シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2015年09月24日
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カテゴリ: 軟弱日本を斬る!
 シルバーウィークはラグビーに翻弄された。歴史的大勝利の報道に期待感をもってTVをみたが、サッカー日本代表の毎度のことながらの大勝後の大敗にラグビーも同じなのではの一抹の不安も感じながら、その余韻も醒めぬなかで、一喜一憂し、やっぱり大敗の結果に、この国の報道のいい加減さを改めて感じた!

 所詮ダマスゴミである。しかし、ラグビー日本の過去の大敗ぶりからすればまだ遥かにマシとはいえる。

 大敗は何も恥ではなく、問題は大敗から何を学ぶか、である。不正をして勝つよりも大敗で負ける方が遥かに良い。大敗は勝利を失うだけだが、不正は人間としての信頼を失うからである。

 どうもゴイズミ内閣辺りから勝つためには手段を選ばず、というような勝利至上主義、不正をしても勝てばよいという傲慢なインチキが目立って社会に浸透してきたようにみえる。

 こういう不正は結局人類全体から見れば仲間を裏切る行為なのだから、百害あって一利なしなんで、この世に地獄を拡げることにつながる。不正行為は、特定の組織や個人だけに利便を図ることで、結局は人類全体を考えずに一部の組織や個人にしか思いが至らないのだから、知性としては未熟でまだまだ未完成というわけである。

 不正をしない、正々堂々と戦う、というのが、この国の美徳の一つであったはずなのだが、官僚や政治家を筆頭にいつの間にか汚職塗れ、不正塗れの現状をつくりだしているから始末に負えない。その最たるものがパクリンピックである。

 国民に人気が高い高校野球ではスポーツマンシップに則り正々堂々と戦うことを誓う、と宣誓するのが約束事になっているが、高校野球にばかり求め、肝心の大人たちが不正塗れの現状なのだから、高校野球が宗教の信仰の世界になってしまうのも頷ける。だから高校球児は坊主アタマなのか?

 正々堂々と戦うというのは、たとえ負けても心の中に何かを植え付けるものである。この精神は恐らく原住民だった部落民の侘び寂びからきているのだろう。侘び寂びとは、八切史観によると、先祖の苦労や苦難を想う心からきている。いまの栄達があるのは先祖の苦労や苦難があってこそのものという気持ちである。

 この侘び寂びが、日本に伝来した仏教徒の商業主義にとりこまれて先祖供養になったという。そして、古くからこの国では霊能者が多かったためか、怨霊を怖れる祟り信仰と相まって、先祖供養を怠ると祟りがあるという風に変わっていき、いまでは先祖供養を怠ると貧しくなる、という御利益信仰になっている。



 この世は仮の世である、と中世から信仰されていたことは、戦国武将で有名な信長が好んだとされる敦盛(信長公記の話なんで脚色とも考えられる)「人間50年、下天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなり」という表現からもわかる。以下はウイキから抜粋したものである。

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敦盛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E7%9B%9B_(%E5%B9%B8%E8%8B%A5%E8%88%9E)

 織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。 「人間(じんかん、又は、にんげん)五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。

 「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。

 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」という意味になる。

 現代において、「(当時の)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、 人の一生が五十年と言ってるわけではない 。

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 中世以前の話のなかに、霊界についての記述があるから、当時の武士たちが霊的知識をもっていたことがわかる。そのような話をあるサイトにみつけたので要点を抜粋し紹介する。



お彼岸
http://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12076495758.html

 色々な人生観があると思いますが、どんな人生観を持つかによって、苦しい人生とも意味深い人生にも。

 人は何を行ったかによって決まる面もありますが、何をどのように考え捉えてきたかが、実はより決定的なのです。

何をどのように考え、捉えてきたかで、結局は行動が決まってしまうからです

 考えてもない行動を私たちは決して起こしません。行きたくない場所に、何があっても絶対に行かないと思ったら、義務でない限り、そこには行かないものです。

 私たちは自分の考えや感じ方の通りに大体は生きているからです。その際に重要なのは、日頃何を、どのように考え捉えているか、、、ということになります。

 そこに大きな分け方があります。本日はお彼岸。彼岸とは、向こう岸、、、すなわち、あちらの世と現世とが接近する日。

 冬至、夏至、春分、秋分、、、年にそうした日が四回あり、人は昔から特別な日としてお祝いしてきました。そのうち、春分と秋分が彼岸となります。

 彼岸とは、悲願でもあると思います。人間の悲願として人生の意味を知ることは大きいはずです。

 生きている人と死んでいる人との境が彼岸であるとするなら、お彼岸の日はその垣根が無くなる日でもあり、現世に生きている人は、死んでいる人と、常に一体を今なお生きている、、

 そう思う人生観と、死んだら仕舞い、、、と思う人生観では大きな違いがあります。

死んでいる人とどこかで一緒に生きている 、、、という考えがなければ、墓参りの意味も違ってくることでしょう。

 (中略)

