【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

【カラーガード大好き】マイレージジャンキー 時々 「鉄」

2007/08/08
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うー、この時間でもまだ暑いです。冷房が効かない。いや、効いているけど能力が不足しているのです。恐るべし…。

さて、続けてまいります。今回は、諏訪大社の下社春宮をご紹介してまいります。



最初にこの建物が目に入ります。秋宮に比べると扉が現代的なのが残念…。





春宮幣拝殿です。もちろん重文です。左右にあるのが、左右片拝殿です。これも重文です。



左右片拝殿の案内板でございますね。



幣拝殿の内部です。鏡が安置されていました。ご神体でしょうか…。



左右片拝殿の内部でございます。非常に静かな場所でした。なんか感動してしまいました。やはり神様が居るのかな…。



春宮と秋宮を合わせた下社全体の案内板です。



こんなところで、春宮を切り上げ、境内を退出いたしました。







「万治の石仏」の案内板でございます。もちろん、伝説がございます。下諏訪町による紹介文を引用します。



おむすびのような自然石のテッペンにチョコンと首がはめこんであり、首と胴が極端にちぐはぐで、またその表情がユーモラスである。胸に袈裟となぞめいた絵が彫られている。太陽・月・雲などと見られる模様と逆さ卍(まんじ)。手を組みその右に南無阿弥陀仏と大きく彫られ、万治3年(1660年)の年号と、ややわかりにくいが、「願主明誉浄光・心誉廣春」とある。願主のこの二人は僧籍にも見当たらず記録もない。

この石仏には不思議なことがいっぱいある。諏訪大社春宮の大鳥居建立に関連しての伝説では、明暦3年(1657年)諏訪氏三代藩主忠晴が、春宮に石の大鳥居を寄進しようとした時のこと、それを請けた大工がここにあった大きな岩を刻んで鳥居にと、ノミを入れた途端その岩から血が流れ出した。恐れをなした石工が仕事をやめたところ、その石工の夢枕に諏訪明神が立たれ、神のお告げで良材を見つけることができ鳥居は完成した。

そのようなことから初めに鳥居にしようとした岩に阿弥陀如来を彫り祭ったというのがこの石仏で、背にそのノミの跡という傷が残っている。五代藩主忠林(ただとき)が、各村に命じて描かせた諏訪藩主手元絵図(東山田の図)には、この場所に「えぼし岩」とある。万治3年から70余年も後のことなのに石仏が描かれていないことも謎とされている。


へええ…。岡本太郎が絶賛と言うのが何とも凄いです。芸術的なんです。そういわれるとそんな感じのする石仏でした。早速画像をご覧頂きましょう。



これです。確かに芸術的です。現在美術みたいです。



もう少し寄ってみました。



裏から見るとこのように見えました。はい。この万治の石仏で三角八丁の二辺を歩いたことになります。次回は春宮参道をご紹介します。でもその前に…。





川べりで撮影した野草です。明るい画像が欲しくて撮影しました。壁紙にしようかと思っていたのですが、明るすぎて使えませんでした。涙。

【昨日のマイレージジャンキー的な成果】

朝食(SUICA) 4マイル(JL)
ローソン(JCB) 3×1.5倍≒約4マイル(NH)

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Last updated  2007/08/08 12:03:10 AM
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