シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2013年08月09日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 前回からの続き。

 ☆  ☆  ☆

 ところで、問題のシーグレイブ(山下の黄金のことか?)については鬼塚氏も真偽に判断をあぐねているようだ。これは私も同感である。鬼塚氏は、幾つかの資料を駆使し、昭和天皇の直接の父親が西園寺公の養子であり、大正天皇と同年代だった、西園寺八郎であると断定している。

 これを裏付ける証言として、犬養毅元首相が「これは親父と息子の方角を違えたのかな、フウム」という当時の東京朝日に掲載された談話を証拠としているほか、八郎が東宮職御用掛を初めとして、幼少の頃から付き従っていることをあげる。実の息子の公一(きんかず)よりも、皇室を気に掛けることがおかしいというのである。

 (田布施より適当な人材を連れてきたという説もある。)

 もとより病弱の大正天皇が何人も子供を授かったという話こそ、確かに信じがたく、昭和天皇の父親は誰か、西園寺公かはたまた・・・という議論があったことは私(アルル?)も知ってはいた。だから、これを読むと真偽のほどは分からないが、「ありそうな話」という判断が出来る。

 なお、大正天皇の后であった九条節子(貞明皇后)は、鬼塚氏が引用している『昭和の劇 映画脚本家・笠原和夫』によれば、「宮中某重大事件」(昭和天皇の后を決める際に山縣有朋が介入した件)において、山縣と画策して(アルル:この辺は疑問)、自分のかわいがっている秩父宮を皇位に付けるべく画策した、という。

 アルル:この話は反山縣の皇室内クエーカー勢力だったはずの貞明皇后とするシーグレイブと違うし、皇后は他の宮中のグループと一緒に婚約破棄に反対したはず・・・。皇室のいわゆる「秘め事」の話は仲々難しい。

 この部分はともかく、二子である秩父宮が、2・26事件の首謀者の安藤大尉に担ぎ出されて、直接、弘前にまで出向いた昭和天皇に説得されて、クーデター組に参加しないことを決めた、という記述も『笠原和夫』には出てくる。これは正しいのではないかと思う。



 そんな人物をなぜ皇道派のクーデター将校が担ぎ上げるのだろうか。ただ、昭和天皇、三笠宮と秩父宮で勢力構図が分かれていたのではないか? とする鬼塚説は折に触れて参照したいと思った。

 共同通信の報じた、皇室の隠し財産の記事、これは重要であるから、「佐賀新聞」のデータベースを使って調べて保存しておかなくては為らない。

 結局、鬼塚氏もまた、中央銀行ネットワークであるBIS(国際決済銀行)に行き着いた。このBISは、戦時中も敵味方となく資金決済をしていた。だからこそ、アメリカのロックフェラー・スタンダードやロスチャイルドのシェルが、パナマ船籍という抜け道を使って、日本やナチスドイツに石油を輸出し続けた、という話になる。あるいは、赤十字の船という抜け道をつかったらしい。

原爆投下成功に大喜びした米内光政

 1945年8月6日の広島への原爆投下、8月9日の長崎への原爆投下とソ連の対日宣戦布告に直面し、海軍大臣米内光政大将は、1945年8月12日、次のように語った。

 「私は言葉は不適当と思うが原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。

 国内情勢で戦を止めると云うことを出さなくても済む。

 私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。

 従って今日その国内情勢[国民の厭戦気分の蔓延と政府・軍首脳への反感]を表面に出さなく収拾が出来ると云うのは寧ろ幸いである。」

 (『海軍大将米内光政覚書』:ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫 引用)

 原爆投下が、昭和天皇の終戦の聖断をもたらしたのではない。敗北続きの軍、国難・生活難に陥れた日本の指導者たちへの国民の反感という世論が、共産主義革命・国体変革という未曾有卯の危機を予感させた。

日本の指導者たちは、広島・長崎への原爆投下を、終戦(降伏)する口実としたが、核兵器の恐ろしさや戦後世界の核戦略は理解できなかった。

 ソ連は、国体・天皇に敵対する共産主義者の集まりであり、ドイツを打倒した強大な軍事力が日本に向けば、日本は占領され、国体も変革されるであろう。このようなソ連による国体変革の脅威を目前にして、米国への降伏、国体護持を請うたのが、終戦の聖断である。

 (原爆開発前に何度も講和の機会はあったそうである。戦争会社が無視したそうだ。)

阿南陸軍大臣は自決する前に 「米内を斬れっ!!」 と言い残した 。

戦争終結前の鈴木貫太郎(すずきかんたろう)首相の「ポツダム宣言の黙殺」を鈴木首相に押しつけたのが米内だった



 米内は単に親米派であるだけでなく、日本の中国大陸進出に対しては、むしろ徹底的に積極派・推進派だったと思える行動が多い

近衛首相の「国民政府を相手にせず」という有名な近衛声明をださせたのも米内だという 。

 だから、 最後の最後で米内が裏切り者と気がついた、阿南(あなみ)陸軍大臣が、「米内を斬れ」と叫んで、そのあと自分は、責任をとって腹を切って死んだ。陸軍は海軍のトップの裏のある人間たちにずっと騙されて、3年半の血みどろの負け戦をアメリカとやったのだ 。

 (陸軍はいまでも悪者)

 海軍からは、たったひとりの刑死者を出していない。海軍は誰も死んでいないのである。「リメンバー・パールハーバー」なのに!

 (日本人を大量に殺したことで、連中からすれば日本海軍は表彰ものなのだろう。戦後、中曽根のような海軍売国奴が出世していることでわかる。)

 不思議なのは、 米内が「アメリカ留学」もしていないのに、あの当時の日本で「米英の走狗」(今で言えばポチ保守に該当する言葉)と呼ばれていたことだ 。

 米内光政・山本五十六・井上成美(いのいえしげよし)については、阿川弘之という小説家が伝記小説を書いているが、この人物が戦後、ロックフェラーの資金でアメリカ留学をした男であり、現在の親米派の広告塔である前駐米公使・阿川尚之(あがわなおゆき)氏の父親である。

 (日本の外務省が伏魔殿というのもわかる。)

 米内については、阿川のフィルターを通した内容しか出回っていない。米内についての資料は、阿川氏によって一連の小説が書かれるに当たり、海軍善玉史観にとって都合の悪いものは全部処分されたのではないか。

 ☆  ☆  ☆

 米内-山本-井上が売国奴になったのはロンドン-英王室との関係が怪しい。山本にはフランス人の愛人がいたという話がメーソンの解説本にもある。





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Last updated  2013年08月09日 16時40分21秒
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