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ドキッとする話題ですね・・・ 2004年キャンプ中、また肩を痛めてしまった球児くん。 何度目いや一桁ではきかないだろう・・・ シーズン6年目の春。 致命的な故障だった。 入団して6年で1軍半。 いつ引退勧告がきてもおかしくない年だ。 ドラフト1位。 素質十分と言われながら・・・6年が過ぎた。 2軍選手には、キャンプはアピールの場所。 元々、肩の強いほうではなかった球児くん。 調整+アピールでの投げすぎ=故障は、2004年だけではなかった。毎年恒例といってもよかった。 そんな危機を救ってくれたのは、フォーム改造のアドバイスをくれた山口2軍投手コーチ。 そして、短いイニングなら、適正があると見抜いてくれた岡田現監督。 そして、体幹を鍛えるトレーニングと走り込みに明け暮れた日々。 新フォームに取り組む日々。 家族の支えもあった。 夏にはめどがつく。 新フォーム完成。 敗戦処理ながら結果を残し、2005年の快進撃へ・・・ 一度は引退を考えた。 今、野球をできる喜び。それに故障しないケア。 6年の経験と怪我は無駄ではなかったと思える。
2007年08月27日
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フライングですいません。正規ルートでこのネタ仕入れました。(通勤帰りの駅の本屋は前日の夜、店頭に並ぶので・・・)週間ベースボールマガジン隔週の球児くんのコラムに、大人へのサインをしないという記事が載っていた。オークションなどへの出品が原因だと言っていた。球児くんの考えは、子供のファンには夢を与えるため、サインするけど、大人のファンへのファンには、プレーで魅せることだと思ってるそうです。転売目的の人がいる以上、サインは難しいらしいです。それと1人の選手だけではなく複数のサインが入ったユニへのサインも抵抗あるそうです。個人それぞれ考えはあるので、球児くんの考えを尊重してあげたいと思います。最後に、球児くんからのメッセージ。もし、サインをもらえなかったからといってファンじゃなくなる人がいたら、その理由を教えてください。僕は子供のときからサインを欲しいと思ったことがないので、その気持ちが理解できないのです。球児くん同様、きつい言い方かもしれないけど、そんな理由で球児ファンやめるなら、どうぞ!やっぱ、球児くんのプレーが見れたら幸せです。ピンチの時ほど「抑えてくれ!」祈ってます。それが本当のファンだと思う。
2007年08月21日
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今は当たり前のように投げているストレート。 2005年4月21日の巨人戦。場所は東京ドーム。 8点リードの7回2死満塁で登板した球児君は、当時500号本塁打に王手をかけていた清原をフルカウントからフォークボールで空振り三振に仕留めた。 その試合後に清原が漏らしたのが、「ケツの穴が小さいなあ。チ〇ポコついとんのかいな」という言葉。 その後、6月25日の試合(阪神甲子園球場)で再び清原と対戦した球児君は、すべてストレート勝負で三振を奪った。 この発言で球児はストレートに磨きをかけた。 ストレートがくるとわかっていて打てない。 ストレートという魔球が完成したのだと思う。 清原発言がなかったら・・・ 今のような防御率は無理だと思う。 JFKで人気が出て、清原発言で人気が出て・・・ 球団の枠を超えて、球児ファンが一気に増えた。 本来、ストレート勝負とは、 打者のきれい事だという説もある。 ストレートとわかっていれば振ればあたると・・・ でも、わかっていても当たらない球児くんのストレート。 検証番組では、人並みはずれたホップ力があるらしい。 並みの投手より30cmもホップするらしい。 引退するまでは無理としてもJFKである間は、あのストレートのままでいてほしい。
2007年08月19日
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今回はJFK 2005年以来、順番・役目を変えながら進化し続ける3人。 Jことジェフ・ウイリアムス。 2003年以来、リリーフとして活躍。 セットアッパー、守護神、FとKとの橋渡し いろんな役割を担ってくれている。 Fこと藤川球児。 入団以来、先発一本。 故障に泣かされ引退がちらつきはじめた2004年に転機が訪れ中継ぎ転向。 Kこと久保田智之。 先発もでき、中継ぎもでき、守護神も経験。 オールマイティーだが、たまに久保田劇場開演するのがたまにキズ(笑) この3人が試合後半にそろって出だしたのは2005年の春。 いつしかJFKと命名され、タイガースにはなくてはならない存在。 1人でもかければ代わりはいない。 残りの2人で助け会いながら最長3回を乗り切る。 (2005年から昨日まで) ジェフ 7勝7敗3S 165試合 173回 自責点29点 防御率1.51 久保田 13勝14敗46S 177試合 206回 自責点58点 防御率2.53 藤川 15勝3敗48S 189試合 228回 自責点25点 防御率0.99 JFK 607回 自責点112点 防御率1.66 今年に限っては・・・ 180回2/3 自責点23点 防御率1.15 これから先、 JFKを超えるトリオは出てこないかもしれない。 贅沢をいえば・・・ 6回を任せれる投手が出てきてほしい。 JFKにつなぐまでに落とした試合もいっぱいある。 そういう試合をモノにするためにもあと1人でいい。 2005年春にJFKが確立したからこそ今がある。 昨日、江川卓が、阪神にはJFKがいるから巨人は2/3(6回までしか)の力しか出せないと言っていた。 あと3年はJFKを結成してほしい。
2007年08月13日
