シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2024年10月08日
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カテゴリ: 神秘体験空間
現代人は誰もが何かに依存し、洗脳されているのに、気づいていないから不思議である。例えば、無料で流されるCMなどに洗脳されている、のに気づいていないのは、不思議でもある。どこどこのなになにがいい、というだけで、それはそのモノに洗脳されているわけなんである。

実際の社員でない、俳優が演じたCMをみて、その会社がいい、と思うのは既に洗脳なのにも気づいていない。俳優は社員のニセモノなのに、ニセモノを信じている。綺麗な俳優や女優がカッコいい、または綺麗なお化粧をしたからといって、自分もその俳優や女優になるわけではなく、所詮それは自分のニセモノでしかない。外から幸福はやってこない。

広告はニセモノなので、それで稼ぐ連中を私は一切信用せずに、騙されないようにしている。連中の情報操作は、はじめに事実を述べて信用させて、次第に論点をはぐらかし、最後には、何らかの価値観を植え付ける。これらは悪魔の計略と言わざるを得ない。現代の政治家のほとんどもこのやり方と変わりない宣伝ばかりである。広告は幻想を植え付ける悪魔でしかなく、所詮一時的なもので、外から人間は永遠には幸福にはなれない。

ネットフーテンの寅さんをやっていると、ネット界隈には、ニセモノに沢山出くわす。特に末法の世では、ニセモノを語る仏教徒にも出くわす。自分が末法を教えているのに気づいていない。特に日本の仏教は金儲けが主眼で唯物論に染まり切って、霊魂がみえないから、酷い詐欺が罷り通っているので、ほとんどが死後に地獄に堕ちるだろう。地獄に堕ちることすらもわからないので、末法と言わざるを得ない。

末法 - Wikipedia


例えば、空海さんを信仰しているから、南無阿弥陀仏と念仏を唱えているから、自分は地獄に堕ちないなどと錯覚している輩がいるが、これらはとんでもない悪魔教の偶像崇拝の倫理で、末法である。空海さんを信仰していても、自分が空海さんになろうとしない限りは、単なる依存心で、悪い意味の他力本願なんである。空海さんを信仰しているのなら、空海さんのような生き方をしないとウソになる。

他力本願の本来の意味は、以前にも紹介したが、霊能者だけが使える阿弥陀如来の能力で、俗にいう、天性(転生)の能力で、前世から引き継いだ、例えば、前世で不運にも天災でなくなって、その能力を持ち越したとか、多くの人々を救ったカルマから、その能力に目覚めたとかの、特別な能力の持ち主でしか使えない能力のことで、親鸞が説いた他力はニセモノと言わざるを得ない。

像法 - Wikipedia


親鸞自体が、鎌倉時代の人物で、日本では像法の時代は1051年に終わったとされているので、親鸞が当時の仏教で悟れるわけがない。元々、霊能の持ち主か、如来が、教えを説くために現世にやってきたかでないとニセモノなわけである。日本史をみれば宗教戦争を起こした人物として有名なので、恐らく地獄に堕ちているのだろう。古今東西、スウェーデンボルグの書からも明らかで、似非宗教家は地獄に堕ちていて、現世で多くの人々を騙した詐欺師は、地獄に堕ちているのである。

末法の世の現在では、空海さんのように、仏教だけで食っていくのは大変困難なんで、空海さんのようなモノから食べ物がつくれる霊能者でもないので、しかも現代ではニセモノの霊能者も多く、唯物論に染まりやすく、地獄に堕ちる可能性が高いので、特に日本社会の制度では、血縁を断ち切る、出家もほぼ不可能だから、以前、在家信者で紹介したように、仏教は副業にして、他の本業で食っていく他はないだろう。

例えば、農業をやりながら、教師をやりながら、医者をやりながらとか、他の仕事で、生計をたてながら、仏教をやっていく他はないだろう。昔は、仏教徒がいわば公務員だったので、仏教だけで食っていけたわけだが、それでも、像法なので、霊我=心眼を獲得し、霊能者となり得たものはいないわけなんである。末法の世なのに、末法を布教するのは大変危険なんである。



さて、前回はスパイの目的が思想洗脳にあり、巷に溢れる思想洗脳の恐ろしさを紹介したが、今回は、知らぬ間に思想洗脳されている、依存や依存心の恐ろしさを紹介したい。巷に溢れる情報の多くがニセモノであり、それらは携帯端末で日常茶飯事のように、同じ言語で流され、同じ言葉を使う民族を洗脳していく。現代での偶像崇拝の先兵なのがスマホなんである。つまり、スマホが末法の最前線となっている。

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スマホなどの情報ツールで、自分が洗脳されているかどうか、は、これまで紹介してきたように、未来や過去に囚われ、今に生きていないかどうかで、ある程度判断できる。過去の行いから、いまがあり、いまの延長上に未来があるのだから、いまを真剣に生きる判断が重要となる。自分の判断を誰かに委ねるのは、洗脳されている証拠である。勿論、専門家に話を聞くのは重要だが、結局、自分の行為については自分が責任をとらねばならない。

