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1952年6月、当時鎌倉にあった渡辺はま子の自宅に一通の封書が届いたことから始まる。 その封書の中には、楽譜と短い手紙が入っており、その楽譜の題名には「モンテンルパの夜」作詞代田銀太郎、作曲伊東正康と書いてあった。二人はフィリピンのマニラ郊外のモンテンルパの丘にあったニュービリビット刑務所で戦犯として死刑判決を受けていた人物であった。作詞の代田銀太郎は元フィリピン憲兵隊少尉。作曲の伊東正康は元陸軍将校。「モンテンルパの歌」は、刑務所で収容されていた日本人111名の望郷の念を込めた曲なのであった。 封書を受け取った渡辺は、早速歌をビクターレコードに持ち込み、ほとんど修正無しで吹き込まれた。題名には色を付けられ『ああモンテンルパの夜は更けて』と名付けられた。
『ああモンテンルパの夜は更けて』が大ヒットしていた1952年12月25日、渡辺がニュービリビット刑務所を訪れた。吹き込み以来刑務所慰問の決意を固めてた渡辺は、国交が無いフィリピン政府に対して、戦犯慰問の渡航を嘆願し続けて半年後の事だった。 渡辺来訪を、作詞の代田銀太郎と作曲の伊東正康は開演前に対面し、歌を作ってもらった事に対し礼を述べた。 慰問のステージは、ドレス姿の渡辺が「蘇州夜曲」などの往年のヒット曲を歌い、ステージ終盤に『ああモンテンルパの夜は更けて』は披露された。この曲を聞いた100人近くの収容者は、死刑判決を受け刑が執行された戦犯たちの事を想い、またある人は望郷の想いを胸にし、皆感極まって涙し、最後には全員で大合唱となった。作詞者の代田も、作曲者の伊東も涙を流していた。
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偶然に フジTVで ドキュメントドラマが放映された。
理不尽な中身に どんどん吸い込まれて 見入ってしまったのです。戦争物は苦手な私が・・・・・・・・・・です。
フィリピンは激戦地だったことは 知ってましたがこんな悲劇もあったのです・しかも 国に送られて行って 国に見捨てられた命です。
これが 戦争なのですね・ 戦争反対の言葉は軽く言ってはいけないとつくづく思いました。
刑務所で毎日毎日 名前を呼ばれるかもしれない恐怖 自分が入るかもしれない墓を掘る恐怖 想像を絶すものがあります。
私がこのドラマの中でどうしても 理解できない人がいたのです。
昭和20年秋 終戦で本国帰り 家族とともに 4年間生活したのに ある日突然 春に 憲兵によって 捕まりフィリピンに送られ 処刑された人です。その後生まれた 「守君」 これからも元気で・・
なんで こんなことが起きるんだろう??と 不思議で不思議で 涙が止まりませんでした。
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その後、この歌のヒットや渡辺はま子をはじめ関係者の努力が、当時のフィリピン当局を動かし、1953年(昭和28年)エルピディオ・キリノ大統領の特赦によって戦犯の帰国がはかられた。
オルゴールの曲で心動かされた大統領の配慮でした。
たった一人尽力した外交官 今でもこのような志を持つ外交官官僚が居て欲しいと願う! 国からの給料を止められながらも一緒に刑務所で生活をして励まし続けた僧侶 歌で励まし救い出した歌手・・・・
もし 渡辺はまこさんが 居なかったら この108人の方々は・・・
現在も 15名の方が存命し 仲間の慰霊には 「モンテンルパ」を歌いながら 交流を続けている映像見て ホットしました。
90歳を超えれた方もいますが 皆さんいつまでも お元気で・・・
私が生まれた年の同じ月に帰国されたので 心に残った思いを 綴ってみました。