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昨日からのつづき。木曜大空港 GATE24趣里さんが好きです。博覧強記の職員役は当たり役ですね。小さなお子さんがいるはずなのに、すごいなあ、たいへんだなあ、と観ていました。顔ぶれは豪華でしたし、真栄田郷敦さん、板垣李光人さんのような人気俳優さんたちも演技力は十分、彼らが、ワンオブゼムでは、もったいないくらいですね。ただ、若手のあの顔ぶれに加えて、柳葉さんや松雪さん、田辺誠一さんなどを活かせる脚本を書けるかどうか、ですよね?吹越さんもいたね?正直な感想を書いてもいいかしら。作った方たちの名誉を貶めるつもりはありませんよ。個人的には、今期2番目に文句を言いながら観ていたドラマでした。そういう意味では名誉挽回のためにも続編を希望します。観たいよね、あの顔ぶれで。しかし、お話としては、おそまつと言いたいものが多かった。う〜ん、趣里さんが(役名は?あれ?森万智さん?だっけ?)博物学的知識を動員して謎を解く展開は文句なしにおもしろかった。でも、一見おもしろそうな、外国で亡くなって、骨つぼで帰国した(らしい)奥さんが「なぜか」空港レストランで、品切れになるくらい、いなり寿司を、食べるのは何!?おもしろいの?それ?とイライラしながら観ていました。「おもしろいでしょ、笑って」って言われてるみたいでいやだわ。だいたい、おもしろくないし。おもしろい、の感覚が合わないのか。まあ、その感覚が同じ脚本家さんだといいけどな。私がフツーの冗談を理解しない人間だということも大きいだろうけど。(私がわるいってことでいいです。)じゃあ、どの話がおもしろかったか、思い出してみようかな。う〜ん、思い出せない(まさか、ないんじゃ!?)キャラクターだけかな?設定も素材も難しいとは認識しています。頑張れ〜!(無責任な視聴者)文字数だけ多い。ムダにたくさん書いた。金曜名探偵のままでいて今期いちばん文句を言いながら、最後までしっかり観たドラマ。俳優さんたちは、みなよかった。主演の奥田瑛二さん、孫娘の吉川愛さん、同僚の先生とその後輩、お名前はおぼえてないけど、あ、後輩の四季くんが、綱啓永さんなのは憶えた。そして後半重要人物の小林少年を坂元愛登さん。うん、でもね、これ、基本、謎解き展開が好きなのと、レビー小体型認知症の幻視というのに興味があって観ていたんですけれども、原作小説がありますから、どのへんまでドラマオリジナルの展開なのかはわかりません。さんざん文句を書いていたら原作のままです、とか、これはドラマオリジナルの工夫です、とか、まったくポイントを外した指摘だと困るので悩んでいますが、どちらにしても、これはどうかしらね、と思ったことは書いておきましょう。ずっと身近で過ごしてきた人物を「犯人」にするのは、読者または視聴者の衝撃を狙うだけの安易な手法かと考えます。そこにいたる必然的な理由があって、そのために、物語を組み立てるなら理解するけど、あれでは陳腐なゲームシナリオです。キャラクターを駒として使っているだけだ。なんすか、「言語聴覚士になりすまして」!?聴覚士、なめんなよ?ゲームか!?職業に敬意を!後半にも、あと何人かいますね、実は〜のしわざだったのです!じゃ〜ん。勘弁してよ〜〜。子どもだましにしても安易すぎる。まあ私が、あの仕掛けを喜んだら、何のために小さい頃から本を読み続けてきたのかってなりますから、当然の反応でしょうね。俳優さんたちには同情します。大変でしたね。お芝居は、よかったです。そして、上の大空港も合わせて「(配役が)ネタバレ勝村政信w」と言いながら観ていました。今年は「豊臣兄弟!」から、良い人そうに見えるけど、実は悪人という役が多すぎた。(私が観すぎなのか?いや、そんなに観てないぞ。いつもそうなの?)キャスティングに工夫が欲しいですね。他にいないのかな、いや、勝村さんが上手過ぎなのか。そもそも悪とは何か・・・(またかい)何にしても興味深く観ました(結局)ありがとうございました。リーガルビート吃音のある弁護士を主人公にした、弁護士ドラマ。小雪さんが、理解ある社会派弁護士事務所長、同僚のエース弁護士に稲垣吾郎さん、ラップだとつっかえずにことばが出てくるので、ラップのシーンも多く、主演の鈴鹿さん、ラップ仲間役のチキン店主前野瑞樹さんは(親友役の方も)ラップを練習されたんですかね、違和感なかった。ただし、うちの家族の反応を見ていると「弁護士ドラマにラップはどうかな?」というごくフツーの反応。うん、私は好き、かな。できないことを乗り越えるために、いろんなことを試してみるのは全然あり、でしょう。外野の私たちは偏見を越えて行こう。ひとつひとつのお話も興味深いものが多かったですね。社会問題をきっちり取り上げていた。唐田えりかさんがASDの研究者を演じたお話は、かなりの評判だったようですね。上手だった。あのポリポリがリアル。あと、そうか、介護などで時短勤務を希望する人のための配慮も合わせて、合理的配慮を求められると、提供する側は、ただの損では?って話題につながっていましたね、あちこちで。私の印象に残っているのは、おかあさんのSNSに自分の写真やスケジュールを載せられるのを(ひそかに)嫌がっているバレリーナ(だっけ?)の女の子と実はその子と仲がいいけど、放火の疑惑をかけられる同級生の女の子という初期の話。SNSってある意味、見せびらかし装置だよね、と考えました。見せびらかしたい気持ちがなければいいのかというと、そんな気はなくても受け取る側が勝手に嫉妬にかられているおそれがあるのでそう単純ではないな。範囲が広くなったから余計にややこしいね。人の気持ちなんてわからないものだ。そんなふうに思うのがおかしい、とか言ってちゃダメなんだよな。繊細な思慮深い世の中になったな。私は今のほうがずっといいな、昭和より。昭和の後半も生きたけど。ドラマに戻ると、一見イヤなヤツに見える有能キャラが実は気のいい人って役を稲垣吾郎さんが演じるとよいですねえ、よかった。小雪さんもよかった。あとは、伊藤万理華さんがなにげに記者さん役で。そして、物語まとめの黒幕に最初から登場していた「美濃の〜熊殺し〜」がw 違うよ、田中哲司さんですね。出ている顔ぶれはかわらないんだな。今の大河と(前の)朝ドラもかぶってるし。無戸籍者も社会問題かな?いろいろ問題提起した奥行きのあるドラマでしたね、つまり。長くなりすぎた。もう少し。金曜には、TVerで「ストレンジ」も観ていました。伊藤潤二さんのホラー漫画をドラマ化したシリーズ。ホラーは苦手です。怖がりながらおそるおそる観ていて、円井わんさんの回を観たらもういいやと思っていたら、最後まで観てしまった。石原良純さんが狂気の(実は切ない)おとうさんを演じる回と最後の利重剛さんが(真に切ない)おとうさんを演じる回が印象に残っています。「緩やかな別れ」お別れ、だっけか?利重剛さんは「さよならノワール」でも重要なおとうさん役でしたね。1話30分のドラマはいいですね。今期は「スピナーベイト」とこちらと、「孤独のグルメ」も楽しんでいました。延々と再放送してるし。そして、「ストレンジ」のオープニングとエンディングテーマもとてもよかった。どちらも、なんでもないときに頭の中を流れているときがある。つまりわたしの日常はホラーかな?あと、金曜は、いろいろ考えた「Tシャツが乾くまで」もあり、頭の中は考えることで忙しかった。まだ続きます。さっさと書いてしまわないと、と思っているから忙しい。
2026年09月28日
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そろそろ放送が終わって、秋のドラマの録画予約もし始めたので、夏ドラマの感想を書いておきます。3月に始まった「風、薫る」も終わったね(^_^)観ました、という記録と、印象に残っていること。基本的にメモを書いておかないので、記憶が頼りです。そして、ついに観念して、カテゴリを作りました。自分で内容を確認したいときに困るんですよね。カテゴリとして残せるほどしっかり書けない、という自覚はあります。(いいわけ)過去日記のドラマ感想は追ってカテゴリ分けしておきます。整理整頓が苦手です。誰かやってくれたらいいのにな。(訓練だからね?)前期の「サバ缶」感想を書いていたときに、最終回前に、最終回を観たと勘違いしてまとめの日記を書いてしまって慌てたことを憶えています。今回も、それをやりそうになって、月9の「ブラックトリック」、まだ最終回があった。なんか変だな?とクビをひねりながら次回予告を観ていて、2度目を観て(旦那ちゃんと)やっと最終回ではないことに、気付きました。まあ、ですので、あまり気合いは入っていないけど、記録として残します。でも情報として、間違っちゃいけないと緊張している。のですよ、ドラマ感想は、毎回。とりあえず初回を観て、おもしろいと思ったら続きを観るようにしています。今期は、結局観始めたものは最後まで観られました。月曜終わりになるように、火曜日から書こうかな。火曜さよならノワール小池栄子さんと北香那さんが犯罪被害者支援員のバディを演じた、これは、刑事物かな?カテゴリとしては。北香那さんの演じた空気が読めない、自分の正しさを疑わないキャラクターが、実にウザイながらもどんどんクセになってきて、もっと観たいな!となりました。北さんがとてもお上手でした。「ばけばけ」のお嬢様もよかったし。初回からずっと、まとめを見据えたよく考えられた構成と描写になっていましたね。岡山天音さんの得体のしれない何かを背負ったような複雑な人物表現もさすがでした。結局「悪」って何だろうね?に戻ってしまう←「グリーンマイル」観たばかりのヒト。正直「観ようか、どうしようか」と迷っていたら岡部たかしさんの声がしたので最後まで観てしまいました。小池さんは観ていて安心。戸田恵子さんも。あと、主題歌のチルズポット「ドラマ」はこのドラマにぴったりでステキな曲でした。MVも何度か観てきました。名前、ややこしいよね。chilldspot 書いておこう。メモメモ。スピナーベイト 火曜深夜シナントロープがたいへんよかったので、それ以降、此元和津也作品をチェックしています。どうしても、悪と暴力の描写が欠かせないのは、活動分野の傾向もあるのかな。ご本人が「これからは、人の死なないものを書きたいと思っている」と語ってらしたので、期待しています。これは、マンガ原作の、高校生の自警組織を舞台にしたお話、高校生の自警組織だけど、悪い大人に利用されてしまうのね。これも「悪」って何?となりますね。憎んでも憎んでも、殺したところで、仕返しにはならないんだ。自分が納得できればいいのかな。それでいいのかなあ。なんだかむなしいな。本筋は復讐譚。これは、謎解き要素なので詳しくは書きません。駿河太郎さんの演じた人物が、ほんとに正義の味方かどうかは考え方によるよね。仕返しが大正義なら正義の味方でしょうね。加藤清史郎さんの高校生は、正義感がありながらも悩める様子がよく伝わりました。あと、萩原護さんの内くん、よくわかりましたね、葛藤が。思春期だな。群像劇として、魅力的なお話でした。仕掛けもしっかりしていて、は!?ってなるしおもしろかった。そして例によって考え込んでしまう。このドラマの主題歌も、私は好きでした。THE SPELLBOUNDの「Spinner」私が中高生ならハマってる、きっと。これもドラマにぴったりでしたね。自警団は、自分で自分を食う・・・と思って観てました。最後に出てくる埼玉県警が頼れる大人感ありましたね。梅雀さんが悪役で、なんだか、気の毒、よかった。水曜日ファーストクライ今期のきれいな作り話。ドラマとしては「そんなことあるかい!」とツッコみたいところがたくさんあったけどつくり話だからね。よくできたつくり話でした。わけありの未受診妊婦の出産を無償でサポートします!とな。こちらも観ようかどうしようか迷っていたら岡部たかしさんの声がしたので最後まで見てしまった。ドクタージャスティスw 旦那ちゃん大喜び。ワケわからん。徳永えりさんがよかったですね。中学生日記みたいだったけど。ウソではなく、現実問題として存在している、未受診妊婦や、望まない妊娠、出産の問題。うん、でもねえ、社会全体の栄養状態がよくなって、「年代的にはまだ子ども」たちの発育もよくなって、産めるようになったんでしょうね?無事に産めるんだから、あとは育てられる環境があればいいんだ。せっかく産める身体を手に入れたのに、幸せな人生を母も子も送れないのは残念なことだな。システムが追い付いていないのだな。前時代の先入観を、まずはぶっこわす必要があるだろう。30代で3人の赤ちゃんを育てた経験から考えると、産み育てるのはできるだけ早いに越したことはない。人として未熟なのだから子育てはムリ、は思い込みではないかと思うけど。10代だろうが、人間として生きることについてよく考えたら、さっさと産むという選択肢があってもいいと思う。なぜダメなのか、システムがないからか。ここからは堂々めぐりになるので、別の日に考えます。ややこしい話だし。無責任なことは言えない。前田敦子さんのコンシェルジュさんは、イマドキの若者を象徴していて好きでした。実に合理的で有能で、テキパキしている。山村紅葉さんのベテラン看護師さん(助産婦さん?)もよかったね。長くなるので以下、日記をわけます。
2026年09月27日
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昨日、旦那ちゃんと話したことに「子どもを塾に行かせる理由は何か?」ということがあって、その前に、中学校で働いて部活動の顧問も担当しているクマが、「今日は、アジア大会で決勝戦があるから、それを観て(^_^)」と子どもたちに伝えて部活を早めに切り上げてきた、と言うので「それぞれのおうちの都合があるから、その時間にテレビが観られるとは限らないわね?」とみんなで想像して、私は「子どもにチャンネル権があるとは限らないよ?」とおうちの人が子どもの興味を尊重して生中継をその時間に観られるように予定をあわせてくれたらいいけどねえ?と考えました。旦那ちゃんは「塾があるかもしれないし」と言うのでそれは、イマドキのあたりまえなのかもしれないけど(というか、常識なのかな?)私には、いまいち、納得できない。で、朝になっても考えていた。(考えすぎw)「学校で勉強して、さらに、そのあとも勉強の時間を取らせるのはなぜかしら?「安心したいのかしらね? これだけやらせておけば大丈夫だろう、って 保険かな?」「投資かな、将来高収入を得られるように?」ほほー、そんな考えがあるとは思わなかった。「イマドキ、勉強ができればできるだけ、なんとかなる、なんてことはないわよね?」「そうだけどねえ」たぶん、旦那ちゃんと同じように考える人も、多いのかもしれない。すくなくとも、みんなと同じくらいには勉強ができないと困るだろうと考えるのはやっぱり「塾は保険」的な考え方なんだろうな。ただ他人より勉強ができて成績がいいことで人生安泰なんてことはないだろうと私は、思っているけれど、難しいな。保険としての補習塾と、投資としての進学塾があって、後者をなんて呼ぶのか正確にはわからないけど、そのふたつをまとめて議論しようとするのは乱暴ではないかと感じる。(「行かない」と「行けない」を同じ「不登校」にまとめるのもわからない)つまり、塾に通うのはあたりまえだし、必要なことだという考え方を私は理解できていない。正直に言うと、学校で十分に授業を受けてきておりこうに過ごしてきた子どもたちに、その上(お金を払って)塾というところでもマジメに勉強しろ、なんて言いたくない。だから言わなかった。言わなくてはいけないような状況にならないように気を配ってはいた。旦那ちゃんが言うような投資としての塾通いを、もしも、子ども本人が望んだなら考えたかもしれないけど、環境としても難しかった。それは、育つ場所にもよる。何度か、例えば、私立や国立の上位学校に時間をかけて通うという選択肢もあるにはあるよと話したことはあるけれど(とくに、学校の成績のよかったネコスケに)彼がその通学の苦労や「さらに勉強する」ことの苦労を受け入れることはなかった。ま、そりゃそうだ。うちの子らの学習環境は、ノーベル賞学者も排出した公立ルートだから、環境だけではなく、個人の資質や努力によって進める道は変わってくるんだよ?と私は考えていたし、たぶん子どもたちもそう理解していた。すくなくとも、うまくいかないことのすべてを、環境のせいにすることはない。というようなことを、頭のなかで順を追ってじっくり理解していた母親としての私は子どもは塾に通って当然とは考えなかった。習いごとは、また別だよね(^_^)別の日に書きます。だから、小中学生が忙しい理由である塾通いというやつを、うちの子らはしたことがない。人によってはかわいそう、と言うかも知れないね?通わせてもらえないなんてって。まあでも、彼らは塾通いをしなくても学校の成績がそれなりに良かったので「なぜ!?」と言われる立ち場ではあった。だってそれを見越して育ててきたもの!合ってたよ!w昨日、連休中はお休みだった、小中学生のおかあさんである療法士さんと話していて「子どもたちは、連休のあとは、学校をいやがるの?」と聞いてみたら「そうですねえ。メンドクサイって(わかるw)ゲームとかで家にいても友達と連絡とれるんで、勉強がメンドクサイって。」「あー、わざわざ学校にいかなくてもいいわけね。うん、でも、勉強がメインなんだけどな(^_^)」「そうですよねw」うん、でも、勉強いやだなあって言いながらも、マジメに通えていたなら一定程度勉強ができるようになるというのが公立学校の存在意義だと考えますよ?学校に通う意味なんて、ずっと年を取ってから考えればいいんだ。楽しいかどうかとか気にせず、おなかいっぱいで眠くない状態で朝が来たら学校に行けるといいよね。それがわが子にできないと悩むおとうさん、おかあさんがいるなら、子どもの背負っている荷物をすこし減らしてあげることを考えてみるといいですよね(^_^)物理的にも、心理的にも。最小限で大丈夫26号もきた!秋雨前線も停滞中らしい。私は昨日日に当たったので元気、頭も整頓できた。手乗り羽虫と遊んだ。そして、お腹がすいてきた。(←バカ「グリーンマイル」と「八重の桜」を観ていただけ)あ、UMIさんフィーチャリングの「You」すこぶるいいですねえ。なんだかあれは、UMIさんのためにある曲って気がしてきたな。もう一方の「Weak」にインスパイアされた曲も聴きたいなあ、もちろん。いつか何かの形で聴けるといいね(^_^)
2026年09月26日
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授業中に立ち歩く子が多過ぎて、新任だった担任の先生の手には負えなくなり、ベテランの先生や、さらに上級の先生方も教室内の見守りに出動、私たち保護者も交代で見守りに行きましょうという流れになった、学級崩壊、もっと言うと学年崩壊では?とも言われたうちの末っ子クマの学年、上に書いた事態が起きたまさにその当時の学年委員長が、私でした。(クラス役員の長、みたいなもの。学年代表役員ですかね)クマが3年生のときの話です。委員長の仕事は主に、年に一度の学年行事の企画と実行でした。クマは末っ子ですから、上のふたりの小学校での学年行事をひととおり経験してきて、思うところがありました。子どもたちのための行事ですから、親が考える「子どもにとってよい、役に立つ」という内容は、正直、大人のエゴではないかと思えるものが多かった。少なくとも、じっとしていられない子どもの多いクマの学年、静かにしなさい、おとなしくしなさい、とおさえつけられるだけの時間を喜ぶわけがありません。活動的な男子が多い一方で、大人しく、知的な女子も多い印象でした。さて、どちらを中心に考えるか・・・3兄弟の母親ですし、男子たちが日頃どれだけガミガミ怒られ、「あなたのため、みんなのため」と口うるさく注意され、縛りつけられているか(心理的にですよ)その状況には同情しかありません。子どもたちは、別にわるくないじゃ〜んと思っていました。だから私は彼らを嫌ってもいないし、彼らが赤ちゃんのころからしっかり向き合ってあげられたら、学校でも「カッコイイ自分」でいられるように教えてあげられたのになあ、という、残念でくやしい気持ちでした。ずっと、今もそう思うよ(^_^)ですから、私の考えた行事の内容は「ドッヂビー大会」ドッジボールのボールをフリスビーに変えた、女子もあぶなくない柔らかめの対戦競技です。(それ以前に4学年上のワンの学年でやったことがありました。教えてくれてありがとう(^_^))体育館競技だから雨でもオッケー!待ち時間をなくすことで「そこ!騒がない」とか「じっとして待つ!」とか言われなくていいように体育館の床をいっぱいいっぱいに使って4クラス分4面のコートを作り、時間もめいっぱい使って遊びました。これで、待機時間はなしだ。(遊ぶって言っちゃダメなのかwたしか、児童の成長につながるものを、とかなんとかいう名目だったな。いや、だって本気で子どもたちのことを考えたらそれがいちばんいい!と思ったんだもの)よ~いどんで対戦開始、どこが勝った、負けた、はかまわず、みんな楽しんで!学校での1時間を好きに使っていいよといただいた私にできる精いっぱいでした。ハンドマイクを渡されて、実況と応援をしながら走り回りました。おしまい!とホイッスルを鳴らすと、散らばったフリスビーをくだんの暴れん坊のひとりが拾い集めて持ってきてくれました。ありがとう!ちゃんとできるじゃん、わかってるよ(^_^)「もういっかい」と手を合わせている子もいた。「ごめんよ、ここまでだ」おばちゃんには、そこまでの権限はないんだよ。女の子にも「フリスビーにさわれたよ〜」と報告してくれた子もいた。大人の考える、役に立つとか、ためになるとかじゃなくても、頭を使えば、学校でだって楽しく過ごすことはできるんだ。あれは、私にとっても印象深い経験になった。まあ、クマの学年はそのあともずっと、問題の多い学年ではあったんだけれども。でも、生命力にあふれた、おもしろい学年だったと思うよ(私はなんでもおもしろがる)少なくともクマは、おとなが言うほど暴れん坊たちをイヤがっていなかったし、問題は、他にもいろいろあったのだ。ね!? いろいろ経験した。経験は宝だ。私はあの子たちが好きだったし、いっしょに過ごせて良かった。ほんとにおもしろかったよ、ありがとう。みんなクマの同級生なんだから、同じように大人になったんだな。元気だといいな。
2026年09月25日
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いま、NHKの未解決事件の番組を観て、1990年代のDNA型鑑定の不確実さを知って、背筋の凍るような思いをしました。科学技術なんて、初めから確立しているわけではないのだから、初期はできないことがあるのは当然。そこで「これでは、わかりません」「あれは、間違いでした」と認められるかどうかは、習慣の影響も大きいよね、と考えました。間違えるのは「悪い」ことじゃなくて、あたりまえと考えたい。間違いは、減らせるように鍛錬が必要だし、まず、誤りを認めないと、もっと良くしていけないんだよ?ということを理解しておきたい。そして、間違いを指摘するのは、あなたにいじわるをしているわけではなくて、状況を正確に把握して、間違いをなくすために、できることがないか考えたいだけなんだ。 だから「失敗した!どうしよう!」となったときに、ごまかして苦しい思いを隠さずに、正直に「どうしたらいいと思う?」と相談できる人がいることが望ましい、よね? 私は、自分自身が小さいときに苦しい思いをしたという自覚があるので、子どもたちには、「失敗しないように努めること」ではなくて「失敗してもかかえこまないこと(誰かを頼っていいこと)」をわかっていてほしいと考えました。 それに、子育て中にもいろいろ失敗して、反省→手助けに感謝するという過程をその目で見てもらうことになりました。う〜ん、例えばねえ、園バスの停留所でのお迎えに間に合わず(家にいるのにね)玄関の前まで来てもらったことが何回かあります。(音: あ!バス、きちゃった!?)「うわあ、すみません。うっかりしてました」子どもたちに怒られた記憶はないけど、ちゃんと謝ってお礼を言っている私を見ていたことでしょう。兄弟3人お世話になった園ですから、PTA本部として恩返しのつもりで働きました。うっかりはよくやるんです。もちろん、小さい頃からの経験がありますから、なるべく気をつけるように習慣づけてはいます。また別の日に書きます。小学生に上がってからは、年子の体育着や給食着を逆に入れたりしていた。わるいことに自覚はない。子どもたちが学校で気付いて、それぞれの教室に取り換えに行くという対処を黙ってしていたので、何回やったか正確にはわからない。まあでも、彼らは「取り換えればいいことだから、別にいいんだよ」って気持ちだったでしょうね。自分がうっかりだと、他人のうっかりにも心を広く持てますから彼らも、いつもの仕返し!みたいに、指摘する必要はなかったんでしょう。だって、かれらのうっかりを、わざわざ指摘しないし、うっかりが続くなら、うっかりしなくていい方法を一緒に考える、のが習慣でしたから。うん、だからね、失敗や間違いを認めることが耐えられないって育ってしまうとツライだろうなと思うんですよ。失敗の内容にもよるし、もともとうっかりの傾向のある人に、人命にかかわる仕事は向かないなと思うけど、たいていのことは、なんとかなる。ただ、逆の問題もありますよね。本人が、失敗はして当然って開き直っちゃう。タチがわるい。開き直りはキライなんだ。だって、改善できるんだよ?改善しようという意志のある人になら、みんな協力してくれるんだよ。たぶん、ここに書いたようなことは、うちの子ら、ひととおり身に付いている。身に付いているから、問題なく社会生活が送れているのでは、と思うけど。さっき、早期教育に関する記事を見かけて、まあ、うち、もう幼児はいないので答え合わせ的に読んでみたんですけど、私にとっては、あたりまえのことばっかりなんですよね。早期教育という意味では、ワンが、3歳前に教育テレビの小学生向け番組を興味深そうに観てましたよ。(←それは、観せてただけだろ)小学校の子どもたちが教室で観るようなやつ。午前中が多かったかな?午後はお昼寝したり、外遊びしたり、テレビは高校講座とかになっちゃうんで、難しすぎた(母にとって、ねw)もちろん、観せっぱなしじゃなくて、おしゃべりする前のワン(?)とおしゃべりしながら。「これ、何だろうね?おもしろいね(^_^)」「あー!」とかね。あとは、パズルとかブロック遊びとか、手と頭をひたすら使ってた。下に赤ちゃんがふたりいたし。家にいるときは静かにして。子どもは外遊びもして、クタクタになるとぱたっと寝てしまいますからね(^_^)そう、5歳くらいまでに、習慣付いてしまうと助かることはたくさんありますよね。幼児の生活って、訓練と習慣付けには最適だ。三つ子の魂百まで?3歳か。何も考えなくても、愛情豊かな、他人にも優しいおとうさん、おかあさんならそれだけでいい子に育つでしょうね?私はねえ、「あえて、くるしい思いをするな!(頭を使え!)」と育てたつもり。だから、彼らが誰かに対して苦しい思いを強いることもないと信じているけれども。だったらいいな。おかあさんが何を考えて子育てをしてたかなんて、子どもは知ったこっちゃないよね。たぶん、うちの子らは、おかあさんはマンガ読んでゲームしてたって言う。そのわりに何も憶えてないのな?って。人生とは・・・。
