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リンロン88

リンロン88

2011.05.30
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カテゴリ: スピリチュアル



そして、今日は教会で、「バプテストの歴史」という題で、今日の聖書勉強会が行われた。

もっとも、キリスト教会派の歴史ですから、何がどんな理由で何から分かれた、という説明なわけですが、こういうものを見ると(あるいは聞くと)いつも思うのだが、なんでそんな些細なことで分かれるのだろうか、と。

多分、当の関係者の方々にとっては、とても「些細な」ことではないのだろうが、実際に、いろいろな考えや解釈の違いで、数百もの違った会派が存在し、中には他の会派の考えや解釈を頭から否定しているところもある。

こういった時に私の頭の中には、「宇宙」の姿が浮かぶ。

宇宙・・・・数千億の銀河団があり、個々の銀河団に数千億の銀河があり、そのそれぞれの銀河に数千億の恒星が含まれ、その中には多くの惑星を持つ恒星系があり、その中のたった一つの「太陽系」の、「地球」という惑星に生まれた人間で、数十億の人口の中で、そのまた数億、あるいは数千万がある宗教を信じていて、その中が、「些細な」違いにこだわり他者を認めないで多数の会派・宗派に分裂する、というのは、なんと滑稽なことだろうか、と。

つまり、もし「神」なるものが居たとして、その神は万物を作ったもののはずだから、この宇宙全体も同じ神の手になるものだろう。
そして、その「大宇宙」の中で、ほんの、ほんのチリにも等しい惑星の中で、その「神」の意思はああだ、こうだ、と勝手に解釈して互いに相譲らない、ということがいったいどういう道理の上に成り立つんだろう。



その人たちをして、こういったことに拘泥させるのは、なんなのだろう?

いみじくも聖書の中でさえ、「神を愛し、神を愛するがごとく隣人を愛せよ」とか「おのれの敵を愛せよ」とかが、最大の戒律として述べられている事と、上記のような会派、宗派間の相違にもとづくいさかいが、どんな理屈で両立するのだろう?

大同小異、という言葉があるが、それにもかかわらず、小異を捨て大同につく、という風にならないのは、なぜなのだろう?

なんてことを考えてしまう、聖書勉強会でした。






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Last updated  2011.05.30 08:17:29
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リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
プチプチ大家@ Re:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) リンロンさん、もう楽天ブログは止められ…
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