シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年04月20日
XML
カテゴリ: 神秘体験空間
 前回までの話からもわかるが、シュタイナーは、人智学により霊的なキリスト教を伝えようとしていたようである。

 そもそも薔薇十字会も、現在の、物質界で苦悩する神の子の十字架を象徴とするキリスト教ではなく、物質界と霊界を融合し、霊的な調和と創造を目指す薔薇が巻き付く十字架を象徴とする霊的なキリスト教を伝えようとしていたようである。

 以下はネットで適当に画像検索し出てきた薔薇十字の象徴である。

Rose_Cross_Lamen.png

 さて、薔薇にはどんなオカルトがあるのか、気になる人もいるだろう。

 薔薇とは女性器の象徴である。老子でも玄牝を万象万物の創造の象徴としているが、陰のエネルギーが満ちた象徴なのである。つまり、霊界の陰のエネルギーが湧き出る孔という意味である。

 では薔薇にある棘(トゲ)は何かといえば、すぐに男性器が想い浮かぶだろう。男性器は陽のエネルギーの充満である。あらゆる創造は、陰と陽の結婚により生まれるというわけである。

 男性器と女性器というと俗物はすぐに卑猥なことを思い浮かべるが、それはそのように考えることに問題がある。

 少し話題が逸れるが、この間、TV番組でやっていたが、公園などに置いてあるダビデ像やビーナス像の裸体像が、子どもの目のやり場に困るという苦情が多いと聞いて呆れてしまったが、その貧弱な苦情に教育評論家の尾木ママ氏が「子どもにスケッチさせ芸術的感性を養えばいい」と的確な意見を述べていた。流石である。



 尿や糞を出すところという不潔さの意味で隠すのならわかるが、その不潔な場所から人間が産まれるわけである。不潔な尿や糞が堆肥となって、バクテリアを育て、植物の肥やしとなる。動物は皆裸であるし、ダーウインの進化論者なら人間も動物なんだから、裸でいいではないのか? 

 しかしそもそも唯物論から考えても、石像は死んだもので単なる物体である。物体の外見が同じ形をしているからといって、中身や機能が同じわけではない。石像をみて卑猥なことを思い浮かべる、その当人の考えに問題がある。単なる石に寒いわけでもないのに服を着せる方がおかしい。そもそも、裸が卑猥というのは洗脳ではないのか?

 発想が貧弱なのに問題がある。言葉だって、TPOによって意味が変わる。例えば、「どうも」という日本語は、「どうも(ありがとう)」と礼を述べるときに使われるし、逆に「どうも(よくない)」と非難するときにも使われ、TPOによって真逆の意味にもなる。

 つまり、ダビデ像やビーナス像をみて卑猥なことを想い浮かべる人の発想が貧弱なのである。一種の洗脳といってよいだろう。そんなこといったら、花弁やコップなどはほとんど女性器の形だし、柱や棒などはほとんど男性器の形といってよいだろう。

 何を連想するのも自由だが、自分の観点を他者に押し付けることに問題がある。様々な見方があってよい。ダビデ像やビーナス像を卑猥にみるのも自由だが、その見方を主張し、他者に押し付け、芸術的作品を低俗化するのに問題がある。言論の自由である。

 逆に言えば卑猥だとされた醜悪さにも神が宿ることを感じ取れる見方こそ現代に求められる。

 どうも現代社会の息苦しさや都会生活のストレスは、上述のようなモノの見方に対する洗脳や押しつけが多いことに端を走っているのではないかと思われる。発想がどんどん貧弱になっている。例えば、言葉使いなども貧弱になっている。恐らく現代の若者の語彙数は昔と比べて少ないのではないだろうか。

 それは例えば、味覚でも本来は苦いから甘いまで大きく7つに分かれるのに、美味いか不味いかしか表現できないのではなかろうか。「苦い」というのは自我にはあまり経験がない味覚で、逆に、「甘い」というのは自我に心地よい、つまりよく経験した味覚のことを意味する。その間に5つの段階がある。

 本来7つあるのに、美味いか不味いかしかの2つしか表現できないのは、そもそも美味いというのは主観的表現であって、当人の味覚の問題で、その人がこれまでどういう食生活をしてきたかの問題である。本来なら、苦いから甘いまでの7つの段階の味覚で表現すべきで、音階と同じように誰もが演奏できるように表現すべきである。

