全5件 (5件中 1-5件目)
1
まだ精密検査する大きな病院、行ってません。だって、本当に怖いんだもん。子宮にも筋腫(両性だと思うけど、大きかった)が見つかったし、胆のうも、子宮もって、、、大変すぎるやん。そんなことをしているうちに手遅れになったらそれも困るな。来月、ソウル、また、予約しちゃった。ソウルで楽しんだ後なら病院行こうと思える作戦だ。姉んちでその話をしていたら父が小声で「そんなこと言うとらんと、はよー行かないかんわっ」とちょっと怒っていたのが、右目の端っこに映った。確かにずーっと調子悪いな、なんかおかしいねん。でも、胆のう?より左の下腹が痛いんだけど、誰も(医者は)そこは指摘されんかったし。胃もムカムカおえぇーーーっだ。相変わらず花粉症だし、乾燥肌で痒いし、歯も治療中だし、ええとこないやないかい。と、言われても、病院はイヤなのだー。
2010.10.29
病院行ってきました、これで3病院目。何もなければそれで安心できるし、それで最初の病院が誤診だったとしても、自分の体が元気であればいいや、と思いながら、重たい足をひきずって・・・なんだか気が重い。さて、結論は・・・・・・・・・やっぱり胆のうに石らしき物が見えるとのこと。また別の部分(女性の)に腫瘍(良性らしきもの)もあるとか。胆のうだとしたら、一番最初、救急外来へ行った時の医師の診断が合っていたということ、つまりその後“盲腸”と診断したアイツがやぶ医者だったのかー。これは見落とされていいのか?今日の女医先生はいつもお世話になっている女医先生のお姉さん。たしかに写真では分かりにくいけれど、たしかに胆のうの上部に何か映っているらしかった。で・・・・・もっと大きな病院に行って高い機械で調べる必要があるというので、夫がすかさず「入院しなくても治せる方法は無いですか?」と代弁してくれたけど、やっぱりそうなった場合は手術が必要・・・らしい、いやだ、いやだ、絶対入院はしたくない。ちなみに入院は韓国語で「イッウォン」だ。そんなこたーどうでもいい。まいったな、こりゃ。入院はもうこりごりなのに。オマケに婦人科行きもか?なんでやねん、増えたんか?歯医者でも怖いっつーのに、、、どないすんねん。入院は1週間ぐらいらしいから、夫に「産休」とウソを行ってもらい会社を休んで付き添って・・・なワケにもいかないか?1人で、いやだ、個室もいやだ、大部屋もいやだ。そう考えただけで熱が出る。手術は別にいい、麻酔がかかっているから、痛くないやろ。痛みは慣れている、手術したらすぐに家に帰れる方法はないものか?だれか、入院せずに石をとる方法は知りませんか?まいった、久しぶりに参った、参ったけれど・・・テレビを買った、大きいの、お金も無いのに。検査する病院へ行く日はいつにするべ?とりあえず、しつこいけれど、入院だけはいやなんだもん。
2010.10.24
あれから・・・いつも通っている病院の先生に相談しました。私としてはもうどうでもよかったけど?胃がまだシクシクするので、いちようね。お世話になっているのは女医先生。私が返事をする前に電話をかけてしまい!明日、本院の専門医に再び見てもらうことに。もう・・・病院には行きたくないけど、仕方ないね。で、誤診のあった病院に検査資料をもらいに行きました・・・が、私は体が拒否反応をおこし!歩けなくなった?腰をぬかした?どこまでも肝っ玉が小さい。仕方ないので夫に頼み、もらいに行ってもらった。受付の人はゴチャゴチャ、何に使うのか?どこの病院か?など問うたらしいが、夫は「いう必要はない」と強気に出て、資料は手に入った、それを持って明日、病院行ってきます。中日が勝ったようですが・・・優勝セールあるのだろうか?
