理解や愛を、元からまず自分のなかに育成しなければならない。人間理解や愛を育成することで、(肉)体からくる人間無理解や非道徳な冷酷さを克服しなければならない。

 さて、以下の事実は否定できないことだが(霊眼には極めて明確に示される)、15世紀とともに始まり、一方においては主知主義的、他方においては唯物論的になった現代の文明に結びつき、その文明を存続させているのは、魂の根底のなかの多くの人間無理解と人間憎悪である、ということである。



 死後、人間は、霊-魂を、物質的身体-肉体から引き離す。人間は物質的身体-肉体を脱ぎ捨てる。冷酷さの衝動、憎悪の衝動は、このとき、単なる自然力、いわゆる自然の法則であることが判明し、実際、単なる自然力なのである。

 例えば、死体をよく見てみる。また霊眼で、エーテルの死体をも、よく見てみる。このとき、両者は、もはや植物や石(鉱物)のように、道徳的な判断を生じさせない。道徳的な判断を生じさせる中に入り込んでいた存在は、自然力(自然法則)へと変化したわけである。

 (他の生よりも、自分の生を優先させる非道徳さは、つまり肉体は、霊魂が離れることで、自然力へと変わり、崩壊する。つまり、秩序という道徳律を失えば、崩壊せざるを得ない。)

 しかし、人間は、生きている間、道徳的な判断を生じさせる非道徳な冷酷さの多くを吸い込んだ。人間は、この非道徳な冷酷さを死の門を通って携えていく。

 このように自我とアストラル体は後退し、物質体とエーテル体のなかに繰り返し、深く沈み込んでしまったために、生きている間には気づかないまま残ったものを引き出して、携えていく。

 (自我とアストラル体が、物質体やエーテル体のなかに、人間無理解や憎悪のために、深く沈み込むことは、アマテラスの岩戸隠れの日本神話にも描かれている。

 また、人間は、性善説か、性悪説か、という議論がよくなされるが、人智学によると、魂は神から戴いたもので、性善で、肉体は、祖先から、生きるために、他を蔑ろにしたカルマを含んだ経験として戴いたもので、性悪であることがわかる。

 つまり、人間は、性善と性悪の狭間に成立する存在で、善を希求しながら、悪に染まり、悪を克服していく宿命を課せられた人生を送る運命にあるといえる。

 東洋哲学風にいうならば、善と悪の狭間で生きる生命を与えられるのが宿命、肉体から非道徳の冷酷さを受け継ぎ悪に染まる性悪が運命、悪を背負い悪を性善により克服するのが立命ともいえる。)

 この自我とアストラル体は、魂のなかに蔓延っていた人間に対する人間憎悪と冷酷さの衝動全てを、霊界へと携えていく。

 従って、以上述べたことから次のような結論に至る。

「人間の近代の文明において、更に、これからも述べる様々な事柄を通じて、人間のなかに、いかに多くの人間無理解と人間憎悪が植え付けられるか、人間が死の門を通過していくときに、はじめて気づく。」

 なぜなら、今日の人間は、この両衝動のうち非常に多く、途方もなく多くを死の門を通過して運んでいくからである。

 死後、人間が共に携えていく多くは、本来は、物質のなかにあるべきもので、本来は、物質(肉)体やエーテル体を完成すべき霊的な残余である。

 人間は、もともと物質世界に属する残余を、人間無理解と人間憎悪のなかに含み、霊界へと持ち込み、しかも、霊的な形で持ち込むのである。

 (人智学が身近でない人には、肉体とエーテル体の区別が曖昧な人がいるだろうが、唯物的にいえば、肉体は、物質で、エーテル体は、相互作用、つまり力といえる。

 素粒子物理学では、物質はフェルミオンという粒子からなり、相互作用はボソンという粒子からなると実証されている。



 更に人間無理解と人間憎悪を、死と新たな誕生(転生)との間の時期を通じて、ずっと携えていることは、人間にとって、決して良いことではない。

 なぜなら、死後、更に人間が、人間無理解と人間憎悪を持ち運ぶ必要があるなら、人間は全く前進(進化)できず、死と新たな誕生(転生)との間に、進化する際に、前へ進む度に躓いてしまうからである。

 (人間無理解と人間憎悪にいつまでも染まっている魂は、霊的には、自縛霊になるようである。)





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Last updated  2010年06月25日 10時29分52秒
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