うん、まったくその通りだね。
意識ってのは「志向性」だってよく言うんだけども、つまり、「意識とは常に何物か対象についての意識である」ということ。話し終わると、その志向性自体が消滅する感じだね。

さらに言えば、酒を飲んでるときの俺らの意識は、お互いの意識に相互依存しているんだね。
〉話をしていることで意識は保っていられた。
ってのはそうゆうことか。 (2005.08.04 09:36:13)

「Life」を求めて

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2005.08.01
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カテゴリ: 弓道について
30日31日と熊谷に行く。

一カ月振りくらいに弓を引く。が思いの外感覚は失われていなかったようだ。



久しぶりに弓を引いてみて確信したこと。
弓は意識のみで引くものではない、ということ。射には意識できる領域と、意識できない領域がある。そして弓道が目指すのは意識できる領域の完全な否定(消滅)にあるのではないだろうか。弓の名人が弓自体を忘れてしまうという例の話もそのように解釈できる気がする。

射の調子が良ければ良い程、無意識の領域は広がる。逆に射の調子が悪ければ悪い程、無意識の領域は狭まり、意識の領域が自然広がらざるを得ない。
ケガしていたり、練習不足だったりすれば、自然ケガの部位や、衰えた筋力を意識せざるを得ない。意識の対象は十全に機能しない箇所に向き、そこで意識は自己修正機能として働く。そして問題の解消とともに意識はそこから離れる。

弓道における射法とは、意識(会)から無意識(離れ)へと至るプロセスを整える法則のことである。
稽古とは、そのプロセスで生ずる雑多な意識を解消し意識の統一を図ることでもある。

弓道の目的のことを上に述べたが、意識の完全な否定のみでは離れのあと残心が生ずるのが説明できない、これはまた別の機会に考察してみよう。



彼ほど愉快な酒を酌み交わせる友人はいない。キンキンに冷やしたウォッカを、ショットグラスで一気に飲み干す。タバスコを一口舐めてから飲むと良いアクセントになる。
ウォッカというお酒は、焼酎やワインなど他の酒に比べて非常にスッキリとしている。気持ち悪くなったりとか悪酔いはしたことがないし、次の日二日酔いになったりもしない。スッキリ飲めて非常に良い酔い方のできる酒だ。自然上機嫌になり話もはずむ。
そしていつもウォッカの瓶が空になるかならないかくらいのところで意識が吹っ飛ぶ。どちらか1人が先に逝くのではなくいつも同時に落ちてしまうところが不思議だ。

んで気がつくともう次の日。。。

サッカーを観てから帰った。
ハーモニカ
ハーモニカの本
映画『モーターサイクルダイアリーズ』のDVD
PC関連の本
をもらってしまった。ハーモニカ練習しよ。
小説『潮騒』(三島由紀夫)も借りた。









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Last updated  2005.08.01 17:35:25
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Re:熊谷で得られたこと(08/01)  
black-j さん
なんで同時に気を失うか考えた。
多分、話が一段落して、心が止まるからだと思う。
つまり、身体は既に自身のアルコール摂取量の限界を超えているのに、話をしていることで意識は保っていられた。
しかし、話が終わると、張っていた気が緩んで、つまり、精神面が消え失せ身体の要求が全てに変わってしまう。身体はアルコールによって眠りを要求しているので、そこで同時に吹っ飛んでしまうんじゃなかろうか? (2005.08.03 21:53:11)

Re:熊谷で得られたこと  

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