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リンロン88

リンロン88

2010.04.27
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神は全てであり、だからこそ神それ自体は無である、ということが。

そして、それこそが、私たちが存在する理由でもあるのだろう、ということが。

全てであり、無である。古来、いろいろなところで言われてきたこの二分法が、実はこの世界の根本的な真実を表すキーワードでもあるかもしれない。


もちろん、神が全てであるからには、我々もその一部に他ならない。

また全てであるからには、そこには愛も憎しみもない。あるのだけれど、ない。


神と悪魔との相克。悪魔などはない。あるけれども、ない。

善と悪。そんなものはない。あるけれども、ない。





あとは、無限、というものの考え方かもしれない。

もちろん、有限に生きる人間に、「無限」を本当には理解できないかもしれない。

しかし、ここにおいても人間は「数学」という道具を手に入れている。

無限を扱う数学は、必然的に神への思考と結びつく。


神の世界、この世の真実、こういったものを考えるときに、その根底に「無限」の概念を持ち続けないと、すぐに人間的な狭い考え方に陥る。


今こう考えている私の足元をアリが列をなして歩いている。

我々にとってアリは全くレベルの異なる生物である。進化レベル、意識レベル、どんな尺度で見ようとも、ぜんぜん異なる。

そのアリが左を向こうが、右を向こうが、アリ同士が内輪喧嘩をしようが、私たちはまったく頓着しない。それどころか、全く関心の対象ですらない。ましてや、そのアリを罰しようなどとは思いつきもしない。


私たちの神との間の隔たりは、この私たちとアリとの隔たりよりも大きい。

なんとなれば、私たちとアリとの際は有限の範囲であるが、私たちと神との間は、無限よりも大きな無限なのだから。

この両者の違いの根本的なところは、アリは私たちが作ったのではないのに対し、私たちは「なにものか」が作った、という点だろう。



私の中の「神」は、私たちを作った創造主よりもまた無限に大きいのだから。

じゃあ、神ってなにか?  それは私たちの最も飛躍的な想像をすら足元にも及ばないものであろう。

だから、説明は不能、という言い方が一番正しい気がする。


もし、神=全知・全能・至高・至善の存在と定義したとすると、それは「 私たちの 創造主」とはならない。

私たちの 創造者」=神、としたならば、それは「無限」の連鎖の中のひとつに過ぎないのは論理的に明白だからだ。


やっぱり、神は無だ。










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Last updated  2010.04.27 05:49:31
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ミネルヴァ@ Re:アメリカに長く居すぎた、と思うとき(01/15) 明後日アメリカに向かいます。 参考になり…
リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
プチプチ大家@ Re:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) リンロンさん、もう楽天ブログは止められ…
リンロン88 @ Re[3]:存在そのものの「罪」(03/19) なみがしらMさん > 私が,言っているの…
なみがしらM @ Re[2]:存在そのものの「罪」(03/19) リンロン88さん >なみがしらMさん >…

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