2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全8件 (8件中 1-8件目)
1
1994年9月28日今日は5分の遅刻をした。前の地元の学校に比べてこの語学学校では時間に厳しかった。この先公、俺とマニャだけが生徒なのをいいことに俺より話せるマニャばかりと話しやがる。一日いくつもの宿題をだすし。まぁ宿題は俺のためになることだから許せるとしても授業態度が非常にむかつく。次の先生に代わるまでの我慢だが。。夜は同じAFSのアレクサンドラの誕生日パーティー。家で髪をまとめるムースがきれていたので風呂場にあったムースらしき泡状のものを塗って髪を整えて外出準備をした。エリオスと一緒にマルコポーロというアレクサンドラの出身であるイタリア料理になった。みんなでパスタやピザを堪能していると突然アレクサンドラの彼氏を始め、友達たちがギターやタンバリンなどを使ってビートルズを弾き始めた。みんなかなりうまいのでちょっとしたバンドみたいですっごい楽しかった。レストランの後に友達の家にみんなで行ってテキーラとコーラを割った”Cuba Lible”を飲みながら話した。それにしてもこの友達の家は臭い。。しかも部屋が地下と一階の真ん中ぐらいにあるもんだから窓がちょうど道路の地面の高さになっていて、しかも道路沿い。窓を開けると車が通るたびにほこりなどがはいるもんだから開けることができず臭さが密集していた。他のみんなは気にしていないのか陽気に話し込んでいる。俺とエリオスであまりにも臭いので適当にきりあげてきた。それでも誕生日パーティーとしてはすごく楽しかった。帰ってどうも頭がひりひりすると思って外出前に塗ったムースをエリオスに何かと聞いたときは答えに驚いた。浴用洗剤だってさ。。
2006年01月24日
コメント(0)
1994年9月27日昨日宿題にだされた覚えなければいけない単語を4分の1だけ頭に詰め込んで学校へ。授業内容自体は簡単なのだが先生が話していることが難しい。普通にスペイン語で説明するからだ。少しずつ慣れていこうと思うがやはり大変。宿題にだされる単語の量もハンパないし。。しかし、単語の量によって話す内容にも幅がうまれるし、より表現豊かに話す方法につながる。がんばらなければ!夜の6時からは参加自由の会話の時間がある。場所も相手も自由で生徒同士が自由に自国のことや趣味、生活などなんでも自由にスペイン語でお互い練習する時間だ。俺は同じAFSのマリーと日本から来た警察官のまもるさんと3人で話をした。つれないスペイン語だったがこのときは俺がマリーと同じAFS生、まもるさんとは同じ日本人ということで会話の中心となって話すことができて非常に会話を楽しむことができた。また日本語や英語を話したい現地のメキシコ人も何人か参加しているのでその中で一人の子と語学交流としてお互いに言葉を教え合えたのもよかった。学校の内容はとてもよかったのだが帰り道のバスでやってしまった。学校から帰宅するときはいつも14番のバスに乗る。でもなぜかこの時は疲れててよく番号を確認せずに乗ってしまい、バスの行く先が全然見知らぬ遠いほうに向かい始めてから初めて気づいた。最初はバスのルートを1周すればまた学校の近くに戻ると考えていたが1時間以上乗っていても戻る気配がない。。財布にタクシー代さえない、むろん今走っているところがどこかもしらず。。非常にあせりが出はじめて運転手に町の中心部のソカロと呼ばれる広場には行くかと聞いた。覚え始めたスペイン語で。何とかこちらの意図は伝わるもソカロには行かないという。運転手も俺がずっとのっていることを不思議がって、「どこに行くんだ?」と聞いてくるが学校の近くとはうまく説明ができずソカロ、ソカロとひたすらわかる場所を言うだけだった。そのおかげがバスの運ちゃんがわざわざソカロのあるセントラル近くに連れてきてくれた。おかげでやっと自宅行きのアギラスにのることができた。。
2006年01月22日
コメント(0)
1994年9月26日スペイン語の語学学校での初授業。期待と不安を持って登校した。それぞれのクラスは非常に小さく、庭のテラスにある小さな丸いテーブルに大きなパラソルをそえた下でした。先生一人に対して3人ぐらいの小規模なクラスで質問などしやすくわかりやすい環境だった。俺のクラスは生徒2人。しかし、授業の説明はすべてスペイン語なのは苦労した。。わからなくてもすべてスペイン語で話して、質問もできるだけスペイン語でするように促された。できるだけ耳にならそうってことなんだろう。またこの学校では新しい出会いもあった。日本の警察からスペイン圏出身の外人犯罪者の取調べのために5人の警察官が語学留学にきていた。日本ですでにスペイン語をいくぶんか習っているらしく俺より上のクラスで会話も達者。これからいろいろ教えてもらえそうだ。
2006年01月18日
コメント(0)
1994年9月25日俺がメキシコにきてからちょづお1ヶ月たつ。しかし、いまだにろくなスペイン語が話せない。勉強もみんなの前ではやっているようにみせかけているが実際には毎日数ページしかスペイン語を勉強していない。今日は昼ごろ起きて映画”Back to the futre”を1,2続けて観て、フリエタが珍しく料理を作ったので食べた。あまりうまくない。。そういえばフリエタはなぜか皿をいつも洗わない。料理も最初の内だけ作っていたがすぐにつくらなくなり、俺はいつも自分で何か買ってくるか、ライスの上にチーズをのっけてレンジでチンだ。皿も洗わずにおいておくだけでいつも洗うのはドレルかエリオスの役目。正直最近のフリエタは母親としてはどうかと思う。エリオスと夜話しているときに今日は出て行った父親の誕生日だと言う。女を作って今はメキシコシティーで住んでいるとのこと。エリオスには同情するがフリエタにはできない。皿ぐらい洗える女じゃなきゃそりゃでていくわな。~感想~食生活が非常に厳しかった当時。メキシコの家庭料理がもっと食べれると思いきやほとんど自炊。そりゃ、料理もうまくなります。そのせいもあって学校帰りにエダの住むイルマの家でしょっちゅうご飯をご馳走になりにいってました。
