四方山話に夜が更ける

四方山話に夜が更ける

June 16, 2009
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  12月、学校が冬休みに入る前最後の土曜日に、私は圭子にクリスマスケーキを届けた。

 圭子はその時すでに食事を口にすることはできなかったけれど、「賢ちゃんと一緒に

 クリスマスを」とサンタクロースの飾りのついた小さなケーキを買って行った。

 「賢ちゃんにジングルベルを歌わせよう。ここの夜は静かすぎるのよ」

 「それなら、耳元でささやくように歌ってもらわなくちゃね。看護師さんがとんでくるよ」

 「そうね。ささやくようにね。あゆみちゃん、それ、グッド。いただき」

  この頃の圭子は胸膜にガンが転移していたために、息は浅く声もか細かった。

 「圭子、眠くなったら寝てもいいよ」

 「うん、そうしようかな。ちょっと眠くなったかも」

 私は圭子の手をとった。圭子が私の手を微かに握り返す。

 「今度はお正月明けに来るからね」

 「うん」と小さく答えた圭子が静かに目を閉じた。

  日本語検定試験も終わり冬休みを迎え、2月の結果を待つだけとなった。年末が近づくと、

 普通の会社勤めの人たちにとっても冬休みを迎えた子どものいる家庭でも忙しく毎日が

 過ぎていくものなのだろう。しかし私にとっては、日本語学校が休みに入ると、一変、

 時間が経つ早さをその速度を緩めたような感覚を覚える。模擬テストを作ることも、

 翌日の授業の準備をすることもなくなると、私はただ家事を淡々とこなすだけの毎日を

 過ごすことになる。一日中誰とも口を利かないでベッドにもぐりこむ時間になってしまう

 ことも少なくなかった。

  剛史にメールを送ることもある。けれどそれは剛史にとって、喜ばしいことではない。

 携帯メールは私との関係が発覚するきっかけにもなりかねないからだ。

  ある日、私は剛史に一通のメールを送った。「観たい映画があるの。一緒に観にいきたい」

 ほんの短いメールだった。答えにくい質問をしたわけではない。不可能な希望を述べた

 わけではない。けれど、1日待ってもその返事が送られてくることはなかった。

  2日目の朝、剛史から一通のメールが送られてきた。

   今日、会える。

   あゆみの喜びそうな台湾料理の店を見つけた。

   午後6時、みなとみらい駅4番出口のエスカレーターの下で。

 いつもこんな調子だ。剛史からのメールは当日の都合で送られてくる。映画を観にいく

 ことはかなわないようだったが、それでも、剛史に会えることがなによりも嬉しい。私は

 家事を早々に済ませ、夫の夕食の仕度にかかった。

  茄子の冷製サラダと鶏肉のローストを皿に盛ってテーブルに並べた。「炊飯器に中華

 おこわあります」と書いたメモを添えた。夫の好物を用意すれば機嫌を損ねることはない。

 「急な用事で日本語学校の同僚と会うので、帰りは少し遅くなります。夕食は用意して

 あります」そう夫にメールを送ったが、夫からメールの返事が返ってくることはなかった。

                                                  つづく

              *このお話のストーリーはフィクションです。






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Last updated  June 16, 2009 12:02:05 PM コメント(2) | コメントを書く
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