2010.10.23
下の内容(大好きなわんこのこと)を書いたその数時間後・・・入院しましたー。。。胃が激痛で、薬を飲むとはいちゃうし、救急車はピーポーピーポーと、鳴らすからイヤだし・・・。朝方まで我慢して、結局、救急外来に走りましたー。死にそうなぐらい胃が痛いのに、それも自分の運転で。夫は免許、持ってないから。タクシーも呼ぶの待ってられなかったし、なんだかなー、死ぬかもしれない時でも自分が運転しなきゃならんなんて、それだけで泣ける。結局その場で即入院、胆のうが腫れていて?あれれ?胃じゃないのー?!石が小腸をふさいで胆汁が流れなくなってるから、一切食事禁止、でもその時は痛かったから、「はい、はい」って聞いておいたけどね。病室に移って、夫が帰り一人になって、気を使うから個室にしてもらったけど、外はどしゃぶりの雨だし、なんだか暗い。着の身着のままで来てしまったし、家に帰りたいなー、、、と思っていた頃、主治医になる人がきて、病名が変わっていた、え?・・・・・・・・・?不信感だらけ。本当は何?だいたい私が痛いのは“胃”なんだけどー。看護師さんもなんだか信じられないし。いったん入院の用意を家に取りに戻ったけど、手術すると言っていたのに、しないと変わっていたし、だったら「退院したい」と看護師にいうと、その中年看護師は激怒・・・した。「もう!また先生に言いにいかないかんがねー!」え?それがアンタの仕事とちゃうん?めんどくさいんか?その時は入院するから、抵抗せずに我慢した、けど、やっぱり不信感がぬぐえない。もう一度同じ看護師に「家から通いにしたい」というと「また痛くなったら迷惑かかるでしょー! それにもう病室、“特室”しか空いてないんだよ、それでいいの?」そういう問題なんか?でも私はへらへら笑っておいたけど、そんなへらへらした自分にも腹がたった。とりあえず痛め止めの点滴が効いたのか?痛みはとれていたし、外は雨だし、一人で怖いし、もう耐えられなくなって声を出して泣いていたら、もっと怖くなって、両親に来てもらったけど、怒られて、夫に電話したら、夫が主治医に電話してもめて・・・結局、何時間も待たされ一時帰宅ということで、やっとこ、家に帰れる。翌日退院。その夜から、朝1回、夜1回、点滴だけのために通院するが・・・夜間(8時以降)は救急外来での点滴のため、医師が毎回違う。ある日、医師が「なんで、点滴やってるのー?」それはこっちが聞きたい。思わず目が点。その医師の見解では、その点滴も?あやしい(とは言わないけど、顔にそう書いてあった)そしてとどめは、私の血液検査の資料が一切、無くなっていた、らしい。不信感200%到達。翌日は主治医という人による診察予定だったけど、もうやめた。今もイマイチ、へんだけど、次痛くなったらほかの病院に行くもん。病院もう怖い、怖すぎ。誤診ってよくあるのかなぁ?専門用語言われてもわかんないもんね、カルテだって何書いてあるか、わからへんし、病名の知識も素人だからないし、医者信じるしかないってったって、顔見りゃだいたいわかるやろ、何かウソっぽいことって。もう信じられへーん。それから、胃は痛くないけど、今回のこの誤診のおかげで、まいっちゃった、精神的に。もうずーっと〇痢(ごめん、汚くて)どうすんねん、30分に一回トイレやねんで。まいるで、ホンマに。ああ、また愚痴ってもーたやん。。。。。。。。
2010.10.17
実は、少々苦しいです。基本は“笑顔”、笑っていることが私のモットーですが、人間ですから、大波小波もあるわけで、今少々まいっています。おもにやっていたブログをやめてから、吐き出す場が無くなって自分の気持ちとか考えは抑え込めば、なんとかなると思っていました。でも、もう限界だから、今日はぶちまけちゃおう。“親愛なるマリーちゃん”へ。突然電話がかかってきてから早いもので3ヶ月前になります。「マリーが死んだ」姉でした。マリーは姉んちが飼っていたアメリカンコッカースパニエルの女の子、“飼っていた”んではなく、家族でした、私たちの。私は彼女のことを本当に“親友”だと思っていたし、大好きだったし、天使だった。天使といえば、初めてマリーに会った時、マリーはまだ生まれたばかり、私の手の平に乗っちゃうぐらい小さくて、目がキラキラして、後光が差していた。小さく切られた尻尾を忙しく動かし、冗談で「うちわをつけたら扇風機の代わりになるかも?」といったことがあるぐらい、その尻尾はいつも「嬉しい!」「楽しい!」を表現してくれた。毛並は金色に光り、優しく柔らかくふわふわで、犬独特のニオイがたまらなく可愛らしく、臭くなくて、臭いんだけど(!)、私にはとっても良い匂い、マリーと遊んで家に帰ってきてから、マリーの匂いがついた服はなかなか洗えなかったりなんかした。マリーと出会ってから間もなく私は結婚し、大阪と名古屋と離ればなれになり、本当はとっても淋しかった。マリーに会いたかった、会いたい会いたい!と思ったけど、だからって違う犬を飼おうとか、そんな気にはならない、だってマリーは世界でたった一人の私の親友、変わる人(犬?)なんているわけないんだもん。身体を壊し名古屋へ帰ることになった時、マリーちゃんとたった1年だけど、たくさん思い出ができた。その時、私は生涯で一番辛い時期(夫の病)を迎え、その時、私を“無言”で助けてくれたのは、マリーちゃんだった。