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令和4年1月現在の発表では、全国で小中高校生の不登校の子供は過去最高の23万9千人を超えましたした。 うちの子供も、中学校には、3日しか行っていません。 でも、高校に入って、突然、登校するようになりました。 もう高校3年になりますが、この2年半で、学校をやすんだのは、たった3日です。 それも、理由は、病気だけです。 その子供が、いよいよ大学受験の季節を向かえました。 いわば、元不登校生の挑戦です。 子供の受験を、「がんばれ」という気持ちをこめて、親が生き方で応援するために、私は、老体にムチ打って、半年ぶりに再就職し、それも初めての臨時教員生活を、中学校で送るようなっています。 教員生活も2か月を超え、少し、教員生活も慣れました。 それでも、「できれば授業中、一言も発言したくなかった、引っ込みじあんの私」は、中学時代は、いじめられて「真っ暗な学生時代」でした。 そんな私が、教壇に立つのは本当に怖くて、いわば「ガラスの教壇」です。 今の私を支えているのは、令和の中学生たちの明るい笑顔と、必死で受験勉強をしている元不登校生の息子のがんばりです。 いわば、元不登校生の子供と元いじめられっ子の親の、「令和の挑戦」です。 お互い、この土日も受験とクラブの大会への引率で、休んでいません。 子供も、お父さんも休日返上で、がんばっていることを喜んでくれています。 それを支えに、もう少しがんばろうと思っています。 最後に、私の読者のみなさんと子供の合格を祈願して、「合格のお守り」で人気のJR徳島線の「学駅」の入場券の写真と駅の写真を掲載します。<山の中の試合会場」><「入学」と書かれた入場券(下)が人気のJR四国「学駅」(上の写真 徳島県吉野川市)>
2022.11.21
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コロナ第8波の波が、確実にせまっています。11月13日は、9日連続で前週の同曜日超えで、患者は6万9千人に迫っています。私の通っている学校でも、ある日、突然、1クラスで10人以上が休み、翌日には学年で30人以上が発症、先生も休み、学年閉鎖になりました、私は10月初めの、予防接種のおかげで、なんとかかからずにすみました。その代わりに、英語の先生が休み、英語の授業を初めてやるはめになりました。英語は一番苦手な科目ですが、中一の英語は、単語の意味がわかれば、何とか文章は理解できました。しかし、さすがに発音は、英語圏に行った経験は「返還前の香港」しかないので、さすがに、自信がありません。そこは、CDに力を借りて、ヒアリングテストをやりました。問題の答えあわせでは、「わかる人」と言うと、英語は塾に行っている子が何人かいるので、その子たちが挙手して、答えてくれて、「残念ながら正解です。」と言うと、笑いをとることもできました。学校の先生になって、2ケ月が過ぎましたが、未だに教員免許をもっている社会科の授業はさせてもらっていませんが、苦手な英語の授業は2日続けてやりました。高校の体育でやっただけの剣道部の試合監督もして、これでいいのかなあと、日本の教育に疑問を感じる今日この頃です。(笑)翌週、生徒たちは、何事もなかったように学校に出てきました。若い生徒の回復力に、驚いたりホッとしたりです。1周遅れのラスト先生の、学校生活は3ケ月めに入ります。今の私を支えてくれているのは、子供たちの笑顔と澄んだ瞳です。<教室の写真(紹介している学校ではありません)>豊富な実例ですべてがわかる!中学校生徒とつくる365日の教室環境 (学級経営サポートBOOKS) [ 川端裕介 ]
2022.11.14