2026年09月24日
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昨日は、いわゆる台風一過の青空で、お年寄りのみなさんは、「今日は空が高いわねえ」と見上げていた。つられて見上げるとたしかに、空は、秋のウロコ雲になっている。今回の台風は去っていったようだけれど、浸水や土砂崩れの被害はやっぱりあったらしい。想像するのは、大量に降った雨で、地盤がやわらかくなって、今もずっと、崩れやすくなっている状態だ(ニュースでもしきりに警戒を呼びかけている。なるべく山側から離れて就寝する、家のなかでも高いところに移動する、など)すこしも安心できなければ、自宅を離れて、安心できるところに避難したほうがいい。台風は、25号が行ったから今年はもうおしまい!なんて決まりはないので、「ねえ、これからまだ台風は来るわよね?」という答えようもない質問をされる旦那ちゃんには同情するけど、じっさい、何月だろうが台風はくる。そして、地球温暖化の現実も変わらない。きたら都度都度いちばん良いと思われることをして、やりすごすしかないんだ。冬になったらなったで、大雪の危険もあるし、考えても仕方ないな。う〜ん、なるべく心配しないようにして、日々楽しめることをして、着実に過ごすしかないんだろう。いやだいやだと言っていても意味ないからね。 月曜はリハビリに出かけない私は、大風雨の気配を感じながら、こんな日でも介護施設は休まず開いているのだよなあと考えていて、月曜も出勤だった職員さんに昨日聞いてみたら、「うん、思ったほどひどくなかったよ(^_^)送迎でびしょぬれにはなったけど」とたくましい。そういうたくましい人に私のようなボンヤリは支えられている。ありがとう。 2023年に倒れて、半年入院リハビリして、退院して、そのすぐあとから施設に通っているので、ちょうど3年が経過したことになります。いま実感するのは、麻痺した左脚の足の裏を、意識して、床に付けられるようになったこと。ずっとおそるおそる床に付けていたような感覚だったけれど。この調子で訓練すれば、うまく動けるようになる未来しか見えない(ワルイことは考えないのだw)私には見えない脳のシナプスがうまいこと働いてくれていればいいなと願います。栄養も睡眠も日光もちゃんととっているからね。(しかし、自分のことしかしていない)私の反面教師:今日の気付き「鮭が届いたから取りにいらっしゃい」と母が言う。塩鮭は塩分が心配なので「食べすぎないでね?」とひとこと伝えると「うん、あのねえ、大学の偉い先生が『ずっと塩分を取らなさすぎだから具合が悪いんですよ』って言ってたから。」・・・いや、それ、ユキちゃんも私もずっと言ってますけど?あの人、昔から権威に弱い。おかげで、私たちは、権威の言動を鵜呑みにしなくなった。誰が何を言おうと、理にかなっているかどうか、だ。まずは、自分の頭を使え。もひとつ、その鮭だかなんだかを、当然、うちが欲しいと望んだわけでもなく、これをアイコんちに分けたら助かるだろうというのは、母の考えで、旦那ちゃんなどは「頼んでないよ!」とも言いかねないところだけれど、くれるというものを「ありがとう」といただくのは礼儀と、私は育てられている。なので、旦那ちゃんに母がそう言っていると伝えて「取りに来られるときにきなさい」と言っているよ、と。母にも「旦那ちゃんにそう伝える」と話したのだが、私がいないあいだに、「今日取りに来ないの?明日来るの?」と電話がかかってきたのだと、ちょっとプンスカしている。連休中で道路が混んでいるから車で外出したくないという都合は、私にはわかっても、運転しない母には、まったく想像できないだろう。ああ、めんどくさい。つまり、母の「いつでもいいから取りに来なさい」はまったく本心ではなくて、本心は、今すぐとりにきて、なのだ。その本心を想像して、わが家の予定を合わせることを私は、しないので、また何か言ってきたら、いちから説明することになる。本心を押し隠して、いいカッコしようとすることを私は嫌う。なるべく率直に自分の気持ちを伝える習慣があるので、うちの子らもみなそれがあたりまえで育っている。とくに、子どもには、そうしたほうがいいと思いますよ?言ってることとは違うけど想像してわかってくれ、なんてメンドクサイだけじゃん。合理的でないからいやだけど。率直に伝える習慣がついているのは、母が反面教師として存在しているからだろう。むしろ、AIのほうが、これから、へんな忖度しそうだね?だれかが「人間の都合」を条件として設定したら。AIを作っている人たちが、開発を減速したほうがいいという方針になったということは、ヒトの存続に関わる事態なんでしょうね。ついでに「儲かればいいのか?」も考えてほしいよ。まあ、というようなことを考えていて、今日もお腹が減るよ。何もしてないのにな。何も書かないけど、風さんのPrema月間のできごとには嬉しくついていっていますよ。(たぶん)UMIさんをフィーチャリングした「You」の発表も楽しみです。ピアノリサイタルも観に行かれる方々がこの上ない喜びを感じられますように。楽しみですね。もう、ほんとにね、風さんの「好きと得意」を体現したステージになりますね(^_^)最上の成功例になって! まあ、ボチボチで。(結局ゆるい)
2026年09月23日
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台風25号がゆっくりと進んでくるので、先週末から関東は大騒ぎです。まあでも、暑くはないな。台風通過中の島々やこれから最接近が予測される千葉県のみなさんは大変ですね(先日浸水したばかりで)。しかも台風のそばだけでなく、別の場所でも線状降水帯予測が出ているとのこと。みんななんとか身を守って。何もできないけど、お祈りだけはしておくよ。うちあたりもずっとくら〜いの。お日様が恋しいな。自宅から通勤しているクマは、台風直撃だと、移動手段に困るところだけれど、さいわい、連休。お盆休みに休めなかったワンは、秋の連休には帰ってくるつもりと言っていたけれど、様子を見てじっとしていることでしょう。アジア大会の中継で2週つづけてドラマ放送がお休みのビヴァンでは、ラジオ(ネット配信コンテンツ)の悪役会議室が夜も朝も大盛り上がりで、みんな楽しそうでうれしい(^_^)チョッキーも大人気!今日は、会場でのイベントがある予定だったみたいだけど、口々に「今日は台風だからね」「しかたないね」と台風の様子を見てじっとしているようなのが、微笑ましい。悪役会議室の出演者のみなさんのことも、みんな大好きで、チャットでもステキなコメントがたくさん流れていましたね、見ましたよ〜(^_^)何だかほんわかするよ。ありがとう。みんなの「好き」のパワーが良い方に進みますように。応援します。あ、そう、で、私はしばらく音信不通のネコスケをひたすら心配していて、つまり、ただの心配性のおかあさんだったのですが、自分で書いた「小鳥の自由」(9月13日)という日記に自分で納得して乗り越えました。あれ、合ってるな!?w あのまんまだね。「自由は何にも代えがたいものだ」そして、自由を保持するためには、自分自身で自分が死なないように努めることができないといけない。ネコスケにはそれができるんだ。心配するなら、私は自分の心配をしたほうがいい。ほかの人の心配をしても役には立たない。栄養について理解していて、美味しいご飯を作ってくれるクマもじきに巣立っていくことだろう。(昨日はキャベツたっぷりのキャベツ焼きを作ってくれた。)今はネットが便利なので料理のレシピなどはいくらでも調べられる。実験し放題だ。材料がずっと高いのは困るね。でもインターネットには、みんなの進む道を広げる効果が大きいよね。ネットをとおして、広い世界を覗いてみよう。では、台風の被害に備えて気力体力を温存します(いつもどおりでは?)災害対応のために働いてくださるみなさんにありがとうはやく収まりますようにおまけ: クマに「エッセンシャルワーカーといえば?」と聞いてみたら 「個人的には鉄道関係の人たちでは?」と言っていました。 電車が停まったら世の中、何も動かない、と感じているらしい。 「いや、でも、地方では、廃線も多いんだよ?」と言ってはおいたけれど 代わりになる手段を確立できればいいんだろうね。知りたいことは、あとからあとから。それでは、お気をつけて
2026年09月21日
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子どもが3人いますが、学校に行きたくない、と言われたことはなく、憶えているのは、以前書いた長男ワンの、1年生のときの登校班の問題。「その「楽しい」は間違っている」(8月21日) あとは、次男ネコスケが幼稚園年少のときの「ようちえん、ながしゅぎる!」発言。そもそも、収支として、私が働いて小さな子ども3人を他人に預けることを考えたら自分で面倒をみたほうがずっと安上がりだった。もしかしたら、みんなそうだったりしない?(いや〜、私の能力が、低過ぎか?)もしくは、あれか?ひとりで子どもと向き合っていると、世の中から見捨てられたような気持ちになるっていう?世の中で評価されて初めて認められた気持ちになる?やつかな?←全然共感できていないw ワンが1年生になった年に、ネコスケが幼稚園年少になって、末っ子クマは2歳だったので、ひとりで子どもと向き合うというより、私は子どもチームのリーダーくらいの感じだった(やっぱり、能力が低いな)出かける子たちのことは「いってらっしゃい」と見送って、私とクマは、週にいちど、ワンの「ことばの教室」に同席するために小学校に通っていた。そのあと、下のふたりも「ことばの教室」に通うことになるとは、予想していなかった。結果、3人分、クマが6年生になるまで週にいちどは学校に顔を出していた。イヤだと思ったことはないなあ。発語矯正のノウハウをこの目で見たいという気持ちが強かった。いい経験になったよね。 私は、こんなことをしている場合じゃない!とは、少しも思わなかったので、これは「子育ての真実」という日記に書いたとおりで、よく考えればわかる。そのときできることを、全力でするだけだ。PTA役員は、下に小さな子がいる人は免除という慣わしになっていたので、そのあいだは堂々と甘えさせてもらって、末っ子クマのときには幼稚園PTAの副会長と会長をやって、小学校以上は、兄弟でもそれぞれに一回という慣わしに従って中学校まで、ひとり分一回ずつは役員をやりました。高校は、遠慮させていただきました。高校のPTA活動に意味を感じなかったので。そもそも好きなわけでもないし。 戻ります。幼稚園児のネコスケが「ようちえん、ながしゅぎる」と怒ったように言い出したとき、「うん、で?」と思いました。もう、ことばで伝えられるようになっていたので。まあでも、しっかりもののネコスケとはいえ、幼稚園では「頑張って」いるに違いない。そりゃ、毎日疲れるよね。たまには、休みたいだろう。うん、いいよ(^_^) おかあさんとクマは家にいるのだし、行きたくない日は、休めばいいよ。行きたい日は、行ったら?少なくとも「行ってくれないと困る」という状況では、少しもない。むしろ、ネコスケが家にいてくれたら、私も楽しい。クマも楽しい。何をしようかなとわくわくしていたら、何のことはない、フツーに通っていた。私がしたのは、幼稚園の担任の先生に「本人がこのように言うので、休むと言うときには休ませます。どうぞご心配なく。」と連絡しただけ。登園はすでに、彼の習慣だった。だし、認められていたネコスケには、幼稚園での役割がいろいろあった。つまり、子の気持ちを理解して、休みたいなら休めば?と言えれば問題ないってことかな?あとは、登園登校が習慣づいていて「必死で頑張らないと」いけない状況でないこと?集団生活がだれにとっても楽しいものではないというのはあたりまえだよ!?家で静かに本をめくっていたい日だってある。でも、気分で、それをやられては困るというなら、「苦しくない」登校を習慣付けてしまえばいい。「じっと耐える」「頑張る」必要がある環境なら、行きたくないのがあたりまえだよね。大人の仕事も同じだと思うけど。「頑張って苦しい思いに耐える」ことが必要な毎日なんて、誰が送りたいものか!?耐えなくていいように頭を使おう?(^_^)子どもたちに、「ダメ」と言いたくなかった私は、言わなくて済む方法を散々考えた。さいわい、旦那ちゃんが働き者で、休日は子どもたちの遊び相手を喜んで引き受けてくれたので、余程贅沢をしなければ一馬力で不足なく楽しく暮らしてこれた。目標は、子どもたちが、自分の「好きと得意」を活かして生計を立てられるように育てることだった。そのあとどうするかは、現在進行形だから、また考えるよ(^_^)うん、なんかねえ、結局、うちは、旦那ちゃんが偉いんだねって気がしますね。私は末っ子クマの大学修了前に倒れたし、死ななかったし、どうしたらいいかわからないよね、フツーは。いくら機嫌のいい私だって、突然身体の半分が動かなくなれば機嫌がわるくなることだって、ある。まあでも、アホのポジティブだから、私は。ただ、みんなと楽しく過ごせればいいんだ。「You」のMVも観られてよかったよ。残りあと2曲ですねえ。
2026年09月19日
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朝から空にもくもくとした雲がいくつも見えて、もうすぐ台風がやってくるようだけれど、朝はお日様も覗いていた。リハビリの合間に庭に出て、空を見上げてみた。もくもくとした雲(入道雲=積乱雲)は、水蒸気の固まりだ。あれがどんどん大きくなったら、やがて限界を迎えて、大雨を降らせる線状降水帯になることもあるんだろう。関東には、週末に台風がやってくる見通しで今日は雨の予報はなかったようだな。と考えていたら、車椅子に座ったオジサンが頭を撫でた。「・・・雨?」雨は降らなかった。帰りの夕方の空は細い筋状の雲と朝と似たようなもくもく雲で秋と夏の空が同居しているみたいだった。風が少しずつ涼しくなってきたね蝉は、あいかわらず元気に鳴いている。カナカナはまだかな。台風を、人間は消滅させることはできないのかな?と聞いてみたら「それには、核爆弾くらいのエネルギーが必要だね」「それは・・・ガマンするしかないね」台風の動きや被害は、予想できるものだったけれど予想できない天候の変化には、都度都度対応するしかないんだろう。ひとつひとつ、だ。冷静な頭と行動が必要だね。できるよ大丈夫
2026年09月18日
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夏ドラマが終わり始めたので、その前に、残しているドラマの感想を書きます。勿忘草の咲く町でNHK BS 原作は、実際にお医者さんでもある夏川草介さん主演は、福本莉子さん(看護師)、菅生新樹さん(研修医)。「死神」と呼ばれている受け持った患者さんが亡くなっていく医師に内藤剛志さん。その他みなさん、よかったですね。あー、役者さんが、ということではなく、福本さんのおかあさん役のいかにもいかにもなステレオタイプの描写にはうんざりしましたね、なんだっけ、昔の大林監督の映画の主役だった人(あまりにテキトー)。いかにもな描写っているのかなあ?喜ぶ人がいるのかな?思い出した。富田靖子さんだ。なんだ、お国ことばとか嬉しいのかな?それならそれでいいけどさ(^_^)(なら書くなよ〜)病気が治って帰っていく人より、そこで亡くなる人のほうが多い地方病院。都会、地方、関係ないですよね、少し前に同じNHKで放送していた「お別れホスピタル」もそのような内容でした。どこも病院は、同じようなことになってる。それは実際に入院していた身としても実感しましたよ。まあ、ですから、「お年寄りは『元気になる』ために入院するのか?」ってみんなが考えることなんでしょう。一般の人よりも、医療現場の方がたは、もっとずっと直面する問題なんでしょうね。「お別れホスピタル」で、岸井ゆきのさんの演じる看護師さんが、癌を患った患者さん(古田新太さん)の病棟の屋上からの身投げを受けて「死なれてたまるか」としぼり出したセリフが印象的でした。これは、入院患者の心得を考えるときにとても参考になっています。書かなくちゃと思いながら、先延ばしにしていたので、ここに書かせてください。「お別れホスピタル」には、これまた松山ケンイチさんが出ていて、あの頃からずっと続けて松山さんを観ている気がする。(テミスとかリブート、オスシ、T乾)医師や看護師さんたち、病院で働く人たちは患者さんが、よくなって帰っていくことを応援してくれているのだから、患者本人も家族もそれをわかっていなくてはいけない。これは、あたりまえ。それをわかっていなそうな家族がたくさん出てくるドラマでしたね。患者本人が年を取りすぎて「よくなって帰る」ことを理解できていないとき、代わりに判断することになる家族は、よく考えておかなくてはいけない。三浦さんちの、「風、薫る」の環ちゃんのお父さんの俳優さんは、お名前何だっけ?あの方が、おじいさんを病院に預けたままで、「お金は払うから、できることは何でもしてください」と。これが現状でしょうね?「生きること」と「死ぬこと」について全然考えてきていなくて、「死なないこと」(身体の生命維持を続けること)が、誰のためにも最善であると考えている人が多い。中には、うちの旦那ちゃんのように、肉親の最期にあたって、形だけの延命は、本人のためにも、家族のためにも、役に立たないのでは?と疑問を抱く人も、いまは、多いだろう。その感覚は、じわじわと広がっていくんだよ。だから、まだ直面していない人たちにも広く知ってもらうために、このような医療ドラマはとても役に立つと考えます。ありがとうございます。私は自分自身が3年前に、もしかしたらアッサリ死んでしまっていてもおかしくなかったと自覚しているので、ホントに「死んでしまう」までは、健康を維持できるように努めようと考えている。そのためには、医師や栄養士さんや、療法士さんや、看護師さんたちのように、その道の専門知識をたくさん持っている人たちを信頼している。そして同じことを私よりずっと長く生きたうちの母親にもわかってほしいと考えている。私にわかるのは、母の気持ちと専門家の人たちの気持ちがすれ違っていること、だ。お医者さんたちは「敵」じゃないし看護師さんは「見張り」じゃない。そんなこと、みんなわかっているはずだけど、病院にいることを、反射的に「自分の自由を制限されている(からイヤだ)」と考える人は多いようだ。グチや不満は多いよね〜。誰も好きであなたの自由を制限しているわけではないさ。言われたとおりにして、元気になって帰ろうよ。お腹の底からそう考えている私は、誰に対しても、それが伝わるように話すことができる。もちろん、自分の不調を黙っているのもいけない。少しの違和感でも、伝わるように伝えなくてはいけない、相手はプロだから、表現があいまいでも、わかってくれることが多い。今年、栄養士さんに話したのは「料理の手間を減らすために週にいちどは外食(テイクアウト)を取り入れたい」、これは減量のためには「ダメ!」と言われると予想出来ることだけれど、外食メニューを取り入れるなら、という策を考えてくれた(^_^)ありがとう。そして、私は約束した運動を怠けない。「栄養士さんの『いい成功例』になれたらいいよね?」は、私の言ったことだ。アホのポジティブだw無理しないで、苦労しないで、目標を達成できたらそれがいちばんじゃん?苦労を重要視する文化っていつまで続くのかなあ。マイルド不登校という現象があるという記事を見かけて、コメントを読んでいたら「ガマンが足らない!」とか「自分だってイヤだったけど、頑張って学校に通ったんだからみんな頑張ればできるはず」とか、ガマンや頑張りを強要するものが多かった。ガマンも頑張りも、「好きなこと」に使ったほうが、ずっと効率がよいよ(^_^)?だから、そうすると、学校を「好きなこと」にしてしまうか、他に、身を立てるための「好きで得意なこと」を見つけるか、だよね。「好き」は「得意」を支える要素だな、とさっき考えました。「得意」は極めると「専門家」だ。みんな何かの専門家であればいいなと思うよ。何か見つけておくれ(^_^)
2026年09月16日
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8月14日に「排水と、怒りに怒りを返さない方法。」という日記を書いて、そこにハザードマップの基準も変わるねと書いたんだけれど、河川の氾濫や土砂崩れだけでなく降った大雨の排水が間に合わないことを想定した危険地域を示したハザードマップもすでにしっかり存在しているそうです。=内水氾濫のハザードマップ。いまNHKスペシャルを観ました。国交省の「重ねるハザードマップ」というページで確認できるとのこと。情報は存在したが、おかあさんが見ていなかっただけ、はクマにツッコまれたことでした。たしかにそうね。あとひとつ、思ったのが、砂場で散々、水と砂を使って遊んでいたうちの子らや友だちは、低いところに水が溜まったらどうなるか、身を持って知っている。もちろん私も散々泥遊びをしたので、知っている。思考のスタートは身を持って体験したことや知ったことなんだろう。泥まみれになって遊ぶことには意味がなくて、机に向かうことには意味があるなんて、少しも理にかなっていない、よね(^_^) 遊んで、遊んで!アジアの繊細な手仕事を活かした洋服や雑貨が大好きで子育てのかたわら、コツコツ買い集めていた。私がたおれたあと、あまりに数が多いので、旦那ちゃんは見なかったことにして全部押し入れの中に押し込んでしまった。ガミガミ怒られるよりはマシだけど。頑張れば着られるものもあるので(脱ぎ着が難しいのよね)じわじわ一軍に出して行こうと考えている。花飾りのついたベトナムのアオザイを模したワンピースを着ていたら、職員さんがかわいいと褒めてくれながら「アジアが好きなら、あの〜『VIVANT』ビヴァントってドラマがおもしろいよ」と教えてくれました。あ〜、そうね(^_^)「観てるw」「あ、観てる?(^_^)」そういう流れで観てるわけでもないんだけどね。教えてくれたい気持ちは嬉しいよ。シーズン2の前半が終わりました。悪役会議室も大盛り上がりですね。同接22万って数字見たよ!観ていてひとつ気になっているのが、チョッキーやリュウミンシュエンのゲイの描写が古すぎませんか?そのうち、怒り出す人がいるんじゃないかと心配している。ノリが昭和なんですけど、当事者的にはいいんですかね?あれで。まあ、かわいいけどね。世の中の流れとドラマの進行を注視しています。自動車のウィンカーのカチカチ音は何の音?というのをチコちゃんでやってますが、書きませんので、調べていただいて(何で書いた)それより気になるのは、最近、運転している人が「ウィンカーを出すメリットがわからない」とむしろ「自分の行動を知られたくない」と考えてウィンカーを出さない人がいるという話があって、そんなバカな!wと親子で話したことを思い出した。つまりさあ、運転免許が取れるまでは教官の言いつけを聞いて、しぶしぶウィンカーを出すけれども、その後、路上では出さないと。こわいわあ。それでいい、と考えてしまう思考の流れがこわいわ。危ないからね。周りもあぶないし、自分もあぶないよ?子どもに堂々と教えられないことを、大人がしないでくだされ〜
2026年09月14日
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私のカバンに小鳥のイラストがついているのを見た職員さんが、「鳥、好き? 飼ってた?」と聞くので子どものころを思い出して「飼ってたよ(^_^)」「小鳥が好きなの」と話したら夏休み中に、飼っていたインコを逃がしてしまって、子どもに号泣されたと話してくれた。「あー、わかる。私も逃げたインコが帰ってくるかと窓のそばで鳥カゴを開けてずっと待ってた」「うん、AIに聞いてみたらさ、インコに帰巣本能はありませんって言われちゃってさそれでも近くまで来てるかもしれないから探してみてって。」そうねえ、あの小さな頭に、うちに帰る知恵は搭載されていないのよね。半日窓際で泣いていて、母に「しつこい。当てつけはやめろ!」と怒られたことを理不尽だと長年不満に思っていてあのとき私は「あのコは、あんまり頭がよくなかったからなあ」と納得したことを思い出した。鳥カゴの出入り口が開いていたから出てしまったというのは、外の世界に出たらどうなるかわかっていなかった、ただそれだけだ。そんな世の中を知らない小鳥が、無防備に外に出て、猫やカラスにおそわれたらひとたまりもないだろう。その危機を想像してずっと苦しい思いをしたけれど、それでも、自由は何にも代えがたいものだ。逃げたインコがどこかで集団で野生化しているという話を聞いたことがある。あのコたちは、南国の鳥だから、食べ物さえ確保できれば温暖化した日本でも問題なく栄えて行けるかも知れないね。誰かを閉じ込めておくのは、いくらかわいがっている気持ちでもやっぱりよくないことなのかもしれない。そういえば、その泣いてたお子さんは、新しいインコを買ってもらうことで、納得したらしい。私よりずっとおかあさんには優しいけど、え!? それで解決するの?とマジメに聞いてしまった。そんなんで解決しないよと考える私はつくづくめんどくさいやつなんだな。私はもうずっと、動物を飼えなくなった。こわくて飼えないよ。
2026年09月13日
