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最近、サッカー・反日ブーイングについて、よく考えている。 大多数日本メディアは、共産党独裁政権が、正統性と求心力を維持するために、行なった愛国教育は、生んだ反日民族主義を主な原因に捉えていた。 ところが、人民教育出版社の出版した中学生向けの歴史教科書は、1955年から,陳垣氏、とう广銘氏により、中学校歴史教科書を4册編成した。高校生向けの歴史教科書は1956年編成。中国史の方面,教育部の《高等学校中国歴史教学大綱;(草案)》により,高等学校歴史教科書を4册編成した。内容は、中華人民共和国が成立する1949年までです。 中国のこの“反日感情”は、果たして、根強いか、けれども、日中外交回復の1972年から30年の間には一度も爆発したこともないのは、なぜでしょうか。 重慶や済南での「反日」騒動には、むろん日本の中国侵略と言う歴史的な背景がある。とくに重慶は、日本軍機の無差別爆撃によって膨大な数の市民が犠牲となった。日本の若者たちもこの事実を知っているかいないかで、騒動への見方が変わってくるだろう。 一方、2001年の夏、北京の中心街で四人連れの酔った日本人男性がタクシーに乗り、その一人が車内で嘔吐した。文句をいう運転手と日本人がいさかいになり、警察が間に入って、日本人側が五百元(七千五百円)はらって和解した。ほぼ二日のタクシーの売上に相当する解決金だった。ところが、この話を聞きつけた新聞が大きく報道、運転手が記者会見して「臭くて三日も営業できなかった」と話し、それがまた大報道になった。その後、北京市当局は「泥酔客は乗車拒否できる」との見解を発表する騒ぎになった。 中国のメディアが日本のマイナス面を大袈裟に報道する一方で、プラス面の報道は少ないため、中国人の心には、戦後日本の貢献があまり残らず、日本という国のイメージは、50年前の戦争の「加害者」に留まってしまったのである。 中国では2000年4月、「理解・信頼・協力――駐中国大使谷野作太郎訪問記」という記事が「人民日報」で掲載された。多くの中国人はこの記事で、中国は日本のODAの最大対象国である、総額は2兆4811億円に達していることを知った。 日本のODAは、実は戦争賠償と深い関係がある。ODAと賠償はほぼ同時期にスタートし、セットになって日本経済の海外進出のための道具として大きな役割を果たしてきた。 アジア太平洋戦争に負けた日本は、1951年9月、連合国48カ国との間でサンフランシスコ講和条約を結び、52年4月の発効とともに独立を回復した。サンフランシスコ講和条約第14条には「日本は、戦争中に生じさせた損害および苦痛に対して、連合国に賠償を支払う」と、日本の戦後賠償支払い義務を定めた。アメリカなど連合国は請求権を放棄、講和条約とは別に個別に国交を回復したインド、中華民国、カンボジア、ラオス、さらにソ連、中華人民共和国も請求権を放棄した。 しかし、2000年までの対中ODAは、すでに、フィリピン・韓国の10倍をも超えた。 実は「人民日報」に掲載されたといっても、読者は主に共産党の幹部に限っている。若者の間で、「人民日報」の閲覧者が、極めて少ないのは、事実である。 日本のODAは、基本的に有償資金協力、無償資金協力、技術協力の3本柱で成り立っている。金額が一番多い有償資金協力では、日本側の金利も含めているので、ODAを日本の国益追求の手段と見なしている中国人もいる。それに、2002年6月17日の「人民日報」は中国社会科学院の李慎明副院長は、援助国側の利益について、このように指摘した。 「開発援助によって中国を「世界で最も潜在力のある市場」に変え、援助項目を通じて、中国との経済関係を強めて、自国企業に「直接的な商業機会」をもたらしている。」 中国側の注目は戦争中の歴史に集まっている一方で、日本側の注目は戦争後の歴史に集まっている。この事件については、日中双方のメディアも大きな役割を果たしたのではないかと思っている。
Aug 31, 2004
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口内炎にかかってる!食事の時、大変やわ!今月中3つのレポート書かなきゃ、頑張ろう。昨日、中国国内とニュージーランドの友達から、メールいただいた、嬉しかった。
Aug 11, 2004
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Japan's attack looked sharper in the second half, and Koji Nakata put Japan ahead in the 65th minute with a controversial goal off a corner kick by Nakamura. Nakata made contact after the ball had skipped off Suzuki's head and it appeared to have hit Nakata's hand.
Aug 8, 2004
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