シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2011年01月07日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 「霊的認識について 高橋 巖:訳」の意訳



 人智学徒が、高次の世界への参入のため、人格を高める修行を始めると、様々な映像が押し寄せてくることがある。

 現代の魂の進化段階においては、高次の世界の映像に直面し、誤謬に陥らずにすむ可能性はただ1つしかない。その唯一の可能性は、「この映像が表す本体は自分自身に他ならない」、と考えることである。

 周囲を、映像が取り巻くとき、その映像の世界は、自分自身の本質を映し出しているにすぎない。自分の性質、円熟度、そして思考し、感じとった全てが、映像の世界に変化して、まるで客観性をもつ世界のように現れる。

 例えば、アストラル界(高次の世界の1つ)の中に全く客観的な存在や事象を見るときにも、自身の道徳性や不道徳性、もしくは、単なる頭痛の反映かもしれない。

 霊界参入を本当に果たす人は、特に今日では、映像の世界で遭遇する存在を、思考によって理解し、思考を通して関与できなければならない。

 従って、霊界へ参入しようと望む人は、映像の世界で遭遇する存在を、物質世界で遭遇する存在に対するのと同じ方法で、理解できるようになるまで安心できない。

 さて、霊界に参入するとき、私(シュタイナー)は、死から新しい誕生(転生)までの間に体験する様々な事象に遭遇できる。死後に体験する全ての事柄も映像を通して、この世で体験する全ての事柄が感覚的知覚を通してやってくるのと同じように、やってくる。

 死後、霊界で、先に死んだ誰かと出会ったとする。その時、その死者と映像の世界の中で向かい合う。ところが霊界参入者にとっても、死者にとっても、ある困難が生じる。



 その際、考えるべき最重要点は、死後の霊界における映像が、生前の現実的な内的体験に由来している、という事実である。

 例えば、生前、願っていたようには完全に愛せなかった人と出会うとする。

 そのとき、生前に愛した以上には、死後になってから愛することが不可能であることを実感する。にも関わらず、死者と遭遇する時、死者(の映像)は、もっと愛してくれと願う。しかし生前、この世でやり残したことは、死後には、もはや取り返すことができない。

 霊界における、上記の「自分の魂を絶対、これ以上発展できない」という事実は、魂に恐るべき圧迫を感じさせる。

 このような死後の状態は、その魂を取り巻く映像に、ヒエラルキア(高次存在)の霊たちが働きかけ、その働きかけを感じとれるようになるまでは、変わることがない。

 (すなわち、後悔の念だけの独房に入れられた状態になるようである。)





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Last updated  2011年01月07日 16時53分57秒
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