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8月の終わりに「その1」を書いてから、今日までに書いたことをすべて踏まえて「その2」を書きます。何を書くべきかがわかりました。ただそれぞれの子の誕生と成長を振り返っても意味がない。 私は今、子育ては楽しいことばっかりだったと思っているけれども、実際には、いちばんシンドイと感じたのは、長男のワンとふたりきりで向き合っていた時期だった。どんなにかわいいと思っていても、それでも息がつまるものだ。ふたり目のネコスケを産んでネコスケが家にやってきたとき、ふたりきりでないことに心底救われた気持ちになった。産まれてしばらく、首がすわり腰が座るまで、ベビーベッドに横になっていたネコスケのただ寝ているだけの姿をひたすらビデオに収めていることを自覚したとき、例によって「アタシ、バカかな?」と思った。ネコは寝てるだけだ。それでもかわいかった。もちろん、ワンもかわいい。でも、ワンという人と私は共に過ごすには、人としての相性がよろしくない。あの子はガンガン外に出て、お友だちにかけよってニコニコと「いっしょにあそぼうよ!」とアピールする子だった。それは、ワンの生まれ持った性質だ。おかげで連れて歩くとたくさんの大人にも声をかけられて、ものをいただいた。スーパーでワンをベビーカーに乗せて買い物していたら知らないおばあちゃんに「まあ、なんてきれいな赤ちゃん!おばあちゃん、こんなにきれいな赤ちゃん見たことない!」と言われて、「ありがとうございます」と言いながら少し戸惑った。それは、アパート時代の話。引っ越してウロウロ歩き回る、いっときもじっとしていないワンを追いかけながら散歩していたら、知らない女性が「まあ、かわいい。、これね、お菓子を、あげてもいいかしら?」とたった今、買い物してきたらしい荷物から、ポン菓子みたいなお菓子をまるまる一袋出してくれた。「え!?いいんですか?」せっかく買ってきたのに、通りすがりのワンに、もらっていいものかどうか、しばし考えた。でも、この子にお菓子をあげたいわ〜というおばさんの気持ちは大事にしたい。(母親の私は、実は、ものをもらうのが苦手だ)ワンの代わりに丁寧にお礼を言ってありがたくいただいた、私は、いらんがな。「その1」に書いたとおり、どんなにかわいいと思っていても、うっとうしいこともあるし、かわいく思えないときだってある。その気持ちを私は理解する。そして、運悪く、そんなときに、子どもの生命の安全をおびやかすような事態に結びついてしまうことだってあるのだ。おかあさん、おとうさんたちも助けてあげないといけない。私は、そうやって、外に出て、「かわいいわね」と声をかけてもらうことで「ああ、この子はかわいいんだな」と再確認した。あのころ、ネットでは「上の子が可愛くない」(下の子が産まれたら上の子が邪魔なだけに感じられる)と訴える人がたくさん出現していた。あれって、あの当時だけじゃないよね?今でも同じだと思うんだよ。子育て生活は、誰かひとりに集中させちゃいけないな。うてる手は打とうよ(^_^)赤ちゃんや小さい子どもを邪魔者扱いしてる場合じゃないよ?これは私のヒトとしての本能だけど。赤ちゃんがうるさいとか、ジャマだとガマンできない人の気持ちがどうなっているのかも気になるな。こないだテレビで放送してた『8番出口』に満員電車で泣き叫ぶ赤ちゃんにブチ切れてる男の人が出てきたけどあれはむしろ、その状況下に赤ちゃんを置いてしまう親へのイライラじゃないかと思いますね。(いや、静かにさせろよ!って怒鳴ってたね)私も、赤ちゃんには同情する。言えばわかるネコスケだけどまともに話し出すまでは、かんしゃくを起こして泣き叫ぶことがあった。すると、小さな子に慣れていない旦那ちゃんがうろたえる、近所迷惑だと。「この子は大丈夫なの?」と不安そうに言っていたのを憶えている。 ? 大人になってもずっと泣き叫ぶわけじゃないよ?大丈夫、言葉で伝えられるようになったらかんしゃくは起こさなくなる。私はネコスケの横で「わかった、わかった、〇〇がイヤなんだね?」と落ち着かせる言葉をかけた。やめさせようと怒鳴り散らすのは逆効果だ。大人はフツーの顔をして落ち着くのをじっと待てばいい。こらえ性だよね(^_^)結論としては、男子が3人もいたら大変でしょ?とよく言われたけれどなんのことはない。ふたり、3人と増えたら、むしろラクになった。赤ちゃんのネコスケは、私の助けになる存在でしかなかった。いてくれてホントに助かった。ワンと私のあいだに入ってくれた。私には理解が難しいワンの遊びも、ネコスケにはわかる。そして、末っ子のクマは、私にはかわいいばっかりで、クマに手を焼いたりマジメに困った憶えはない。大人になったいまでもおもしろいばっかりの人だ。「かわいい」は3倍に増えて、「大変」は3分の1かまたはゼロになったくらいの気持ちだった。これは、子らが小さいときからそう、公言していた。まあ、だし、やっぱり。いつも、目の前のできることを着実にこなすことを考えていれば、なんとか進んでいくものですね。お日様のリズムを守りながら。私は、旦那ちゃんの子どもに会いたかったし、いっしょに生活したかった。3人の男の子たちと私たちがチームとしてともに生活できたのはラッキーだったね(^_^)うまくいかないこともあるかもしれないけど、それはそれで、なんとかなる。だって、目の前のできることをすればいいんだからね?そして私はいつもヒトを信じている。今日も勉強するよ。
2026年09月12日
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育児休暇をとって1年見かけなかった療法士さんが年明けに復帰して、最近はどうかな?と聞いてみたら、だいぶ大きくなって、赤ちゃんは、いろんなものを散らかしては怒られているらしい。1歳児が「ダメ!」と怒られている光景なんて想像したくない。とても苦しい。「それは、させてあげてくださいよお」「うん、でも、台所とか危ないのでね」「うんうん、それはそうです。危ないものは徹底的に隠して。そうでないものは、ばらまかせてあげるといいですよお(^_^)」ダメな理由が「怪我するとあぶないから」でなく「片付けるのが大変だから」とか「汚されるとイヤだから」など大人の都合であるとき、私にとってそれは、ダメな理由にはならない。少なくとも、赤ちゃんに、マジメな顔をして「ね?ダメよ?」と言い聞かせるに足るできごとだとは考えない。なんだろう、そんなことばっかり「ダメ!ダメ!」と怒られて言い聞かされて、肝心な集団生活に必要な習慣や能力を教わってきていないのではないかと考えると、子ども本人のためにも保育園や学校の先生のためにも、ともに過ごす同級生たちのためにも何ひとついいことはないじゃないか!と思いますよ。ひいては、保護者のためにもなりませんよね、もちろん。あの〜もちろん、赤ちゃんのすることって、おとなにとっては迷惑なことが多いとは思います。それは知ってる。うちの子らは、離乳食用の小さいタッパーとかばらまいてた。ばらまくというか、私がおもちゃとして提供しました。積み上げて遊んでた。家の階段の上がり口と降り口に大人しか開閉できないゲートを設置して、好きに移動できるエリアは限定しました。その代わり、そのエリアにあるものは何でも好きに遊んでいい。ダメ!はなしだ。ダメなものは置いておかない。そう徹底すればいい。あ、台所の入口にもずっと(末っ子のクマが3歳くらいまで)つっぱり式のとうせんぼがついてました。お兄ちゃんたちや大人はまたいで入れる。ただし、台所内のポットや炊飯器は子どもの手の届かないところに設置してありました(もちろん、包丁も)。大人の思いもつかないようなことをしますからね、子どもは。アパートで入浴剤を食べたのはワン。なんだかいい香りがするわね🍊と思ったら手と口をオレンジ色にして、黙々と口に運んでいた。慌てて口を洗って様子を見ました。さすがにそれは、おもちゃとして提供したわけじゃない。本棚は、みんな幼稚園児より大きくなったころにはリビングに登場したけど、それ以前は子どもむけの本だけ、カゴなどにいれて置いておきました。めくりたいときにめくれる。音楽の流れる、鍵盤のついた絵本の角をことごとく噛みちぎってしまったのは、ワン(またかい)歯が生える前の歯茎が痒かったんだろうね?というのが我々保護者の学び。これは、何回か「ワン、これは、食べ物じゃないよ〜?」と言ってみたけど、食べてたわけじゃなかった。←バカ以前「赤ちゃんと赤ちゃん」という日記に、もうすぐ2歳のころのネコスケが、ハイハイ赤ちゃんのクマが超合金ロボに手を伸ばすのを「これはね、ダメよ〜。あぶないからね」と取り上げていた話を書いたけれど、2歳児が、何があぶないからダメをわかっていたら、母親の私はすることがない。あの頃からネコスケは、言えばわかる子だった。クマももちろん、言えばわかる子だ。叩いて教え込む必要(意味不明)なんてないし、みんなで一緒に楽しく過ごすためにはどうしたらいいかを彼らはよくわかっていた。就学前から、それができる自分に誇りを持っていた。覚えて集団生活に参加してよ〜。子どもに教えられない大人は、そもそも自分にそれができているかどうか考え直したほうがいい。コミュニティの一員として他人の役に立つことができない大人に、それを子どもに教えられるかって話ですよね?ムリだろうなあ、役員押し付け合ってるようじゃ。(うん?自己犠牲はキライですよ(^_^)もちろん、まずは頭を使ってね)まとめると、男子3人育てるあいだに、私は子どもに「ダメ!」と言った覚えがない。逆に、ダメと言わない私がダメ!と言ったら、それはよほどダメなことなんだろうと彼らは考えただろう。ひとつ確実に言えるのは、おかあさんには、まず「相談可能」だ。ダメと言われなくていい方法を一緒に考えてくれる。私も一緒に考えたい(^_^)そして、一緒に考えた方法ならおとうさん(&世の中)には「交渉可能」だ。そうして彼らはムダに「ダメ!」と言われずに大きくなった。まず自分の頭を使うことを覚えた。実録・子育て実験みたいな話だよねwすべては、私がはるか未来から自分たちを振り返って眺めていたおかげでは?10月終わりほどに涼しくなっているそうです。まだまだ油断ならない。
2026年09月11日
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今年の夏に放送された戦争を振り返るドラマ、感想と記録。【手塚治虫の戦争 紙の砦】手塚治虫の戦時中の実体験を元に描かれた自伝的マンガ「紙の砦」と虫プロ倒産時のできごとを振り返る形で組み合わせて構成したドラマ。手塚役は高良健吾さん、紙の砦のヒロイン(歌劇団員の勉強中)は、あら、この女優さん誰だっけとしばら〜く考えて思い出した。「ばけばけ」で花田旅館の女中ウメを演じていた野内まるさん、でしたね?「紙の砦」は、子どもたちが小学生のころに一緒に読みました。手塚治虫の他のお話とは違った印象を受けたようでした(あたりまえだ)いま、実物を2階に探しに行くことはできないけど、自画像をコミカルに描いた絵柄は気に入っていたようです。あと、あのころの不良学生?の描写、なんだっけ、若い手塚先生のマンガのつづきを楽しみにしてくれていたバンカラ学生。あの触れ合いはよかったですね。自分の「好き」と「得意」を誰かに喜んでもらえて役立つ実体験、ですね。あと、ドラマとしては、虫プロ倒産と「手塚治虫はもう終わった」という世論を乗り越えることにひと役かった編集者役に岡崎体育さん。ドラマを観ながら「う〜ん、描きたいことを描く、か。 このあと手塚先生はブラックジャックを描いて、手塚、やっぱりおもしろいじゃん!ってなるんだよな」と考えました。過去日記は消してしまったけど、結構な数の手塚マンガや藤子マンガを読んでレビューを書きました。トップページに書いたけど、子どもたちのほうがずっと詳しい。せっかく多感な時期に読むなら、しっかり考えられた漫画作品を読んでほしいと考えました。あれは、結果的に合ってたんじゃん? 母親の私も読みたかった。小学生の3兄弟と趣味を共有していた。楽しかった(←ここ重要!)し、よい子ども時代だったんじゃないかな(^_^)ドラマも堅実で興味深かったです。(感想が浅い)【笹まくら】徴兵忌避者の戦中戦後を描いた丸谷才一さんの小説を初ドラマ化?でしたっけ。たしか、そう。主人公に森山未来さん、その若き日を青木柚さん、放浪中に出会った恋人に堀田真由さん。印象に残ったセリフをメモしてありました。「無目的な国家の無目的な殺し合いに荷担しない」そうですね、あの時代だって、知識層は確実に存在したのだし、みんなが万歳!万歳!と出征していったわけがない。でもそこの、どんなに嫌でも家族を守るために、と出征していった人たちとあくまで自分の意志をつらぬいて拒否した人たちのあいだの確執というのはドラマ内の駿河太郎さんの演技によく表わされていたと感じます。そこまで、想像して観てくださいね。昭和の表現スタイルでした。底の浅い苦悩じゃないのよ? 昭和育ちの私には懐かしい感覚でした。島から家出してきた恋人になるアキコさん?と他人軸でしか物事を考えられない当時の「イマドキ」の若奥様(川栄李奈さん演)の対比もよく描けていたと思います。地位あるオジサマに頼ることしか考えられないのね、残念。川栄さん、とてもお上手でした。もちろん、生きている今この瞬間のよろこびを謳歌しようとするアキコさんを演じた堀田さんもとてもよかった。とても印象深いドラマでした。あれ?主人公に砂絵で商売することを教えてくれたおじさん、俳優さんは誰だっけ?不思議と記憶に残っていないな、そんなバカな。ウィキペディアにも載ってないね。記憶に残らなかったのは残念。エピソードは印象深かった。子どもたちに憶えてもらいやすいように、ヒゲをはやしな、ボウズは難しいだろうから、と言ってましたね。さみしく亡くなる重要な役だったよ。また、何年か後に放送するかな?そしたらまた観ます!それでは、以下、再放送されたドラマ。【15歳の志願兵 愛知一中予科練総決起事件】2010年放送。豊臣兄弟!のコンビが主役をつとめた2010年放送のドラマ。史実ベース。若いですね、ふたりとも。池松壮亮さんの演じた学徒の父親(高橋克典さん)が英語の先生で、特攻に反対。少なくとも我が子を志願させたくはない。仲野太賀さんは、仲良しの同級生で文学青年、思い悩んだ末に、志願する。同時期に放送された特攻隊をテーマにしたバタフライ・エフェクトも観ました。特攻隊員の若者たちは「KA(ケイエイ)」を守るために飛び立ったと。かかあ=奥さんですね。想像したくないよね、日本が戦争に負けたら、自分の大切な人が凌辱される(かもしれない)。そんな事態を防ぐためなら、自爆してでも「敵」を先に倒しに行くさ。私はオンナだけど、その気持ちは理解する。そんな心配をしなくていいように話をつけるのが政治の役目じゃない?外交ってそのためにあるんじゃないの?あのころの人たちの無念から学ぶべきことはたくさんあるよ。ちゃんと学習したのかなあ、私たち。ドラマだけじゃなく、水木しげる先生の、白旗を掲げた兵士の話(マンガ)を、取り上げたドキュメンタリーもありましたね。戦争を振り返ったドラマは毎年何か放送したほうがいいでしょうね。あ、総力戦研究所(ドラマ・映画)もこのふたりですね。戦争再現ドラマ担当みたいになってる?ウソくさくないし、上手だから、ふたりとも。あ、そうだ、ドラマには、我が子を志願させたくない「うちの子はひとりっ子跡継ぎ(訂正9/11)なんです。連れて行かれたら困ります」と先生の自宅に押しかけてくる生徒のおかあさん役に濱田マリさん。元祖モンペみたいな(ふざけちゃいけない!)先生はいつの時代も大変だね、と思った。たぶん違うな。考えが足らない。たくさん観たので、そろそろ疲れてきている。【マンゴーの樹の下で 〜ルソン島、戦火の約束〜】2019年最後に観たのが、清原果耶さんと岸恵子さんが主演をリレーしたこちら。最後の最後に清原さんの振り返りのセリフで「日本は、フィリピンの人から食糧を奪い、誇りを奪い、命を奪った」そうなんだよな。被害者である側面と加害者である側面と両方を反省して学習しなくちゃいけない。それができるはずだよ、ホモ・サピエンス!自虐史観と自虐してる場合じゃないのよ。すべての、戦争の記憶を振り返って、結論は「殺し合いはよくない」これ以外の結論はないから、子どもはそう言っておけば◯がもらえる、みたいな頭を使わない事態になっていないかい?「殺し合いもオケ」みたいな極端なことを言わなければ問題にはならないから。でも、ほんとは、そんなあたりまえの結論を出すために勉強してるんじゃないんだよ?私だって、年齢がひとけたの頃からずっと戦争について考えているけど、いまだにすっきりしないよ。あと何年かかるかな。間に合うかな?夏は頭が疲れるね秋雨前線が南下したとのことで急に涼しくなりました。今年はエルニーニョ現象の年らしいよ? 暖冬・冷夏?
2026年09月10日
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先週あたり、この耳で鳴き声を聞いたのだけれど、そのとき書きそびれてしまった。「(夏が終わるのが)惜〜しいつくづく」、と鳴くツクツクボウシは夏の終わりを告げる蝉、そして同じ頃にカナカナのヒグラシだ。ここ数年、カナカナを聞いていない気がする。聞けたら、秋が来るような気がするよ(^_^)まあ、鳴かなくても、そのうち、秋はくるさ。毎日毎日、線状降水帯のニュースばっかりだ。今度は名古屋が水没してしまったらしい。(水没、は失礼か。ごめんなさい)排水が、排水が間に合わないんだよな。(いや、今15時50分前後、もう復旧した、と見ましたよ。名古屋すごいな、さすが!)昨日書いたことはのん気過ぎた。日本は、四方八方を海に囲まれているのだから海沿いも何も関係ない。どこもかしこも、大雨の危険にさらされている。不謹慎なことに私は、最近「今日の線状降水帯ガチャ」と呼んでいる。ふざけているわけではない。日本のどこで起きてもおかしくないと考えているからだ。羽鳥さんの番組で気象予報士の片岡さんが「積乱雲が限界まで発達しています」と話していて震え上がった。水蒸気をたっぷり含んだ危険な巨大な積乱雲が、どこで限界を迎えてもおかしくない。ああ、もうムリ、もう持ち堪えられないと、地上に大水をまき散らすしかないんだろう。そのメカニズムを今ごろおさらいしている場合じゃない。できることは、生命を守るためにするべきことは何か?を周知することじゃん?秋雨前線は、毎年のことだけど、規模が違うんだな。15年くらい前に、夏休みに子ども会行事でバスを借りて出掛けた帰り道、豪雨に見舞われてそれは全国ニュースになるくらいだったので、田舎の義母が心配して電話してきたほど。だから印象深い。あれの何倍もの豪雨が降るかもしれないってことか。排水が間に合わないことを見越して、できる準備はしておかなくてはいけないな。といっても、私は、口を出すだけだ。もはや、昭和の思い込みは邪魔になるだけでは?伊勢湾台風の記憶って役に立つの?(いや、立つな)お、今週のバタフライ・エフェクトが「災害報道」だ。ちゃんと観よう。天気予報の歴史って意外と浅いのね。先入観なく行動しないといけない。何にしても、どこで災害が起きてもおかしくないと考えているし明らかに、被害が予想できる環境にいるならば、生命を守ることを最優先に行動しなくてはいけないと思っていますよ。お願いします。取り返しがつかないよね。たった今苦しい思いをしておられるみなさんにはお見舞いの言葉しかありません。 ほどほどに晴れて!おまけ:高校生のころに、現代社会の授業でNHKスペシャルなどの番組を観てレポートを書くという経験を積みました(視聴覚室で)。私は、とりあえず、耳から入る情報、目から入る情報すべてを書きとめて、頭は内容を理解することに使いました。(手は、書く。)そうしないと、感想(考えたこと)を書くことができませんから。これは、よい訓練になったと考えています。だから、「観るに値しない」と判断したテレビ番組をだらだら観続けることはできません。すぐ消してしまう。頭のムダ使いだから。同じことを、短大の講義でもしていたので、最初に書き留めたノートをわかりやすく書き直しながら、理解を深めていました。友だちが、最初のノートを貸してくれというので「このままじゃ、わからないと思うよ?」とためらったら、それでもいいと言うので渡したら案の定「わからなかった」と返ってきました。そうやってテレビを観る習慣が身に付いている。観るに値するテレビ番組を期待します。作る人たちを応援していますよ。
2026年09月09日
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朝、送迎車に乗ると、添乗してくれていた看護師さんが、「わたしねえ、昨日の夜、昭和基地の犬のドラマを観始めたらとまらなくなって、朝の3時まで観てたの!小さな芦田愛菜ちゃんとキムタクが出てる日曜劇場でね(^_^)」小さな芦田愛菜ちゃんが出てるということは、15年前くらいのドラマですかね。(そのころ私はテレビをほとんど観ていない。絶賛子育て中だ)昔のドラマだろうが、今はサブスクで何でも観られるんだから超ラッキーだ。連続ドラマをまとめて観ることもできる。彼女が言うには「犬がねえ、人を信じて、お互いに信じて助け合っていい話なのよね。感動しちゃって!」と、涙ぐんで一生懸命教えてくれる。私の相づちがそっけなく聞こえたようで、他の人たちに「そんなの、アイコさんは興味ないってよw」と言われてしまったけど、実際には「よくわかりますよ」と頷きながら聞いていた。つまり、タロジロの話をテレビドラマでもやったんですかね?(あとで調べるよ)あんなん、泣きますよ。フツーに。今日はずっと帰るころまで、その看護師さんは「ごめんねえ、いきなり。アイコさんならわかってくれそうと思ったのよ〜」と謝っていて、いやそんなの、信用してくれていて嬉しいだけだけどね。誰かが、嬉しかったとか、感動したとかいう話を聞くのは大好きだ。「ぜひ観て同じ気持ちになって!」は困るけど、話したい気持ちはわかるし、どんどん話してくださいよ、ですね。なんなら自慢話をしてくれてもいいよ(^_^)誰かの誇らしい話を聞くのも大好きだ。少なくとも愚痴を聞くよりずっといい(愚痴も聞くけどねw)元々優しい人なのに、そうやってますます助け合うことの大事さに気付いてもっともっと優しくなるんだな。私よりずーっと年上なのに、なんなら、介護されててもおかしくはないくらいの年齢だけど、現役で働いてくれている。わたしはいつも、少し情けない気持ちになるのだ。お世話されてる場合じゃないんだよ〜。その気持ちは「私は私にできることをする」と決めることで乗り越えた。今困っているのは、母だ。あの人はほんとにいつまで経っても私の試練だな。どうしたらいいか、考えるよ(^_^)解決したら書きますね。線状降水帯予測が出まくっています。えーと、海水温が高いので、雨が降ると、海の水がどんどん水蒸気になって巨大な雨雲になる、そして大雨になっているそうです。(私はそのように理解しています)つまり、海沿いの県のみなさんは特にご注意です。そうのんきなことを言ってると海なし県の埼玉にきて、泣くんでしょ?排水がさあ・・・何か考えないと、水没するよ、そりゃ。なんとか生命を守ってね
2026年09月08日
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さっき、ネット記事の見出しに見かけた「自己責任」という考え方を日本国民に押し付けて政治の責任を回避した政治家は「誰」と書いてあると思うか?と旦那ちゃんに聞いてみたら、う〜んと考えているので私が、そう考えているんじゃないよ?ネット記事に、そのように論じている海外の政治学者がいると書いてあるからどう思うかな?と聞いてみただけだよ(^_^)クマなどにはいつも、私がそうやって口を開くたびに、「おかあさんは、また!」と怒られるので「違うよ? いつも真に受けて信じている(鵜呑みにしている)わけではなくて、あなたの意見を聞いてるだけだよ?そもそも私の意見ではない」と旦那ちゃんに説明したら「そうか、そういうことか。クマと、おかあさんはネットに侵されている!って言ってたけど」すこぶる心外である。「いや、◯◯みたいなネット記事なんてマジメに読んでないよ(口はワルイよ)」「なんなら、みんながそうだと信じていることすらも、ホントにそうか!?と考えているよ?w」そういう意味では、クマにはほとんど信用がないっぽいな。彼は、私がPCやネットを使って仕事をしている姿を見たことがないからな。私のネットリテラシーを疑っているのだろう。いやあ、初期から足を踏み入れていた自覚はあるけどね。だいたいが、スマホは使えない。スマホをいじりだしたのは、倒れてからだ。まだ3年。でも、新しいおもちゃとしていじり倒したいほど、ネット大好き!ではない。便利な道具だとは思っているけど、抑えの効かない人には害が大きいよね。あれ? だけど、ネコスケは、私がネットやテレビの情報を鵜呑みにしているとは考えていないようだなあ。まあ、クマの信用を得るためにはなるべくソース(情報の出所)をはっきり確認するようにしている(わからない、なんかネットに書いてあったよ〜というテキトーなことを言うときもある)おかげで、世の中には、思いもよらないような私の知らない専門分野があることを知ることもある。サピエンスの底力を見るよね。(私のなかでホモ・サピエンスが流行っている)たぶん、疑問に思ったことを実際にふたりで調べる機会が多かったからだろう。それは、ネコスケが小学生のころからの話だ。私がテレビやネットの情報を鵜呑みにしてテキトーなことを言ったら、ネコスケにはすぐにバレるのだ。「びっくりはてな」をしっかり観なくちゃ。いやいくらなんだって、NHKで山中伸弥さんが出ている番組でテキトーなことを言ってたら困るよね。(山中先生を信頼している)しかし、ネコスケは自分の専門に関しては、じぶんの考えをしっかり持っているのでおかあさんもいいかげんなことは言えない。数少ない、というか、唯一の地球考察仲間なんだから。私が産んだんだよwふふふ。線状降水帯予測が出て、首都圏の学校は軒並み休校になったけど、クマは出勤していった。まあ、私が校長先生なら前日からお休みにして、当日、晴れても「ラッキーお休み」にするけどね(^_^) 消化しなくてはいけない予定がたくさんあるんだろう、二学期。だし、保護者は、子どもが、学校に行ってくれたほうが助かるみたいだからね。簡単にお休みにはできないよね。ちなみに、冒頭に書いた政治家(首相)の名は小泉純一郎さんだそうです。私に、文句言わないで、そのネット記事でも、元論文でもさがして読んでね(^_^)
2026年09月07日
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イギリスのドラマ「シャーロック」の終わりのほうの話を少し前にNHKで再放送していたと思ったら、前のほうを観たのがあまりにも昔過ぎていまいちよくわからない。最初から観たいなあと思っていたら最初からまた放送が始まりました。ラッキー!ベネディクト・カンバーバッチのホームズですね。オリジナルのホームズの冴えた推理を現代にうつして、スマホやネットも使いこなす。日本にも、じっちゃんの名にかけた名探偵とかいますけど、いまいち、キャラクターの焼き直しとしてはうまく行っていないように感じます。事件の陰惨さは横溝っぽいか。誰か、書かないかなあ。そもそも、漫画だしな、あれは。ある種の青春ラブコメだし。それで、カンバーバッチのホームズを観ていて思ったのが、ヒトってホモ・サピエンスじゃん?かしこいヒトなんよね、残ってるヒト属の種ってサピエンスだけなんだから、今の地上の人間はあまねくサピエンスなんだよ、み〜んな賢いヒトよ。昨日、タモリさんと山中先生の「びっくりはてな」で、人類史や進化の系統樹を変えてしまうレベルの近年の発見について話していて、ついネコスケに「デニソワ人」と送ってしまったら、(ラインがメモ帳と化している)それは何だっけ、悔しい、思い出せないけど調べたくないと言われて、番組のポイントをまとめて送るはめになった。専門の人によ?w そんなむちゃな。おかあさん、のんびりテレビも観れないわ、あたし、ホモ・サピエンスだからさ。その頭を使えって、カンバーバッチ・ホームズも言ってたよ(^_^)そう、それで、ヒトの種としての存続可能性は?と思って調べたら、レッドリスト(絶滅危惧)的には「低度懸念」だって。Least Concern または Lower Risk ふうん。客観視するとおもしろいね(^_^)スズメとかハツカネズミと同じって書いてあったね。あいかわらずウィキペディアに頼り過ぎか。 ただの日記だからね。数日前のクロ現+の時間にやってる首都圏の番組で、筑波大学の落合先生が、「AIに負けないためには?」ってきかれて、「おもしろがることですね」って答えていて、おもしろがりの習慣がある我々は強いな!と思ったんだけど、実益に結び付けないといけないのは難しいね。ヒトの絶滅関係なく、おもしろそうなことをするよ(^_^)。うん、でも、もし、地球全体を吹っ飛ばすようなことをしでかすなら、それもサピエンスの仕業なんだよ。もちろん、止めるのもサピエンスだ。あとひとつメモ。PTSDという言葉があるけれども、略語だから、いまいちわからない、なんだっけ、心的外傷後ストレス障害?日本語だと?わかりにくいよ。これが元々の英語だとPost Traumatic Stress Disorderだって。なるほどそういうことか、やっと納得した。ネコスケが何年か前に、メモも英語で書いたほうがはやいと言っていたのがわかる気がする。英語で考えたほうがいいときと、日本語のほうがいいときと、あるよね。俳句とか、短歌とか、教科書で習ったものは、みんな共通でよく覚えている。破格とか、字足らずとか字余りとか、そういうのが好き(子どもたちも)この時間も(もうすぐ、昼の2時)、ずっと、暗いんですけど今度は関東まで線状降水帯予測エリアに入った。線状降水帯ってもっと便利な呼び方ないのかな。あだ名とか。不謹慎か。すんなり変換できなくてめんどくさい。 頭を使え、と。