とどのつまり、お釈迦さんが説いた、善因善果、悪因悪果である。

仏教の法=ダルマとは、このお釈迦さんが説いた、善因善果、悪因悪果で、過去に鑑みて行う、いまの自分の行為が、未来の自分をつくる、という法則のことなんである。この究極の自己責任のことを、宇宙の法の、カルマの法則で、輪廻転生の法則なわけなんである。

昔流行った、林先生ではないが、「今でしょ」が、「今することでしょ」が、仏教の法なのである。いまあるのは、過去の自分の行いにより、いますることが、未来の自分をつくる、この自分のなかの自分を知るのが、仏教の究極の目的というわけなんである。お釈迦さんの天上天下唯我独尊で、ただ我あるのみなんである。多種多様な我が集って宇宙がある、というわけなんである。

だから、欲望に塗れて、執着心などで、我を失ってはいけないわけなんである。少なくとも、我を知ることが、人生の目的である。我は我でしか理解できないからである。何者かに洗脳されてはいけないわけである。

さて、上に紹介したように、スマホを捨て、「生産性」を上げる、という表現はあまりよくないが、最近、巷ではマインドフルネスという言葉が目に付くようになってきた。

マインドフルネス - Wikipedia

マインドフルネスとは、端的にいえば、内観のことである。自分の人生を見つめることで、自分という存在を明らかにする。それは現世の自分だけでなく、前世の自分、何回もこの世に転生してきた、自分の歴史を、現世から探求することである。古代ギリシア哲学では、「汝自身を知れ」と表現された。自分を通じて、人間を探求せよ、というわけなんである。

自我のなかに、前世と現世をバランスするカルマの法則があり、今度は、現世の行為から、来世の自分をつくる、現世と来世をバランスする、バランスにより、バランスをつくる、バランスの存在が、神なのである。だから、我は我ある我なる存在が、モーセに語った、エヘイエ、アシェル、エヘイエとなるわけなんである。

メッセージ 共に苦しむ神~モーセの召命|藤沢バプテスト教会 (fujisawa-baptist.church)

仏教的にいえば、天上天下唯我独尊は、善因善果となるべく働く法である、ということになるかもしれない。我は我ある我なる存在だ、というわけで、いまの我は、過去の我があってのもので、そして未来の我となるものでもある、という、時間を超えて、我という存在を、バランスする存在という意味なのである。

だから悪いことをすれば、地獄に堕ちるし、良いことをすれば、天国に行けるわけで、何をするかは、いまの自分の行為により、自己責任なんである。だから、いまの自分だけでなく、過去の自分、前世をも考えた自分で、判断し、いま行うべきなのである。マインドフルネスは自分を考えるために不可欠なのである。



我々は皆、霊能者であり、自分で思っているよりも、遥かに素晴らしい直観力をもっている。他から得た情報を、あなた自身の直観力で、注意深く観察し、吟味し、評価してください。もし、それが正しくないと感じ、自分に相応しくないと感じたなら、恐らくその情報は間違いで、あなたの霊能力を奪うものです。

他から受け取る情報には、伝達者の想いで加工され、バイアスがかかっている。だから、情報は、伝達者により故意に歪められている可能性があり、その作為の影響は伝達者の個人的問題に関わる。何の作為もない歪みのない情報はなく、伝達者の気分、欲望などで、情報は歪んでしまう。

インチキな伝達者は、高額の料金を要求し、自分の忠告に、あなたを従わせようとする。また、そのような伝達者は、自分は特別な能力をもつ者とみせかけ、あなたを洗脳し、自分に従わせようとする。このようなやり方に気づいたら、即座に逃げ出すべきである。

(南米では、優れた伝道者は、他の職業で生計をたてて、貧困者に、伝達を奉仕で行っているという。つまり、優れた伝道者は、完全なボランティアで、慈善活動なのである。金銭を要求した時点でニセモノなのである。広告活動も広義にはニセモノである。)

真の成長は、内面の精神的プロセスなのである。他の優秀な伝道師などは、あなたの内面の学びを刺激できますが、自分で十分な瞑想を行えば、他の伝道師を必要とせずに、自分が霊能者として独立し、やっていけるようになる。しかし、最初は、解釈に歪みのほとんどない優秀な伝道師に、内面の学び方を確認する必要がある。

霊能力は、必ずしも、精神的進化と連動しているわけではなく、非常に高い霊能力者でも、利己的な、見下げ果てた行動をする者(黒魔術師)もいる。だから、高い霊能力に騙されてはいけないわけで、それだけで高い地位に祀り上げてはいけない(日本にはこの手の類が多い)。そのようなことをすると、その者に利用され、犠牲者となるだろう。

ほとんどの霊能者は、その霊能ゆえに、現代社会には不適合で、特別な訓練を受けたわけではないので、霊能力者というだけで、自分の人生を期待して、相談したり、委ねてしまうのはやめるべきである。カウンセルという職業は、現代社会に適合するためにあり、あなたの望みを叶えるためにあるのではない。奇跡に期待したり、あなたが抱える問題を、一気に解決してもらおうと期待したり、奇跡的な治療を期待してはいけない。


