小豆島巡行
今は大学校で必修になっているらしいが僕らの時代は任意だった、大学からカッターボートを2杯借りて12名づつ2チームに分かれて広島県の呉市から瀬戸内海を東に小豆島まで行くのだ、
その期間2週間、貴重な夏休みを使って冒険好きが集まる。船長は N 島(後の長官)機関長は私だ。
N 島で大丈夫か?僕が持った率直な感想だった。というのも同じ剣道部でランニングではいつも遅れる、ひっかえして「 N 島大丈夫か?」と聞くとゲロを吐く合間に「中林、息の吸い方がわからん」というのだ?
「そんなの自然に任せとけばいいんだよ」「そうか?」これが毎回続く。
授業が終われば大抵の学生は外に遊びに行くのに彼は寮から出ずひたすらお金をため込む( N 島金融と呼ばれていたらしい)顔は、はにわをプシャとつぶしたような顔、だから女性にはもてない。彼の話はまた後程書くとして彼が工程を組み僕が補佐するそんな感じで呉を出発した。
順調にいけばオールで漕ぐこともなく快適な巡行ができるはずだったのだがとんだことになってしまった!
瀬戸内海は潮の干満が激しい、したがって潮の流れが激しく通常で2ノットどうかすると6ノットなんてところもある、これにぶつかると漕げども漕げども一向に前に進まずひどいときは後ろに追い返される。
そんなこんなで体力を消耗して成果が上がらない。
こんなこともあった、真正面から風を受けていてもヨットは前に進むことができる、タッキングだ。
ジグザグに進んでいくのだ。しかしカッターボートというやつは救難用にできているのでセンターボード(船底のボード)がない、これがあるとタッキングの際うまく切れ上がってくれるのだが玉野の海岸で恥ずかしい思いをした。
海水浴に来ていた可愛いおねいさん方に船体に海上保安大学校と大きく書かれた海の男たちはよく持てた。
だが、海岸のみんなに別れを告げタッキングで進んだつもりが風で戻されまた同じ位置に戻ってきてしまったのだ。「あれ?戻ってきたの?」「もうちょっとここに居たくなったのさ」
僕たちは潮に逆らうのをやめ逆流の時は島影で休み順流の時それが夜中の何時であろうと起き上がってオールで距離を稼ぐことにしたのだ。
だが、これがあだとなり3回死にかけた。
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