2026年09月06日
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お日様とともに生活する。人間の身体の中には、時計が内蔵されていて(比喩です)地球から見た太陽の動きに合わせてちょうどよく活動できるようにできている。ただし、その体内時計は25時間周期で動いているから、毎朝朝日を浴びてリセットする必要がある、というのは、研究により明らかになった有名な事実。去年ネコスケが精神的な調子を崩したとき、彼が言っていたのは、論文を仕上げるための研究に熱中するあまり、どんどん生活が夜型になっていったと。それを自覚していて、そこで無理が効かないのは、遺伝的なものかもしれないけどなるべく概日リズムは崩さないようにしないとね、と言っていて、耳なじみのない言葉なので1年前に調べてみた。概日リズム=サーカディアンリズム「がいじつ」ということばは、circadianということばをなんとか日本語にしたものかと思いますが、「お日様の二十四時間の動きにあわせて」という意味ですね。これは、「サーカディアンリズム」とカタカナのほうがずっと覚えやすいし、使いやすい。英単語の語源としてはラテン語で、circaがaboutで、dies(diem)がa dayだと。なるほど、わかりやすい。太陽の1日の動きに合わせてってことだね。ネットの辞書で調べたので、もっと正確に詳細に知りたい方はもっと調べてください。私はもともと、早寝早起きができるほうではなかったけれど(放っておいたら、夜型だし)子どもたちの集団生活に支障が出ないように、子どもが小さい頃は、徹底的に早寝早起きだった。寝るだけ寝たら、お日様とともに起きるしかないからね!と思っていた。それは、まったくの習慣の問題だ。ご飯とお風呂をなるべく早く済ませて、観たいテレビは録画予約して子どもは早く寝るよ!でないと、明日起きられないからね。昼間、お日様を浴びて精いっぱい遊んだ子どもは、部屋を暗くしてお布団に横になればバタンキューだ。概日リズムが正しく働いている。だから、家に帰るのも、ご飯もお風呂も時間が遅くて寝るのも遅い子どもが早起きして機嫌よく学校に通えるものかい!という気持ちは強い。ムリなのはあたりまえだ。ムリを何とかしようとするからうまくはいかないよ。少なくとも、さらに、「勉強を頑張れ」とか圧をかけるのはやめてあげて。急速充電に近い形でなんとか学校に行ったなら、ケンカしないで無事に帰ってくるだけでも上出来だよ?習慣の問題だから、ある日突然、急に早起きして毎日学校に行け、なんてムリだよ〜うちの子らは、長期休みのあいだは、母親の私に合わせて、遅寝遅起きの毎日を送っていても、新学期の一週間前には、早寝早起きに戻すように努めてきた。?できないときもあった気がするぞ。そしたら、新学期の始めはボンヤリして通うことになるね、仕方ない。いや、先生だって、ぼんやりしてるでしょ、それは。さいわい、学校の新学期というのは徐行運転で始まるものだ。そのあいだに、リズムを整えよう。しかし、小学生は元気だね、と新学期を迎えた小学生たちの登校の気配を感じながら、いまも寝坊している。必要なときだけ、早起きできればいいんだよ。そのためには、早起きを習慣付けた経験が欲しい。習慣付けの経験の経験、だ。(いよいよバカボンパパになってきた)こうすれば、うまくいくという経験がほしいよね。昭和の大人は、朝寝坊は悪みたいなキビシイ思い込みがあってあれはあれで、役に立つものだったと実感している。無常識は不道徳か?よ。ある意味不道徳になる習慣もあると考えます。ちなみに、大学生時代は長期休みは毎日飽きずに昼まで寝ていたクマですが、仕事が始まってからは、しっかり6時に起きて朝ごはんを自分でつくって出かけていきます。(お弁当づくりにも手をだしそうな気配)頑張り過ぎても心配なんだけれど、ネコスケに言ったら「早起きできるなら、させときな」とアッサリ。たしかに、お日様とともに生活できればそれが安心。でも、それじゃあさあ、夜勤のお仕事なんかは、どうなるのかしらね。あ、朝型と夜型がいるって記事を読んだぞ、そういえば。人間の進化の歴史に必要だったから、と。今度書こうかな。最近私は「ずっとドンヨリしたお天気でいやねえ」と言ってばかり。はやく爽やかな秋晴れにならないかな。ひと休みしたいよね(^_^)
2026年09月05日
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リハビリ施設の職員さんが、8月になったときに言いました。「8月が始まりました。毎日暑いですね。でも、そう言ってるあいだにきっと、あっという間に9月になってるんです(^_^) クリスマス、新年もすぐきますw」9月になったときに、私は言いました。「ほんとに、あっという間に9月になったね(^_^)」「ね!?そうよ〜!」毎日毎日、できることを怠けずにしているだけです。それだけで、時間はどんどん過ぎていく。目の前のことを着実にこなすことだけを考えればいい。くるしいくるしいと考えている人ほどさしあたって目の前のできそうなことに集中してひとつひとつ片付けていこう。できることなら、なんでもいいよ。去年の今頃、まだ進路が確定していなくて私の心配の種だったうちの下のふたりの子どもたちにもそう伝えていました。もちろん私も毎日を着実に堅実に過ごす。そうしているうちに、じきに物事は好転するし、あっという間に1年経過だ。そのじりじりするような毎日にじっと耐えるこらえ性が必要だ。さっき、母の退院に付き添うために車で出かけたら、前の前の車がやたら頻繁に車線変更をくりかえす。「せっかちだねえ。こらえ性がないんだな」と噂していてイマドキ、図書館で借りたい本の順番を待つことも我慢できない若い人が増えているようで、図書館の利用も減っているとのこと。(まあ、私も、どうしても読みたいものはさっさと買ってしまうから、ひとのことは言えない)耐えるこらえ性とのんきさが必要だよね。一休さんみたいな。慌てない慌てない、ひと休みひと休み、だ。世の中が合理的になればなるほど、こらえ性がなくなるんだな。自覚的に、急がないことを、心がけないといけないね。これも、習慣だ。もうひとつ、つづけるために、サイズダウンを試すのも役に立ちます。毎日続けている運動に加えて、ストレッチもルーチンに入れるといいですよ、は理学療法士さんのアドバイス。自分ひとりでもできるようにメニューを改良してもらって、元々のメニューでは、20秒から30秒を2、3回となっていたのを20秒を2回、にして、習慣付けた。これならつづけられます。頑張らなくてはいけないことを続けるのはシンドイのだ。続けることが習慣付いたら、内容をふやしてもいい。どんなに小さな一歩でも確実に前に進んで行くんだよ(^_^)その一歩を踏み出さなければ、前に進むことはない。私は、そうやって、年を取ってきたように思います。好きなことでいいじゃん。学校に行くのがイヤなら、行っただけでも大きな一歩だし行けたらそれだけでも大成功だよね。習慣付いたらもっといいな。私は、行きたくなければ行かなくていいって思っていたけどおうちの人の都合によっては、行けるとすごく助かることもあるんだよね。まわりの大人と腹を割って話し合ってくださいね。こどもだって、おとなを助けることはできるしお互いを助け合う事ができるんだよ、大丈夫。でもひとつ言えるのは、気持ちを伝えようとしない人の気持ちは伝わりません。「どうして、わかってくれないの!?」 それは、伝えていないからです。また今度、まとめて書いてみます。子どもたちや、おとうさんおかあさんを応援したい気持ちはいつもあります。応援はいつもしているよ(^_^)
2026年09月03日
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先日「チコちゃんに叱られる」を観ていたら、ゲストの小籔千豊さんが、お子さんがまだ小さいときに、出掛けに持って行くと主張して、奥さんは「ダメ!」と言うのに、小籔さん(おとうさん)が「持って行ったらいいやん」と了解して、奥さんにひどく怒られたものはなんでしょう?というクイズをやっていました。さて何でしょう。クイズですから、考えてくださいね。ヒントは玄関にあるものです。ちなみに、私は当てました。気持ちはすごくわかるものです。答えは、くつべらでした。べっこうのきれいなやつね(^_^)なんでダメかっていうと、ジャマだからかな?振り回すとあぶないから?だいじなものだから?そんなものを持ち歩いたらみっともないから、というのは、私にとっても、ダメな理由にはならない。チビさんが気に入ったきれいな靴べらを得意気に持ち歩いている様子なんて、大人は褒めるしかない。(おおらかになってね(^_^))「あら、いいわねえ、素敵ねえ!」だ。ダメだとしたら、振り回すとあぶない、とか、(行こうと思っている)お店に迷惑をかける、とかだけど、例えば、うちのようにまずは車に乗って、なら、そこに置いておくということは簡単にできる。それは説得すればいい。大事だからこそ置いておこうね、だ。だったら、置いておくのは、家でいいじゃないかという正論は耳に入らないよ?w子どもの相手をするって、そういうことだ。毎回、自分のなかの「あたりまえにダメ」な理由を問い直す。あたりまえなんて、絶対に守らなくていけないことではないよ?変更可能だ。でももちろん、自分勝手に何でも変えていいって話でもない、もちろん。そこで、考えてみよう!遊びだよ?なんでこんなことを延々書いているかというと、私は靴べらをお絵描きスペースにして失敗したことがあるからだ。旦那ちゃんがどこかでもらってきた、緑色のピカピカの靴べらが「ここに描いてちょうだいよ!」と言っていた(言わないw)お絵描き大好きなネコスケに「ネコ、ここに絵を描いたらステキじゃなあい?」と油性ネームペンを差し出したら、さらさらと描いてくれた。旦那ちゃんには、書いていいかとちゃんと確認したよ?w「うん、まあ、いいかな」としぶしぶ了承してくれた。彼も結局、親バカだ。でも描いたら、靴べらとして使ったときに、油性ペンの絵は靴下に移ってしまって役に立たないことが判明した。だから、靴下に触れるところは消えてしまったけど、そうでないところは、ネコの作品として残っている。あれは「おかあさんの親バカ」として、いまだに玄関に置いてある。(絵を守るためにはどうしたらいいかまで考えた。本末転倒とはこのこと。)そんな毎日を経て、彼は親に認められ愛されていることを知っている。そうすると、自分も他人も大事にすることができるんだよ(^_^)ただし、常識というやつはあんまりないwだって教えてないもんね。(もんねじゃないよ!)でも母親の私よりはずっと、常識人だ。みなさん、ありがとう。
2026年09月02日
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以前まんなかのネコスケが帰ってきたときに話したことに、全国の博物館で、その地域の旧家などに伝わる史料を、すべて引き取るにはスペースが足らなくて困っているという収蔵問題があって、例えば、おとなりの市の博物館には、古い農機具が展示されているけれども、あれも溢れかえってしまえば、保管に困るよね?と。それでも、古い帳簿などは、きっとこれから先、20年、30年、50年後の研究者には、とても参考になるに違いないよねえ?と言ったら、その、未来の研究者に感情移入したであろう現代の研究者のネコスケは、神妙に頷いていた。で、先日突然帰省した帰り道に、その隣の市の博物館に寄ったネコスケは、農機具や、その他おもしろいと思ったものの写真を送ってくれた。どんな「モノ」をもらうよりも、あの子が「おもしろい」と感じたことを教えてくれることが心底、嬉しい(^_^)元気そうでよかったよ。子育ての現実その2を書こうと思っています。書きたいことはたくさんある。今日、施設の庭で、夏野菜がたくさん実っているのを眺めていたら虫に動じない職員さんが「あ!その虫、なに!?何だ!!」と驚いていておそるおそる見たら、なんとタマムシだった。初めて見たよ。キラキラして、自然のものとは思えないような美しさだった。どんな人工物より美しいよね(^_^)早速ネコスケに報告した。ネコは石も好きだ。観光地で、美しい加工石の置き物をうっとりながめていたらお店のおばあちゃんが気付いて、おまけしてくれた。石の置き物にうっとりする小学生は、かわいいよなw3人ともみんなただ散歩しているだけで可愛がられる子どもだった。カワイイカワイイと音を立てて歩いていたようなものだw(タラちゃんかい)まったくの親バカだと自覚している。でもそれは、かれらの自尊感情を支えてもいると思うよ(^_^)おかあさんは、ぼくを信頼しているしかわいいと思っているな!だ。それを信じられるのは、とても心強いよね。そんな存在でいられたらいいけどね。ねむ。ではでは
2026年09月01日
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昨日クマと話していて、そういえば、クマの学年にいじめ問題があったかどうか、私には記憶がないけど、憶えていないだけであったのかな?と聞いてみたら、彼の記憶では、小学校高学年か中学時代に、実際に問題になって、みんなで先生に怒られたことがふたつほどあったらしい。(時期がはっきりしないのは、私のせい。関係者が誰かはわかるけど、地元の学校だから、ずっと同じなのだ)でも、それは、私たちのイメージする、わざわざ誰かをいじめておもしろがるようなことではなくて、う〜ん、むずかしいけど、例えば、他の子とのコミュニケーションがうまくいかない子を周囲が持て余したことによる、結果的な無視、とかであって、その状況を私ははっきりと想像できるけれど、先生が単純に「みんな仲良くしなさい!」と子どもに押し付けて放置することには、納得がいかない。以前書いた、小学校の先生が「みんなに置いていかれた」と泣きついた親子を「いじめられた子」と単純に考えて「またやったら先生がみんなをいじめるよ」と(先生の認識では)「加害側の」子どもたちをおどしてしまうような、まったく意味不明な「指導」を黙認しているのは、先生(教員)という職業を貶めることだと考えます。単純すぎないか? 白と黒しかないのかな? そんなわけないだろ。集団生活のルールを理解して守ることができるのは、「子どもの本能」じゃない、それを、習慣付ける「しつけ」がされてきたかどうか、だ。ルールを理解することも守ることもできない、守るための脳の機能が十分に発達していないとか、そもそもないとか、そういう子に相対したときに、フツーのありきたりの子どもがうまく対処できるものかい?って話よ。私は、それを強いられる子どもたちに同情するけどなあ。うん、でもね、じゃあ、集団生活のルールが守れない子を特別扱いして、別クラスに集めて、好きにさせておくというのも、学校としては、その場をしのぐ策のひとつだとは思うけども、本人の将来を考えると、そのまま特別扱いされて、社会に出られないのでは意味がない。それが、特支から通常学級に移りたい保護者の考えなんじゃないかと思うんです。で、ルールを守れる子どもたちのなかで生活する、守れない子は、程度によっては、周囲のいい影響を受けて、好転していくことも考えられる。それが理想的だし、そうなることを望んでいるんじゃないのかなあ。(そんなの無理だよって現場の経験の浅い先生たちは言うかもしれない)これは、現場経験を多く積んだベテランの先生方が実際に見てきたことが役に立つんじゃないのかなあ。私は教員じゃないので、本能的にそう思うだけだ。こういうのをうちのクマは認めないので、何か役立つ論拠が出てくるといいな。ありそうだけどな、すでに。まあ、そんなことを考えながら、クマの特支クラス対応を見守っている新学期。少なくとも、彼に偏見はないし、どうしたら特支クラスの子どもたちも世の中で問題なく生きていけるのかを思案していることとは思う。でもそれは、うちのクマがひとりで考えるようなことではないし、実社会との兼ね合いでうまく進めていくしかないんだよね(^_^)。世の中を知るんだよ、クマ。それはともかく、クマと話していて、クマは中学校時代、定期テストでは大して点が取れなかったけど、実力テストだけは、ふだんと比べて異様に点のいい子だったことを思い出した。授業態度があまりよろしくないので、内申点は当然低い。定期テストも直前にチマチマ暗記しないので、詳細な知識には限界がある。クマの実力テストの点が高かったのは、彼がその場で問題を読んで「考える」ことができたからだろうと推察する。頭に何も情報がなければ、考えるための材料が、圧倒的に足らないことになる。クマは、小さいころから大量のマンガやアニメ(アンパンマンやポケモンの)映画を私や兄たちと一緒に楽しんできて「これが、こうなって、こうなる」と考えることができる。そしてその「考える」ことは、クイズやなぞなぞといった形で、私たちみんなが楽しんできたことだ。小学校高学年からはクイズノックも大好きだ。なんとあのなかには、彼らの中学校の先輩もいる。訂正: あれ? なんだか、おかしいなと思って確認してきました。伊沢さんがクイズノックの活動を始めたのは2016年だと。すると、2002年生まれのクマが小学生のときに観ているはずがない。よね?あれは、クマが中学生のときの話だね(^_^)いいわけすると、3人年の近い兄弟がいると、何がなんだかわからなくなる。そして、学校の授業は、資料集をペラペラとめくりながらも、先生の話をきちんと「聞いている」左の耳から右の耳へ、じゃ意味がない。先生の話していることを聞いて理解している。たぶん聞いていて自分には納得のいかないことを先生が言えば、帰宅してからでも、家族に「先生がこんなことを言っていたがどういうことか?」と確認しただろう。さいわい、得意教科はみんな違う。なんならひとつ上のネコスケはオールマイティだw「そう、あの先生は、そう言うんだよね」とか言うまで、あり得る。だから、今日書きたかったのは、ただ「学校にマジメに通う」それができているなら、先生(または、他の人たち)の話をいちどでもしっかり聞いて理解した、と自覚することができれば、学校の勉強に苦労はいりませんよね。昨日クマと話したのは、「聞く」って大事よねえ、黙って、相手の真意を聞き取るこらえ性があるかどうかは大問題だよね。みんな聞かなさ過ぎだw話す(伝える)ことの言語化よりも、聞き取るこらえ性を、きたえたら?ネットでは、相手の言い分を誤解したまま、延々口論していたり。まずは、自分が意味を正しく理解していなかったことをすなおに認めて謝れる。それから、意思疎通をやり直す。それができればいいですね。知らないことはあって当然。そこで卑屈にならないで(^_^)大丈夫。切り傷の最近の手当て方法って知ってる?流水で洗って、なに?消毒しない、だと。なぜよ。乾かさないだと?全然知らんわ。最新の手当て方法を学んでね、と丸投げだ。あっちもこっちも天変地異の大災害でお見舞いの言いようがないわ。なんとか頑張ってくだされ、と死ななかった私はのんきに言うよ。台風の季節だねえ。秋はくるかな?去年の秋は急に寒くなって精神的につらかった。
2026年08月31日
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自然分娩で3人を出産しました。妊娠するたびに、妊娠中毒症です。と言われて、高血圧、体重増加、とても優等生の妊婦とはいえませんでした。減塩はしてたけど、気持ちのわるくなる悪阻がなかったかわりに、お腹がすいて、すいて、いくらでも食べられました。その結果、長男のワンを出産時には、増えすぎた体重管理のための栄養指導を受けました。学校の家庭科の勉強をマジメにしてこなかったので、この時点で、改めて勉強できたことはとても助かりました。出産時には、ワンのときは陣痛促進剤を使ってあらかじめ入院・出産、陣痛は、もう途中で産むのをやめたいとおもうくらいに痛くて、出産のたびにもう二度とごめんだと考えました(すぐ忘れるのね←だから、バカだって。)痛がる私に看護師さんが教えてくれたのが「赤ちゃんも苦しいのよ。赤ちゃんも頑張ってるよ!」そうだ。頑張って早く外で呼吸をさせてあげないと。そして、顔を見てあげなくちゃ。産まれてみたら、高ビリルビン血症(いわゆる黄疸)小さな小さなワンが、ひとりで病院に残って、保育器に寝転がって、紫外線治療を受けていることが、さみしくて不安でたまりませんでした。毎日、泣き暮らしました。これが、黄疸などなる人は多いのだからたいして問題ないなんて言いますが(もちろん言われた実体験あり)つい最近までお腹のなかに私と一緒にいた子どもが「ひとりで」立ち向かっている姿は泣けます。それに、他のすべての子どもたちが無事だったとしても、よりにもよってうちのワンがかならず無事であるという保証はないのだよ?と考えました(それは正論でしょ?)不安になりすぎ。この経験を踏まえて、不安になっている人に「根拠のない(無責任な)ポジティブな言葉をかけるのはよくないことだ」と考えます。ムリヤリ前を向かせるのではなく、思う存分不安にならせてあげようw 「うん、うん、 わかる、不安なんだよね」共感して、できるならば、ムリにではなく、本人の気をすこしでもそらせるような物事を用意しよう(^_^)実家の母などは、「赤ちゃんが入院しているあいだは、ゆっくりできる。今のうちに寝なさい」とこれまた、ド正論。たしかに、そうだけどさあ、ゆっくりしたくないんだよな!よりにもよって今!ただただ、ワンの姿を眺めていたいのよ。べそをかきながら搾乳してせっせと病院に届けた。そんなにそばにいることを望んだのに、ハイハイを始めたころには、ワンは、眠いとぐずって追いすがるようになった。実家から旦那ちゃんと暮らすアパートに移って、日中はワンとふたり、「ねむいよ〜!ねむいよ〜!」と泣き叫ぶようなワンを相手に「いや、寝なよ!だから、寝ていいんだってば!」と冷静に説得しようとしてもダメだった。赤ちゃんの寝ぐずりだからね。ある日、この寝ぐずってジャマくさいワンの姿をビデオに収めておこうと考えた。正直、可愛いものではない。泣きながら追いすがってくるワンにカメラを向けて撮影した。いつもは、可愛いワンの姿を残すために撮っておこうと考えたけど、たまには、可愛くないワンも撮っておいてやろうと考えたわけだ。地味なイジワルだ。そのビデオを、たしか、三兄弟が、みな幼稚園より大きくなってから(時間ができたので)観てみたら、なんと、可愛いだけだった。あんなにうるさかった泣き声も可愛いだけだ。この可愛い赤ちゃんにキツク当たる私は鬼ハハだったろう。でも、私はこのビデオを撮ったときの苦しい気持ちをよく覚えている。渦中には、決してわからないこともあるんだよ、と実感している。そしてみんな、わかってほしいのは、その苦しい気持ちだ。時間が経って、楽になった気持ちを教えて欲しいわけじゃない。教えて欲しいタイミングもあるし、そう望む人には伝えればいいけど、大抵の場合、苦痛をうったえる人は、どんなに苦しいかを、わかってほしいんだ。それをよく覚えていないとね。教えてあげることで、いい気分になりたい人もいるじゃん?アドバイスは、いらない。聞きたいことは、ピンポイントで聞くよ!考えに考えて、質問をしぼってするよ。それで、いいんじゃん?まったく考えずにすべて他人に教えてもらおうとするのは、ダメだよ?まとまらないので、その後について。そんな赤ちゃんで、1年生のときには、登校班の上級生にイヤガラセをされて悲しそうに「学校に行きたくなくなってきちゃった」となげいていたワンですが、私の記憶では、小学校高学年には、近所の神社の公園で同級生たちと遊んでいたらプンスカ怒りながら帰ってきた。社殿の下にみんながもぐりこんで「ヤメロ」と言っても出てこないのだと。それを聞いて私は単純に「ふ〜ん、ワン?それはだめなことなの?」と聞いてみたら「ダメに決まってるじゃないか!」なんだろう、神様がいる場所だから?遊び場じゃないんだね。そんなこと、教えた憶えはないけど、知っているんだね。社会のチカラだなあ。←母、頼りない。プンスカして帰ってきても、友人たちには「ワンは、そういうヤツ」と理解されていたようで、孤立することもなく、うちではいちばん人付きあいにはマメ、呼ばれたら断らないと公言して成人式後の飲み会では、「みんな頼むだけで飲まないから」と残った日本酒を引き受けて帰ってきて青い顔をしていた。あの子は、まわりにいい影響を与えられるんじゃないの?と思っている。今年のお盆休みは、まわりと休みがかぶらないようにと気を遣っていたら休み損ねたよと連絡が来た。それに対して、働けることは幸せなことよ。働けるときは働いてくだされとこたえる私は、あいかわらずの鬼ハハかw 元気でいて。
2026年08月30日