 本来7つあるのに、2つしかないというのは、恐らく物質感覚を優先したツケだろう。物質感覚は、有無の2つのパターンしかないからである。二次元の世界である。

 数学を学ぶ過程からわかるだろうが、はじめはゼロ次元の点から、線の一次元にいき、そして縦と横の平面、あるいは、有る、無いの二次元になる。そして、高さをもつ立体、もしくは有るのが無くなる、または無いのが有るの三次元になる。



 例えば、この味覚などの感覚は、生まれてから歯が生え変わるまでの子どもの成長に大きく左右されるので、この時期に詰め込み教育などをすると感覚がマヒし、晩年になって感覚障害が現れるというシュタイナーの話をいずれ紹介したいが、例えば、この時期に自由に感覚を表現するための母国語教育が非常に重要なことなどだが、いまは話題が逸れるので、元の薔薇十字会の話に戻る。

 さて、話題を薔薇十字会に戻すために、非常に重要な話を以下に紹介する。

 ★          ★           ★

マニ教と薔薇十字会のクリスティアン・ローゼンクロイツ
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/63363999.html

 (一)歴史におけるマニ教の流れ 

 前回の■三■では、ゾロアスター教のゾロアスターとキリスト教との霊的な繋がりと、その後の中国・日本における仏教や弥勒信仰への影響、さらには弥勒信仰と出口王仁三郎の関連性をおおまかに辿ってきました。

 そこで、■四■では、ゾロアスター教と深い繋がりのあるマニ教を掘り下げることで、クリスティアン・ローゼンクロイツの創始した薔薇十字会とシュタイナーの人智学に至るまでの経緯をおおまかに辿ってみることにいたします。

 三世紀にペルシアの人物、マー・マニ(二一六―二七六)によって開教されたマニ教と呼ばれる宗教があります。マニ教はゾロアスター教を母体とし、これにキリスト教の異端とされてきた神秘主義的な教派であるグノーシス派の影響を受けているとされます。

 一般的な観点では、マニ教はゾロアスター教と同様、すべてに善悪、明暗といった二次元的対立を主張する二元論で、この現実世界は悪魔によって創造されたと考えていたとされています。したがって、人間の肉体は穢れたものであり、そのなかから唯一の心的なものである霊魂を一刻も早く離脱させなければならないとし、この世界はやがて巨大な炎のなかで滅びると予言したともいわれています。

 そのため、マニ教は、マニの生前からササン朝によって迫害され、最終的にマニは処刑され、その皮ははがされ、藁を中身に詰められ、城の門にぶら下げられたと伝えれています。

 その後、歴史的には中世キリスト教の異端であるカタリ派(南フランス)やボゴミール派(バルカン半島)が、マニ教の影響のもとに成立したといわれています。また、中国の北宋末期の農民指導者である方臘(ほうろう)の反乱に参加した「喫菜事魔(きっさいじま)」という秘密結社も、マニ教の一派とされています。そして、マニ教は弾圧を逃れるために、明教と名を改めて中国にも伝えられます。

 こうして、マニ教はミトラ神話を受け入れたゾロアスター教と似た形をとりながらも、秘教的な要素を強めながら、仏教やキリスト教といった諸宗教に影響を与えていったとされています。

 ★          ★           ★

 マニ教、カタリ派は、二元論に固執したために滅んでしまったわけで、つまり有る無いの唯物論になったために、滅亡したといえる。本当はそのどちらも霊的にいえば、一元論なのだが、霊界を隠してしまい、本来の霊界から物質界に生まれるという生殖器が俗物化し、物質器官として、霊界を隠してしまったので、物質界で死ぬべき、滅ぶべき存在に堕したのである。

 性器を隠さないと自分の邪な思想が現れてしまうので、それを恐れるから隠すのである。隠す方が卑猥である。というのは、卑猥な発想を隠そうとするから歪な形で露わになる。石像の性器らしき外見物を隠そうとするのは、卑猥な発想を隠そうとするからである。つまり卑猥な発想をするのを認めたくない自虐性にある。

 闇を隠そうとすれば益々露わになるだけである。 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015年04月20日 16時12分23秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: