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先週の木曜日、やっとYahoo!BBが復活しました。これでバンバン、ネット生活できるぞぉ~と喜んだものの、2ヶ月間、かなりの早寝早起き生活だったもので仕事から帰って夕飯を食べ終わると猛烈に眠くなりなかなかPCに向かうことができないでおりました。今日はなんとか睡魔に打ち勝っていますさて、あの3.11の翌日の話。娘の通う中学校の生徒の生存を伝えるラジオを聞いた後も車の中でうつらうつら明るくなるのを待っていました。もともとあまり入っていなかったガソリンはラジオを聞くためにエンジンをかけたことでもうほんのわずか、家に帰り着くのがやっとくらいしか残っていませんでした。なので、無駄には動けない。とりあえず避難所に戻って道路状況を確認しようと思いました。避難所に戻ると、娘の同級生のお父さんの姿。今しがた大きく迂回してやってきたのだという。地区の様子を聞くと、かなりの被害があったが子どもたちはみんな無事だということ。すこしほっとしていると夫がやってきました。地震後、家に電話をし、家族がみんな無事でいることを確認したのだと。夫は仕事の関係でしばらく家に帰れないかもしれないということでした。夫が仕事に戻っていってしまってからこのままもう少し避難所にいようかどうか迷いましたが迂回すれば帰れるということだったし、あまりのぎゅーぎゅーづめと寒さに耐えられなくなっていたので迂回して帰ることにしました。途中の道は信号は暗いまま、峠道には岩が転がっていたり亀裂が入っていたり。海から近い場所には鉄の柵がぐんにゃり曲がっていたり建物が壊れていたりしていましたがまだ警報が出ていてまたいつ津波が来るが分からない状態だったのでゆっくり眺めている間もなく、急いで家に戻りました。家に着くと中には誰もいなく、棚に置いてあったものが落ちて散乱していましたがガラスや陶器などは壊れてはいませんでした。しかし、壁には亀裂、水槽の水はたくさんこぼれていました。すでにこのとき、ミドリフグのゴロマサは動かなくなっていました・・・金魚たちのことも気になりましたがとにかく家族に会わないうちは安心できないのでたぶん避難しているだろう中学校の体育館にいこうと毛布などの必要なものを見繕っているところに軽トラで娘とじいちゃんがやってきました。感動の再開!・・・と思いきや、娘はあんがいサバサバ。ゲーム機を持っていかないと避難所で暇なんだと。娘は地震当日、卒業式準備で登校したけど午前中で終わり、帰宅した後は昼ご飯も食べないで地震が来た午後2時46分まで自分の部屋で昼寝していたらしい。強い地震で驚いて起きたものの、うまく頭が回らず、布団を被って揺れが収まるのを待っていたらばあちゃんに「早ぐ外さ出ろっ!」と促されうちより高いところにある近所の家の庭まで駆け上がったとのこと。その庭から津波が町を飲み込んでいく様子を見ていたんだそうだ。白い煙が立って火事かな?と思ったらそれが津波だったって。あり得ない場所に漁船や石油タンクがあり、津波の恐ろしさを感じつつ、娘と一緒に避難所となった中学校の体育館に車で向かいました。避難所にはたくさんの人がいましたが、職場近くの小学校よりは一人当たりの場所が広く確保できていました。暖房や水、トイレなども用意され、発電機で照明も点けられているということでした。お昼頃に避難所につき、ひたすらぼんやり、あたりの人が話している津波の様子やまだ見つからない人の話、死んでしまった人の話、つぶれてしまった家のことなどをぼぉ~っと聞いていました。娘はひたすらゲーム。大小取り混ぜた余震が頻発する中、この日の夜は体育館の床に毛布を敷いて7時くらいには眠りつきました。避難生活はまだ始まったばかりでした・・・以上が3.11およびその翌日に私が体験したことです。14日には家に戻り、ライフラインがストップしたままの自宅避難生活がしばらく続きました。ラジオからしか情報が入らず、しかも電池も限りがあるため、ときどきしかつけられなかった日々。情報化社会なんてモロいもんです。携帯やPCなんてなんの役にも立たなかったもんね。