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世の中に、我が子の不登校やひきこもりに悩む方がたくさんおられるということは、つまり、家庭を持って、そこで子どもを育てられる環境を持つ人は多いのだろうと予想します。私もあたりまえのように、そう育ってきて、我が子と対面したとき、考えたことがあります。おさらいします。① 子どもはいつまでも子どもではない。 もちろん、赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんではない。だから、この子の可愛らしい赤ちゃん姿が見られるのは、「今だけ」だ。「今しか」見られないものを見ないのは、もったいない。だからこの目でしっかり見るよ(^_^)② 同じく、幼稚園児はいつまでも幼稚園児ではない。 小学生はいつまでも小学生ではない。(以下同じ)だから、子どもの学校生活を応援したり、一緒に遊んだりできるのも、はっきり期間限定だ。それ以外に「たった今」優先すべきことがあるだろうか?いや、ないな。私の能力で外で稼いでも大したお金にはならない。←これはわが家の特殊な事情。だったら、家でこの子と向き合って、子育てのスキルを身につけたほうがずっと役に立つ。(そして私は、あとふたり、男の子を産んだ)ここに書いたことに、心底納得した旦那ちゃんは、もはや、これは、自分本来の考え方だと思っている。(もしかしたらそうなのかもしれない←記憶に自信がない。)だから、子どもたちが小さいころから、とても協力的だ。病院通いにも、学校行事にも仕事をやりくりして、快く付き合ってくれた。あげく、地区の子ども会会長まですると言い出して、これにはだいぶ戸惑った。(向き不向きがあるからね?)公園で子どもたちを遊ばせていて、よそのおかあさんがケータイに夢中で子どもを見ていないなどということを「子どもと遊べるのは、今だけなのにねえ」とぶつくさ、いつも文句を言っていた。うん、あのね、今どき、予防接種もネット予約が多いんだってよ?かならず遊んでいるとは限らないでしょ?急ぎの用事かも知れないし。勝手にそう思い込んじゃいけないよ?前の日記に書いたように、ハタチそこそこで「正しくて、優しい人になる(正しい<優しいだ。)」ことを考えた私は、子を産んだときには、そう考えることがすでに、習慣付いている。ただし、私の視野は、我が子だけにとどまっていない。わが子らの生きる「世の中」自体が「正しくて優しい」世界でないと意味がない。そのためには、世の中のみんなに同じようにそれができなくてはダメだ。特別なことではなく、あたりまえに、そうならないと。そのためには、どうしたらいい?みんなにしてもらうためには、まず自分ができなくてはいけない(あたりまえだ)だから、自分ができるようになって、そのノウハウを伝えていこう(野望が、壮大すぎる)そう考えたときに、私は、世の中には、私よりずっと物がわかっていて、優しい人たちがたくさんいることにあらためて気付いた。それは、孤独感とは正反対だった。世の中の心配をするより、私は、自分のことに集中したほうがずっと役に立つ。本題に戻ります。(間違いない事実について)③ どんなに子どもが可愛くても、その人生をすべて見守り見届けることはできない。なぜなら、年長者は先に地上にさよならすることに決まっているからだ。(それが人間の寿命だ)だから、できる間に、世の中で生きていくために必要だと考えられることを、伝えていかなくてはいけない。このことは、私の伯母が次男を若くして亡くしたり、祖母が自分の三男を先に亡くしたりした様子を目のあたりにして、よく考えた。我が子が自分より先にみずから死んでしまわないように教えておかないと。防げることは防ごう。「どうにもならない」はあらゆることを試してからだ。④ 親は、ある日突然いなくなるかも知れないのだから、 子が産まれた瞬間から、じきに手を放すことを考えていないといけない。それをせず、ある日突然、突き放された子どもは、一人で生きていく知恵も力もなくて、困ることだろう。だから少しずつ少しずつ伝えて、習慣付けて、ひとりでも生きていけるように準備しよう。これは、私自身、健康に自信がないことで、つねづね身にしみて感じていることだった。彼らが独り立ちできるまでは、私は元気で生きていなくてはいけない、と。 書いてきたように、3年前に脳出血で片麻痺になった私は今、子どもたちの世話を何ひとつ具体的に手を焼いてあげることはできない。じぶんのことで精いっぱいだ。それでも、みんな成人して、それぞれの考えでそれぞれの道を歩き出した彼らは、自分の力で収入を得て、自由に生きてゆけるくらいになった。私は彼らに依存するのではなく、参考になる、ひとりの人の人生として、できることをすればいいと考えている。彼らの生きる同志として、おもしろいことをともにおもしろがったり、彼らが不満に思うことは、なぜそうなっているのか、私なりの説明をしたり、楽しいことや苦しいことを共有できればいい。「私のほうが年を取っているのだから、教えてあげなくてはいけない」とは考えないし、彼らが新しく発見したことを教えてもらって喜んだりしている。そして、その役割はやがて、彼らが新しい家族を作ることで誰か他の人に移っていくことになるだろう。で、じゃあ、具体的には、何をしておくのが良いかをわかりやすくまとめようとしているのが今でござるよ(豊臣兄弟!の再放送が始まったよ(^_^))かつて、ネコスケの同級生のお母さんに、「あなたの家はなんでそんな感じ?(要約)」と聞かれた経験を踏まえて、どうも上に書いたようなことは、よくわかっていてもうまくいかないこともあるという事実も知っている。私が実際に体験したことを中心に書いていきますお天気がわるくて暗いなあ。今年の秋の気配かな?台風がいくつも来ているらしいけど。クーラーはつけていない。ネパールの大土石流は、氷河が溶けたことによるものらしいです。あんなものは、氷河のそばに住んででもいない限りは、心配ないけど。そういう環境の人びとは気を付けないとね温暖化の時代には。知って備えておくれ。
2026年08月29日
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短大を出て勤めた一つ目の会社から出向していた、コンピュータのマニュアルを作る会社で、前に座っていた先輩社員の仕事中のおしゃべりにキレたことがあります。人前でキレたのは、憶えているかぎり、あれが最後です。ずっとあとになっても、イヤな気持ちになって何度も後悔しました。落ち着いて話せばよかったって。説明すると、自席の前に座っていた年上の女性社員が、仕事時間中も、となりの派遣さん相手に、前の彼氏がどうとか、今の彼氏がどうとか、ずーっと話してる。思うに、結婚が決まって浮かれていたんでしょうね。今にして思えば、20代後半の結婚が決まって幸せな女の子の心持ちなんて可愛らしいもので、まったく腹を立てるようなものではないとも思いますが、当時の私は、責任感と正義感の固まり、仕事時間中はだまって仕事するべき!だと考えていますから、ハリネズミとかヤマアラシみたいに毛を逆立てている状態。おしゃべりだけなら、自分の仕事に集中すれば気にならないけど、引き金になったのが、となりの派遣さんの「これ、オペレーターさんにどう指示を出したらいいですかね?」という質問に「そんなの、オペレーターさんが自分で考えてやってくれるよ」と答えたこと。これが、私にはガマンできなかった。プチッとなって、そのまま、立ち上がり彼女のそばにいって低い声で「それじゃオペレーターさんは何を頼りに仕事をしたらいいんですか!?」その無責任が許せなかった。そしたら彼女が傷付いた顔をして「私がワルイのはわかるけど、そんな言い方しなくてもいいじゃない!」と。私は気持ちを落ち着かせるために、そのまま廊下に出て、涙をぽとぽとっと落として彼女のところに戻り、「すみませんでした」と言いました。(エライぞ、小娘の私w)そしたらね、その様子をぜんぶ見ていた同じフロアの人たち(女性たち)がみんな私の味方についてくれたのです。だって、仕事中のおしゃべりにイライラするのはあたりまえですからね。そして、彼女は孤立することになって、楽しくおしゃべりできる平和な仕事時間はすっかりなくなりました。そうすると、はたから見れば、私はまるでいじめの首謀者です。そんなつもりはもちろん1ミリもない。私は自分の正義に従って行動しただけで、他の人たちに、彼女を無視しろと言ったわけでもないし、私は、彼女と合わないなと考えただけ。でも、(少し前に書いたとおり)小学生時代から人間どうしのコミュニケーションを自覚的に修練してきた私と仲良くしてくれる人は多かった。それだけで、1対多の構図ができてしまったわけですね。その後も何度も考えて出た結論が私は、正しくても優しくない人だった。ということでした。正しい<優しいだ。このイヤな気持ちはそういうことだな。納得した。だから、どんな正義感からでも、怒りを爆発させそうな人がいたらまあまあ、気持ちはよくわかるよとなだめることが習慣になっている。何に、どう怒っているかを理解してもらえればだいぶ落ち着く。できれば、解決策を一緒に考えられるともっといい。怒りの感情を有効活用することと、どんなに「自分が正しい」と思っていても、冷静に状況を鑑みれば、それが「加害者」になっているとも考えられることをそのときの私は学んだ。若い時で良かったよ(^_^)。だからね、若いうちにたくさん失敗して学んでね。それがあなたの財産になるよ。でも、いつだって遅くはない。いつからだってよりよい自分になれるんだよ。その努力はできる。 今度はあちら(北陸)に豪雨が。明日の昼には雨も落ち着く予報だそうです。なんとか耐えて〜水不足の地域にも降ればいいのにねえヒトに都合の良いことだけとはいかないよね
2026年08月27日
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今朝考えたこと。生きてゆく上で、私たちは、なるべく「間違えないように」「正解を」選びたいと考えている。でも、それって、誰視点の「正解」なわけ?私が知っているのは、オギャーと生まれた赤ちゃんが、社会人として独り立ちするところまで(うちの子どもたちくらいの人生の流れ)と、それから社会人を経て、結婚して年を取って子どもたちを産み育てて、高齢になった親が弱っていくのを見守っているくらい(私くらいの年齢の人生の流れ)のところまで、先日テレビで「バカの壁」の養老先生が病気(ガン)になって地上にさよならするときを考えるという番組を観たのだけれど(私の往生際?だっけ?)あんなふうに、ものをよく考えてよく知っている人がちょっとあちらへ行って「あちらはこんなかんじだから、こちらでは、こうしておくといいよ」と教えてくれたらいいのになと考えて、私は起きるなり、旦那ちゃんに「あの世から戻ってきて語った人はいないわね?臨死体験とか、それくらいよね?」と聞くという、不穏な謎行動に至ったのです。何でも教えてもらうことを考えなくていいんだよ、つまり。たとえば、子どもたちを全員東大理三に入れたという佐藤ママの人生を「大正解」だと考える人もいるだろうし、そのことにまったく意味を見ないし、興味のない人もいるだろう。それに人生に、「模範解答」というものがあるとして、私は自信マンマンの「誤答」にも興味津々だ。おもしろい。現実にも、模試なんかでの「こんな間違いをしたよ〜」なんて子どもたちの報告は大喜びで聞いた。間違えるって、確実に、経験を積むってことだ。だから私は、毎日「これで合ってる?」と自分に問いかけながら生きているわけですね。とてもじゃないけど胸を張って「これが合ってますから、おすすめしますよ」とは言えないのだ。人生をかけた人体実験みたいなものじゃん?毎日おそるおそる試してるんだから。だから私がその覚悟で試していることの結果を、ほほーん、そうなりましたかと見届けてくれる人がいればいいなと考えているけれども、まあ、まだまだいなくなる予定はないので先延ばしします。わかんないよね、私だってほとんど話したこともなかった父方の(晩年の)祖母と話がうまく合ったかもしれないんだから、晩年のおばあちゃんと、晩年の私が語り合う機会なんてないのさ、ヒトだから。だからもしかしたら、私のいちばんの理解者はまだ生まれていないという可能性もある、フツーに。何にしても、私は、もうずっと、あなたの敵でも味方でもないけど、冷静な理解者でありたいと考えているので、対人関係で、それがぶれることはない。その結果嫌われることもあるかもしれないけど、それは仕方のないことだ。でも嫌われている自覚はない。そう、さっき、「さよならノワール」を観ていて思い出したけど「逃げるが勝ち」は対人関係のことわざだよね。これって世界にもあるの?と口に出したら旦那ちゃんが「逃げるは恥だが・・・」は何?とああ、マンガタイトル&ドラマタイトル、そもそもハンガリーのことわざだと。「逃げるが勝ち」は役に立ちそう。逃げることを嫌がる人は多そうだし。少なくとも「お客様は〜」より、覚えてよw 子どもたちは。では最後に、今日の小ネタ。ゆうべ、歩きに行って帰ってきた旦那ちゃんが言うには「最近、前日の夜にゴミを出す人がいるんだよね」(不満そう)「ふうん。(明日は可燃ゴミの収集日じゃないけどね)何か困ることでも?」「いや、明日はビンの日だけど、もう出てんだよ」「決まりは守ってないね。そして、何か実害が?」「ビンはいいとしても、生ゴミはダメでしょ!前の日に出てるときもあるんだよ?」「それが迷惑なら、今のゴミ当番の人に相談して貼り紙するとか?」そして今朝。寝坊した旦那ちゃん。「ああ、ゴミ出しにいかなきゃ。収集車きちゃう」「うん、当日の朝に出せって、ある意味イジワルなんだよ?早起き前提だからね。」「あなたのなかでは『決まりは必ず守れ』っていうのが大前提になってるけどその『決まり』には無意味なものもあるってことじゃん?意味のないものは変えればいいのよ(^_^)」誰にもイジワルしない、ことを大前提にすれば、もっとラクに回るよ?いらつく理由が、誰かの迷惑になるから、でなく、決まりを守っていないから、ならその決まりの意味を考え直したいよね。単純だし、あたりまえのことだ。ただの考え方のクセだよ(^_^) 習慣にすればいい。また明日書きます。お日様注意。ギラギラよ。
2026年08月26日
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今朝テレビを観ていて、違和感を覚えたこと。カスタマーハラスメントへの対策が公的にも義務化されたという話題でコメントしていた菊間千乃さんが「お客様は神様ですという言葉が日本語にはありますが・・・」と言ったので「へ!?何ですって?」と動揺して、最後まで聞けなかった。あたりまえのことをおさらいするのが私の役目と勝手に思っているので書いておきますが「お客様は神様です」は昭和の大歌手である三波春夫さんが、自らの歌う姿勢を語った言葉で日本の言い伝えでもことわざでもないのですから、そんなものを盾に自分が「お客様」であるのだからと、「神様」扱いしろ!なんてわけのわからない理屈はありません。最後まで聞かなかったけど、たぶん、結論はそのようなことだったんでしょうね?心配なのは、菊間さんみたいな(元テレビアナウンサーで現弁護士の)ちゃんとした人が、日本語には、こんなものがあるけれど、と言ってしまうことです。ないんだよな、誤解なんだし、それは。ぜひ、その一般の誤った認識を訂正してくださるようにお願いしたいものです。少なくとも、フツーの顔をして「お客様は〜」って復唱するのはヤメテ(^_^)演芸のネタとして使っていたのはレッツゴー三匹だとAIが教えてくれましたが、たしかにあれを笑って観ていた昭和の人たちは「お客様は神様、は、三波春夫だよね」と知っているはずよ?子どもが、間違って覚えて恥をかいても困るし、対人関係を考えたことわざや言い伝えならもっとしっくりくるものがありそうですね(あとで考えるけどさあ)AIに聞いた方が速そうだけど、私の記憶のひきだしをひっくり返してもそのうち見付かる。これは、記憶の不思議だね。あ、全然関係ないけど、昔からご飯粒には七人の神様がいる(だから残さずきれいにいただきましょうね)という言い伝えがありますが、平成の若い人が「え、神様がいるなら食べちゃダメじゃん」と言った話がありました。いや、違うんだよなあ、もう、どうしたらw対人関係の習わし、イヤなお客が帰ったら「塩をまけ」←違うでしょ。あれ、なんかのドラマでまく塩がないヤツ、「ばけばけ」だっけ?借金取りが帰ったあとに「塩をまきなさい」とおじじさまに言われたおかあさんが貧しすぎて塩もなくて、まけないよってお話だったよね。思い出したけど、役に立たなかったわ。習慣ってさあ、大事だよね。脱線しまくりだが。昨日から始まった「税金で買った本」を観てそうか、図書館で本を借りる、も経験と習慣がなかったらどうしたらいいかわからないよね。うちの子どもたちは、私が連れていって、貸し出しカードを作ってもらって、読みたい本を選ばせて、扱い方を教えて、もちろん、食べたり飲んだりしながら開かない。みんなの本をよごしてダメにしてはいけないからね。破ったり、書き込んだりは言語道断だ。それは、自分が借りた本をめくって、実際に嫌な思いをしたら思い知る。(経験だ)そして彼らは、とうぜんのようにそれぞれの大学図書館で本を借りて読んでいたけど(買ったらめちゃくちゃ高い本もあるし?)最近ネコスケが大学図書館で借りたという本をぺらぺらとめくったらうしろに、貸し出しカードのポケットがある。歴史だね。おやと思って、ネコスケに「これを使ったことがあるかい?」と聞いたら「ないねえ。あれでしょ?どの本も先に借りている同じ人がいる!」←ヲタク?ジブリ。ネット。私が子どものころはあれがふつうだったけど平成生まれのうちの子らは、あのシステムを体験したことはないらしい。頭が疲れすぎて、どうでもよさそうなことを書きすぎた。新学期に向けたシリーズ、まだつづきます。ぼちぼち新学期も始まっているようですね(^_^)もすこし、涼しくなるといいね。
2026年08月25日
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母のお見舞いに行ってきて、衝撃的な事実を知ったので書いておきます。1)母の世話をしている父がなんでもかんでも文字にして手元で把握していた。 アタシか!?まあ、私はもはや不便なのでメモはスマホで取るけど。 父は、様々な裏紙を使ってメモ帳を作っていた。 そして、情報を物理的に管理している。わかる。 終わった案件は捨てればいいもんね(^_^)2)母が言うには、父の母(私の父方の祖母)は学校に通えなかったのを悔やんでいて 自力で文字を覚えて、やたら文章を書く人だったと。100歳まで生きた。 私がむやみやたらに、書け、書けと言うので思い出したらしい。 だって、頭の整頓になるし、記憶の強化にもなるよ(^_^)人が老いていく現実に立ち会う覚悟が必要だ。人間の誕生や消滅(違うだろ、死去?)を実体験する機会は格段に減ったよね。今は令和。教科書で学ぶだけでなく、せめて身内の人生に立ち会うくらいのことはしなくては。いいことばっかりじゃない。またね
2026年08月24日
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ややこしい話をつづけて書いているので少し脱線します。最近、実感したこと。ドラマ「VIVANT」のつづきを観ていて、最初のシリーズを観ていないとわけがわからないとか、3年も前で内容を忘れたよ、とか、いろいろ文句も出ているようだけれど、テレビ局としては、ネット無料配信も2周フルで、したし、テレビでの再放送も全話したので、これ以上の準備はできないじゃないの、という感じだと思いますよ。宣伝も相当してたし。そして、このシリーズのおもしろさをすでに理解している人たちはノリノリで楽しんでいて、今回は「悪役会議室」という、粛清された悪役のみなさんが集まって乃木憂助を貶める計画を立てるというテイで、実は、ドラマの今後の展開について真剣に考察しているという抱腹絶倒のラジオ?(ものすごいVIVANTファンだよねえ(^_^) 彼ら)ネット配信コンテンツもあり、私も楽しんでいます。国防という、一歩間違えたら「ふざけちゃいけないよ!」と怒られそうなテーマでドラマを作って、私などはもともと007もミッションインポッシブルも好きで映画は、コンゲームの基本「スティング」が大好き、ドラマは存分に楽しんでいますが、最初のシーズンでは、謎の世界的テロ組織テントが、実は、内戦で大量に生まれることになった孤児を守り育てる心優しい組織だったという、壮大でキレイなつくり話(過去日記参照ください)で、その「良い」目的のために、社会に混乱を起こして大金を稼ぐのはいいのか?とも思うし、追究しようと考えるとややこしい問題です。でも、ただの「つくり話」として、どんでん返しや乃木さんや別班メンバーのスパイ・アクションをポカンとクチを開けてただ楽しむのは喜びでしかない。かつての小中学生のように「ねえ、先週の放送、みた?みた?」と話し合うこともあります。テレビのわくわくふたたび、だよね(^_^)そして、出演者にはモンゴルやタイの俳優さんもいらして活躍している。お名前を覚えたいなと思うけれど、日本人の私には、どこをどう覚えたらいいのか見当がつかない。いや、チョッキー役のタナパックさんなど、かろうじてお名前のそこだけ。チンギスやジャミーンなんかは役名以外はまったく取っ掛かりがつかめない。それを踏まえて思い当たったのが、風さんの日本語の曲を外国のみなさんが声をそろえて歌ってくれるというのは、私の感覚では、ものすごいことだ。だから、風さんが、世界の共通語である英語で歌を作って歌えば、英語が母語でない国でもたくさんの人たちにわかってもらえるんじゃないかと、それは、ご本人もどこかで語ってらしたけども、英語圏だけでなく、英語なら多くの国でコミュニケーションがとれるんだと。それを目指してしていることを、日本語じゃないとわからない、わからないのよとイジワルされているように感じる人がいるのは残念なことだなあと考えます。そしてむしろ、風さんの最初の2枚のアルバムやプレプレマに収録されている日本語(ニッポンゴ)の曲を何もしなくても言葉として、意味を理解できる日本人のみんなは、超幸運じゃないの!?と思いますよ? How lucky you are!だ(^_^)正直、風さんが使う英語は、学校で習う英語を真面目にやってきたなら、決して難しくはない。難しいとしたら、年を取った人たち(私も)には、ネットスラングや若者の使う最近の英語表現を多用するときだ。でもそんなの、正確にわかる必要はないよ?大丈夫。日本語だって、若者言葉はわからないでしょ?いいんだよ、そこでヒクツにならないで。お願いします。仲間はずれにされた気分にはならないでね(^_^)仲間はずれにしてないよ、勝手に、された気分になってるだけ。私はとにかく風さんという人を、うちの子どもたちと同じくらいに信じているので彼の活動に水をさすのはやめてくれよ〜としか思わない。YouTubeのミックスリストで「ガーデン」が流れてきて、日本語だからボケっと聴いていても意味がわかるし、とてもいい曲だよね。最近のこの曲は、ライブで観客のコーラスを求めるのが定番になっているけれども、オリジナルの音源で聴くとLASA発売のころを思い出してしみじみしてしまいました。素敵な編曲にしてもらいましたね(^_^)そらのは〜て〜そして、Time will tellのアレンジカバーを聴いてきました。あれは、原曲の良さも合わせて極まって素敵。雲の上はいつも青空、だって。MIBを観ながら書いているので、これで終わり。←集中しろよ。この、シリーズ最初のウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズはいいな
2026年08月23日
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新学期を迎える子どもたちとおとうさんやおかあさんたちの役に立ちそうなことを書きたいと思いました。誰かに読んでもらえるかどうかは、私にとっては、あまり問題ではありません。必要なら、必要としている人の元に届くだろうと考えています。ただ、私の頭のなかに留めていてはまったく意味がないので、誰にでも読める場所に置いておくことにしています。私だって、ネット検索して誰かの書いた文章を読んでなるほどなあと思うことはあります。最近読んだなかでは、グーグルさんのオススメで「親をすることに飽きた」という趣旨の文章を読みました。もったいないことですね。どうしたって深く関わらざるを得ない「親子」が、腹を割って話し合って、共に生きるよい同志になれたら、こんなに心強いことはありませんね。うん、でも、きっと、あの方の主張には共感する人も多いことと思います。それに、うまくいく親子関係や夫婦関係ばかりとは言えませんからね(^_^)それは、知ってる。でも、子どもの巣立ちを自覚して、自分も気持ちラクになろう、というのは同意します。いつまでも、親だから、と、誰かを導いてお手本になることを自分に強いる必要はありませんね。卒親してくだされ(^_^)いくつか前の日記から続いています。(誰の敵でもない自分になる=なんかいや、を減らそうということです。リラックスしてね〜)昨日書いた、「その「楽しい」は間違っている。」脳内から快楽物質が出るというお話は、脳科学的な話です。見た目ではわからないし、自覚もないんじゃないのかなあ?でも私は、小さい頃から、(文字どおり)際限なく言葉を理解することを楽しんできて、そのことで学校の勉強では(文系教科では)苦労知らずで育ってきました。これは私の実体験なので、それをわが子たちにはすべての教科を「楽しい」と思ってもらうように準備してきました。それがいちばん、合理的じゃん。楽しいんだよ?学校の勉強が!毎日学校に通う子どもが教科の勉強やクラス活動、学校行事を「楽しい」と思えたら、楽しいことばっかりじゃないの!?正直に書くと、私は理系教科(数字自体)が苦手だし、学校行事もそんなに好きではなかった。でもね、クソ度胸(言葉づかいのワルさは教員の末っ子クマにいつも注意される現実)があったのと、ただ声が大きかったので、みんなの代表として、人前で話すことには何の不安もなかった。うまくできているものです。何かひとつはそれぞれに、これは楽しくていくらでも続けられるというものと、不安なくできて、他のみんなのためになりそう、ということがあるといいですよね。まとめると、好きと得意ですね。このふたつは違います(^_^)同じでもいいけど、違うほうが生きやすいよ?おそらく。子が赤ちゃんのうちにできるのは、親自身の心がまえと物理的な用意ですね。そして母親の私も、すべてのことを「おもしろい」と思えること、子にそれを伝えられることを目標にしてきました。だから毎日忙しいんだよ!w 倒れてる場合じゃないし、脳から血が出て、片麻痺になった私だからこそ分かることを伝えておかないといけないと考えました。これを私は、アホほどポジティブと呼ぶ。そのように自分の好きなことに時間や手間を使いたい人は、誰かを「いじめて」ドーパミンを出して快楽を得る必要なんてないんですよ。そんなヒマ、ないんですから。だから他人をいじめる人の話を聞くと「よっぽどヒマなのかなあ?」といつも思うんです。その「好き」や「得意」を獲得できなかった大人や子どももいて、そうなると、幸せな顔した人が憎いのかな?(だから僕は音楽を辞めた\ヨルシカ)まあ、ヨルシカさんの場合は、思春期の悩める心情を描いているのだろうけど、自分には好きも得意もないと考えてモヤモヤしている人の気持ちというのは、強心臓で自尊心高めの私には予測できないところなので、当事者の自己分析をお聞きしたいところですね。役に立ちますよ!(^_^)ぜひ、どこかに書いておいてくださいね!はい、今日も自信マンマンであたりまえのことを書きました。わかってんだよ、ただのおさらいだよ?私は藤井風さんという音楽家が好きなんだけれども、あの方はまさに好きで楽しいのチカラを有効活用した音楽の化身であると考えます。好きな曲を自分の得意な楽器(主にピアノ)で徹底再現して、結果、別の新しい曲に仕上げる。あの作業にあんなに夢中になって完成させられるのは、本人の才能と周囲の環境による。これは、彼のチャンネルに残っている過去の耳コピアレンジ動画を観ればよくわかります。才能はともかく、協力してあげられる環境は、努力すればなんとかなるかも?すくなくとも理解と協力はできるよね、親なら。それが子のためだからと否定してやめさせることばかり考えずに、子ども本人が自分の好きと得意を大切にして、生きることには意味があると思えるように後押ししてあげたいですね。自分にも、他人にも、ね?↑