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ちょうど1年前 横浜スタジアム。 くしくも今日、同じ場所で同じ相手。 いつも温厚な矢野さんが退場したあの試合。 早いもんで1年。 いまだになくならない永遠になくならないであろう誤審。 そろそろ本気でビデオ判定かレベル向上を考えたほうがいいかも。 あるスポーツでは、テクニカルタイム1回とビデオ判定の権利を交換してくれるとか。 もし誤審であればテクニカルタイムの復権らしい。 抗議に時間さくならビデオ見て5分で済ましたほうがいろんな意味でいいと思うのに・・・ 審判の権限主張するなら責任もてよ(笑) いつだったか、審判部のコメントが、誤審認めたものの、それも野球の一部っていうてたけどそんなんありえへんから! 選手もファンも真剣なんやぞ!と声を大にしていいたい。
2007年08月10日
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2003年4月11日。 もしかしたらこの日に藤川球児はブレイクしていたかもしれない。 この日、あと1球コールが起こる中、「ピッチャー藤川」がコールされた。 7-1。楽勝のはずの展開で悪夢は起こった。 肩の準備をするには十分時間があった。 しかし・・・心の準備ができていなかった・・・ 名将星野が、一瞬にして、迷将星野に変わった瞬間だった。 タイムリーをうたれ、後藤に3ランをうたれ・・・同点にされた。 2ストライクから、交代はないと思っていたところに登板というのはかわいそすぎた。 星野監督は、藤川を今後、抑えに使う予定だった。 だからこその決断だった。吉野に不安があったから、あと1球で交代させたのだから。。。 でも、この試合が、のちのキーポイントとされたのだから酷な話だ・・・ 一部で、この3ランが、本塁打厳禁の原点をされているが、このホームランではない。 いろんな意味で2003年の優勝の分岐点だったかもしれないが、球児くんにとっても分岐点だったかもしれない。 あの時点で抑えになっていたら、並みの選手で終わっていたかもしれない。 山口コーチの助言もなければ、伝説のストレートも存在していないかもしれない。悪いフォームのままなのだから・・・ 抑えていたら・・・打たれたから・・・ではなく、まだ未完成の球児くんのままでは今の球児くんはいない。
2007年08月07日
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球児くんが、覚醒した(生まれ変わった)のはいつだろう。 みんなは2005年だと思ってるはずだ。 実は、そのもっと前に覚醒していた。 2004年、毎年のように肩を壊し、シーズン目前で、またしても2軍行きになった球児くん。 そのとき、声をかけたのが当時の2軍コーチの山口さんという話は有名な話。 そして、フォーム改造に取り組み、去年までの2段モーションになった。 球児くんが覚醒したのは、 くしくも中日に印籠をわたされた7月28日の延長戦の時だったとある記事では言われている。 延長で勝ち越されたあとの11回0アウト1、3塁から登板し、 柳沢・代打谷繁・荒木をすべて三振したときが、生まれ変わった藤川球児だとある記者は言っている。 そのシーズン、覚醒の日の前日に1軍に復帰し、26試合投げ、失点したのはわずか5試合。2勝0敗0S、防御率2.61と結果を残し、初めて2005年のキャンプは自分自身のためだけに調整できた。 故障の原因は、アピールのための投げ込みだとされている。 一応の結果を残したことで、自己調整できたのは大きいと思う。
2007年08月04日
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試合のない日の恒例にしていきたいと思います(^^)v 今回は・・・ ストライキ。 今思えば、1リーグ制にするとか10球団にするとか騒がれたけど。。。近鉄をどこかが買えば丸く済んだのに・・・弱いからか?ダイエーみたいに強かったら買うとこあったのかな?でも、ライブドア買ういうてたのに・・・いろいろ思いましたね。 2004年9月18日・19日。 この日は、友達に頼んで定価あたりでオークション落としてもらって2日共行く予定だった。 ストライキと聞いたときは、行く日だけは避けてくれ~と思った。やっぱ買った試合は見たいよね・・・汗 移動日や予備日や雨で試合ないとわかっていたら諦めつくけど、ある意味、もめごとにファンを巻き込まないで・・・って思った。 けど! すぽると(記憶が定かなら・・・)で、古田選手会長(当時)の悔し涙見たら、ストライキが転機になってくれればと思えた。 ストライキがあったから12球団維持できた気がします。 球団数には賛否両論あると思いますけど、2リーグ12球団が俺は好きです。 いざとなったら2球団好きになれるし。交流戦は目つぶれば(笑) もう2度とストライキはしてほしくないし、試合があるのが当たり前の日々であってほしい。そう願います。 過去に球児くんが、日々、精一杯のプレーをしますっていいました。 年に1回しかこないお客さん、毎試合来てくれるお客さん。すべての人に全力プレーを提供したいと。 選手には全力プレーで。ファンは熱い声援を!
2007年08月03日
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去年の快進撃は、球児くんの涙から始まりましたね。 「選手も悔しい思いをしてるんで・・・(号泣)」 あきらめていたファン(俺も含めて)が、もう一度、夢(優勝)に向かって、気持ちを1つにしたような気がします。 あれから約1年。 そして、今年は・・・ 前半戦最後のお立ち台は、アニキと球児くんでした。 涙こそ流しませんでしたけど、 「このままいけば、たぶん大丈夫です!」 と今年は、心強い言葉を言ってくれました。
2007年08月02日
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