諺に「弘法も筆の誤り」や「猿も木から落ちる」というのがある。
ご存知のように弘法大師は平安初期の名筆家として、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆に譬えられているほどの達筆家であったと言われている。
どのような意味かというと、それほどの名人でさえも、時には書き損なうことがあるとう例である。
一方、猿の方も、その道の名人・達人でも失敗することがあるとういう例で、どちらも同じ意味合いで使われることが多いようである。
少しマイナーになるが、同工異曲としては、人を例に挙げたものだと、「釈迦にも経の読み違い」というのがあり、動物だと「河童の川流れ」というのもある。
何が言いたいのかというと、このように日本の諺には、古くからの人生の知恵を表現した言葉の技や、処世のための短い有効な教訓などを含んでいる様々な言葉が残されており、相手に話題を提供するうえで、会話を面白くしたり、場を和ませたり、苦境の相手に心の癒しや励ましを与えることができるということを言いたいのである。
反面、使い方によっては「場を白けさせて」しまったり、相手に「ダメージを与えて」しまったりするほどの強力な武器ともなってしまうので、言葉を口に出すときは慎重に要注意で望みたいものである。
という訳で、タイトルにもあるように諺を故事付けの屁理屈でアレンジしてみると、意外とピッタリくる感じのものがあり、理にかなっているような錯覚に陥ってしまうことがある。
然るに「弘法が木から落ち」ても、「猿が筆を誤って」もチットモ可笑しくはないと小生は思っている。
なぜならば、人間はもともと類人猿の時代から木登りが得意な動物でもあるし、猿の方はというと、「日光猿軍団」ではないが、調教次第では筆使いが上達することだって可能なのである。
下手をすると、その辺の連中よりは数倍も達筆になれるかもしれないではないか。
まっ! ウィットの一つや二つあってもいいものである。
コミュニケーションの最中、話題の提供に事欠いたり、言葉に詰まったりというときには、諺のアレンジメントに挑戦してみるのも面白いかも知れないと思っているこの頃である。
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