2026年08月22日
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前の日記からのつづき。他人をいじめたい人のことを考えるとき、いつも思い出すこと。長男のワンが小学校1年生の冬のこと。それまで機嫌よく登校していたワンが、ある日、顔を曇らせて登校班の上級生兄弟にイヤガラセをされるのだと話してくれました。靴のカカトをふまれるとか、ワンの手袋のワルグチを言われるとかw(なんやねん)そのときは「ワンも、はっきりと怒りを表わすことができないからなあ」と考えて「ねえ、こわい顔して、マジメに、やめて!って大きな声でいってごらん?」まずは、自分で立ち向かうことを試してみてほしかったのです。ワンは頑張りましたが、やっぱりやめてくれないと。そして「なんだか、学校に行きたくなくなってきちゃった・・・」です。困っていることがあるとき、正直に話せる相手がいるというのは安心です。母親の私を頼りにしてくれていると感じました。とりあえず理解・共感して彼らがどんなに良くないかを伝えました。 「小さい1年生をいじめて楽しいなんて、サイテーサイアクだ!!」このまま、言った覚えがあります。いじめの脳内メカニズムは知らないけれど、本能的に、彼らは、小さいワンにイヤガラセをして、困ったり、嫌がったりするのを見て楽しいのだろうと考えました。そして、彼らの母親は地区の役員もしていて、しっかりした人だという評判も聞きました。(うちの旦那ちゃんからの情報なのであまりあてにならない)兄弟も熱心にサッカーをしていて、頑張っている様子でした。1年生を、いじめて楽しい気持ちがどこから出てくるのか、私には想像できなかったのです。私の取った行動は、朝の集合場所に同行して、ふたりの顔をじっと見て(どんな顔をしているのかしっかり見たいと思ったので)あなたの並ぶ場所はここ、副班長さんは、いちばん後ろでしよ?彼ら兄弟ふたりで、ワンを囲い込んでいたんですね。ちゃんと並んでね?ただの、子どもですよ、日焼けしたサッカー少年たちだ。そこからしばらく一緒に歩いて、たぶん彼らの「1年生をいじめて楽しい気持ちになる」は失敗したんでしょうね。そのあともずっと。あとは、班長さんにお願いして帰りました。ワンには、どうしてもやめてくれなかったら、おかあさんが、彼らのおかあさんに話しに行くからね(^_^)と言いました。でも、やめたんじゃないかな、たしか。憶えていないのがおそろしいところ。おかあさんはいつもワンの味方だ。(ワンの親だからね)これが、最近の研究によると、実際、他人をいじめることで脳内に報酬系物質ドーパミンが出るんだと、そしてその快楽を求めて、どんどんエスカレートしていくのだと。なんらかの中毒と同じ状態ですね。そんなものの餌食になったらたまりません。全力で逃げてください。逃げて〜!戦おうとか、説得しようとか、考えなくていいです。ただし、いじめてくるのが子どもの場合、往々にして、脳が未熟・未発達ですから、その負のサイクルから救い出してあげることも必要ですよね。理屈はわかりませんが、私が、いじめてくる側の心配をしたのは、たぶん、そういうこと。本能でしかない。でも、それは、加害側の保護者の仕事であって、被害側は、全力で我が子を守ってあげるのがいいと考えます。いじめは犯罪なんだから、懲罰を与えればいいという意見もよく聞きますが、それでは、効果がないのでは、とずっと思っていて、いじめることが楽しい、この快楽をもっともっと、になってしまっているなら、それ以外の楽しみを見つけることが有効ではないでしょうか。しつこいけど、被害側が考えなくてはいけないことでは、まったくないですよ。この辺りは経験者でもないので、あまり書けません。苦しみを乗り越えた方の体験談が聞けるといいですね。現実の事件にも、そのような脳の暴走では?と予想できるものが最近もいくつかありましたね。私は、ずっと腑に落ちなかったのが、霧が晴れたような気持ちになりました。これじゃ、ただ懲罰を与えてオシマイでは済みませんね。同じことになる加害者、被害者を助けないといけない。教育現場の先生方や、子どもを育てる、保護者の立ち場のみなさんの理解と周知が必要でしょうね。まだ書きます。
2026年08月21日
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昨日書いたことの補足。他人は他人(ひとはひと)と言ってしまうと冷たいようだけどつまり、いちいち他人と自分を比べることで苦しくなって欲しくないんです。他人は他人、自分は自分、と考えることは他人も自分も尊重していることになりませんか。そうなってほしいんです。嫉妬という感情は、人間にあってあたりまえの感情で、健全に活用されれば、とても強力な脳の動機付けになるのだと。すごいなあと憧れる人やもの、あんなふうになりたい、あれを手に入れたいその気持ちが正しく働けば、役に立つものですよね?まわりの人が、お手本になれるように、嫉妬や羨望の念を活用できていれば子どもたちもそれに倣うことができるのかもしれない。でも、あの人ばっかりズルイ!とか、何かズルをしてるんじゃないかとひがんだりして自分で憧れの人やものに近付けるように正しく努力している人がまわりにいないと、困りますね。正直、そういう人も多いと感じます。ひがんだり、どうせ自分なんかとさげすんだりもちろん、運が影響することもあるだろうし、自分なりの努力が、必ず望んだ成果を上げるとは言えない。それは知ってる。そこで分相応ですね(^_^)。分不相応ばかりを望んでも叶えられませんね。小3で入院中にあったことをひとつ思い出したので書いておきます。別の小学校に通っていた、同じ学年の子と病棟で会うことがありました。女の子ともうひとり、いつもついて回っていた女の子とふたりコンビで私の持ち物に興味津々で、そのうち、勝手に引っかき回すようになりました。想像するに「この子ばっかり、いろいろ持っててズルイ」でしょ?そのころの私は、まだまだ未熟です。子どもはみんな未熟だよ、じっさい。知ってる。ずっと我慢していて、最終的に「勝手に触らないで!」と泣きながらブチキレました。報告したら、うちの母もいっしょになって「あの子は行儀がわるいわね」とワルグチを言って。それはどうかと思うけど。←母にキビシイ。まあそこで私が怒りを爆発させたおかげで、彼女は懲りたのか姿を見せなくなりました。だから多少行儀がわるい程度の相手なら、嫌がっていることをはっきり示すことも役に立つのかなと考えます。イヤガラセをしてくる相手に悪気はなくて、未熟なだけ、はおとなの視点からは理解できるけれど、毎日悩んでいる子どもには納得できませんね、そりゃ腹立つわ(^_^)自分の気持ちをよく考えて伝えることが必要です。特にイヤなことを「や〜め〜て〜よ〜」と弱々しく伝えることしかできない子もいますね。(やさしい、やさしい)うちのワンも、そうだった。「いやなことは、真剣に、やめて!って言うんだよ?」って1年生のワンに言ったものです。でも結局、「学校に行きたくなくなってきちゃった」と悲しそうにワンが言い出したので私が出動しました。弱々しい1年生はなめられても、この子にはコワイ母さんがついていることをよく覚えておけよ?です。その話も書こうかな?wよく言うのは「私は、いじめられてても、きっとそのことに気付かない」と。鈍感過ぎて、イヤガラセされてても気にならないということもありますね、バカだからさ。まあでもね、バカ正直で他人に悪意を持たない人間をわざわざいじめてくる人はいないようですよ?小学生のときは、繊細で大人しそうに見えたからね、なめられたんだな。今日は病院にいって、血圧をさげる薬を減らしてもらいました。降圧剤は飲み始めたらやめられないのか?って話もありますが減らして、血圧に変化があるか、確認してみます。人体実験じゃ。
2026年08月20日
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9月の新学期をまえに、たくさんの子どもたちに気楽に過ごしてもらえたらいいなと大真面目に考えています。小学生や中学生に「死んだほうがマシ」と思われてしまう世の中って、どうかと思いますよ。そんなのを、放っておいちゃいけない。社会や、子どもたちの過ごす環境について、よく考えて研究してくれている人はたしかにいるんだと思うけど、私は、私の経験してきたなかで役に立ちそうなことを、ここに書いておきますね(^_^) 私は、私自身の子ども時代に、いじめの被害にあったことはないんです。むしろ、いろんなタイプの人たちに「アイちゃんは、大丈夫」と思われていたように感じます。それは、もしかしたら、フツーの子どもたちが、周りに自分の味方をたくさんつくって安心して過ごすことを目標にしていたとしたら、私はそんなのは、知ったこっちゃない立ち場だったというのも関係しているかもしれない。だから傍目には、いつも誰かとつるまずに、ひとりでいる私は「サミシイ人」に見えたかも知れませんね?小学3年生の三学期を腎臓の病気でまるまる病院で過ごした私は、突然家族と引き離されて、寮生活を送っているようなものだった。自分で身の回りを管理して、大人(お医者さんや看護婦さん)とひとりで向き合って質問に答えて、わからないことは、逆に質問して。たくさん考えたし、ゆっくり身体を休めた。あの期間が私の土台を形作っている。そこで入院治療を受けていることを、誰か(例えば母)のせいだと恨んではいなかったし、そこで、自分に今できることは何か?とよく考えた。とにかくよく寝て身体を休めなさい、と言ってもらえたことは、あのころの私にとっては、心底ありがたいことだった。徹底した減塩食と安静の効果で、入院生活の途中から、院内学級に通えるくらいになった。実際は、転校扱いになっていたと後で聞いた。憶えているのは、「今月の歌」として、ゴダイゴの銀河鉄道999を歌ったこと、あの曲のサビの英語部分は、3年生には難しすぎた。ずっとあとになって、このブログを訪れてくれたオーストラリアに住んでいるおかあさんが「英語ネイティブのうちの子が何を言ってるかわからない」と言っていたと教えてくれたのを憶えている。カッコいいけどね。残念。カッコいい英語と伝わる英語は違うんだな、日本語もそうだよ。あとは、書道バッグのなかで墨汁のフタが開いていて、道具がすべて墨汁まみれになったことを憶えている。ずっと、容器のフタを閉めるのが苦手だ。その自覚はある。当時も今も。大抵の瓶のフタは斜めになって開いているし、しっかり閉められることのほうが珍しかった。あとは、(超昭和美女ビジュアルの)院内学級の先生が私を「アイコちゃん」と呼んだことを憶えている。それは、キモチワルイのだが、わざわざ拒否するようなことでもない。あとは、(あとはあとは、と小学生の作文みたいになってるw)病室(女子部屋)のとなりの男子部屋から、ミカンの皮かなんかが飛んできて、みんなで騒いでいたら、コワイ看護婦さんにガミガミ怒られたことがあった。だってそんなものを、投げるほうがワルイじゃないか!と不満に思ったけど、夜間に騒ぐ小児病棟を静かにさせるのは、看護婦さんにとっては面倒な仕事で、それはそれは、大変なんだろうなあと想像した。何ごともなく過ごしていたら体験することのないことをたくさん経験した。だからといって、みんな小さいときに病気になりなさいよ!と言っているわけではないよ、もちろん!病気にならなくても、自宅で平和に過ごしていても、経験を積むことはできるのだ。逆に、自宅の環境に文句のある人もいるだろうけど、世の中には、自宅に帰ることもできず、病院で「おうちに帰りたいな」とサミシイ思いをしている子どももたくさんいるんだ。そう、想像してごらん?「想像してみる」ことができるのは、ヒトの貴重な能力だと思うよ。そうして私は、元々通っていた学校に戻って、4年生になった。病院で自分の身の回りを管理する経験を積んだことで、忘れ物やなくし物は減らすことができた。そんなのは、とんだ荒療治だけれど、子どもの持ち物管理に手を焼く保護者のみなさんは、ぜひいちど、子ども自身に考えてやってみる機会をつくることをおすすめします。「そんなこと言ったって、できないんだってば!」という声は聞こえるようにわかるけれど、できるように話し合って、一緒に手順を考えよう。育ったら、その「手順を考える」ことを本人がすることを習慣付けよう。それができれば、大きくなって社会に出ても困りません。あとは、人柄よね?親がいなくても「一緒に考えてくれる」仲間を作れるかどうか、だ。自分のことが自分でできるようになって、まわりに八つ当たりしたり、イジワルしたりしなくて済む子が増えたらいいなと願っています。私は、自分自身が、身の回りの管理が大の苦手なのにも関わらず、相談にはすぐのってしまう子どもだった。いつもくちばっかりだw すまん。それは、私の「わかる」能力によるものだ。怒り散らす母の様子を見ながら「この人は何でこんなに怒っているのかな」と考える。およそ不遜な子どもだけど、経験を積むには役に立つ環境だった。穏やかな家族に囲まれているなら、あなたはますます、優しくいることができて、世の中のためになるだろう。幸せなことよ?苦しい思いをしているなら、それも、あなたの財産だ。頑張ってくれてありがとう。そして学校という場所では、私は誰に対しても敵意というものを表さなかった。だって、正直、どうでもいいもの。私は、「もう学校に戻っていいですよ」と許可をもらって、大好きな本を、好きなだけ読んで、ハンバーガーを食べて、クリームソーダを飲んで、機嫌よく過ごしていたのだから、誰かに悪意や敵意を抱く必要なんて、これっぽっちもなかった。みんなお見舞いのお手紙ありがとう、だし。千羽鶴ありがとうだ。入院生活から復帰した私は、心配されたし、体育の授業ではいつも、私の望むラクそうな持ち場をまかされて機嫌よく過ごしていた。(人によっては、あわれむ人や馬鹿にする人もいたかもしれないよね?そんなの知らんが〜!w)給食のデザートはいつも、ジャンケンで欲しがる男子にあげてしまっていた。自分に悪意を示さない人に、わざわざ攻撃してくる人はほとんどいない。大抵の場合、「反撃」だからだ。したことに自覚がなくても「嫌われた」とか「馬鹿にされた」とか、勝手にそう感じて攻撃してくる人はいる。だから、まずは、「自分のこと」に集中することだ。他の人は、自分自身の人生に致命的な影響を与えることなんてできないよ?まずは、誰の敵でもない自分になろう、大丈夫。そして結局、私は、誰の味方でもなく、誰を味方につけようとすることもなく(私は私だからだ)ひたすら機嫌よく、みんなそれぞれの主張を「理解」して、うまく折り合いをつけようと工夫していたら、みんなが私を、信用してくれるようになった。自分に集中してね(^_^)書いてみると何も面倒なことはないよね。やっぱりあの本、役に立つんじゃないかなあ。
2026年08月19日
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去年の8月に書いた日記(「この8月に考えたこと。」2025年8月18日)を読んでみて、いつも思うとおり、私は同じことしか書かないなと考えて、もっと考えたこと。いつも同じことを書くというのは、考え方が「習慣付いている」ということだ。習慣になっていることというのは、そう簡単に変えることはできない。例えば、私が気付いたのは、私はいつも「自分に、問いかけている」。ほかの誰かに、じゃない。「自分が」どうかということを常に考えているんだな。それは「他人に罰を与えたいと考える人」「他人を叩き潰したい人」が自分とは違うから理解できない、のではなくて、自分自身も内包しているけど、いまだかつて理解できていない気持ちの動き方なんだろうと考えている。それはたぶん、合ってる。最近のNHKスペシャルで、現代の女子中学生たちが、戦争当時に先輩の生徒たちが書いた学級日誌を読んで、平和について考えるという話題があったのだけれど、やっぱり、戦争に突き進んだ「あの人たち」と自分を同じとは考えてはいなくて、私は、同じことをしないんだと思い込んでいる。しないように努めるんだ、と。自分にはできるんだと。それはたぶん、間違っている。人の能力に優劣のラベルを貼ったり、時代の違いでラベルを貼ったりするのも無意味なことだ。私は、笑い飛ばせるナンセンスを好むけれど、生きるうえでの無意味は好まない。自分がそのうち死んでしまうことを知ってるからだ。自分と違うから、あんなことになった、のではなくて、同じなのに、あんなことになったなりゆきを予想して同じことをしないように対策しないといけない。その視点から、私は「いじめ脳」の本が役に立つと思ったんだけれど、帰ってきたネコスケがペラペラとめくって言うことには「脳の働きに確定していることなんてないんだから、脳科学的に「だからこうなんだ!」と断言できることなんてないんだよ?仮説ばっかりじゃ役に立たないよ」言ってることはとてもよくわかる。それでも、確定じゃなくても、考え方を変えてみることに役に立つことには変わりない。可能性の問題だ。脳の仕組みなんて、生きているヒトの脳をばらばらに解剖して研究してみないことには解明できないだろうし、つまり、人工的にヒトの脳を再現することができて初めて少し分かるのかもしれない。ネコが言うには「わかっているのは、例えば、事故で脳のある部分を損傷した人にできなくなったことがある、そしたら、ああ、そういう機能を担っているんだねということくらい。」ネコスケも脳科学の専門家ではないので、専門分野では、きっともっとたくさんの研究実績があるに違いないと考えるけど、それは、勉強するしかない。さあ、勉強する、のは若者の得意なことだよね(^_^)お願いするよ?わかりやすく教えてください。少なくとも、ネコスケに、お母さんが何を知りたがっているかが伝わったのは価値あること。そして、ネコが言うには、何年か後に(来年?生誕100年記念で)芥川龍之介記念館ができるらしいから「おかあさんも行こうよ!」「もちろん行きたいけど、そういうところはバリアフリーじゃないから、難しいかもしれない」←歩けよ。脳の働き改善に挑戦だね。最近は、あちこちの博物館を見てまわったり、各地に伝わる物語の舞台を訪れてみることにハマっているらしい。元気なら何でもできるよ。体調管理は大事。民俗学とか博物学とかも勉強したかったんだよね(^_^)自力で勉強するよね。おかあさんは、経済学も勉強したかったよ。なんにしても、生きる意欲に結びつくことは大歓迎だ。そう考えてみると、私から子どもたちにも引き継がれている習慣はおもしろがること。わからないことに興味を持って、おもしろがって、知りたがること。これが習慣づくと、放っておいても勉強の得意な子どもになります。習慣付けって大事だね(^_^)おまけ最近は、ご飯の材料を庭で細々と育てて収穫することをたのしんでいる旦那ちゃんがグチっていたのが「大葉が虫食いだらけなんだよ〜」「誰が食ってんの?(ネット検索)ヤトウムシ?夜食べてるらしいよ?あとは、アオムシ、蛾の幼虫だね。いいよ!あげなよ!少しくらい」←役に立たない。そしてさっき、お昼のそうめんの薬味に使おうと収穫しにいったら、大葉食い本人がいたらしい。「ヤトウに勝ったぞ〜!(食べ尽くされる前に収穫できた)」「あら、写真とって、何だか調べればいいのよ」「そっか、もう逃がしちゃったよ」(それじゃ、また食われるねw)どんな虫もひねり潰さないのは、良い習慣(^_^)。すくなくとも精神衛生上は良いよ(^_^)。特に、お盆は。お盆じゃなくても、さ。
2026年08月17日
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以前、マンガ「ジョジョの奇妙な冒険」がスマホゲームになっていたときに、システムに不具合があるたびに、運営からアナウンスがある。それが「ユーザーのみなさまにはご不憫をおかけして申し訳ございません」という謝ってんだかなんだかよくわからない、残念な間違った日本語だったので、毎回苦笑していたのだけれど、それ以来、残念な日本語の誤用を「日本語がご不憫」と我が家では呼ぶようになった。たぶん、我が家だけでなく全国的にそうなんじゃないの、という気もするわ。読めますかね?ごふびん。正しくはご不便をおかけして、ね。不具合対応で現場は大変なんだろうなあと想像した。わざわざ意地悪な考え方をするつもりはない。ただ、「日本語がご不憫」は便利なんだよな、ごめん。スマホゲームも諸行無常の世界だよね。ほんと始まったものはいつか必ず終わる、を実感するよ。さっきネコスケからラインで連絡がきて、喜んだんだけれど、彼は、台風や線状降水帯の被害があった関東から運良く離れて東北にいたらしい。うまくすり抜けられるのも、運も実力のうちと言うけど(言わない?)本人の才能というか、生命力だよね。ぶち当たっても生き抜けば、もちろん、強い生命力だ(^_^)そういえば、私が一人暮らしをしていたとき、うっかりケータイを部屋に置いたまま出かけてしまって、しばらく連絡がつかなかった両親が心配して大騒ぎして、大いに怒られたことがあったのだけれど、そのときの私の気持ちが「私の生命力を軽く見すぎですよ」でした。つまりそのころから、各自の生命力ということをよく考えていた。そして、誰かの心配をして苦しくなりそうになったときは「生命力を信じろ」と落ち着かせるんですね。でも実際、放っておいたら死んでしまったかもしれないこともあるんだろうし、そこはしっかり、ネットワークを作っておくべきだと思うんだよ。でも、さよならするときはさよならするときだよ(^_^)アッサリ。金曜日のドラマ録画がたくさんある土曜日は楽しいな。そのうちまとめて書きますけどね、「Tシャツが乾くまで」は、予想外におもしろいな。松山さんのSNS遊びも含めておもしろい。なんなの、あの人、おもしろいねwではではクマが目の前でスマホゲームをしながら「自分のへっぽこぶりを堪能している」と笑っている。ダラダラのお休みでなにより。そんな日もあっていい。
2026年08月15日
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線状降水帯というのは、いままでの通り雨とか、ゲリラ豪雨とかとも違う。大雨が降っている仕組みが違うのだから、対応も変えなくてはいけない、当然。少し待ったら収まるものじゃないのは、一夜明けたあの惨状を見たらわかる。例えば、借りぐらしの小さな町に、大きなバケツで盛大に大水をぶちまけたら、水の行く先がない。いままでみたいに大きな川が氾濫して水害を起こしているのではなくて、空から落ちてきた大水が地表に停滞して、巨大な水たまりになって、そのなかでヒトが生活できなくなってる状態だ。水を効率良く逃がす仕組みが必要だ。そんなのは、昔からよく考えて街作りをしてきたんだろうけど、「昔」の大雨と今の大雨はちがうのだから、基本的な発想を変える必要があるし、でも、今すぐ作り変えるわけにもいかないんだろうから、なんらかの応急措置が今すぐ必要だよね。と考えた今朝。もちろん専門家の人たちはずっと考えていることだろう。ちょっと待って。これじゃ、ハザードマップの基準も変わるよね。とりあえず、考えたことの記録。そして、ずっと考えているのが、とんな正義感からだろうが、誰かに怒りをぶつけて爆発させることを、私は、私に許したくない。後になって、とても、恥ずかしく思うのだ。怒り散らしてから、それを後悔したことがある人に先日読んだ「いじめ脳」の本をおすすめしたい。自分を怒らせる人が、悪意を持って、周囲に嫌がらせをしている、と考えたら、何度も同じことをすることになるだろう。まとめようと思ったんだけど、読んでもらうのがいちばんたしかです。私に言えるのは、怒ったことを、後悔する人の役に立つ本です。ということ。人を怒らせる(いじめ脳の)人は「性格が悪い」わけでも、「知力が低い」わけでもなくて、脳が未熟で、自分が動くための脳の動機付けができていないだけ、とのこと。「未熟」というのは、よくわかる。経験が足らないし、誰かと一緒に学んで成長してこられなかっただけだ。でもね、なんでそんな人からの被害を自分がうけとめて、我慢しなくちゃいけないんだ!と腹を立てる人の気持ちはとてもよくわかる。アマゾンのレビューにも見られました。だからといって、罰を与えたところで改善はしないよ?意味ないことして、満足してちゃダメだ。(これは、私の本能)私は、直接「いじめ」の被害を受けたことがないのだけれど、たぶん、私をいじめたところで、満足な成果を上げることができない相手だからだったから、かと考えます。私をいじめようとするあなたは、大丈夫なのかい? と結局心配してしまうのですね。何の利点があって、そんなことをするのかなと、考えてきました。そして、自分自身も含めて、空腹と睡眠不足が人の気分に大きく影響することを自覚して、それを徹底的に避けるようになりました。とりあえずご飯食べて、寝て、だ実際にいま、いじめの被害に苦しんでいる人に即効性のあることではないかもしれないけど、逆に、いじめない側になる努力はできますよね。そのためには役立ちます。いじめ脳 脳科学が解き明かす「メカニズム」と「対処法」 (SB新書) [ 加藤俊徳 ]脳の働きを理解するって役に立つなあ。そして、ACEだな、やっぱり。具体的な経験について書いておきましょうかね、後日。世の中それどころじゃない感じですが。空気を読まないな9月がくるぜ、もうすぐ新学期
2026年08月14日