2011.05.24
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今日であの大地震から2ヶ月。あの日のことをPCでインターネットができるようになったら載せようと思っていたのに、いまだ家ではADSL、繋がりません・・・ヤフーBBの問題なのか?どうしたもんだかなぁ~なので、ちょっと職場の回線を拝借して。3.11。大きな地震でお店の中の商品が床に散乱、もぐりこんだテーブルの上に天井の防炎ガラスが落下して非常に怖い思いをしたにもかかわらず、津波が来るかも、高台にすぐ避難しなくては、という考えが浮かばないでいました。ショッピングセンター内の外のお店の人が「建物が崩れるかもしれないから外に避難したほうがいいよ」と言ってくれたので、やっと外に出たくらい。すぐ裏の公園で余震に怯えながらいると夫からメール。「大丈夫か?」「無事だよ、外に出てた」と返事。その後、海外研修中だった長男から電話、夫と自分の無事を伝えました。市の防災無線では大津波警報、高台に避難を呼び掛けていました。家に帰るには海の傍を通らなくてはならず、警報が解除されるまでは帰れないだろうなぁ~ずっとここにいるわけにもいかないし、どこに避難しよう。。。高い所…市役所に行こう!とやっと動き出したころには津波の第1波、到達していました。結局、公園では30分くらい過ごしていました。運よく渋滞に巻き込まれることなく高台に避難できたこと、職場が海から少し離れたところにあったことで津波には巻き込まれず助かりましたがその日は大津波警報が続き、家に帰る事が出来ず、避難所となった小学校にいることに。私と同じように職場で地震にあった人たちが大勢避難してきて足を伸ばしている隙もなく、夕食は備蓄のおにぎり1個、毛布は2~3人で1枚くらい。石油ストーブはあったけれど寒くて寒くてとても眠ることなどできないだろうなぁ~とぼんやりしていると、通りがかりのおじさんたちが「○○中学校の生徒、23人が行方不明だってよぉ~」と話をしているのが耳に入る。娘の中学校!?詳しいことを聞きたくて問いただしたけれどおじさんたちもラジオでちらっと聞いただけで詳細は分からないと。このとき夜8時すぎだったかと思います。娘のことがとにかく心配でラジオで情報を得ようと市役所の駐車場に停めていた車に戻りました。途中、星空を眺めながら娘の名前をつぶやくと涙がこぼれました・・・車のエンジンをかけ、ラジオをつけたもののガソリンの残量もわずかだったのでずっとかけっぱなしというわけにもいかず、切ったりつけたりを繰り返し、やっと中学生の無事が確認されたというラジオの声を聴けたのは夜中の3時過ぎでした。ニュースは長野県での地震や福島での原発のことも伝えており、日本はどうなっちゃうんだろ・・・と思いながら朝まで過ごしました。(・・・つづく)
2011.05.11
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仕事、連休を取ることができたので、昨日から山形の実家に帰ってきています。帰る途中の国道は段差や亀裂があり、内陸部も大きな揺れがあったのだと今回の地震の規模を改めて実感。実家の金魚 posted by (C)ekkokkon実家の金魚たちも無事でした。水槽のガムテープが気になるところですが、去年の夏に帰ったときもすでにあったので今回の震災でヒビが入ったわけではないようです。今日は城跡公園に桜を見に行ってきました。今年の桜は冬に大雪が続いた影響なのか、開花が遅れていて見頃はこれからとのこと。境内に残雪 桜はこれからが見頃 posted by (C)ekkokkoniPod touchで更新しているので久々に写真が複数ある日記となりました。実家の両親や親戚に無事な姿を見せられホントよかったなぁ明日には沿岸部のウチに戻ります。
2011.05.04
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