マリーがいたから、マリーが全部、私の目から零れ落ちる涙を舐めてくれたから・・・私は立っていることができた、と思うし、夫も助かった。助かったけれど、助かったからたった1年で東京転勤になりまたマリーと離ればなれだった。マリーは私の飼っている犬じゃないけど、私には本当に大切な友達だったと思う。彼女との思い出をあげたらきりがない。猫のように膝にのってきたり、一緒に寝た時は、私の足首を枕にして、動けなくて相当困ったこともある。一緒の布団にねていると、8kgしかないマリーはお尻で私をふちっこへと追いやった、ずんずん攻めてくる、まるで「ワタチが一番エライ」と言っているかのようで、いつもマリーに布団の真ん中を譲ってあげたっけ。マリーは甘いモノが好きだったけど、私は1日でも長生きしてほしいから、私は人間の食べるものを極力あげなかったけど、私の母や家族はいつもマリーに何かおやつを与えてばかり、それも愛情なのだろうけど、私はマリーのために・・・あまりあげなかった。その分、たくさん遊んであげようと思った。たくさんたくさんたくさん…マリーちゃはどこに行っちゃったんだろうな?名古屋へ戻ってから、姉んちに月に1、2度しか行けないから、毎日会えるワケじゃなかった、今だって同じ生活しているけど、姉んちでマリーが今日も元気でいてくれると思うだけで私はずーっと安心できていた。でも、姉んちに、マリーがもういない。4年前、まさかの出来事がおきた。姪っ子の誕生だ。小さくて強力な姪っ子が生まれ、マリーは“お姉ちゃん”になった。小さな赤ちゃんが家に初めてやってきた日、マリーは動じなかった、らしい。姉いわく、マリーは姪っ子がやってくることをどうやら知っていた、らしい、と言う、私も知っていただろうなと思った。それは・・・マリーと姪っ子が“同一”のものであるから、と私は信じてやまない。(そう信じていないと辛すぎるから)姪っ子の登場により“主役”の座が奪われてしまったマリー。姪っ子はマリーを遊び相手にすくすく育ち、マリーに“馬乗り”したりしていたらしいが、可哀想だと思った。性根がでてきた姪っ子はだんだん“ヤキモチ”を覚え、私がマリーを抱っこしようとすると「おばちゃん、マリーちゃん、置いて」と怒る。姪っ子にかたなしの私は「はい、はい」と素直にマリーを置いて・・・マリーとなかなか遊ぶ機会が無くなった。すくすく成長していく姪っ子に比べ、マリーはだんだん年老いていった、会うたびに小さくなっていくマリーを見て、本当は辛くて悲しくて、心の中で「マリー、一日でも元気で長生きしてね。ずーっと遊んでいようね。」と話しかけた。マリーにその思いが伝わったかどうか知らないけど、本当に1日でも長く一緒にいたいかったから。一枚の写真がある。3月下旬、姪っ子が幼稚園へ入学する数日前、私の作ったチョコレートケーキを前に、家族で写した写真、姪っ子を囲みピースする私たち・・・マリーが写っていない。どんな時もマリーを抱っこして一緒に写真に納まっていたのに、ごめんね、本当にごめん、マリー。マリー、淋しかったろうね、ごめん、本当にごめん。正直、その日はそう遠くないと思っていたから、覚悟はしておこうと思った。私のことだからショック受けるだろうし泣くだろうし、だから覚悟しておけば、少しぐらいでは泣かないと思った。マリーが死んで亡骸と対面した日、マリーはちょっと小さくなっていたけど、その毛並は生前のまま、金色に輝き、柔らかくふわふわしていた。体は冷たかったけど、とても優しい感じがした。なんて綺麗なんだろうとさえ思った。顏は全く苦しんでいなかった。スヤスヤ寝ているみたい、そう思うと、覚悟をしておいたのも手伝い、涙はほとんど出なかった。のに・・・いつもどこかで元気にいてくれるから、会わなくても平気だったし、会った時、その尻尾を忙しく振ってくれるから、私のことを覚えてくれていて「好き!好き!」と表現してくれる、そんなマリーに会うのが楽しみだったし、癒された、いつも。姉んちで今日も元気で・・・いるはずの彼女はもう、いなくなった。マリーちゃん。ねぇちゃんは、今頃泣いているよ。鈍感だからね、今頃、悲しいよ。涙止まんないよ、具合悪いよ。マリー、お願いだから、一度でいいから、ねぇちゃんの足、噛んでよ。ここにマリーがいるって、ね、噛んでよ。教えてよ、いるんでしょ?マリー、ねぇちゃんのこと、好きだった?セーターも作ったでしょ?美味しいおやつもたくさん買ったでしょ?いっぱい遊んだの、ちゃんと覚えてる?マリー、ねぇちゃんは覚えてるよ、マリーはねぇちゃんの親友兼妹だから。ただ、ちょっとマリー、死ぬの早いよ。ねぇちゃんより若く生まれたくせにいつの間にかねぇちゃん追い越して、勝手におばあちゃんになって、先死んじゃうなんてさー、置いてくなよ。マリーのために部屋をキレイにしたからね、マリーがどこで遊んでもいいように、キレイにするからね、がんばって。これからはずーっと一緒にいよう、ソウルだってどこへでだって一緒に行くんだよ、マリー。ねぇちゃんの傍にいてちょーだいね。ねぇちゃん、マリーいないと淋しいじゃん。胃が痛い…今日はよく泣いた。動物を飼っていて、気持ちのわかる方が読んでくれると嬉しいな、と思い、書きました。心が癒えるまで、書くかもしれない。
2010.10.08
全5件 (5件中 1-5件目)
1