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朝ドラ「ばけばけ」にも、同じエピソードがあったけど、県知事のお嬢様がヘブン先生に贈ったウグイス、あれを見て、「それはウグイスじゃない、メジロだわ」とツッコんだ視聴者は全国にいたことかと。あの話って、回収されたんだっけ?ホーホケキョとは鳴かないよね、そりゃ。で、お嬢様の恋が終わって、最終的に放してあげたんだっけか。あまりにもイメージどおりの美しいウグイス色なので、そして、身近に見かけることも多いので、てっきりあのコをウグイスなんだと思っていたら、違うじゃん。わかりやすく目のまわりが白い、メジロだと。ボクなかないよ! 密漁されたメジロたち [ 国栖晶子 ]うちのお風呂場の外にある紅葉の新芽をついばみにくるんだって。旦那ちゃんが「かわいいんだよ〜!」と喜んでいた。ウグイスは、もっと渋い色合いなんだよね、世の中の「ウグイスなんとか」は、メジロの色をイメージしてるんじゃないのかなあ。念のために書いておきましょうね、ここにも。HANSA 7476 ウグイス 7cm JAPANESELEAFWARBLER 鶯 BH7476 ぬいぐるみ ハンサ クリスマス 誕生日 プレゼント 動物 犬 猫 鳥 うさぎ ペンギン アニマル 置物 人形 フィギュア KOESEN ケーセン 大きい マスコット 実物大 大型あとさあ、実につまんないことだけど、シュミレーションじゃなくて、シミュレーションな。元がsimulateだからさ。これは、いまだにテレビでもよく聞くんだけど、中学生か高校生のころになんのことを言ってるんだろうな?と実際に疑問に思ったことをよく憶えている。調べたさ〜、そんな言葉ないよな?と、気付いたときは笑ったし、間違った言葉で、正しく意思疎通するためには工夫がいるね(^_^)つまり、言いやすいんだよね?シュミレーションのほうが。だったら日本語にしたら?模擬とか、あるでしょ、いろいろ、合う言葉が。片仮名好きか!細かい間違いを指摘していい気分になりたいわけではなくて、自分の話している内容をしっかりわかっていて欲しいのさ。無自覚に発された言葉に振り回される子どももいるよ?大人は、しっかり考えて話しているって思うじゃん。少なくとも、ツッコまれたら「うるさい、いいんだよ」とか言わないで「え、そうなの?教えてくれてありがとうね」と言える余裕が欲しいよね(^_^)ナマイキとか意地悪とか考えないでね、お願いします。日記カテゴリじゃないけど、書いておくと「借りぐらしのアリエッティ」のテレビ放送を観ました。旦那ちゃんが家政婦のハルさんを「あの人はワルイ人なの?」と聞くので「それは、視点によるな」と言っておきました。私たちだって、地球に借りぐらししてるだけだよね。誰のものでもないんだよ。まだ考える。そして、母がまた入院して、「期待と最良の現実」について考えた。入院して不安な母が私に期待することは十分に予想できるけれど、そのとおりに私が行動することはできない。それは、とても苦しいことだ。私は、自分にできる(可能な)いちばん良いと考えられることをするだけだ。母の絵葉書にこたえて、手術頑張れと応援しておいたことは間違いではなかったと思う。身体の不調を治したいから病院に行くんだ。良くなる意志を持たなくてはいけない。私だって、3年前に地上にさよならしていたかもしれないんだ。それは、ひとりひとりの問題であって、誰かにすがったり、責めたりするようなことじゃないんだよな。今はじっと息をひそめて、母の生命力と生存意欲を見守るしかない。待つって力を使うよね。今はみんなこらえ性がないという。待つ訓練と習慣も必要だよ(^_^)ヘンテコなコースをたどった逆走台風は熱帯低気圧に変わったらしい、でも、まだあとからあとからくる。被災地にさらなる被害がなければいいなと毎日願っています。
2026年08月13日
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新しいドラマも観ているのだけれど、NHKBSで再放送中の「八重の桜」を最初のお話から日本の幕末から明治への歴史をおさらいするつもりで観ている。観れば観るほど「内戦はむなしい」と思うのだけれど、同じ日本国内の「敵」って何かな? 前の月曜日のお話は、ちゃっかり朝廷の名を借りた新政府軍への「恭順」を主張した会津の家老、西郷頼母(故西田敏行さん演)が会津を追放される流れで、あの「敵を倒して、会津の誇りを守れ!」の空気に反対することは到底無理だったんだろうと想像する。あれと同じことを、今の私たちはしなくて済むだろうか。←ここが問題。ドラマのなかだけの話じゃないよ?少しずつ、少しずつ、みんなの考え方を柔軟にしておかないと、いざというときに、感情に流されて同じことをすることになるんじゃないのかなあ。自分の心配はしないけど、これから地球上で生きていくヒトの未来を心配するよ。できることは、しておかないとね。地上のどんな戦いも、言ってみりゃ「地球内戦」でしかないよね。やっぱり虚しいのひとことなんだ。その労力、他のことに使ったら?お金も知恵もムダじゃない?とタイパやコスパを重視する若者みたいに、私だって考える。それを、誰のために考えるか、の違いだよね。視野狭く、自分の、今この瞬間だけを考えたら、ものすごく狭い。よくわからないけど、そういうものではない気がするんだよ。でもね、満足できる瞬間を積み重ねていったら、満足できる人生になるじゃん?とも考えられるね。また迷路に入り込んでしまった。日記ってそんなものだ。最近考えたことのなかでは、言ってわかるなら、言えばいいだけの話、というのが我ながらなるほどねと思えた。グズグズ考える間に動けというのもたぶん合ってる。日頃から考えるクセをつけておけば、行動までが速いよ(^_^)言われたことを正しく「わかる」ために、理解力をつけて、偏見をなくしておかないといけないよね。そんなの当たり前だけどね。最近ネコスケが、台風がくると(気圧の変化で)「すこぶる具合わるい」と言うので、台風のいいところも考えようと思ったんだけど、水不足の解消くらいしか思いつかなかった。あとは、いったん、更地に戻すオールクリア。これは、いいことだけとも言えないよね。壊されるのは大迷惑ってこともあるし。←その言い方、「も」じゃないでしょ、フツー。まあ私は、リセット症候群みたいなところがあるから。もともとオールクリアは、けっこう好きなんだ。知らない人ばかりのところに行くのも好き。新しくつくることが好きなのね。だからつまり、ぶっこわす!も好きだ。ぶっこわし蛍ってキャラクター(ドラマ銀河の一票)も好きだ。語彙力って、口がうまいってことじゃないよ?まずは、自分の感情をよく観察してね(^_^)何でもぴったりの言葉に置き換えて行くんだよ。何かあるはず。私たちが、言葉を使ってきた歴史は長い。おもしろい発見があったら、教えてね(^_^)
2026年08月12日
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ただの覚え書だけど、どこかに書かないと忘れてしまって、同じことを何度も調べることになるので、ここに、書いておきます。メモ書きとしてもだけど、いちど文章にすることで、頭に定着するんだな。理屈はわからない。何日か前に、入力した文字列からも、オススメの記事をだしてくるのか?と書いたんだけど、それが自身のACEについて語ったネット上の記事で、私はグーグル検索したわけでもなく、読み直せば、6日のドラマ感想に何度か「育ち方の問題」「生い立ち」と書いていて、思考を読まれたくらいの感覚を持ったのですね。そこまでしてないよね、グーグルさんは。そう、ACEって、印象のない言葉なんだけど、Adverse(逆境的)Childhood(小児期)Experiences(体験) ← wikipediaによると。のことですって。小さい頃に、余りにも苦しい体験をすると、その影響が成長してから出てくると。研究したフェリッティという学者が論文で発表したのが1998年だって。そんなの論文にしなくてもあたりまえだよという気もするけど、調査・研究してまとめた人がいると信頼度が上がるよね。うちのワンが1999年の初めの生まれなので、その頃には専門家のあいだでは一般的な知識だったのかな?そう「あたりまえ」なんですよね、古来から、でしょ? 親に愛されて、安心して、育ってこなかった人に、それを他者に与えることができるのかって話で、難しいと思うんですよ。そこを越えられるか否かというのは、何が鍵になっているんだろう。元来の性格?大きいのは、親以外の周囲の人たちの力だとも思うんですね。環境、社会?専門用語も、専門文章も踏まえていないので上手に書けないけど、たぶん合ってる(と思う)今みたいに、核家族があたりまえになった世の中で、親を頼りにできない子どもは、どうやってまっとうに育ったらいいのか、子どもの相手や世話をできる大人は多いに越したことはない。まあ、それでも、道徳的には、よろしくないおじおばいとこや親せきもいたんだと思うけど、まっとうな、見本になれる大人もいたんだと思うんだよ。そして、どんな環境で育った子どもも公立学校に通うことができるならば、そこで出会う先生や級友たちとの関わりのなかで変わっていけることもあると思うんですね。だから、先生方は、そのことをわかっていなくてはいけないし、問題なく愛情をこめて我が子を育てているよ!と言えるお家の人たちも、自分や我が子の偏見を減らして、みんなが苦しい気持ちを減らして、楽しく満たされた人生を送れるように工夫していかないとね?と考えます。そして私はうちの末っ子のクマを教育現場に送り込んで、澄ましているわけです。クマに「行ってこい!」と言えるのは、彼自身が、自分を極端に苦しい状態に追い込むことをさけることができるのを、知っているからです。それでも、運動部出身のクマは、時には、苦しいと思いながらも、自分の心身を鍛えることが必要なことも知っています。子どもに「頑張って」部活をやれ!と考えなしに言ってしまう環境で、自腹でも温湿度計を調達して、子どもたちが安全に安心して運動できる環境を作ろうとするクマを、私は信頼しています。だから大学を出たばかりのクマは頼りなく思えるかも知れないけど、「クマ先生に話してみたら?」と保護者のみなさんが信用してくれたらいいなと願っています。そしてもちろん、現場での経験は、どんどん積んでいかないといけない。今のところのびのびと勤務できているようです。お盆休み前の最後の勤務がクマひとりだったようで、戸締まりしてきたんだよ(^_^)と話していました。大変でもあるけど、信用してまかせてもらえることはクマの自信にもなりますね。いや、ホントに大丈夫か?wそう、そして、社会問題で「こういうことだね?」と理解できていないことが私にあると、クマと話すことができない。知らないし、どうでもいい、とか言いたくないんですね、そんなの、無責任だから。知って考えて、自分の意見を持っておきたい。私は、そういうふうに育ってきた。「いじめ脳」の本、読み終わったんですよ。私にはとても役に立つ内容でした。別の日に感想を書きます。あとひとつ、ずっと、若い世代を「無敵世代」と呼んで、自分たちとは相容れない態度や言動の世代の人々と考えることに違和感を抱いてきました。(何度か書きました)そこで表示されたオススメの記事が龍谷大学の村田和代先生の主張、「優しく」、とか「思いやり」とか、分析・理解して対処しようという金間先生の方法とは違いますね。でも、よくわかった。理解して活用してあげよう、は村田先生に近いかな?本を読むときに、アマゾンのレビューを読みにいきます。楽天より多いので。内容を知るためじゃなくて、その本を読んだ人に、どのような感想を抱く人がいるのかに興味があります。まあ、何にしても、怒っている人の書くことには、説得力がありませんね。村田先生の本に、学生の言葉づかいをただす、という内容があるようで、「全然、大丈夫」(?)は、「全然痛くない」にしなさいと指導しないとね、と。それに対して、全然を肯定で使うのは、近代文学では常識ですよ、ととうとうと述べ立てている方がおられて、それって、役に立つの?どっちでもいいよ!問題は、その違いを「間違い」だとこだわってぷんぷん怒り続けることなんだよ。残念だ。そして、その気持ちの動きについて、脳科学的に説明してくれているのが「いじめ脳」の本でした。←何について書いてるのかね。ごめん。そうだ、ネット記事にも、若者の言葉づかいについての指摘がありましたね。自分に向かって「先生、明日は、きますか?」ここは、目上の相手には「こられますか?」と言うべきでしょう、と。学生さんにそう伝えてくださったならありがとう、です。どっちでもいいよと流してしまうと学習も経験もできないもんね。いや、この話題は、「こられますか」だと「失礼だと思った」と学生さんが答えたというのがポイントです。そこ、わかる? その違い、ね。失礼にならないようにという気づかいで、「きますか?」ですよ、つまり。そこで「え、なんでなんで?」と聞ける間柄というのが貴重です。そんな関係性をどんどん作っていきたいですね。ちなみに、施設の若い新入職員さんが、体操をしながら「お茶を飲みながら運動してくださいね!お茶がない方は申して下さい」と言うのがおもしろくて、可愛くて笑ってしまうのだけれど、相手がクマなら迷わず「それは、変だよ〜!w」って指摘するのだけれど、年取った私が指摘すると、イジワルされてるって思うかなあと考えてしまって、まだ迷っている。クマに相談したら「正しくは、おっしゃってください、か?」「うん、そうだけど、まどろっこしいよね」「言ってくださいでいいだろ」「うん、そうだよね、ベテランの職員さんたちならかまわず、『お茶がなかったら、言ってね(^_^)』て言う」要点は、熱中症を防ぐために水分をとれ、だ。それが伝わればいい。言葉づかいが、正しい、間違ってる、の問題じゃないんだよ。だから「言いやがれ」でもなければOKだ。こういうことを言うとうちでは「言いやがってください」とか、ことば遊びが始まる。だからクマは、語彙が多い。散々ふざけたから。楽しいよね、ことば遊び(^_^)楽しい!がポイントだよ?よく寝て復活した。←またかよ。
2026年08月11日
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最近施設の床に立て続けにムカデが出現して、近くの席のオジサンが驚きの声を上げたこともあり、職員さんが飛んできて、手早くティッシュを数枚ソイツにかぶせて、どうするのかと見ていたら、踏みつぶす。ムカデって強くて、少々攻撃したくらいでは絶命しないと。うちのクマなら何とかして外に逃がそうとするだろうけど、利用者さんたちを守ろうと戦う山育ちの職員さんは容赦ない。それは心底納得できる。まあ、10センチくらいの細い小さめのムカデだった。職員さんが言うには「朝も出たんだよ。相方を探しにきたのかな?」そう、ムカデはペアで生息していて、片方を殺すと、追いかけて出てくるという話は以前も書いたことがある。でもそのあと、もう一匹同じくらいの大きさのムカデが出た。おや? ニョロニョロして、百足と言うくらい、足が多くて、気味が悪いのだ。いろんな生き物がいるけれど、蜘蛛やムカデや、黒いアイツなんかは見た目で損してるよな。う〜ん、でもそれも、育ってきたなかでの経験によるものなんだろうな。どんな害虫でも、可愛らしいと思える人もいるんだろうし。昆虫学者とか。昔、幼稚園児のネコスケが肺炎で入院したとき、付き添いで泊まり込んでいた私がシャワーと着替えのために家に戻ったとき、二階でワンとクマが「ムカデだ〜!ムカデだ〜!」と騒いでいる。様子を見に行くと、壁に大きなムカデが張り付いている。たしかにムカデだけど、よく知ってるな、2年生と3歳児。すこし前に旦那ちゃんと交代したところだったので、またすぐ病院に戻らなくちゃいけない。20センチはあろうかという見たこともない大きなムカデだった。戦って勝つ自信はない(お母さん、ヨワイ)だからといって、そのままにして、子どもたちがかまれるのは困る。素早く考えて「ワン、玄関の虫取り網を持っておいで」「はいはーい」そのあいだも目は離さない。見失ったら大変だ。虫取り網で捕獲して、そのまま、網ごと庭に放り投げた。しばらくしてから見たらいなかったから一目散に逃げたんだろう。あんなに大きく育つまでどれだけのピンチを凌いできたんだろう。キモチワルイとかコワイとかよりも、暴れずに捕まってくれてありがとう、と心から思った。畏敬の念くらいの。あのコは、私の想像では、旦那ちゃんが玄関に放り込んでいった、雨上がりの自転車カバーにくっついてうっかり家の中に入ってきてしまったんだろう。同居はイヤだけど、離れたところで平和に暮らしてくれたらいいなと考えた。それでもやっぱり、ムカデは苦手だ。ひとつ、おもしろいなと思って好きな話があるんだけど、日本のチビッコに人気のヘラクレスオオカブトとか、コーカサスオオカブトとか、そういうゴツいカブトムシ。南米の子どもたちに言わせると「キモチワルイ」んだと。寝てたら、枕もとにいたりするんだって。それは、ギョッとするよねえ。場所によるんだろうね。珍しくないし、自分の生活空間を侵されるのはイヤだよね、わかる。夜行性だからさ、夜中になって暗くなるとゴソゴソ動き出す。例のアイツも一緒。どんな生き物も観察してみたい気持ちはある。よく大人と話すのは、小さい頃は、テントウムシでも、ダンゴムシでも平気でさわれたのに大人になったらさわれなくなった。ほんと。ふしぎだねえ。それが、子どもにどんな影響を与えるか考えないとね。私の上げる悲鳴が、子に虫への恐怖心を植え付けるかもしれない。虫をいやがる私に代わって、文句も言わずつかまえてくれる旦那ちゃんがいてくれて助かった。ちょっといろいろあって元気がない。虫の話でお茶を濁す。
2026年08月10日
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クマの用事の車での送迎についていって(用もないのに)久しぶりに実店舗の本屋さんをぶらぶらしました。夏休み中なので、自由時間を持て余したらしい子どもを連れた若いお父さん、お母さんがたくさんいました。大きめのショッピングセンターだから、時間をつぶすお出かけにいい、と考えるのかもしれないけど、あれが楽しい子どももいるのかなあ?ふうん、不思議な文化だな。流行りのシールでも買ってもらうのか、ちいかわの映画をみるのかな?食べ物屋は激混みだし、子どもはツライよね。あのツラさを超える楽しさがあるのか。少なくとも、小さい私は楽しくはなかったし、うちの子どもたちも、自分の意志で断れるようになってからは行きたがらなくなった。欲しいものはピンポイントにネットで買えばいいし、ムダに人混みをウロウロすることないよね、だ。でも私自身は、本来お店のたくさん入った施設をひとりでそぞろ歩くことが大好きだった。本屋さんはもちろん大好きだ。昨日は、車椅子で行ったので、低い視点から、目にとまった本のタイトルを次々に読み上げて、それを旦那ちゃんに取ってもらって、パラパラとめくったり、クマには「立ち読みしたの?座り読みか!w」と笑われた。好きで座ってるわけでもないんだけどね。でもある意味楽チンではある。本屋のなかをダッシュしている少年たちがいて、旦那ちゃんと私に行き当たって急ブレーキをかけた(子どもらが、ね)旦那ちゃんは反射的に「ごめんね」と言いそうになって、たぶん頭のなかで「本屋で走るのはいいことか?」と考えた。ダメだよね。走るなら、広いところでどうぞ。お父さんは素知らぬ顔で、呼び寄せて澄ましている。「ここは知らないコワイおじさんの出番では?」とすこし思ったけど、正直、本屋だろうが、涼しいところで走り回りたい子どもの気持ちはよ〜くわかる。ありかなしか、で言ったら、キビシイ大人は「なし」と言うだろう。子育て経験者からすると、子どもには同情する。おとうさんおかあさんにも同情する。オン・オフの切り替えがきくといいよね。外は猛暑だ。子どもの外遊びには向かない。思い切り体を動かせる機会と、静かに行儀良く過ごせる「カッコいい」子ども自身になれる機会が作れればいい。それだけなんだよな。つねに行儀よくしている必要なんてないさ。その使い分けを教えてあげよう(^_^)子どもは「知らないだけ」と理解して。それでいいよ(^_^)手元に本はたくさんあるので、やたらに増やしたくはない。でもせっかく本屋さんに行ったのだから、そこに並んでいるものの中から興味を引くものを何か選びたかった。生物や博物学の本、地学、理学系の本の背表紙をざっと眺めて、最近出たばかりの翻訳もののハードカバーはものすごく高いし、買っても保管場所に持て余す。おもしろそうなものはたくさんあったけど。「新書コーナーに行こうか?」新書にはお手頃で最新の研究結果をまとめて論評した本が多いからね。扱いやすいし。「新書」通じるかな?案の定「新刊」と混同している。いや、そうじゃなくて、新書コーナー、あると思うんだよ?キョロキョロ。あった、あそこだ。ここか、最初に来たじゃないの、そう言ってよ。は?そんなの知らないよ。ああ、新書コーナーって名札があるけど、コミックに侵食されてるね、これ。あらあら。そんな経緯で新書コーナーでも背表紙をざっと眺めて、あら、新書なのにめっちゃ分厚い本がある。量子もつれの本だね。重そう(物理的に)今日はいいかな。いじめ脳 脳科学が解き明かす「メカニズム」と「対処法」 (SB新書) [ 加藤俊徳 ]どうしても理解できないので、脳科学的に説明してもらおうと、こちらを。しかし、私が今、いじめや不登校に悩んでいるわけではないのだけれどね。知ってるのと知らないのとでは、私の発言が変わってくるからね。なるほどなあって言いながら読んでるけど、著者も我が子に夜9時以降の勉強を強いて後悔してるって書いてた。そうなんだよ、「お腹がいっぱいで眠くない」状態を維持しようと考えるのは合ってるよね!私はまったく専門家じゃないけど、本能的、経験的に知ってんじゃん?ん、「経験的」のほうが合ってんだな、たぶん。読んでまとめて、これは有用と思ったことを書きます、そのうち。「紐解く」はこの本の著者が多用する、導入のことば。少しずつほどいていく感じがよくわかるね(今さらか)学校の先生たちや、子どもを見守り育てる立場の人たちはわかっていたほうが良さそうなお話がたくさんです。まあでも、批判的にも読まないと、うちの子らからツッコミが入るので盲信するわけにもいかない。子どもに現職教員と遺伝子研究者がいる環境はなかなか油断ならないのだ。うん、でも、有効に活用しないとね。私が論破されないようにしなくちゃ。ちゃんと読まないと。ほんとに「いじめ」が理解できないんだよな。だからって、「知らんわ」って言いたくない。何か役に立つことを言いたい。昨日の夕方ごろから少し涼しい風が吹いてきました。9月にはちゃんと秋がくるといいね日本の四季が危機だと。残念
2026年08月09日
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今日は立秋だから、暦のうえでは今日から秋らしい。でも暑いんだよなあ。さっき考えたこと。誰かの言う事や行動に「それはないわ!」と腹を立てるとき、いちど「ほんとに、「なしか」?どうして?」と考えてみたい。今はネットが便利だから、少し検索すれば意外と「なし」でもないんだなという世の中の事情がわかる。大抵のことは「あり」だ。思い込みで誰かに腹を立てる前に、落ち着いて調べて考える余裕が欲しいよね(^_^)まあでも、愛想のいいAIを味方につけてなんでも自分好みの回答を得ようとしないことにも気をつけないとね。まあ、私は、つまらないことで怒ってほしくないんだわ。そのイライラは世の中を良くはしないよ?どうしてもダメだと思うことは、そのことに気付いてもらえるような手段を考えようよ(^_^)ゆうべ、昔のことをいろいろ考えていたら心がザワザワしてきてイヤな感じだったんだけど、ネットに上げていただいたPre:Prema福井Day2の「満ちてゆく」を聴いているうちに眠ってしまったらしい。「満ちてゆく」は私の睡眠スイッチを押すのですかね(毎回寝る←ダメ)寝て起きたら、すっきりだ。心がザワついたときは、やっぱ寝るに限るな。グーグルさんは入力した文字列からもオススメの記事って引っ張ってくるのかな?ちょっと怖いけどねえ。まあ、参考にはなる。検索AIの「もっと調べましょうか?」は、大きなお世話なことが多いけど。日記でした。台風には注意ですふたつ、きたね。
2026年08月07日
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最近観て、憶えているドラマの感想を書いておきます。時季で分けると、どこかに入るのだと思うんだけど、わからない。わからないことはわからないとそのまま言ってしまう。ついこないだまで放送していた「ミッドナイトタクシー」おもしろかった。朝ドラの「風、薫る」が至極深刻に進行するので、夜ドラのこちらが笑わせてくれることが多くて、助かった。古川琴音さんの演じるタクシー運転手さんの車に乗る人たちの様々なドラマを描きつつ、運転手さん=象子(しょうこ)さん自身のお話でもある。古川琴音さんも、レギュラーのみなさんもよかったですね。書いておくと、育ての母のムリさん(和久井映見さん)、ムリさんの担当する女優の寿々木麗華さん(伊藤万理華さん)、タクシー常連客の八雲さん(中村蒼さん)、喫茶「つかれしらず」のマスター竹中直人さん、あと、後輩の女性、ごめん、お名前忘れてしまった。でもよかった。実母の山本未来さんも出番は少なかったけど、よかったですね。東京の深夜を走るタクシー、お客には、宇宙人もいりゃ、魔法使いもいりゃ、未来人もいりゃ、幽霊だっていたっておかしくない。そんなこともある、と冷静に対応する役が、琴音さんにぴったりでした。未来人が登場する回で「宇宙人?そんなのいたっけ?魔法使い?」と首をひねっていたら、そばでながら見してる旦那ちゃんに「ホウキ持ってた人たちいたじゃん!」と言われました。いたねえ、たしかに。でも、そーいうフツーじゃないヒトたちに「時々いるんですよね。自分の国のお金で払おうとする人」って冷静に対応するのおかしい。未来人のタイムマシン、痛車にしか見えない。ドラマだからこそ描けるね(^_^)。最後のエビソードの、実母に置いていかれて恨んでいる兄妹の(妹さんの)お話、興味深かった。人が育つ境遇って大きな影響を与えるよね。私はあんまり、他の人を恨んで、誰かのせいって思いつめることなかったけど(アホのポジティブだから)誰かのせいって強く思ってる人もたくさんいるのかもしれないよね。そういう人たちの気持ちも気楽にしてくれると嬉しいな、風さんみたいな人が。(急にw)ドラマの感想を書いていますよ。同じ古川琴音さんの「魯山人のかまど」もおもしろかった。偏屈な魯山人に無理難題を振られても大真面目にこなす編集者役、とてもよかった。あの、魯山人の人物描写には今ならパワハラ!という感情的な意見もあったようですが、昭和〜って感じでしたね。現代の私たちには、スマホひとつで、北大路魯山人(藤竜也さん演)という人の生い立ちを調べることもできる。あんなふうに、気持ちのコントロールが効かないように育って大人になる人の都合も考えたい。みんなが同じように育つわけじゃないんだよ。同じじゃないぶん、かつては、いろんな性格の人がいたわけだけどね。いいこともわるいこともあるんだよ。なんにしても、生き物や自然、文化を愛でる姿は素敵。これから少しずつあつめていこうかな。画一的な教育は、みんな同じ程度に同じことができるように育てることはできるけどその代わり、個性の芽を摘んでいるとも言えるよね。それを自覚したら、これからだね(^_^)あとは、「ムショラン三ツ星」も観ました。こちらも、「育ち方って大問題」ですね。お金があるとか、ないとかの問題でもない気がするんだけどなあ。お金はあるに越したことはないと思うけど、浪費癖があったらいくらお金があっても足りないよね。施設の療法士さんと話していて、小中学生のおとうさんなんだけど、「仕事いやだな〜、庭で野菜育てていたいなあ」ってグチるので「ねえ、そんな世の中に子らを放つのは心配じゃありませんか?」と聞いたら「それはもう」と今どきうまくやっていけるのは、(大谷選手みたいに)特別な能力を持っている人と、家柄のいい人(親ガチャ当たりの人)くらいじゃないですか!?と暗いことを言うので「ん〜?フツーにマジメに働いて、ギャンブルとかで散財しなければ暮らしていけませんか?つつましく。」と。どうしてそんなにお金が必要なんだろう。闇バイトとかで、今すぐまとまった現金が入手できればいいってなるのは。お金っていざ使おうと思うとけっこう大変だけどね。欲が深いのかな?使い道がたくさんあるのかな?私の生きてきたなかに、そういう価値観を持った人はいなかった。あ、隣の部署のエライ人が、会社のお金を使い込んでたって話があったな。直接関わりないけど。ごめん、また風さんのこと書くけど、「小さなことで満足することに上手になってください」だよね。ものは、いらないな、そう考えると。ドラマに戻ると、要は、刑務所の給食指導をする栄養士さんのお話。元々イタリアンのシェフで、子供たちと生活するために仕事を探していて、刑務所内で働いた経験を描いた、これは、実話ベースですかね?ちょっと待ってね。(・・・)実録エッセイから漫画化→ドラマ化だって。ネット便利だな。別の日に書くけど、医療小説を書いてる夏川草介さんが先日朝イチにゲストで出ていて鈴木アナが「実際にお医者さんで忙しいのに、小説書くの大変じゃないですか」って聞いてたけど、体験したら逆に、書ける人は書かずにはいられない、よね。社会問題に関わることならなおさらだ。そんな気持ちをこのドラマにも感じたけど、こちらは、現場の経験を描いただけで、こうしたら?とか、こうすべき!みたいな主張はあまりないものでした。それでいいと思うけど(^_^)私は誰かが料理して美味しくいただく様子を見るのが好きなので、どこだろうと、お料理風景を観るのは大好き。子どもと一緒に料理をするのも大好きだった。夏休みには、何回かパンやクッキーなんかを作るのが恒例だった。台所体験はなるべくしたほうがいいよね。育ってもじきに役立つ経験だし。うちの子らは男子だけど、学校の調理実習にも張り切って参加してきたので、母親の私にはできない魚をさばく調理ができたりする。まあ、で、舞台が刑務所なので、犯罪をおかす人の事情と、その人たちへの偏見(思い込み)について何度も考えた。できれば、刑務所の食事はこうあるべき、よりも、刑務所に行かなくて済む生き方ができることを考えたいかな。それ以前、か。顔ぶれはいつもどおりに豪華でしたね。小池栄子さんは今「さよならノワール」も観てるけど、ドタバタした感じも落ち着いた感じも上手ですね。私は新宿野戦病院のヨーコ先生が好き(^_^)以上とりあえず。おもしろかった