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山本コウタローさんの名曲を紹介する2回目は、「走れコウタロー」です。「走れコウタロー♪」は、1970年7月5日発売の、ソルティ・シュガーのコミックソングで、2枚目のシングルです。 ソルティ・シュガーのデビュー曲は、前年の1969年12月に発売された「ああ大学生」は、3000枚しか売れず、惨敗でした。ところが、競馬のコミックソングとして作られた「走れコウタロー」は、曲や詞、そして実況がおもしろいということになり、1970年4月にレコーデイングし、7月に発売が決定しました。それでは、「走れコウタロー♪」の1番を紹介します。「♪走れコウタロー♪」(作詞・作曲 池田謙吉 歌:ソルティ・シュガー)1これから始まる大レースひしめきあって いななくは天下のサラブレット4歳馬今日はダービー めでたいな走れ 走れ コウタロー本命 穴馬 かきわけて走れ 走れ コウタロー追いつけ 追い越せ ひっこ抜けスタートダッシュで 出遅れるどこまで行っても 離されるここで お前が負けたならおいらの生活 ままならぬ走れ 走れ コウタロー本命 穴馬 かきわけて走れ 走れ コウタロー追いつけ 追い越せ ひっこ抜け ところが、レーコディングが終わった直後の5月10日、主要メンバーの一人、池田謙吉さんが21歳の若さで、急性心不全で急死してします。 もともと「ソルティ・シュガー」は、東京都立日比谷高校の同級生、山本厚太郎(山本コウタロー)さん、池田謙吉さん、手塚通夫さん、高橋隆さんの4人が、先に脱退した佐藤敏夫さんの名前「さとうとしお」を、英語にした「ソルティ・シュガー」というグループ名で結成したものでした。 池田謙吉さんの急死を受けて、佐藤敏夫さんを1年限定で呼び戻し、4人でソルティ・シュガーを再結成し、1970年7月5日に「走れコウタロー」のレコードが発売されました。<走れコウタローのジャケット>ソルティー・シュガー「走れコウタロー cw 橋」 CD-R 走れコウタローという曲名は、遅刻ばかりしてくる山本厚太郎さんを、池田謙吉さんがパロディにして、「がんばれ厚太郎」的な意味で、「走れコウタロー」という曲名にしました。 発売後、「走れコウタロー」は池田謙吉さんの死を乗り越えて、まさに歌詞どおり、「本命、穴馬かけわけて」100万枚近い売り上げを記録し、1970年の日本レコード大賞新人賞まで受賞しました。 それでは、2番以降の歌詞を紹介します。2番(「走れコウタロー」の続き) ~当時の東京都知事「美濃部都知事のものまね」と競馬アナウンサーの実況~♪ところが奇跡か 神がかりいならぶ名馬を ごぼう抜きいつしかトップに 躍り出てついでに 騎手まで 振り落とす走れ 走れ コウタロー本命 穴馬 かきわけて走れ 走れ コウタロー追いつけ 追い越せ ひっこ抜け走れ 走れ 走れ コウタロー本命 穴馬 かきわけて走れ 走れ 走れ コウタロー追いつけ 追い越せ ひっこ抜け♪ <山本厚太郎さん> 山本厚太郎さんは、1948年9月7日、東京都千代田区に生まれ、都立日比谷高校を卒業後、上智大学経済学部に入学し、一橋大学社会学部に転学し卒業。 大学在学中に、ソルティ・シュガーを結成し、1970年「走れコウタロー」でミリオン・レコード大賞新人賞を受賞。 1974年発売の山本コウタローとウイークエンドの「岬めぐり」が大ヒットし、昭和の戦後を代表する名曲となりました。 1971年から1978年まで、TBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」のDJや、フジテレビ「笑っていいとも」に出演したり、日本テレビ系の「午後は思いっきりテレビ」の司会者を務める。 その後、白鴎大学経営学部教授などを歴任しながら、「広島ピースコンサート」などの音楽活動も行い、夫婦別姓制度に賛同し、吉田真由美さんとは事実婚。 2022年7月4日、脳内出血のため、73歳で死去。 最後に、「走れコウタロー」の作詞・作曲者についての話です。 元ソルティ・シュガーのメンバーの高橋隆さんのお話では、「走れコウタロー」は、メンバーみんなで作詞・作曲を担当したそうですが、「走れコウタロー」の著作権料が突然死した池田謙吉さんのお母さんに入るように、作詞・作曲とも池田謙吉さん名義にしたそうです。 メンバーのやさしい気持ちが伝わる「いい話」ですね。
2022.11.05
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