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朝はしょっぱなからから大失敗。待ち合わせのバスに乗るのはムリだったので、ドビーを送って直接駅へ向かったのだったが、学校でごねられた。今日はあけぼのさんだよ、と言ったのがマズかったかな。昨日の読み聞かせ会で、部長さんに今日は遅刻するかも、と伝えておいてよかった。あとで聞けば同じ電車に乗っていたのに、私だけ途中で降りて、違うルートで行ったために遅刻したようなものだった。それでも、時間ギリギリ滑り込みセーフ~♪
見学先は市の防災センター。団体申し込みをして受けられるいろいろな体験学習コース。まずは、防災センターのなりたち、館内の説明、地震や台風のメカニズムなどの講習を受けた。
次に伊勢湾台風の説明を聞く。昭和34年9月26日。年配の男性の係員が詳しく教えてくれた。見学は小学生が多いと思うが、やはり大人にはもっともっと伝えたいことがあるのだろう。あの台風を経験した人だろうとわかるような熱のこもった説明だった。
阪神大震災が起こる前までは、戦後の自然災害での犠牲者の数が一番多かったのが伊勢湾台風だったとのこと。雨台風だったこと、高潮と満潮が重なったこと、家々のすぐ脇の港は木場が多かったため、木材が襲いかかって亡くなった人が多いこと、水が引くまでの期間がとても長かった地域のこと、など。後ろではN○Kのアーカイブでも放映された昭和35年に撮ったドキュメンタリーをモニターで流していた。
台風直後の写真パネルが10枚ほど横に並んでいる。小学校の校庭いっぱいに木材が散乱した様子、病院の建物に大きな丸太が何本も突っ込んで建物が崩れたところ、海の中に家が浮んでいるかのような国道一号線。それぞれの下に、今年の夏に同じ場所を同じアングルで撮った写真があった。その今昔を見比べるだけでも衝撃は大きかった。
3番目は伊勢湾台風疑似体験。海の近くの一軒家、当時の部屋の様子をそのまま再現して、襖をしめたら部屋ごと風で揺れるし、立体映像で窓の外を見せてくれる。この先はネタばれになるので、詳しくは書くまい。このあとの煙体験や起震車は前に住んでいたところでも経験していることだし、昨今の防災教育でも学校に必ず来ていることが多いので、子供たちもよく知っていると思う。
私はあとの煙体験や起震車より、なによりこの立体映像がショックだった。知らないって恐ろしい。そして知るということも。やはり転勤族だから、なのだろうなぁ。一緒に行った人たちの半分以上は、小さい頃から聞かされた話だということだった。
起震車は縦の地震の再現が出来ない、と言われてちょっとガッカリしたのだが、震度6、7クラスは二次元の動きだけでも立っていられなかった。これに縦の揺れが加わったらと想像するだけで恐ろしい。9年前の阪神淡路で、そして新潟で、これが一日に何度も起きたのだ。想像を絶する怖さだろう。避難している人たちが一日も早く暖かい部屋でくつろげるようにと、募金をして、ニュースを見て、そのあと私たちは何をしたらいいのだろう。
ひととおり館内を見た後で、パンフレットを何枚か貰ってセンターを後にした。家に帰ってから子供たちと少し話したが、まだまだ決めてないことがたくさんある。非常用リュックや玄関のボックスの見直しもしなくては。やることは沢山ある。順序だてて一つひとつ片付けていこう。
防災センターは、あちこちあるが、体験見学が出来るような施設はGreenCompassというサイトのマメ知識から探せるようだ。他のページもためになることが沢山書いてあったので、是非トップ↓から飛んで読んでみてほしい。
Green Compass 市民防災のポータルサイト
防災情報提供センター(国土交通省)
ドビーと私とどれだけ仲が悪いかというと 2010年05月04日
最後まで計算あわず!会計危機一髪 2010年04月22日 コメント(2)