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2010年05月31日
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カテゴリ: 政治・経済の頁
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話を少し戻す。

私の卒業した中学校は(※画像参照)三方を自衛隊に囲まれた沖縄の「普天間第二小学校」に近い立地にある。今もそうだ。米軍の海兵隊と「陸上自衛隊」の違いは大きいが、回転翼の機体は頻繁に離着陸し進軍・就寝ラッパの音をしばしば聞いた。

小学生の時は「蝉取り」の序に「兵隊さ~ん玉ちょうだ~い」とフェンス越しに大声を張り上げると、三度に一度は「カラ薬莢?」をくれた。学校のフェンス近くで実弾訓練する訳もなく、はにかみながら「僕、内緒やゾ」といつも同じことを言う「自衛官」は子供にあげるためにいつも二,三発持っていたのかもしれない。

今は無いが日産車体の大きな工場があった。(※画像参照)「日本国際航空工業」が前身で戦時、航空関連の軍需会社だった。三菱重工や中島飛行機のような「戦闘機」を製造して無かったようだがここでは詳細は省く。

その軍需工場での仕事を求めて、朝鮮半島や済州島から沢山の人々がやってきて戦後そのままそこに住んだ。強制連行の有無は私は知らない。

「ウトロ」と呼ばれるその集落は中学校と自衛隊に沿うようにある。今はずいぶん世帯数が減ったが面積は変わらない。

余談だが京都市伏見区深草に「キトロ町」がある「ウトロ」より規模が大きい在日部落だと事情通の同級生だが年齢は一つ上のI君に聞いた。

小、中学校には自衛官の子弟、在日の同級生が沢山いた。チョゴリを着て朝鮮学校へ行く子もいた。私の学生の頃までは「朝鮮語」で会話する年配の方の声がよく聞こえた。1950年代から1984年にかけて行われた帰国事業で、北朝鮮へ帰ったウトロの人の話を母は聞いたことがないと言うので恐らく大韓民国籍の方が多いのだろう。

一度母が通りで挨拶したら「田舎へ1週間ほど帰る」と聞き「韓国へ?」と質問したら「あっちに家なんかあるかいな!大阪の鶴橋、つ・る・は・し、近鉄ですぐや!」親戚がたくさんいるらしい。







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最終更新日  2010年05月31日 11時14分36秒 コメントを書く
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