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リンロン88

リンロン88

2006.10.06
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カテゴリ: スピリチュアル

昨日に続き第2弾。

今日は、この本を読んでいたくなったので久しぶりに「出社」せず。

午前中には、レントの一軒から、

「スイッチを切ってもバスルームの電気が切れない!?」

というあまり聞いたことがないクレームを受け、それを直してきた。

あることをやったらちゃんと切れるようになってテナントさんも喜んでいたが、自分としてはその「あること」をやったために何故直ったのか、という根本原因がわからないまま、「ま、いっか!」と帰宅した。

そして帰宅して昼食をとってから不動産ライセンスの今日の分を終了し、その後早速本を読んでいました。


この本は、特にはキリスト教を対象に書かれていて、単純に言うと、いくつかの典型的なキリスト教批判というものに対して、クリスチャン側がそれらにどう応えるか、あるいはどう捉えているか、ということをその分野で最も権威があると思われる人を選んでインタビュー形式で迫っている。




1)悪や苦難がこの世の中に存在する以上、「愛の神」は存在し得ない

2)神の奇跡は科学の法則に反する。よって「奇跡」は真実足り得ない

3)生命の神秘は進化論が解明した。 よって「神」は必要ない

4)罪の無い子供を見殺しにするような神は崇拝するに値しない

5)イエスだけが神への救いの道 と説くキリスト教は傲慢極まりない

6)「愛の神」は、人間を地獄で永遠に苦しめたりはしないはずだ

7)愛を説くはずのキリスト教史が、抑圧と暴力に彩られているのはなぜか

8)自分には疑いがあるから、神を信じることはできない

といったような内容になっている。

上記「批判」は典型的と言うよりも、「よく言われる」批判の理由、という感じだ。(同じか・・?)


この中で、私自身の中では、(1)~(4)はほぼ回答を持っている。




でも、とにかく、自分ではほぼ回答を持っているつもりになっている(1)~(4)についても、この人たちはどう考えているのか、という興味があるので、順番に読んでいっている。


ということで、まずは(1)です。

この「批判」は例えば、

「もし神が『愛の神』なら、なぜこの世の中はこんな悲惨な出来事で溢れているのか」



「もし神が『全能』であるなら、なぜこの状況を放置しているのか。」

  → その答えは、神はいないから、か、神は居ても全能でないから、か、神は居て全能であるとしたら、我々を助ける意志がないから、のいずれかだ

とかいうバリエーションがあるが、基本的には同じ。


で、一挙に結論。


いろいろな考え方が書かれていたが、どちらかと言うと私が今考えている回答の方が自分自身には納得できる、という結果でした。

つまり、人が普通に考える「悪」の定義というものがはなはだ限定されたものであり、もし「神」が「全知・全能・至善」であるならば、その「神」における「悪」とは我々人間が考える「悪」とは全く異なっている可能性が高い、というもの。


書かれている内容でも、同じような意味合いのことが書かれてあった。つまり「視点」の違いに言及していたのだが、どうもそこにキリスト教ならではの「世界観」がどうしても入っているので、その部分では依然として違和感を感じる。



もう一つは、書かれていた「回答」からも、やはりまだ、「ではなぜキリスト教か?」という問いには答えが得られていない。

これは上に書いたことと共通するかもしれないが、キリスト教ならではの世界観から発した考え方が、今現在までの私の考え方よりも納得性がある、というのだったら

「うん、そうだな。」

と言えるのであろうが、今のところそういった部分があまりない。


しかし、さすがに「哲学」「神学」などなどを専門的に修めた人たちである。

その論理性、多様な事例の応用、自分自身の体験・経験への関連付けなどなど、うなるような部分がたくさんありました。


興味を失うどころか、ますます面白くなってきています。












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Last updated  2006.10.06 07:40:22
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「沈黙」にも  
原田ミカオ  さん
キリスト教徒の遠藤周作の「沈黙」にも、同じような問いが出ていたのを思い出しました。なぜ神はこの場に及んでも沈黙しているのか。この場とは踏み絵とか処刑のシーンだったような。

感動しましたが、納得はできませんでした(笑) (2006.10.06 08:18:27)

Re:「沈黙」にも(10/06)  
リンロン88  さん
原田ミカオさん
>キリスト教徒の遠藤周作の「沈黙」にも、同じような問いが出ていたのを思い出しました。なぜ神はこの場に及んでも沈黙しているのか。この場とは踏み絵とか処刑のシーンだったような。

>感動しましたが、納得はできませんでした(笑)
-----
キリスト教信者として、遠藤周作とあ三浦綾子とかいますが、今まで正直全然興味が無かったので読んだことがありません(^^;

納得性は非常に「個人的」なことだと思います。

(2006.10.06 09:03:47)

キリストはどう思っているのか?  
百papa  さん
大学時代に「宗教学」を履修していたのですが・・・全く覚えていない(笑)

「典型的なキリスト教批判」について、私も反論しようと思えばできます(長くなるのでここには書きませんが・・)
思うに、解釈と視点の違いなのでしょうね。

キリストも今のバチカンを見たらどう思うでしょうか。
「俺の名前使って勝手なことやってるんじゃないよぉ~」と思っているに違いありません。

善も悪もすべてが表裏一体。
不幸があるから幸せを感じられる。
白髪一本治せない科学なんて万能だといえるのか?

