井上ひさしさんが最期まで書こうとしていた舞台を その意志を引き継ぎ栗山民也さんが演出し 蓬莱竜太さんが戯曲を書いたものです。
激しくて酷い戦闘があった島に巨大な木があった。
追い詰められた二人の兵士が、その木へと上る。
鬱蒼と茂る枝葉は、二人を敵から上手く隠してくれた。
と同時に、敗戦を二人から遠ざけた。
長い長い、木の上での二人きりの「戦争」が始まる(パンフレットより)
島出身の新兵(藤原竜也) 本土出身の上官(山西惇) 木の精でもある語る女(片平なぎさ) とヴィオラを演奏する徳高真奈美さん セットも舞台中央に大きなガジュマルの木というシンプルな舞台でした。
あの戦争が沖縄にもたらしたもの そして現在でもそれほど変わらない状況など考えさせられる舞台でした。
沖縄は捨石にされたんだ それでも日本という国を信じられるのかと問う上官に対しての新兵の言葉は胸にこたえるものでした。
「守られながらおびえ おびえながらすがり すがりながら憎み 憎みながら信じる」
「ぐちゃぐちゃなんです。信じるしかないから それしかないから信じるんです」
ほかの選択肢はないから信じるしかない なんて切ない言葉でしょうか。そしてそれは現在の沖縄もそうなんだと思います。
軍隊は決して民を守らない、軍隊が守るものは「国」という体制であり概念だということを安倍首相の靖国参拝に対する中韓の抗議に対しての反論を「ようやくまともなことが言える政治家が出てきた」などと拍手喝さいする人々はわかっているのだろうかと疑問に感じます。
井上やすしさんならこんなストレートで直球な台詞では訴えなかっただろうなと思いながら
繰り返された「守られながら・・・」に脚本家蓬莱さんの熱い心を感じました。
井上さんなら日の浦姫の「魚名魚字」のように くすりと笑わせる面も持ちながらひねった言い回しをしたことでしょう。
普天間基地問題を「そこまでいって委員会」のTVで取り上げていた時 勝谷氏が「普天間が一番危険な基地だというけれど 普天間基地が出来た時はまわりは何もなかった。基地の周りの住宅や学校は後からそこに現れたんですよ」と基地周辺住民をさも馬鹿にしたような発言をしたことを覚えています。
一瞬「へ~、そうなんだ」と思いかけて そして「でも待てよ」
沖縄本島の真ん中 日本軍の基地のあったところを含むにしても広大な土地を先に米軍基地にしてしまってから 沖縄の住民が復興しようとしたら基地周辺にへばりつくようにしてしか住宅や学校など建てられなかったのではないだろうかと思い当たったのです。
この舞台のモデルになったガジュマルの木は伊江島にあります。伊江島の戦闘が終わると生き残った住民はアメリカの船に乗せられて一人残らず島から追い出されたそうです。アメリカは伊江島を恒久基地にしようとしていたため住民を追い出し 現在も島の面積の63%は米軍基地だとのこと。(パンフレットより)
近くに伊江島出身の友人がいますが 木の上で暮らした二人の兵士の話は知らないと言ってましたが 自衛隊やアメリカ軍基地に対する複雑な思いをもっています。彼女の父も米軍に基地として土地を提供し 基地関係の仕事をしていたようですがそれゆえのものもあるように感じます。
「主権回復の日」の沖縄のデモに対して「金をせびりたいだけだろ」やら「黙っとれ」などとツイートする人々には 沖縄の歴史を学び 現在の状況を現地で見てほしいと願わずにはいられません。