One Nation Under A Curry

One Nation Under A Curry

2009年12月16日
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カテゴリ: 店となり人となり

◆宮城にはまだまだ「楽しい」お店、否、「ナマ身」の人たちがいます。
それはガイドブックやインターネットには載っていない「街人」やいわゆる「地元民」しか知らないところでもある。
それって「株式会社・・・・」がやっている格好がよくてすぐに銀行がお金を貸してくれて顔の挿げ替えが簡単に行なえる店ではなくて「ナマ身」が切り盛りしている店。要は「客単価いくら」だとか「坪数」とか・・・・経済軸の要素とは対極にあるお店ですね。
◆僕等が毎週「すっごぉーーーく細い糸」を手繰り寄せながら、いろんなところでいろんなものを食べに行くのは、そこの、そこのお店の「街人」になりたいからであり「地元民」になりたいからである。どういうことか・・・・・「店にリアリティ」があるかどうかを知りたいから、「店のリアリティ」を感じたいから・・・もっと言うと「なんでこの料理なのか、なんでこれをお客さんにたべさせたいのか」を知りたいからである。
◆いいお店なのかそうでないのかの「ナマ身」が切り盛りしている飲食店の良し悪しってその店主の「人レベル」によります。人柄・センス・熱い思い・泣き笑い・ノリ等々、化石が出来上がっていく過程のように積み重なって形成され、お店が成り立っています。
皿に乗った料理や一杯のコーヒーの前にそれを作ったり選んだりしたした「その人の顔」がまず出てくる、そのお皿のなかの「価値」や「愉しさ」や「うまさ」の付加価値はそのお店の「ナマ身」があってこそです。
◆仙台に来てヒシヒシと感じることは「ナマ身の愉しさ」のあるお店は絶対においしい。これは首都圏では感じることが少なくなってきた・・・・ある部分で先鋭的なものすら感じます。メディア(自発でも既存でも)は「うわずみ」でしかお店を語りません。一皿のなかの「価値」は情報の羅列だけの「うわずみ」ではないですからね。
◆「街人」やいわゆる「地元民」がお店の価値を知っているのは・・・・・そのお店のオーナーやママ、娘、家族など「ナマ身」と何十回と接していて、その人たちの「幸せ」「不幸」「泣き笑い」などの一皿が出てくるまでの積算過程を知っているから・・・・というより完全にお店の「出汁」に「シュンデル」からでしょうねぇ。
◆ちょっとだけ僕等が垣間見た「巨人」たちの「料理馬鹿」なお言葉を・・・・

 八乙女の「うみんちゅ」の親方は
 「食べたことなくてもだいたい味がわかるし、作れるんだぁ」
 愛子の「ビートル」のシェフは
 「もしカレーを作ったら一週間はかかるからなぁ」
 岩切の「洋食や ひの」の大将は
 「手間かかったって馬鹿だからこれしかやり方できないから・・・」

なんか皆さんおっしゃることが似てるんだなぁ、不思議と・・・・・

◆まだまだ仙台に来て1年。「ナマ身」の先達たちの発掘は始まったばかりです。僕らももっともっと積分していかないと先達たちに追いつけやしません。






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最終更新日  2009年12月17日 00時32分53秒
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