シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年06月13日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 腸内、そして人体に現れる植物、更には、これから見ていくような微生物のなかに、病因を求めるなら、それは表面的な見方にすぎない。実際、恐るべきことだが、今日(1920年)の病理学の文献を調べてみると各章ごと新たに、この病気には、この細菌が、あの病気には、あの細菌が発見された云々の記述に遭遇する。

 以上のような記述は全て、人体内の、いわゆる腸内植物学、腸内動物学にとっては非常に興味深い事実ではあるが、病気にとっては、せいぜい1つの指標以上の意味を持たない。

 つまり、何らかの病気に相応しい状態が、人体の根底にあると、それに相応しい微小動物、もしくは微小植物に発達する機会を提供するが、そもそも微生物の生存環境に適さない場合には感染しない、というような指標でしかない。

 (感染した細菌やウイルスに病因があるのではなく、感染の機会を与えた人体内の状態に病因がある。免疫防御が弱い。)

 この微小動物、もしくは植物の生育が、実際の病気に関与する割合は非常に低く、せいぜい間接的に関わるだけである。今日の医学のなかで展開されている論理は、非常に滑稽である。

 少し考えてみればよい。良く飼育され、見事な雌牛が沢山いる土地を発見したとき、「この土地に沢山の雌牛がやってきて、感染したから、この土地には見事な雌牛が沢山いる」などと考えるだろうか。

 (病因を、細菌やウイルス感染に求めるのは、細菌やウイルスが沢山やってきて、感染したから、病気になった、と考える。)

 恐らく、以上のような考えはもたないだろう。このような考えよりも、この土地に、雌牛を飼育する勤勉な人たちがいる理由や、雌牛の飼育に適した土壌が、その土地にある理由を探すだろう。要するに、良く飼育された雌牛が、その土地にいる原因となり得る理由を探し、その根拠とするだろう。

 まさか、この土地に見事な雌牛が沢山いるのは、この土地に、良く飼育された雌牛がやってきて、その土地に感染したからである、などとは考えないだろう。



 ただ、例えば、この地方には良く飼育された雌牛がいるので、何頭か譲ってやれば、もっと勤勉になろうと奮起する人もいる、というような間接的な影響が生じる可能性もある。このようなケースは無論、付随して起こる。

 感染準備の行き届いた土壌が、細菌により刺激され、土壌全体が病気の経過に陥ってしまうことも当然起こり得るが、実際のところ、この細菌という生物の観察は、病気の本質的な観察とはほとんど関係がない。

 健全な論理の育成に配慮するなら、公認された科学から発せられる思考などにより、健全な思考の荒廃を招くような事態などはそもそも起こり得ないはずである。

 すなわち、病因として、考慮すべきことは、これまで述べてきた特徴、つまり、人体の上部と下部のある種の関係が誘因となって、上部と下部との正しい相互関係が成立しない可能性である。

 人体の上部と下部の不規則な相互関係の結果、上部の、下部に対する反作用が弱いため、植物化の傾向を阻止する反植物経過というか、植物化の過程が阻止できずに、下部において、植物化が活性化する可能性が生じる。

 下部において植物化の傾向が高まると、腸内の植物に、夥しく蔓延る機会を与え、すなわち、下腹部が正しい経過で働いていない事実を示す。

 下部の活動水準に従って生じるべき上部の活動が下部で生じない場合、その活動が堰き止められ、上部へと押し戻されるような特殊な事態が生じる。つまり、下腹部で組織される特定の経過が生じない場合、下腹部で生じるべき経過が、上部へと押し戻される。

 (ここで述べている「上部」、「下部」とは、心臓を基準として上を上部、下を下部と呼んでいる。)

 以上のような表現は、いかにも素人臭いようにみえるだろうが、今日通用している病理学に見られる表現よりは少なくとも科学的である。

 人体下部において、規定通りに生じるべき経過が、上部へと押し戻されるわけだが、肺での排出や、肋膜などのように、上部に配された器官組織での排出に関わる病因も、下腹部の排泄経過の正常、もしくは異常との関係を調べることから探求すべきである。

 下腹部を通じて、上半身にむかって押し戻される人体の経過を、正確に見ていくことは究めて重要である。上半身で生じる病因の多くは、下腹部から押し戻された経過に他ならない。上部と下部との間に正しい関係が成立しないと、上下に属する本質的な経過は拒絶され、押し戻される。



 それは、「ある特定の器官について考える瞬間、更に良い表現をするなら、ある特定の器官に関する思考を抱く瞬間、この器官に、ある種の活動が生じる」という事実である。

 この事実についても、将来の学位請求論文になりえる、豊かな研究領域が隠されているが、人間のなかに沸き起こる考えと、唾液の分泌、腸内の粘液分泌、母乳の分泌、尿の分泌、精 液の分泌などとの関係を一度研究するとよい。これら人体の分泌現象と並行して現れる思考が、どのように生じ、どのようなものなのか、を研究して欲しい。

 そこでいま、述べている事実とは、一体どのような性質をもつのか?という疑問が生じる。

 霊魂に、特定の考えが生じると、その考えに並行して人体に分泌現象が生じる。この事実とは、一体、何なのか?

 人間に生じる思考の素は、丸ごと器官のなかにある。つまり、人間が、ある考えを抱くと、その考えに並行して、何らかの腺分泌が生じるのは、思考の基礎になる活動を、腺を分泌させることで取り出している。



 腺から再生活動を分離させ、思考として実行し、その後の活動を腺自身の運命に委ねると、腺は自身の活動に没頭して分泌をおこなう。この分泌を妨げることは、つまり妨げなければ、腺から除かれ、思考に結びつけられた再生力が、腺と結びついたままになる、ということになる。

 以上のように、器官から再生力を思考のなかに取り込んだ事実を、器官に現れてくる分泌現象から、明白に理解できる。

 「私が、そのように考えなければ、私の腺は分泌しなかっただろう」、と言うことができる。

 すなわち、「私は腺から再生力を奪い、この再生力を、私の霊魂に移行させたからこそ、腺は、分泌した」、となる。

 今までの考察で述べてきた知見の証明を、人体のなかに見つけることができる。つまり、霊魂の活動の結果として生じる体験は、人間の目の前にある自然の秩序のために分泌された再生力に他ならない、という証明を、人体内の分泌活動に見つけることができる。

 (人間の体験は、再生力を器官から取り出すことで生じるという。再生力を失った器官は、分泌活動を行い、分泌した汗、涙等を、自然環境に与える。人間は、眼から再生力という感動を取り出し、眼は代わりに涙を流す。オカルトでは腸が第2の脳といわれるのは、腸から再生力を取り出し、思考しているからといえる。)





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Last updated  2013年06月13日 14時09分32秒
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