自分の人生、例え運命で決まっているにしても「神」任せにしちゃいけないですね。 (2006.10.06 09:48:19)

Re:キリストはどう思っているのか?(10/06)  
リンロン88  さん
百papaさん
>大学時代に「宗教学」を履修していたのですが・・・全く覚えていない(笑)

>「典型的なキリスト教批判」について、私も反論しようと思えばできます(長くなるのでここには書きませんが・・)
>思うに、解釈と視点の違いなのでしょうね。

>キリストも今のバチカンを見たらどう思うでしょうか。
>「俺の名前使って勝手なことやってるんじゃないよぉ~」と思っているに違いありません。

>善も悪もすべてが表裏一体。
>不幸があるから幸せを感じられる。
>白髪一本治せない科学なんて万能だといえるのか?

>自分の人生、例え運命で決まっているにしても「神」任せにしちゃいけないですね。
-----
こんにちは。

たとえば典型的な例として、(7)のキリスト教の名の下での暴力・圧制などがその「勝手にやっているんじゃないよ~」ということになるのでしょうが、この本のキリスト教擁護派からも同じ意見がでていますね。
つまり、イエスの本来の教えから乖離していると。

でも、私が問題にしたいのは、その乖離そのものが、このキリスト教に本来的に備わっている性質からくるのではないか、という疑念です。
残念ながらそれには答えてくれていませんでした。

ただ、神に頼ることと、神任せにすることはどうも違うことのようです。

いずれにしても「神から与えられた」この「自由意志」で切り開くしかないんですけれど。

あと、批判に対する回答ですが、おっしゃるように、「解釈」「視点」の違いが大きいですね。あと似たようなものに、「定義」の履き違え、というのもあります。これは「解釈」の一部かもしれませんが・・

でも、そこで対立するのですよね、多くの場合。

(2006.10.06 10:29:07)

乖離について  
百papa  さん
>でも、私が問題にしたいのは、その乖離そのものが、このキリスト教に本来的に備わっている性質からくるのではないか、という疑念です。

これはキリスト教だけではなくすべての宗教に当てはまると思います。
私が思うのは「キリストの教え」と「キリスト教」というのは実は似て非なるものということです。
キリストは愛を説いたかもしれませんが、彼は「キリスト教」は説いてない。

つまり「キリスト教」というものは彼の死後、弟子たちが彼から教わったものをまとめたものだと思いますが、そこには人間である以上、主観や思い込み、拡大解釈などが入ってきているものと思います。よって中にはキリストが言いたかったことと「キリスト経」が乖離していることも起きているのではないか?と考えます。

また私が「神頼み」ではなく「神任せ」と言う言葉を使ったのは、人間が神のことを正しく理解してその上で「頼る、すがる」というのではなく、自分に都合のよいように勝手な解釈をして、結果すべてを神のせいにして、己の責任を逃れている、という印象を受けたからです。

いずれにしても、人間というのは物事をどこかで自分に都合のいいように「定義」する癖があるのでしょう・・

この問題、深いですね。
今度私も勉強してみようと思います。

(2006.10.06 11:13:02)

Re:乖離について(10/06)  
リンロン88  さん
百papaさん
>これはキリスト教だけではなくすべての宗教に当てはまると思います。
>私が思うのは「キリストの教え」と「キリスト教」というのは実は似て非なるものということです。
>キリストは愛を説いたかもしれませんが、彼は「キリスト教」は説いてない。

>つまり「キリスト教」というものは彼の死後、弟子たちが彼から教わったものをまとめたものだと思いますが、そこには人間である以上、主観や思い込み、拡大解釈などが入ってきているものと思います。よって中にはキリストが言いたかったことと「キリスト経」が乖離していることも起きているのではないか?と考えます。

>また私が「神頼み」ではなく「神任せ」と言う言葉を使ったのは、人間が神のことを正しく理解してその上で「頼る、すがる」というのではなく、自分に都合のよいように勝手な解釈をして、結果すべてを神のせいにして、己の責任を逃れている、という印象を受けたからです。

>いずれにしても、人間というのは物事をどこかで自分に都合のいいように「定義」する癖があるのでしょう・・

>この問題、深いですね。
>今度私も勉強してみようと思います。
-----
同じようによく言われますし、私もそう思っていました。
でも、実際にクリスチャンの人と話すと常に聖書に帰ることは帰るのですが、その内容を盲目的に信じる、ということでもないようです。

だからこそ違った考え方をする人がそれこそ人の数だけ表れるんでしょうけれど。

キリスト教にかぎらず、そういった「考え」を誰かが「異端」とするところから、上記「乖離」は生じると思うのです。

人間はどんなレベルにしろ、物事を「定義」しないと考えることさえ出来ませんが、問題はその「定義」を絶対として人に押し付ける時生じます。

イエスについてもそれと同じではない、と言い切れるだけの自信が私にはありません。
(2006.10.06 11:48:53)

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