悪魔に魂を売り渡しては元も子もないので、自分で自分の霊魂の成長を見究めるために、シュタイナーの「職業のカルマと未来」から抜粋して紹介する。

               ★        ★        ★

 輪廻転生

人間の潜在意識、霊魂の奥底に、破綻した人生プランを、見つけたなら、それが、繰り返される地上生(輪廻転生)において、どのような意味をもつのか、探求すべきである。そうすれば、その人の生活のある面が、潜在意識のなかにも存在し、活動し、その人が人生プランを実行するのを、宿命的に妨げているのが、わかるかもしれない。

そして、まだ潜在意識の、霊魂の奥底にある、破綻した人生プランは、その人を病気にする決定だけではないのが、わかるかもしれない。この人生プランは、人生が終わったときに、死の扉をくぐり、死から再誕の間の、あの世で生きる力となり、次の転生の、地上生で大事な役割を演じるように定められる。

そのように、破綻した人生プランが、潜在意識の、霊魂の奥底に保存されることで、死後に、再生力を得て、よみがえり、死と再誕の間のあの世で、本来の均衡力から、正しい修正力が獲得できる。そうして、今回の地上生では、霊魂の奥底のいとなみの、妨害の反作用の特性から、受け取れなかった能力(治癒力)を、次の転生の、地上生において、再生力(修正力)として受けとれるようになる。

低俗な表現だが、「潜在意識のなかの、動物的本能」は確かに存在する。しかし、私(シュタイナー)が、人間の頭と、他の人体部位との関係について、述べた事実を思い出してほしい。頭以外の人体部位は、人間の地上生、多くの点で現在の受肉に関係する。それに対して、頭は、かつての地球進化の成果であり、なによりも、人間の前世と関係する。

この事実を深く考察すれば、人間がカルマの法則全体において演じる役割に従って、人間の頭部の、神経系から発する、前世を基にした役割とは、全く異なった、現在の成熟段階にある、多様な役割が演じられるように働くのが、把握できるようになるだろう。

精神分析で、無意識のなかの動物的本能だけを分析するのは、全くの的外れで、そのような分析は、まだ穀物が生えていない土地をみて、どんな穀物が生えるのか知りたい、と考えるのと同じである。そのような人は、土を分析し、土を掘り、肥やしを撒いて、堆肥をよく知っているので、堆肥から穀物が生長する、と唱えるだろう。

肥やしを撒いても、穀物が堆肥から生長しないのと同じで、この動物的本能の、奥底に埋まっている、魂の核が問題なのである。この動物的本能のなかに埋まっている、魂の核が、死の扉をくぐりぬけて、次の転生の地上生に働きかける。だから、動物的本能を調べても何もみつからないわけで、このなかに埋まっている魂の核が、つまり霊の、自我が重要なのである。

いわゆる精神分析は、現代の先入観から、何が人生に宿命的に作用するのか、を地上生に沿って、研究する。そして、心のなかにだけ意識やその経験を求めるだけでは満足しない現代の科学は、表層の(覚醒)意識下から押し寄せてくる、動物の本能の領域を扱うようになり、思考が入り乱れるところを調べる。

しかし、霊界や、人智学を理解できないので、ただ一回だけの地上生から、あれこれと不器用に、人生をこねくりまわし、引っ掻き回して、人生の出来事を、宇宙の天体の運動から起こる、首尾一貫した、正しい解釈には到達できずに、誤った位置に置き換えて、間違った解釈に誘導してしまう。

私(シュタイナー)が示唆したように、カルマの法則が紡ぐ糸を辿っていけるときにだけ、人生の出来事を正しい位置から解釈できるだろう。現代の精神分析が、人間性を掻き回すほど、人間は不健康になっていくのがわかるだろう。

(前世療法に到達できない精神分析は何の意味もない、のがわかるだろう。)

人間の霊魂のいとなみのなかの、起きてから、眠るときまでの、覚醒意識での生活は、いくつもの受肉を通して働くカルマの流れを、ほとんどあまり示さない。覚醒意識での体験は、ほとんどが現在の受肉に関するものである。人間は、現在の受肉に精通するために、肉体での愛を学ぶには、良い事なのである。

死の扉を通って運ばれていく、霊の魂の核、自我の萌芽は、現在の受肉による、(愛の)体験、経験、努力からつくられる。それは、眠ってから起きるまでの、睡眠中の生活のなかで、大きな役割を演じ、睡眠中の、夢として何度も表現される。夢を正しく解釈するには、霊的な法則、つまり鏡像関係の理解が必要となる。

夢は追憶で、確かに像(イメージ)の一種だが、夢は、そのままの像では表現されずに、よく反対の像や反作用として表現される。そのような夢の特性を示すために、次回に文学から例証したい。





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Last updated  2024年10月08日 16時24分40秒
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