 ご先祖の期待を一身に受けてこの世を生きている私たち、、、そのあと押しへの思いは、お前はお前らしく生きなさい、、、ということに他ならない。

 ホロスコープにはその人の本当にいろいろな面があらわれ、同じ人は一人としていません。

 しかし、そのホロスコープを読み解いても、当たっていない人がいる、、、それはホロスコープに表されている表現への期待に関心を持たず、どこかの人間や社会が考えたルール以外に関心が無い人に多いのです。

要するに自分を生きてない 、、、金がないと将来の老後が不安とか、一応の大学を出ておかないととか、、、形にこだわっている。

 星が期待しているもの、、、先祖が期待しているもの、、、それは形では決してないのです。

 表現です。新しい表現なのです。その人にしかできない、、、一言でいえば、その人の、その人の人生の芸術化以外にないのです。死者の世界からの要望は。 ただ個性的に生きなさい 、、、ということです。

 それによって、死者の世界が沸き立つのです。喜びに沸き立つのです。するとあちらの世で起きたことは必ずこちらの世でも起こるので、あなたの元に大きな喜びが戻ってくる。

 私たちは生きている人間だけを怖がり、それに合わせようとして、四苦八苦している。そのうち、段々と回りのことばかり考えて自分を持とうとしないから、魅力が無くなっていく。

 金を得て魅力を失う、、権力を得て魅力を失う、、、人望を得て家族からは嫌われる、、、良い人だと言われて本当は悪い人になっていく、、、

 そうしたことが起きてしまうのです。先頭に立って、自分を表現する、、、それによって死者が沸き立つ、、、その応援なくして、人は幸福になどなれない、、、ということを、どんな民族も本当は知っていたのです。

 そしてそうした事実を本当は知ったもののそれができない一部の人たちが、人類の魂を人質にとって近代化が進んできた、、、そう考えると、歴史がわかりやすくなります。

 大不況が起こる、、、戦争が起こる、、、原発が爆発する、、、そうした不幸がなぜ起こるかの根本の原因がわかってきます。

それらに対抗するのは、個の芸術化以外にないのです 。

 芸術化というと大げさですが、要はご先祖集団が喜ぶ生き方をするかどうか、、、、形ではないのです。あなたにしかない個性が、今の自分の顔、体と同様に形の上でもある。なのに、私たちは、さらに個性化がある心や生き方にそれを応用しない。

 顔や体が違う、、、それ以上違う魂や心をベースに人生を生きようとしない。

 どんな不幸も、どんな限界も、どんなショックも、すべて自分の個性化の、芸術化の味付けになる、というのに、形にこだわる私たちは、金がない、、人気がない、、家柄が悪い、、というような、形に限界を感じ、形だけにこだわる人生に変えてしまう。

 あなたにあるあらゆる不幸的な要素、、、それさえなくなれば幸福になれる、、、という迷信と誤解を今すぐ捨て、それらの一見不幸に見える事柄は、味わいとなる個性化に欠かせない、、、という観点から自分を見れば、 誰もが、実は芸術家であり 、人生の目的そのものが、自身と自身の人生の芸術化にある、、、となることでしょう。この世に不幸などないのです。

 本日の彼岸、、、彼岸にこそ、あちらの世とこちらの自分との接点において、自身の存在のありようを、芸術化を誓うことで、喜びの日にしたいと思います。

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 このように、古くから、日本の文化や風習には霊界の話が盛り沢山なんである。しかし、睡眠中に霊界に行っていることをどれだけ理解していたかはわからない。というわけで、シュタイナーの睡眠の話の紹介を続ける。

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第三の眠り、高次の霊

 前回までは夢を見る眠りと、夢のない深い眠りの世界について述べた。その前提条件として、人間を四つの構成要素に分けて説明した。

高次の霊

 四つ以上に、更に詳しく言えば、他に自我よりも高次の要素も未分化ながらわずかにもっている。自我よりも一段高次の霊我で、これはアストラル体が高次の進化状態に変容してできる霊の器官であるという。

 この霊我の素養は誰もがもち少しずつ成長していくが、その成長は一進一退の実に遅々たるもので、人の一生を尺度にして計れる変化ではない。

 シュタイナーが説く人智学での人間の霊の進化の展望では、この霊我を備えた一段階上の高次の霊(天使)が、人間の現在の地球進化の次の目標となっている。しかし、天使までの道のりは大変長いもので、様々な妨害もある。

 自我までしかない現在の人間と、霊我を完成させた将来の人間とが、どのくらい違うかといえば、大体、動物と人間(または鉱物と植物、あるいは植物と動物)の違いともいえる。だから、霊我を完成させた天使がどんなものかを想像するのは、今の人間には非常に難しい。

 それは動物が人間の自我の働きを人間をみて追体験するのに似ている、といえる。

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 人間に教えられないと動物には自我が芽生えないのと同じように、天使に教えられないと、霊我が芽生えない。睡眠中に霊界に行くことで、人間は天使と出会い、霊我の開発法を聞いているといえる。

 彼岸の季節に、あの世を想うのは大切である。





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Last updated  2015年09月25日 13時10分59秒
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