2026年08月06日
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振り返った時に後悔しなくていいように、そのタイミングで考え抜いて、そのときいちばんいいと考えられることをする。小さいときから、常にそれを意識して生活してきました。いつの日も「あのときの自分を信じろ!」って思えるように。そしたら、それを集めて連続的に、満足できる、信じられる人生を送れるじゃん。変な子どもだよなあ。バカボンパパのおかげかね。そうは言っても、実際に振り返ることができるようになったのは、もう人生半分過ぎたくらい(50代)だからじゃない?とも思う。でもどんなに小さな子どもでも、今日は明日になったら昨日だ。そのことを理解して、自分の毎日に責任を持って・・・責任持って、ダラダラしても、いいんだよ?(^_^)ひたすらダラダラしていたい時期だってあるさ!充電期間って言うんだよ(^_^) よく知ってる。だからダラダラはダメ!!なんて、ヒトゴトみたいに他人を苦しませることをいう人は、自分の毎日によほどの自信があるんだね。ダラダラだろうが、とにかく悔いのないように過ごしてくださいね(生きてね!楽しいことはたくさんあるよ(^_^))。他人の言うことはあまり気にしなくていいです。5月に書いた日記に「怒りの感情について」(5/6)というのがあって、その後日談を書きます。次男のネコスケが精神的な不調を覚えて、それがどうも遺伝的なものではないかという話になったとき、私の母が「心配でツライ」と娘の私に泣きついてきたので「何がどうなって、私に泣きつくのよ!?」と腹を立てた話です。そこで怒りを爆発させることはないけど、黙って耐えることもしません。ちゃんと伝えなければ「良くなっていかないじゃん」と考えているからです。電話で言い合いになるのはイヤなので手紙を書きました。そしたらその後、母から「反省した」とお返事がきました。孫が可愛いばかりのバカなばあさんだと思ってくれ、と。そんなの、私ばっかり悪者みたいじゃんw 怒らないけど、グズグズ話し続けようとする母に「いや、それ、文章にしてごらん?私は、聞くのイヤだよ?やめて!」ってきっぱり言ったんですね。「アイコは「うんうん、心配だよね」って聞いてくれる」と期待していた母は、ショックを受けたんですね。でも私自身が、動けなくなった今、子どもたちの役に立つにはどうしたら?っていつも考えている。役に立つって、邪魔することじゃないです。心配だ〜!心配だ〜っ!て言ってても役には立たないんですよね(^_^)心配は、させる方の問題じゃなくて「する方」の問題だと考えます。怒るも心配するも、まずは主体的に何とかできないか考えよう。他人を変えることはできないけど、自分が変わる(考え方を変える)ことはできますよね(^_^)これがいちばんポジティブだ。そのような経緯があって、母は、うちに電話してきて心配ごとをぶちまけるのをやめました。言わなきゃわからないけど、言ってわかるなら言えばいいだけのことじゃんね?wまあ、あのときの私、よくやった、よね。しかし、折り悪く郵便も不便になり、隣の市でも配達日数がかかる、もはや。でも、それくらいの頻度と速度でいいか。私も口ばっかりでフットワークは悪く、あげく身体半分動けなくなるし、申しわけない!といいながら。でも結局、みんなそれぞれの人生はただ、別のラインで並行しているんでしょう。自分の人生を誰かのものと錯覚したり、だれかの人生を自分のものと誤解したりするのは、家族というものの特性かもしれないね(^_^)?おりしも、集団就職で東京に出てきたみね子さんのお話である「ひよっこ」の再放送が始まりました。うちの母も18歳で田舎から東京に出てきた人です。いくつか子どものころから、印象深い話を聞いたので、書いておきます。勤め先のエレベーターにのったら、ニコニコと満面の笑みを浮かべてそこにいた井上順さん。「この人、知り合いだっけかなあ?」と思ったそうです。井上順さんがテレビ画面に出てくると、いつもこの話を思い出します。(最新のVIVANTを観ても)王貞治さんが「天ぷらそば、天ぷら揚げ立てで!」とよく食べにきてたよと聞いたので「ねえ、長嶋さんは?」と聞いたら「長嶋さんはねえ、中華が好きだったの」だって。だから和食処にはこない。あと、ジャイアント馬場さんがおそばを食べているのをつい眺めてしまっていたら「そんなに見ないでよはずかしいじゃない!」とからだを縮めていたと話していましたね。背なかを丸めておそばを食べる馬場さん、想像するとかわいらしい。「それで足りるのかなぁ」と思って、と言うと「だってお金ないもん」と話していたと。いつごろかな?馬場さんの経歴的に。母はハタチで結婚して、仕事をやめているので、それは、18歳から20歳のあいだ頃の話ですね。その後の、若い母親である彼女の事情や心情は想像できるし、病気ばっかりする本読みだけは異様に好きな、上の娘に手を焼いたことであろうと今さら同情する。だから私は、まるで自分が自分で育ったように考えていないし、あの両親がいたからこそ、これだけよく物を考えるヒトに育ったんだろうと考える。ありがとう🙏それぞれの人生のラインは、どこかでばらばらになったり、途切れたりするんだろう。それはもしかしたら、見えないだけなのかもしれないね?並走している人たちを大切にできればいいんじゃない?それでいいよ。今、見えるのは、貴重なことだ。
2026年08月05日
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言語化のオニは、自分の文章に誤字を発見すると、しばらくドーンと落ち込む。指摘されることは平気だけれど(なんならもちろん、ありがとう!と思うし)中学生のときに書き散らした文章に運命を運明と書いてしまったことがあって、それを同じ班のピアニスト男子(お察し・ベートーヴェン)に指摘されたことをいまだに覚えていたりする。あれは、クラスの班のメンバーと担任の先生とで回す交換日記みたいなもので、私は、今と同じように、あった出来事や考えたことなどを小さな字でずらずら書いていた。書くことは好きなので苦痛に思ったことはない。先生は時々、内容に関してコメントしてくれたけど、他の人たちは、そもそも長くて意味のない文章を読むことはないだろうと思っていたら(先生は、災難ね)もっとも読みそうにない男子に、内容についてツッコまれて驚いたのを覚えている。はあ、ヒマだなあと思ったら、時間つぶしくらいには、なるのかもね?と考えた。その考え方は今も変わっていない。ヒマつぶしにどうぞ(^_^)。どういう仕組みになっているのかわからないけど、「よく読まれている記事」という項目に、自分で開いたのではない日記が含まれていることがあって、(それはあたりまえなんだよなあ、本来)珍しくて読んでみるのだけれどw 早朝・深夜に誤字を見付けてイヤな汗をかいたりしている。しかも固有名詞じゃないか!なんで気が付かないんだよ!あわてて直しておきました。最近の日記に見つけたときは黙ってコソッと直している。校正(文字チェック)の仕事をしていた経験から書くと、自分の書いたものに誤りがないか確認したいときは、自分ではなく、他の人の目を頼りにしたほうがいい。ワープロソフトにはスペルチェックという機能があって、コンピュータが「間違ってるよ?」と指摘してくれるけれど、私のように美しくない日本語を多用する人は、何でもかんでも「だから、間違ってるってば!」と指摘されることになるので、私は、使わない。以前、クマの学年の二分の一成人式お祝いのカードの文字入力を、私ひとりがしていて(例によって)「入力するのはいいけど、文字チェックはお願いしますね?」と念押ししたことがあった。間違えるのは当たり前なんだよ。間違えようと思って間違える人はいないよ。自分でチェックするには限界がある。指摘されて初めて、間違いに気付くのだ。これは、役に立つ経験だったと思うよね。自分は間違わないと考えている人はあぶないな、自信満々か?実際、入力するときも印刷前も確認したけど、役員のお母さんたちに見てもらったら、名前の漢字間違いがいくつかあった。クマの学年の子どもたちの名前は一筋縄ではいかない(簡単に変換できない)ものが多かった。それを実感した。そして、人は間違えるのが当然と考えることで、私は、私自身を楽にしてきたのでしょうね(^_^)脳の働きにもありそうだよね。違う文字を合ってると認識する。他人の間違いにも寛容になったと思うけど、文字や数字程度の間違いには「そういうこともあるよね」と笑って流せるけど、人としていかがなものか、みたいなことは、いまだに流せない。でも、怒るより、まずは理解したいと考えるんだ。そして犯罪者の思考を推理しようとして「そんなふうに考えなくても」と家族の誤解を招いたりしているのだが。私の考えじゃないよ。ドラマ感想を書いてしまわないとねと思っています。これがさあ、感想を乾燥と変換していたりするのよね。左側が弱い。さらに弱くなったな。変換候補の文字が左から並ぶから、注意力が続かないのか?空間無視って言うんだって。見えてるけど無視する。左側の空間無視は右脳損傷の後遺症。まあ、落ち着け!だね。「話が古くなる!」の感覚がいまだに強い。ではでは
2026年08月02日
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身体の左側が麻痺するのは、右脳が出血して損傷したからだそうです。ちなみに、そんなのは脳に自覚症状がないので、私にはわかりません。脳は左右で担当する機能が違うので、右脳を損傷した私は、身体の左側の動作ができなくなった。左脳は、発語や計算、論理的な思考を担っているらしい。おしゃべりな私は、左脳が無事でよかった、ということになるけれど、救急車で運ばれたあとの私の脳のMRI画像を見た旦那ちゃんが言うには、両方の脳の血管がボコボコとふくれて、まるでブドウの房のようだったと。こっわ。だから3年経っても彼は、そのまま私の脳の血管が大爆発を起こすことを怖れていて、びっちり私に付き添って面倒を見てくれているのですね。今の私の気持ちとしては、実際に年を取って、身体が弱って動けなくなる前に体験することができてよかったよな、と、あくまで、アホのポジティブなんだけれども、しっかりした人たちは、そんな目に合わなくても想像して、対策できるに違いない。だから、あなたは大丈夫(^_^) 対策して準備してね(^_^)反対に、左脳を損傷した人は、発語が不自由になるという。話したくても言葉が出てこないのか、そもそも言葉が思い浮かばないのか、経験していないのでわからないけど、でもかつて、話し始める前の小さい長男のワンとしっかりコミュニケーションがとれていたという実感を持っている私は、人間どうしの意思伝達に、必ずしも言葉が必要であるとは考えない。最近、右片麻痺で施設に通うようになった利用者さんが、車椅子で、私たちの座っていた長机に突っ込んだ。とっさに「わ!すいません!」が言葉で出てこないのは、わかる。でも考えてみれば、同じように右片麻痺のオジサンはいつも、「すまないね!」と言うように動くほうの手を顔の前にあげる。言葉が出てこなくても、だ。だからね、相模原の事件で、「言葉でコミュニケーションが取れない障がい者は『心失者』だ」と犯人が言ってると。たぶん、違うよね。わからないけど、彼らと家族たちのあいだには周囲にはわからないコミュニケーションがあったんじゃないのかな。それができるかどうかは、「健常」と呼ばれる人たちのあいだのコミュニケーションがかならずしもうまくいくものではないことを考えると、簡単にできてるまたはできていないを判断できるものじゃないんだろう。難しいな。よく考えてみます。私なりに。違うの。もっとのんきな話を書こうと思って。テレビで国会中継なんかを見かけると、旦那ちゃんが「野党は、選挙前に自分たちが言ってたことを与党が言うと、澄まして、反対!って言うよね」と毎回毎回言うので「まさに、手のひら返しだね(^_^)毎度とりあえず何でも反対しておくスタイルだからね。建設的でない。」と、このやりとりも、うんざりするほどしていて、私がそう思うってことは、若い人たちもきっとそう思うんだよ。政治の形って何かしらの意味があるんだろうけど、もはや形骸化しているのでは?形骸化しているものにお金をかけるのもムダよねえ、とこれも若者は思うことだろう。そもそもってところで解説してくれる視点の新鮮な政治学者さんがいればいいよねえ。そしてね、先日書いた「マイルール」の日記を踏まえて旦那ちゃんが、私のすることにいちいちケチをつける、あんまりうるさいので、「ねえ、あなたのそれは、まったくもって『野党的言動』よね!?」と言い返したら、ハッとした顔をして「そうか!そうだね、上手いこと言うなあ」と納得していておもしろかった。その後「自分は、野党だからね」と開き直るようになったのはよろしくない。考えてみれば、私と子どもたちは、意思伝達を極限まで円滑にするために言葉を追究してきた。最近「凡ミス図鑑」を読んでいると書いたけれど、その本のアマゾンレビューに「これは凡ミスではなくて、致命的失敗だ」と意見している人がいたので、つまらないなあと思ったとクマに伝えたら「凡ミスの反対は致命的ミスじゃないよね?」と面倒なことを言う。ウッカリミスの反対は何だ?と考えたけど、ミスしない、か、ウッカリの反対はうっかりしない、だから、綿密に計画を立てた上で失敗すること、じゃない?そんなの、私は日本のロケット打上げくらいしか思い付かないよw 何十年かしたら、新しい言葉ができてるかもしれないね。私たちの致命的ミスなんて、地球の破滅とか、人類滅亡を招くようなことだけじゃなあい?と考えた。そう考えると、大抵のことは大したことないんだよ、という趣旨の本ですから(違う!)オススメです。おもしろかった。別の日に書くけど、クマという人は、就学前後に吃音があって、それを自力で克服して人前で話すことにも苦手意識なく教職についているので、実際に考えたことや経験したことは、他の人の役に立つことだろうと考えます。そして、言葉をテキトーに使わずに、いちばんふさわしい表現を選ぶことは、私たち親子の習慣でもあるので、ある日突然、ワンが「ねえ、イチゴ味って、『イチゴ味』味だよね」と言い出したりするのです。これは彼のヒットだったので、その後、わが家に定着した。いちごあじあじ🍓、ね。長いよ。今回の地震で思い出したこと。東北の地震の時に書いた日記に「買い占めという言葉を無責任に使ってはいけないと思います」というのがあって、あのとき、現象は、物流の止まったスーパーで、水やインスタント食品が次つぎに売り切れていた。あれは「買い占め」じゃないだろ?と思ったんです。「買い占め」という言葉には、誰かがそこにある品物を他人には渡さないという意図を持って買っていくという意味が含まれている。そんな悪意をわざわざ見るなよ!?と腹立たしかったんですね。書かずにいられなかった。最近は「買い溜め」という言葉が使われていますね。これならわかる。必要以上に買い込んで安心感を得ようとするなってことね。旦那さんの実家が熊本だという職員さんがいて、様子を聞いたら、直撃は免れたと。でも、スーパーの品物がないって、と案の定のことを話していて(鹿児島まで買い物に行く、とか。関東育ちの私には想像もつかない)「うん、わかるけど、まずは配送が復活しないと、なんともならないわよね?」と。小さな子どもたちをたくさん連れて手伝いに行くわけにもいかないし、と言うので「そうよ、余計に大変よ、こっちで着実に暮らしておきましょう(^_^)」という話を旦那ちゃんに伝えたら、「むしろ、くるな」って言うよ?と現地の義両親の気持ちを想像していた。家族は何かしたい気持ちが強いだろうけど、いまはこらえて、自分自身の生活を地道に送りましょうね。しかし各地のみなさんが、今度は恩返しだと、支援に動いてくださる様子を、私は、助け合うヒトの生態として嬉しく観察している。みんな自分にできることをすればいいんだよな。私はムダに言語化のオニになる。
2026年08月01日
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見えないけれど、たしかにそこに働いている力。思い出したこと。子どもたちが小さいとき、果物や野菜にむき残した皮を見つけることがあった。それは単純に、母親の私が大ざっぱで、キッチリ削り取ることができなかっただけなんだけれど、それをわかっていて、私は何ごともないように「それは、当たりですよ!」とこたえる習慣になっていた。すると子どもたちは「当たりか!?ラッキー!」と喜ぶ。だからといって、何があるわけでもない。ただの気持ちの問題だ。皮が残っている、クソ!ではなく、やった!と気持ちは誤魔化そうw 理屈はこじつけようと思えばいくらでもある。でも、顔色を変えずに即座に「当たりだよ」これでいい、おかあさんが決めた。ご飯を作る人の特権だ。ヨシ!そして月日は過ぎて、たしか高校生になったころのネコスケが、皮の細く残ったりんごか何かを「当たりだ」と言いながら黙々と食べていて、真顔だったけどたぶんあれは冗談のつもりだったんだろう。少し心配になって、「ねえ、それは、おかあさんが失敗しただけよ?念のため」とあわてたことがあった。それはそれで笑われるんだけど。「もちろんわかってるよ」と。真剣に当たりだと考えていたら困る。まあ、何が当たりかは、人それぞれだよね。これは、うちの習慣。ソコツな母親を気楽にする。玄関に、ボタンを押すとめくれる日めくりカレンダーが置いてある。子どもたちが学校に通っているあいだ、ずっと私が朝起きてカチャンとめくってきた。1日一回カチャンでいいのに、ウッカリ多く押してしまうと、同じ数字まで一ヶ月分、送らないといけない。メンドクサイけど、そのアナログな感じが大好きだ。3年前、脳から血が出て私が入院したとき、まだ大学生だったクマは、(いや?待てよ?時期は、記憶違いかもしれない)旦那ちゃんがときどきめくり忘れるカレンダーをカチャンしてくれながら、「これ、今まで、どうやってめくれていたんだろう」と疑問に思ったらしい。ちょっと考えてみれば、何を動力源にしてるのかわかるはずだけど、めくれているのがあたりまえ過ぎて考えなかった。人力だったw 電池とか、太陽光とか、からくりとかじゃない。そんなふうにあたりまえにスルーされる働きが世の中にはたくさんあるだろう。気付いてよ!と主張しているわけではなく、誰も気付かなくても、私はここで、そのことに気付きたいと考えていますよ? という話だ。ありがとうございます(^_^)日めくりカレンダーなんて、私が好きでやってたことだから、別にいいんだけど、今も変わらず玄関でカチャンカチャンと日を刻んでいる、エコだ。人力だからね。脳の運動にもなるんじゃない?今日は何日?もうめくった?あっつ。ここ何日か、早朝のクーラーなしに眠れるくらいだったんだけど、きょうはまた暑くなりました。湿気がないのは、助かるね。地震がひどかった地域は、停電や断水もあって、どうやって熱中症に注意するんだよ!って状況だけれど、何とかしてしのいでくださいとしか言えない。生命力の発揮のしどころだね。寿命が決まっているなら、何をしても死ぬときまでは死なないんだよ、はバカボンパパ。私は、幼稚園児のころからその考え方になじんでいる。だから筋金入りのバカだ、ゴメン。みんなの知恵を駆使して気を付けて過ごしてくださいね。自然災害は、どこで起こるか、わからないよね。
2026年07月29日
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昨日の朝からミンミンゼミが鳴き始めました(今朝も)もっと早い時期から鳴いていたシャーという鳴き声はクマゼミらしいです。暑かろうが(というか、暑いほど)セミは元気かと思われます。地球温暖化のこれからはセミの天下かもしれないよねw ということは、セミを捕食する生きものも安泰か?いやセミ、夏しかいないやん。保存食にする知恵を持つ人間は強いな。結局、人類最強、で終わるのか(考えが足らない)昨日の「豊臣兄弟!」を観ていたら、両親の言いつけをよく聞いた与一郎が主君を庇って若くして亡くなる?という展開で、(亡くなったの?←ちゃんと観ろよ)前の日記を踏まえて「ほらな!」となったのは私。ある意味、とんでもなくお利口なお子さんだよ?何を最優先する?何を指示する?もしかしたら、親の言うことなんて聞かずに、自分の考えで悔いなく生きることのほうが価値あることなのでは?まだまだ考える必要がありますね。 今、腰が痛くてさすっていたら、旦那ちゃんが「寒い?」と言って室温を上げようとする。「違う、腰が痛いだけ!」とエアコンの設定をいじるのを止めようと急いで言ったら「そんなに怒らなくても」と言われたんだけど、意味を正しくとらえていない人が誤解でズンズン進もうとするのは困りますね。自分が、知らない、とか、間違ってる、可能性を考えないのかなあ? いや毎日せっせと私の面倒を見てくれている旦那ちゃんにただ悪態をついているわけではなくて、さっき見かけた、「和田秀樹さんが高齢者は健診を受けなくていいと言っている」と紹介している武田鉄矢さんの記事に、どう読んでも「老害」を、我々が考えているように理解していない文章を読んだので、ひたすらキモチワルイのですよ。ただ年取った人をそれだけで邪魔にしているわけではないですよね? 敬われるべきお年寄りだっているし、ほとんどそうだと思うけど、困るのは、経験を積んだ自分がいちばん正しくて、若いヤツは物を知らなくて、へりくだって自分に教えを乞うのが当然だと威張り散らしているお年寄りですね?「敬老」のかけらもないって、老人がみずから言うのは恥ずかしいですねえ。自分が敬われて当然だと?むしろ、同年代の方たちに嫌われるんじゃないですか?おめーは、老害にもほどがあるだろって。私は、私自身が子どものころから、年を取った人たちが、物知りで考えの深い人ばかりとは言えないなと考えていたし、自分が年を取っただけで、敬われる人間になれたとは、考えていません。同じように考える人もたくさんいると思うんだよ?だから、ああやって、声高に「老害なんて失礼だ!心外だ!」と意味を誤解して文句を言う人は、同じ高齢者の迷惑になるだけだと考えます。あの記事には作為的なものを感じるな。案の定まんまと乗ってる?本気で、老年的超越ってあると思いますよ。私の周りはみんな、理解があって優しいもの。若い人たちに、素直に知らないことを教えてって言えるし、ありがとうも言うよ?卑屈になってるわけではなくて、素直に「今は便利よねえ!」って言える(^_^)そして「勿忘草の咲く町で」も観ているので(感想は別の日にまとめて書きます)「年取ったら、みんな死ぬんだよ」とウンザリするほど言っている。旦那ちゃんは、自分の父親が胃ろうで寿命をつないだことを、本人のためにも、家族のためにも、後悔しているところがあるので、「年取ったら、みんな死ぬんだよ」の気持ちが強い。そうね、私もそう思う。永遠に生きるつもりの人がたくさんいるのかな?少なくとも親や身内は(今このときに限っては)死なないと、死なせないために入院してるんだからね!と思ってるの?絶対に死なせないことなんてできないよ。どこかで、しっかりまとめて書き残しますね。いや、私、まだ、死なないからね(^_^)。たぶん大丈夫。死なないつもりだけど、うっかり死んだらゴメン。歩くのちょっとドキドキしたw←転倒注意!左脳もやられたら大変。前の日記に、風さんの配信を最初から最後まで観たい執着はないって書いたんだけど、正確には違うわ、最初に会場が映ったとき、スマホをかまえている人が幾人か観えたので、これはきっと、優しい風ファンがネットにあげてくれるに違いないと思ったの、確信した。信頼は執着を超えるな?w 観せてもらいました。心から、ありがとうございます、しあわせLess baggage, more contentmentって言ってたね?まあ、手放すほど満ちてゆく、は、もうずっと風さんが言ってきたことだからね。あと最近、なるほどなあと思ったのが「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』 山本常朝)死ぬときのことをずっと考えながら生きていくんだよ。どのように死ぬか、どのように死ぬために、どのように生きるか。いやだもう!何書いても、藤井風のマネみたいになっちゃうじゃん!日本人だから、武士でいいじゃん、武士がいいじゃん!誰が何を言ったということよりも、いちばんいい生き方を考えたいんだよ(^_^)まあ、優しいは正義。でも優しいは、甘やかしとは違うんよ?←まとめろよ。ではでは。
2026年07月27日
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