2006年01月17日
コメント(0)
1994年9月24日今日は楽しかった。本日より新しい語学学校に登校したのだが外国人専用の語学学校なのでイベントの一つとして湖での乗馬がちょうど今日参加募集していたので早速参加することができた。クェルナバカから車で2時間ほど移動した山の中にその湖はあった。山に囲まれた湖はとても澄んでいて美しく、その付近では馬が放牧されていた。エダとマリーと一緒に少し山の頂近くまで登り、高い場所から見下ろす湖とうごめく馬達の姿が印象的だった。馬に乗るのは初めてで普通日本なら係りの人が綱を引いてくれたりするのだがここメキシコでは最初から一人だった。メキシコ人曰く、歩きながら覚えればいいよってことだ。一時間30ペソ、約1000円は安い。最初の馬は非常に頭の悪い馬で馬の脇を軽く踵で叩いても歩かないし、走り出したら勝手にどこまでも走ってしまう。正直すごく怖かった。エダも同じようにばか馬にあたってしまい、勝手に走り出した馬にたいして「Stop!stupid!」と必死に叫んでいたのを見て笑ってしまった。マリーは賢い馬にあたりゆっくりと乗馬を楽しんでいた。俺も2頭めはマリーの乗っていた馬にしたところすごいことになった。まるで本当にカーボーイのように本当に自由自在に馬を操れた!走りたいと思ったら馬の横腹を踵で軽く叩き始めると少しずつ馬は走り出す。馬も本気で走り出すと競馬のときのように前足、後ろ足足並みを揃えて走り出す。その体感スピードたるやものすごい。スピードにちょっとびびって手綱をを手前に引いて馬に少し走りにくくすると乗り手の意思を汲み取ってすぐに減速し始めるし、まさに俺の中ではサラブレッド。最後には手綱を強めに引いて馬を後ろ二本足でウィリーするかのように立ち上がることもできた。本当に大満足の乗馬だった。のどが渇いてジュースを飲んだとき、中に虫が入っていて舌を刺されたのは非常に痛かったけど。。
2006年01月10日
コメント(0)
1994年9月23日今日はイルマから新しい学校の説明のためAFS生みんなでお茶をしにクェルナバカ郊外のきれいな庭園のあるカフェに集った。非常に手入れのいき届いている庭園で円状の噴水の周りを囲うように花木が植えられいた。また色合いも美しく、日本では紅葉を思い出させるような真っ赤な葉をした観葉樹、澄んだ青色のアジサイに似た花などコントラストもすばらしかった。エダやカレイトンも俺と同じく感動して写真を撮っていた。イルマから説明された新しい学校は週US100ドルで外人専用のスペイン語の語学学校。場所は今の学校に程なく近いらしい。週US100ドルというのは非常に高い授業料だが外人用の語学学校となるとそんなものだろう。授業料は痛いが現状のレベルのスペイン語のままではラチがあかないし、とりあえずは1ヶ月通うことにした。他のメンバーではエダ、マリー、カレイトンが通うことになった。夜はフリエタが留守なのでエリオスが友達何人かに声を掛けてホームパーティーとなった。特に俺たちが準備するものはなく、みんながそれぞれ食べ物や飲み物を持ち込んで騒ぐ簡単なものだったがエリオスの人柄らしくみんな陽気でいい奴ばかりだった。音楽はエリオスの兄貴がDJなのでみんながノレる曲ばかりが集っていてずっと大音量でかけまくっていた。
2006年01月09日
コメント(0)
1994年9月22日昨日ハリーが帰国することを聞いて今日アメリカへのフライトに乗るためにここクエルナバカからメキシコシティーに移動するようだ。本当なら今日はイルマと別のスペイン語を教えてくれる学校に見学に行く予定だったがハリーの見送りか何かで学校にこなかった。俺もハリーの見送りに行きたかったがハリーのホームステイ先はちょっと街から離れたところで実際俺は一度も行ったことがなく行き方がわからなかった。かっこ悪。。ハリーが帰国したもののエダやマリーなど他のAFS生の出勤は適当。俺もそうだがみんな一週間全ての日をまともに授業に出席したことないんじゃないかな。昨日のハリーの突然の帰国は驚いたけど、メキシコの生活もマンネリ化してきた今日このごろ。スペイン語はまだまだまったく話せないのに。。
2006年01月08日
コメント(0)
1994年9月21日いつもと変わらない学校生活、そう思っていた矢先に突然ハリーが国に帰ると言う。すごいショックだった。彼女は俺と一番最初に話して、いろいろ面倒をみてくれた子だった。笑い顔のかわいい、ちっちゃな子、スペイン語の上達もAFSの中では1,2を争うできだ。帰国理由はホストファミリーがなじめなかったらしい。最後の登校となる学校でハリーは俺たちAFS生一人一人に手紙をくれた。むろん俺にも。たいしたことは書いてあるわけじゃないがうれしかった。みんなで写真を撮った。現像したら送ってあげよう。そして言葉を添えたい。”僕たちは元気です。”と。~感想~あけましておめでとうございます。正月は実家でのんびりしてました。今年もよろしくお願いします。
2006年01月07日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1