押し寄せる日常は同じ律動をくり返し、東京での一年目の夏になった。学校では
写真論やデザイン概論を学び、カラーリングやドローイングの基礎的なレッスン、それに
加えて、写真表現や映像ワークなど、実践的な授業が行われた。
自分の中にある何かを表現するのは楽しい。自分が表現したいことを規制されたら、
それは自分の個性を表現することを制御されていることになる。たとえば、私には太陽
は赤くなんか見えなかったし、ただ真っ白なだけの画用紙も大嫌いだった。
たぶん・・・だから私は写真が好きなのだ。その風景は私が見たものを、そのまま
残してくれるから。たとえばモノクロームの写真は白と黒の陰影でしかないのだけれど、
なぜかその写真の中の世界には感情があった。ものがそこに存在し、陰影が様々な
想いを表していた。それは手から放れた風船が空に向かってまっすぐに上昇していくの
を眺める子供の横顔だったり、よく磨かれたおろしたての革靴をはいて街を行く人の
急いで歩く足だったり。私は、その写真の中にそれぞれの喜びや悲しみ、不安やあせり
を覗き見ては自分の世界を楽しんでいた。そんな私が、長谷川蓮と初めて話をしたのは
写真表現の授業の時だった。
自分の写した写真をコンピューターにダウンロードして、加工する。私はあまり
コンピューターに詳しくなかったが、最初はクラスメイトになんだかんだと相談しながら、
そして時間が経つにつれて、いつの間にかひとりの世界に没頭する。
数え切れないほどの写真から気にいったものを選び出したり、その時撮った同じような
写真の中から微妙な構図の違い、ずれやブレを確認しながら一番いいものを
見つけたりする。拡大したり、隣に並べて比較したりする細かい作業をしていると、時間
が経つのは驚くほど早い。そんな風に過ごす時間はひとりの世界にのめりこんで誰とも
話をすることもない。誰のものでもない、自分だけの空間では、止まったようにも思える
ゆるやかな時間の流れがとても大切に感じられた。
「立花るか、だっけ。いい腕してるね。この写真いいよ、気に入った。でさ、モノクロも
いいけど、ちょっと加工してみ。太陽のとこに、黄色入れてみたら?」
そう言って話しかけてきたのが蓮だった。
「太陽に、黄色?」
コンピューターに詳しいようで、「ちょっと、貸して」といって、私を横へ退けてパソコンの
前に向かった。
画面には、雨上がりの街。どこへ向かうのか、足早にゆく革靴のサラーリーマンの
足元で、太陽が水溜りの中で惜しげもなく燦々と輝きながら浮かんでいる。蓮はパソコン
画面に見入って、マウスとキーボードを操作して、モノクロ写真の中の太陽に黄色い
生命を吹き込んでくれた。
「おし、あがり。 どうよ。 マジ、よくね?」
「すごくいい」
「もともと太陽は黄色いんだ。モノクロの中で輝かせたら、さらに輝きを増す。美しいもの
を、さらに美しく輝かせてやれるって幸せだと思わねーか」
そう言って、蓮が私の顔を覗き込んだ。満足そうな笑顔が私に向けられ、それが、私
の心にぽとりと何かを落とした。深い底に沈んだ思い出たちが微かに揺れて、ほんの
一瞬身体を締め付けていた何かが弛緩した。しかしそれはまるで砂漠に落とした一滴
の水のようにあっという間に吸い込まれて、跡形もなく消えてしまった。
この男子生徒のように軽いノリの同級生は、この学校には他にも大勢いて、彼もその
中のひとりに過ぎないのだ。私の心はいつもこんな風に考えて、立ち止まる。普通の
娘ならこの笑顔を見ただけで、聖水に映し出された幸運の太陽をみた修道女のように
嬉々として満面な笑顔を返すだろうに。
「うん、いい感じ。サンキュ。えっと、はせ・・・」
「長谷川蓮。 レンでいいよ。みんなそう呼ぶから」
「うん。今度、私にパソの使い方教えてほしいんだけど」
「いつでもOKっす。そちらがヒマな時に声かけてね。あ、携帯番号とかメルアドとか
教えとこうか」
学校では、どの学生も個性的で、自分の世界を持っている。けれど、彼らの全ての
センスが私の心を打つわけはない。というのは、彼らの色のセンスや構図のセンスや、
そういったもの全てが、これから私たちがこの学校を卒業した後、広告会社やデザイン
事務所で認められるあらゆるテクニックを磨くための第一歩にすぎないのだ。
けれど、蓮の写真は少し違ったように私は思う。というのも、彼が撮る写真はその
ほとんどが女性で、仲間内では「ちょっとイカれた変なやつ」と陰でいうものさえいた。
たとえば化粧もしていない女性の青白い顔に細く剃り落とされた眉の下で幼い目が
じっとカメラのほうを見つめる写真を見たことがある。頬から肩にかけての一部分の
写真は、赤く塗られた口だけが薄ぼんやりと開かれているのが印象的だった。そして、
うつぶせに横たわる女性の背中の写真は脊椎にそってへこんだ線のカーブが美しい。
それらはどれも撮った人の意思を感じる作品で、どれも生命を感じさせるものだった。
言葉などいらない、写真の一枚一枚にひとつひとつの物語がこめられてような写真
だったのだ。
つづく
魚がおよぐ日 ~final step July 18, 2008 コメント(3)
魚がおよぐ日 ~step 25 July 16, 2008
魚がおよぐ日 ~step 24 July 14, 2008 コメント(2)