日本国のために、子供たちの明るい未来のために

2006年02月04日
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さかのぼって説明しよう。何にせよ「間違った」ことは何もない。「間違っている」というのは相対的な言葉で、あなたが「正しい」と呼ぶことの対極を示しているだけだ。では、「正しい」とはどうゆうことか?あなたがたは、ほうんとうに客観的に判断できるだろうか?
それとも「正しい」とか「間違っている」というのは、あたながたが貼るレッテルで、あなたがたが勝手に決めているだけなのか?
 あなたは何をもとに決めているのか、教えてほしい。自分の経験か?そうではない。多くの場合、あなたがたはほかの誰かの決定を受け入れている。昔のひとや年上の人たちのほうがよく知っているだろうと考えている。日ごろ、自分自身の理解をもとに、何が「正しい」く、何が「悪い」かを決定しているひとたにはほとんどいない。
そう考えると、あなたがたが人生のある領域をコントロールする力を完全に失ってしまった理由も、人生経験のなかでぶつかる疑問も理解できる。
その領域や疑問には、魂にとってとても重要な課題がふくまれている。神の本質、真のモラルとは何か、ほんとうの現実とは何か、戦争や医療、中絶、安楽死をめぐる生と死の問題、個人の価値観やその構造、判断の実体などだ。こういう問題のほとんどを、あなたがたは放棄し、他人まかせにしている。自分で判断をくだしたくないのだ。
「誰かが決めるであろう!わたしはついていけばいい、それでいいんだ!」とあなたは叫ぶ「何が正しく、何が間違えているか、誰かが教えてくれるだろう!」

≪省略≫

さて、殺害について考えてみよう。何かを殺す正当な理由などがあるだろうか?自分で考えてごらん。偉いひとに教えてもらったり、むずかしい情報を与えられたりする必要はないことがわかるだろう。自分で考え、どう感じるのかを見つめて見れば、答えはおのずと明らかになり、あなたそれに従って行動するだろう。それが、自らを権威として行動するということだ。

≪省略≫

だが、あなたがたの決断はあなたが何者なのかを映し出してきた。
実際、国家はその決断によってそれぞれの姿を映し出してきた。
宗教はその決断によって、いつまでも消えない印象を創りだしたきた。
社会も、その決断によって、自画像を創り出してきた。
あなたは、いまの自分の姿に満足しているか?宗教の姿は、あなたの望んでいるものだろか?いまの社会の自画像は、あなたが何者であるかを正しく反映しているだろうか?
・・・・・・こうゆう疑問に目を向けてごらん。そうすれば、自分で考えなければならなくなる。
自分で考えるのはつらいことだ。価値判断をするのはむずかしい。自分で考えて価値判断するとき、あなたは純粋な創造の場に置かれる。なぜならば、さまざまなことについて「わたしはわからない。わからないのだ。」と言うほかないだろう、それでも、決定しなければならない。選択しなければならない。自分で考えて選択をしなければならない。


感想:私は、いまの自分の姿に満足していない。
なりたい自分は、仕事ができて、お金もち、人を大切にする、親切で思いやりがあって、ユーモアセンス抜群で、ファッションのセンスもある自分になりたい。






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Last updated  2006年02月04日 21時52分45秒
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